goo blog サービス終了のお知らせ 

書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

昆虫注意

2022年06月16日 21時27分08秒 | 写真

大型のチョウ





ググってみたが よくわからない

 ◇追記:何のことはない ナミアゲハの後ろ羽根がちぎれちゃってただけだった 鳥に齧られたとか そういうことだと思う

 

アザミ

アカツメクサと違ってトゲが凄い

 

ハチの一種かしら


ヤマハのMT-09みたいだな

 

カメムシ

 

国道17号 志村橋のすぐ近くに鋼鉄製のハンドル

水門的なものかしら


不要になってもどっかで保存しておいて欲しいと思うのはオイラだけかしら

 


日本製鉄の看板

「君津」とあるけど 東京都板橋区舟渡町

今はほとんど解体されて門と冷却塔みたいの以外は何もなくなった

とんでもなく広大な土地なので 何かできるんだと思うが まだ決まってはいないらしい

 

 

 

すんごいちっこい花 一つの花の直径が2ミリもないくらい

撮影倍率0.5倍なので 画面横幅7.2cm

 

シロツメクサ

 

ミツバチ

FHDサイズ

 

ケシ

枯れかけだけど

 

 


Ende;


論理客観的に「考え」ないからバカなのである

2022年06月16日 13時36分32秒 | 意識論関連

世間体というのは 他人からの評価への執着でもある

他人と比較した序列に執着するのは 自分が世間の中で順位序列が低く見積もられていると「感じ」ることへの恐怖心が世間体としての情動行動を促してしまう

プーチンも結局は国民からの世間体を気にし過ぎることで プロパガンダで騙してでも国民からの支持を得ようとしているのであり 通り魔であろうと戦争であろうと やっているのはヒトであって規模の大小は関係がない

それこそ長谷川眞理子のように「ゲーム理論」を持ち出してしまえば 「勝てそうな相手なら殲滅しても構わない」という話になってしまうのであり そういう「サルの正義」を人間社会に適用して良いわけがない

 

他人との比較による順位序列への執着心が評価承認欲求の基であり 自分が評価されることしか頭にないから他人への迷惑に配慮が効かなくなるのである

評価承認欲求というのは 欲求という欲望が行動動機であって 主観的気分だけが行動に直結しているからこそ暴力的解決へと暴走が始まるのである

その意味において ヒトの大半は評価承認欲求中毒であると言えるだろう だからデマや嘘と真実の見分けがつかなくなる

主観的に気分が良くなる話だけを信じようとし 自分の頭で論理客観的に「考える」ことを一切しなければ 必然的にデマや嘘と真実の区別なんぞできなくなる

学術権威肩書の言っている内容は全部鵜呑みにし 言っている内容に論理整合性が抜け落ちていようがなんだろうが一切興味も批判精神も発揮されることなく 盲目的に唯々諾々と信じ込むことで ヒトはバカになるのである

寝起きで寝ぼけているわけでも 飲酒で酩酊状態でもなければ 殴られて意識が朦朧としているわけでもないのに 一切嘘やデマを見分けることができない状態を「無意識」と言っているのである

「人間として無意識」だと言っているのである

人間として無意識だからこそ 人間性も発揮されることなく無責任に嘘やデマを鵜呑みにできるのである

嘘やデマを多数が鵜呑みにしていれば 安心して鵜呑みにしていられるであろう

多数によって自分の判断責任が薄まるかのような感覚(錯覚)が働くからである

そして そうした感覚の存在も 自分の所為ではないと「思う」ことで 言い逃れができるとも「思って」いるのである

そこにあるのは全部が主観的な「思い」だけで 論理客観的な「考え」が一切介在していない

それはもう「バカ」という以外に形容詞は見つからないし 見つけようとも思わない

 

 


Ende;


誤謬

2022年06月16日 09時51分28秒 | 意識論関連

遺伝的進化の結果に対して 事後正当化する形での「意味のこじつけ」は科学的論証にはならない

ヒトが実証不能の神を求めたがるのは ヒトの祖先が順位序列に基づく封建的な統率協調行動習性が「繁殖の継続」に適した結果として 盲目的に信頼したがる対象としての神を求めているのであって ヒトの盲目的服従性を事後正当化する形で「ヒトが実証不能の神を求める意味」をどんなにこじつけても 科学的論証には全くならない

 


「○○の為に進化を選んだ」

「生存戦略」

といった説明の仕方が 一体どこから誰がし始めたのかは知らないし 興味もないが

たとえチャールズ:ダーウィンが自著の中でそう説明しているとしても 自然選択説とは論理的齟齬がある以上 こうした説明の全ては間違いである

論理的に間違っているものを 学術権威が説明しているからといって鵜呑みにしているから「バカ」だと言っているのである

 

イヌをヒトが都合良く品種改良し ヒトが好むような形質や習性を持った個体だけを選んで交配した結果に対し 織田裕二は「イヌの生存戦略ではないのか?」などという疑念を抱いていたが ヒトにとって都合の悪い個体の全てを断種してきたプロセスを無視して「イヌの戦略」などと言い出すのは錯覚も甚だしい

従来の生物学の教科書では 「○○のために進化を選んだ」「生存戦略」といった説明の仕方が平気でされてきたが これは遺伝的進化に対する「典型的な間違い」であると遠藤秀紀(東京大学総合研究博物館教授)が断言しているのである

 

科学は多数決ではない

論理客観的に整合性のある理論こそが「正しい」真理であり 従来の生物学における遺伝的進化の説明の大半では 間違った説明が蔓延しているのであって これらは全て改定訂正が必要であるにも関わらず 長谷川眞理子や山極寿一ら生物学権威の肩書を持った老害共によってはぐらかされ続けているのである

遺伝的進化が万能で 進化の全てが都合良く選べるかのような「説明」でもしておけば 衆愚マスコミの大半は主観的満足によって鵜呑みにすることができるのかも知れないが それは科学ではなく妄想ファンタジーでしかない

NHKの「ヒューマニエンスQ」では やたらと「妄想する」などと付け加えているが 科学的根拠のない話を科学番組で垂れ流しておいて良いわけがないのである

「妄想だから」と言い逃れしておけば 科学を逸脱する免罪符にでもなると思っているとしたら 倒錯も甚だしい

 

 


Ende;


イヌのはなし

2022年06月15日 23時52分37秒 | 意識論関連

イヌの生存戦略など存在しない

そもそも遺伝的進化に「戦略」が介在する余地などない

 

イヌがヒトの感情を読み取る

⇨感情を読み取ったとしても 読み取っているのは主観的感情であり ヒトの動物的側面だけである

私であっても 良く訓練されたイヌに対しては安心感を「感じ」ることができるが 主観的「感じ」をいくら抽出枚挙しても論理客観的な何か科学的立証にはならない

 

菊水健史(きくすいたけふみ) 麻布大学

ヒトとイヌが見つめ合うとオキシトシンが分泌される

⇨シロイルカと見つめ合ってもオキシトシンが分泌される可能性は充分にある

ネコ好きならネコ相手でもオキシトシンが分泌されてもおかしくはない

そもそもオキシトシンは仲間同士の絆のような感情も作り出すが 同時に差別や序列も作り出すものであって 決してオキシトシンが分泌されたからといってアニマルセラピー以外に何かの役に立つわけではない

 


⇨イヌは平等を嫌う 平等を嫌っている時点で人間性と反する

 

イヌも言葉を理解しているという

少なくとも400語は憶えるという

⇨言葉を理解したとしても 論理的に物事を考え 人間としての論理客観的判断ができるわけではないし

そもそもヒトであっても 学力偏差値がたかくても論理客観的判断が出来ている者はほとんどいないのである

イヌが理解しているのは 物の分別だけであり 新聞とは何か PETボトル飲料がどれか そういった区別だけならニューラルネットワークAIでも可能なものであり 人間の知能としての論理客観的真偽の判定ができるわけではない

AIがSNS上のヒトのヘイトスピーチを「正解データ(常識)」として学習してヘイトスピーチに便乗するのと同じように

イヌは野犬の群れの中で育てば野犬にしかならない

ヒトであっても大量の言葉を理解していたとしても 東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性を放置しない保証があるわけではない

 

ロシア ドミトリー:ベリャーエフ ギンギツネの人工繁殖実験

野生では極めて警戒心が強い

ネオテニー 幼形成熟性

 

眼輪筋はイヌでは発達したが 原種のオオカミにはない

⇨多頭飼育崩壊をイヌが避けられないのは イヌには何の戦略もないからである

 

イヌに対して気分的安心満足感を主観的にいくら「感じ」ても それを事後正当化する形のあらゆるこじつけには意味がない

主観的感覚はいくら並べ立てても主観以上の何も論証しないのである

 

 


Ende;


意味論

2022年06月15日 18時08分21秒 | 意識論関連

生物現象には必ず意味がある」などと言っている生物学者がいたが

今まで知られていない現象を発見したからといって 生物現象の全てに必ず意味があると断言することは出来ない

ある生物現象の結果に何らかの合理的理由があるとしても 結果の全てに意味が必ずあることの科学的論拠にはならない

ヒトが生活習慣病になりがちなのは 祖先の生息環境の名残りであって 結果に至るまでの理由は説明できるとしても 結果に対して意味をこじつけることは科学的論証とは言えない

ヒトが幼児性愛性を持っている過程の理由をいくら説明しても 未成年との性交が正当化できるわけではない

「殴りたくなったから 殴った」という生物の生理現象も意味のこじつけが正当化できないのである

 

ネコがマタタビを噛むことで 蚊を寄せ付けない成分が多く発散されるからといって ネコが「蚊に刺されないようにマタタビを噛んでいる」わけではない

そうした行動が結果的に蚊を寄せ付けない結果をもたらしたとしても そうした先天的本能習性そのものはネコが意図目的のために選んだものではない

 

そんなに難しいこと言ってるか?

バカしかいないのかよ

説明していてバカらしくなるわ

 

 

Ende;


イヌの共感性

2022年06月15日 15時35分55秒 | 意識論関連

「“イヌ” ヒトの心を照らす存在」

人間という不思議な存在を問い続ける「探求の旅」シリーズ。今回は、人類との絆を深めた長年のパートナー「イヌ」。数万年前からヒトと共に生きることを選んだその訳とは?

ヒトにとって「イヌ」は長年のパートナーだ。オオカミから分化したイヌは、ヒトと共に暮らした数万年の中で、お互いに「共進化」する関係だったという。イヌの脳は、ヒトの“言葉”を理解できるようになり、イヌの表情筋は、ヒトに“感情”を感じさせるようになった。そしてイヌとヒトが共に持つホルモンは、家族の様な“絆”を作り出すまでになってきた。イヌとヒトという異なる種の共存関係から生まれた進化の意味を妄想する。

 NHK「ヒューマニエンスQ」番組予告

 

 

ヒトと共に生きることを選んだ」というが イヌが意図目的に基づいて先天的本能習性を選ぶことなど出来ない

ヒトとの共存に適した個体種への収斂進化(品種改良)の結果として共生関係に至ったのであって ヒトに都合の悪い個体の遺伝子を排除した結果である

スピッツが当初吠え癖が酷くて不評となったが その後の品種改良として吠え癖の強い個体を断種し 吠えないスピッツだけを交配することによって スピッツは無駄吠えをしずらいように品種改良したのである

 

」といった情動的共感性というものを イヌに感じたとしても 「感じ」ている時点でそれは主観であって 論理客観的にイヌが常にヒトにとって都合良く行動選択をする証拠にはならない

アニマルセラピーなどにおいて イヌに安心感を抱くことはあるとしても カルト宗教の信者が教祖に安心感を抱いたり ロシア人がプーチン政権に安心感を抱いたり ナチス政権下のドイツにおいてドイツ人がヒトラーに安心感を抱くことと同じであって 主観的に安心なら安全性の論拠になるわけではない

 

 

進化の意味を妄想する」などと言っているが 「進化の意味」など存在しないし 「妄想」だと言張れば論理的根拠のない話でも垂れ流して良い理由にもならない

遺伝的進化は全て「結果」であって 「進化の意味」などというのは根拠のないこじつけに過ぎず 科学的には何も論証されない

ヒトの生活習慣病が進化の過程において 過去の生息環境の影響によるものであるという「結果に対する理由」の説明はできても その「結果に対して意味をこじつける」ことは科学ではない

「オノレはカブトムシと一緒で先天的本能習性には逆らえないんだ」と言っているのと同じで 本能習性などの遺伝的進化の結果に対して無理矢理「意味」をこじつけるのは科学を逸脱した身勝手な「妄想」の範疇である

身勝手な「妄想」を大多数の衆愚が主観的に面白がって視聴率が稼げたとしても 科学的事実を逸脱しておりNHKの「業績」としては不適切である

養老孟司による「脳化社会」云々の屁理屈が 衆愚にどんなに人気を集めようとも 養老孟司の言っている内容の論理客観的正当性の論拠にはならないのと同じである

出版各社は養老の著作で金儲けに成功しているため 今更養老がオカルトだとは言いたくないだけであって 組織の利益を優先し個人が自律的な社会的責任を負わないことによって 真実は黙殺されるのである

 

イヌとヒトには共通する情動があり 順位序列による差別や統率的協調性の素となるホルモン(オキシトシン)が絆のようなものを主観的に「感じ」させる仕組みが脳内に共通して存在しているため ヒトはイヌに対して主観的安心感を抱くようにもなるのである

しかし イヌは所詮イヌであり ヒトがヒトにとって都合のよい訓練や養育をせずに野犬の群れに混ざってしまえば 所詮は野犬にしかならず 統率協調性も獲物を捕らえるために発揮され ヒトを襲うこともある

ヒトであっても幼少期から暴力虐待を受けて育つことによって野獣のような凶暴性を発揮することもあり 軍隊というのはそういったヒトの凶暴性を イヌにも見られる先天的盲目統率服従性を利用して引き出すための集団組織であり 戦争などの糞くだらない行為にも便利に利用することが可能となるのである

イヌは 訓練次第ではヒトに忠誠忠実に服従するようにもなるが イヌが率先してヒトに服従しているわけではなく あくまで訓練ありきの結果的性質であって イヌでありさえすればヒトと共存できるわけではない

ましてや「ヒトと共に生きることを選ぶ」ことなど不可能なのである

遺伝的進化というものを論理的に理解していなければ 遺伝的進化の結果に対してあらゆる都合の良いこじつけが可能となり 科学を逸脱した曲解によって「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている(山極寿一)」などという荒唐無稽なデマであっても衆愚人気を集めることは簡単である

優生学に対する論理反証を誰もしてこなかった原因も 遺伝的進化が常に正しい結果以外をもたらさない完全万能なものであるかのような錯覚を持ってしまっているからである

遺伝的進化に対する正しい理解をせず 優生学の何が間違いなのかを認識しないというのは ナチスの何が問題なのかを理解していないのと同じことであり バカであることにおいてナチス政権と同罪なのである

そんなバカがプーチン政権をどんなに批判しても プーチン政権の何が問題なのかを理解していないのであって どんなにウクライナ人に共感共鳴して主観的に満足しても何の問題解決にもつながらないのである

それがどんなに社会的に無責任だとしても 主観的安心満足でさえあれば 誰も問題意識は働かないものである

それは「バカの群れ」としか言いようがない

 

 


Ende;


組織腐敗の構造

2022年06月15日 14時17分23秒 | 意識論関連

「良かれと思って進化した」などという説明をしているが

遺伝的進化というものは個体の後天的な「思い」だの「考え」だの「願い」「祈り」「呪い」は遺伝的要素に影響を及ぼさない

既に絶滅している動物種が 現在において適応的ではない進化をしたのは その当時の生息環境において適応的であったために促された進化であって 「良かれと思って」進化することはできない

ダンクルオステウスのような巨大魚類や 恐竜 恐竜絶滅後にも哺乳類は巨大化したことがあり 身体が大きくないと生き残ることができないような生息環境においては先天的に身体の小さな個体種が淘汰され巨大化が起きるのであって これは個体には選択不可能な「結果」でしかなく 遺伝的進化の全ては自然現象の「結果」でしかない

しかし 環境が激変して巨大化が繁殖の継続にとって不利になれば巨大生物は絶滅し 巨大化しなかった生物だけへと収斂進化が促される ただそれだけのことである

環境資源が豊富で生物密度が高い環境下においては動物は凶暴化傾向が見られ 逆に環境資源の乏しく生物密度が低い環境下においては暴力性が低くなる傾向があるが 凶暴になろとして凶暴になったのではなく 凶暴でなければ繁殖の継続に適さない環境だから凶暴になっただけであって 意図目的は遺伝的進化には介在しない

また 極めて珍しい環境に適応した生物の場合には それを獲物として永続的に「繁殖を継続」できる程の獲物の数が充分ではなければ その生物種は天敵がいなくなり どんなに貧弱であろうと環境適応になることもある

ナマカフクラガエルやサンショウウオのような動きも鈍く弱い生物が現存しているのも 環境ありきの「結果」であって 「良かれ」もスッタクレもないのである

絶滅した生物を面白がって「バカだな」と思うのは勝手だが

ヒトもまた絶滅に向かっている現状においては過去の絶滅生物のことを嘲け笑っている場合ではない

絶滅に向かって一直線に起きる「進化」というもの(進化の袋小路)も存在しているのであって 進化というものが自然現象である以上は進化の全てが「成功」する保証など一切ない

 

ヒトの子供がピーマンの苦味を嫌うのは ピーマンの苦味というのが実は微量のアルカロイド系の毒であるため ヒトの祖先が肝臓の未発達な子供のうちには苦味のあるものを食べない性質を持った個体種への収斂進化が働いたためである

肝臓が未発達な時期に苦味のあるものを平気で食べてしまった個体種が生き延びることが出来ず その遺伝子を持った個体が全て死滅して子供のうちには苦味を嫌う遺伝子を持った個体への収斂進化が起きた結果である

しかし 大人になると ピーマンの微量のアルカロイドが血流改善の薬として働くため 大人になると適度に苦味のある食物も好むようになるのであり これもまた進化の結果である

それなら進化によって組み込まれた主観的好みや情動の全てが合理的かと言えば 逆に塩分や糖質脂質を過剰摂取して生活習慣病に陥る原因もまた 祖先の生息環境において塩分や糖質脂質が乏しかったために進化的に組み込まれた本能習性の結果であり 決してあらゆる環境に適応した進化が促されるわけではなく ネアンデルタール人が絶滅した原因は寒冷地適応が地球温暖化に適応できなかったことだとされている

 

かつて ヒトの祖先は過酷な自然環境下において暴力性の高い個体種への収斂進化が引き起こされ 結果的に暴力的懲罰を短絡的に「解決」だと錯覚するよう進化が促されたのである

ヒトは ヒト以外の動物との生存競争のみならず ヒト同士での環境資源の奪い合い競争にも勝ち抜いた結果 ヒトは他者を暴力によって抑圧し 順位序列による統率的協調性が本能習性として組み込まれた結果 盲目的に唯々諾々と服従し 自分の頭では何も考えなくなるバカになるよう進化的にそれが快楽として大脳辺縁系に組み込まれたのである

ナチス政権やプーチン政権 カンボジアのポルポト政権やミャンマー軍事政権のような野蛮な暴力性は 一般多数からみれば「イカれている」と感じるのであろうが

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖に対しては「死刑にしちまえ」の一言で全てが解決するとも「感じ」るものなのであり ヒトは基本的に暴力的懲罰で物事が解決するかのような感覚(錯覚)が大脳辺縁系に組み込まれており 故にヒトはSNS上で特定個人や団体を根拠もなく誹謗中傷して満足したがるものなのである

 

単純に言って 暴力破壊や懲罰は「憂さ晴らし」になるのである

植松聖を死刑にすれば 満足するのである

しかし 植松聖のような倒錯したキチガイが出てくる原因究明や再発防止には全くならず 社会安全上は死刑などの懲罰は合理性が何もないのである

死刑以外のあらゆる懲罰においても ノルウェーの「リゾート刑務所」における再犯率の著しい低下から見ても 懲罰というものは社会安全上の合理性は極めて低いのである

女子中学生誘拐監禁事件の寺内樺風のように 完全に倒錯している犯罪者に「懲役12年」などと司法手続き上懲罰を加えたとしても それは更生する保証は何もない

寺内程に極端に倒錯していないとしても 逆にいえば犯罪がバレない程度に倒錯した変質者というのは一定数存在しており 痴漢や性被害が後を絶たないのは 「無数の倒錯者」による犯行であって 寺内のような「著しい倒錯者」の陰には「無数の倒錯者」が存在しているのである

性的傾向として異性の身体に興味を持つのは先天的習性としての欲望や行動バイアスであるが それそのものは選択不可能な進化の「結果」であって 一人の社会人としての目的行動選択とは別物である

文化系マスコミは安易にエンパシーだのシンパシーだのと情動的な共感性や感受性こそが人間性だと言い張りたがるが それは自分の情動バイアスや「常識」に一切の偏りが存在していないという正常性バイアスによる一種の倒錯(錯覚)に基づく決めつけに過ぎない

早稲田大学の強姦サークルは サークル内での共感協調性によるものであり カルト宗教を信じ込むのも共感性が働いているのであって 「共感さえすれば人間性が発揮される」という単純なものではない

ヒトの主観の中には 何らかの偏りが存在していると考えるべきであり 一切何の偏りも存在していない完全無欠の絶対人格者など存在するわけがないのである

主観的価値観の偏りを 偏りだと認識できなくなる原因は正常性バイアスであり 「自分だけは絶対に間違ってなどいない」という自己過信が働くことで ヒトはバカが治らなくなるのである

主観的価値観が偏っていることそのものは異常ではない

偏っていることを 偏っていると自覚していれば 偏った価値観に基づいた行動には陥らずに済むのであって 自分の主観的偏りを偏りとして認識するために必要なのは自己客観性である

「女性のスカートの中を見たい」と主観的に「思う」のは勝手だが それが直接行動に直結するから迷惑行為になるのであって 「見たいけど 見ないようにする」のが社会性であって 自分や身内が迷惑行為をされたくないのであれば 自分もまた迷惑行為はしないことを選択する理性によって 初めて「自由意志」だと言うことができるのである

客観性とは 必ず理性に基づくものであり 寺内樺風やプーチンがどんなに「理性的」であるかのように見えるとしても それは大衆観念上の錯覚であり 寺内やプーチンの倒錯と同じ錯覚によって それを「理性」だと勘違い錯覚しているからである

寺内が女子中学生を誘拐監禁したのは 自己客観的に社会安全性や公平性に基づいた行動選択ではなく 結局は主観的欲望の強度程度が行動の動機に過ぎない

プーチンの戦争も同じで 政治体制を維持温存する保身感情の強度程度が動機であって 本質的には理性は働いていないのである

ロシアに限らず 国威発揚的に軍事力の誇示を国家や民族の優秀さの基準であるかのように倒錯している者は少なくない だからこそ多くの政府は軍拡競争を安全保障と倒錯しているのである

これらに共通するのは 全て主観的安心満足が優先していることであり 社会安全性や公平性に基づいた本質的な理性(人間としての意識)が働いていないのが原因である

NATOにせよ ロシアやベラルーシや中国や北朝鮮にせよ 「敵」など本当はいないのである

「誰一人として取り残さない」という人道的見地から行動を選択すれば 国益よりも世界全体の利益を優先すべきなのは当然の帰結である

戦争と痴漢は別物だと主観的には「思う」かも知れないが 論理客観的にはヒトの主観的情動が行動に直結しているが故の迷惑行為であることに違いはない

ロシア軍兵士を何人殺害しても 痴漢を何人刑務所にブチ込んでも 根源的「解決」としての原因究明や再発防止にはならない点において 全く同じことなのである

 

ヒトは順位序列による差別をしたがる本能的習性があり 「敵」という差別対象を規定しておけば組織内部の不公平や差別をごまかすことが可能となる

「イジメられる方にも問題がある」としておけば イジメが正当化できると錯覚させられるのと同じで 暴力的懲罰こそが「正義」だと錯覚するヒトの認知上の欠陥こそが ヒトが最もバカになる根源的原因なのである

東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性を主張することを「バカだ」としておけば 安心して原発の津波に対する脆弱性を放置できたのも 順位序列による差別を都合良くこじつけたバカの多数による無意識性が原因である

長谷川眞理子や山極寿一や更科功などの生物学者共によるデマや嘘を傍観放置しておいても 多数がバカならデマだとも嘘だとも思わず鵜呑みにして満足する

こうした大多数の衆愚によって 学術界がバカの巣窟へと腐敗してゆくのである

 

 

 

Ende;


安食卜杭

2022年06月15日 00時12分24秒 | 日記

PCに接続されておらず通電すらしていないメカニカルキーボードのタイプ音をスマホで聞き取ってテキストデータ化することに成功 -インプレス

なんだそれ!

なんなんだそれ!

パスワードが盗聴だけで盗めるの?

それはアカンやろ…

どうすりゃ良いんだよ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ベルメゾンのサイトに美人モデルさんおった

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

安食卜杭(あじきぼっくい)

酒直卜杭(さかなおぼっくい)

印西市だそうな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

若林正恭は歯が黄色いことを気にしているが

誰も気にしてないぞ お前の歯なんか(「なんか」って言うな)

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

BMW R nineT Racer

1169ccの大型バイクだった

まあBMWは基本的に大型バイクなんだが

水平対向とか 後傾シリンダーとか 変態じみたエンジンを作りたがる偏屈なメーカー

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

1000ml 159円の紙パック飲料と

730ml 117円のPETボトル飲料のどちらがお得か

117÷0.73≒160円になるので ほぼ一緒だった

 

セブンプレミアムのバタピー

128g入り198円 1グラムあたり1.62円

78g 入り128円 1グラムあたり1.64円

これもほとんど一緒だな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

飲食店などでコロナ対策のアクリル板が圧迫感があって嫌う人が多いそうだが

電動工具で絵を描くとオシャレになって圧迫感が和らぐんだとか

そういやアクリル板ってレーザー加工したものの側面からLEDライトなどで光を当てると 加工した部分が光る性質があるので

キンシオの天使のイラスト光らせたら良いんじゃないかと思うんだが

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

このフレアスタックかっこいい

灯。 -GANREF

雨の日に行かないと撮れないんだな

EOS M10防滴じゃないからな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

昭和電工常盤発電所 -Google Map

長野の山奥だった

昭和電工でペーパークラフト出せば良いのに

三菱インフラテックみたいにウケんじゃね?

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

市川実日子がキヤノンマーケティングジャパンのCM出てた

 ↗「ICTで、あなたとつくる。」 -You Tube(キヤノンマーケティングジャパン公式)

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

潮干ガーリー -Instagram

 

 


Ende;


にゃあ

2022年06月13日 15時11分18秒 | 写真

玄関先に猫

すんごいガン見してくるのに逃げない

雲の流れが速くて露出がクルクル変わるし

そもそも黒猫って露出が難しい

 

 

そういえば 6月14日は月の出2分後に日没なんだけど

天気が良いのは今日までだとか

6月13日の月の出は17:43

って思ってたんだけど すっかり曇ってしまった

 

 

ユリ科の花

若干毒々しい色だな あんま好みではない

 

 

Ende;


積乱雲

2022年06月13日 09時28分16秒 | 写真

ピクチャースタイル:F(忠実設定)

コントラスト:+4

南南東の方角だから 千葉の木更津とかじゃないかと思う

 

知らんけど

 

 

自衛隊の車輌らしくて

ナンバープレートが一般的なものと違う

「練馬」とか「なにわ」とかの自治体の運輸局で出しているナンバーではないらしくて 海外の外交官が乗っている青ナンバーみたいな形で白ナンバーになっているっぽい

 

知らんけど

戦車の場合は車体に直接ナンバーが書かれているそうな

タミヤ 自衛隊10式戦車 作例

何で実車の写真じゃないんだって?

実車だと影になって見えないのよ

 

Ende;


正常性バイアスによる過信

2022年06月12日 14時43分20秒 | 意識論関連

ヒトの多くが実証不能の神を信じたがるからといって 実証不能の神を信じたがることの効用をこじつけても それは「ヒトという種の生物の習性」を事後正当化しているだけであって 「人間性」の論証にはならない

遺伝的進化に対しても 結果的にバクテリアからヒトにまで進化したからといって進化の全てに意味をこじつけるのも合理性はない

ありもしない「目的」を 後からこじつけてしまうから優生学のようなオカルトが科学的真理であるかのような倒錯に陥ってしまうのである

 

ヒトは 間違いを犯した者に対して暴力的懲罰を加えると 「正義の鉄槌を下した」などと称して正当化するが 如何なる理由があれ暴力が解決であることの合理的根拠は何もない

ヒトは 気に入らない相手を殴ると満足する

進化の過程において 暴力性は自然界における弱肉強食の生存競争において 生存価や「繁殖の継続」において有利に働いたため 暴力性の強い遺伝子が拡がったという遺伝的進化の結果である

DV男が女房子供を殴るのも 通り魔やテロリストが暴力破壊をするのも 司法裁判による刑法判決も 全てヒトの主観的安心満足によって促される先天的な行動バイアスに過ぎず

先天的行動習性である以上は全てが「結果」であって 合理的「目的」に則った選択の論証にはならない

ノルウェーの「リゾート刑務所」における再犯率の大幅な低下からも 懲罰的処分は自律更生においての有効性が低いことを立証しているのであって 罰も含めて暴力威圧というものは自律的な社会的責任判断選択能力(人間性)の獲得にはならないのである

先天的な暴力性の強さは 個人差もあるのだが たとえ先天的に暴力性が強いからといって何でも暴力で解決することしかできないわけではなく 逆に暴力性が低いからといって理性的であることの論証にもならない

実際に暴力的行動を採るかどうかは その大部分が「育ち」という後天的要因に依存するものであり だからこそノルウェーの「リゾート刑務所」の再犯率が著しく低く抑えられているのである

酒鬼薔薇事件の少年Aも 未成年であったことから施設での再教育によって更生できたのであり 未成年かどうかに関わらず懲罰的な行動抑圧をしても「自律」には結びつかず 他律的な行動抑圧によって一時的には従順に社会規範に盲目的服従はするようになったとしても 釈放されて誰からも監視されなければ欲望や身勝手な「常識」に基づいた行動を採るようになってしまうのである

「へずまりゅう」の発言にも見られるように 裁判法廷審理の時だけ反省しているかのような演技をして判事のご機嫌取りに成功しても むしろ「判事を丸め込むなんぞチョロいもんだ」とばかりに釈放後に「俺の涙はヨダレと一緒」などと平然と言い出すのである

他人を騙すためには それなりの認知能力は必要で 振り込め詐欺師達による集団統率的協調行動にもそれなりの認知能力は必要ではある

だが それが「人間としての知能」として働いているかと言えば 全く逆に働いているのである

人間性を伴わぬあらゆる特定能力の高さというものは 学力偏差値や将棋やスポーツの成績も含めて「人間としての知能」とは無関係である

実際にスポーツ成績が高くても薬物依存に陥ることもあれば 将棋の成績が良くても科学的真理と嘘やデマの区別がつかないものである

 


国家間の戦争というものが個人単位の暴力とは無関係であると見なす論理客観的根拠や証拠はなにもなく 単に規模の大きさだけで勝手に分類しているに過ぎない

にも関わらず 戦争の話になった途端に「チンパンジーの殺し合い」だの「ゲーム理論」などといった話を持ち出し まるで先天的本能習性というものが合理的結果しかもたらさない万能のものであるかのように言い張るのは 長谷川眞理子などの進化生物学者共による「こじつけ」であって 科学的には何の根拠も証拠も提示されていないのである

チンパンジーや振り込め詐欺師達は 目先の利益 目先の快楽しか意識の俎上にはない

同族同士で殺し合おうが何だろうが 先天的情動行動の結果として殺し合うのであって その行動に合理性が伴う必要性も何も存在していないのである

「殴りたかったから 殴った」それ以上の「理由」は何もない

ヒトの祖先が「殴りたくなったから 殴った」ことで それが生存価は「繁殖の継続」にとって有利に働いたことで そういう遺伝的性質が拡がりやすかったという「結果」だけであって 先天的本能習性それ自体には合理性が伴う根拠は何もないのである

 

先天的本能習性の中には 社会安全性や持続可能性に適う情動というものもある

「親」としての母性には 子供の未来の平穏と安寧を願う気持ち(情動)が伴うため 仏教では菩薩界は仏界に準ずる価値を認めているのである

しかし 先天的親性というものは 自分の子供と他人の子供を差別する面が否めないため 本当の仏界とは他の全ての境地が伴って始めて仏(人間性)の悟りとなるのである

もし 自分の子供が社会の中で窮地に陥った時に 助け合う他人の子供がいなければ 自分の子供は不幸に陥るのであり

「情けは他人の為ならず」とは 他人の不幸と自らの不幸を同列に扱う人道的見地が仏(人間性)として必要だと説いているのである

 

自らが生き続けるに価する社会の姿に近づけるための行動選択をしないのであれば それは「既存の社会の奴隷」でしかない

世の中には間違った行動選択をするバカは多いものだが バカをいくら抽出枚挙してきても 自分がバカげた行動をしても構わないことの理由にして良いわけではない

「へずまりゅう」的に「迷惑者はザラにいる」ことをいくら抽出枚挙しても 自分の迷惑行為が正当化できないのと同じことである

社会は決して完璧ではなく 間違いや欠陥は存在するし バカも多いものである それら欠陥やバカをいくら抽出してきても 「バカのままで構わない」ことの正当性の論拠にはならないのである

ヒトは社会という多数他人に紛動され 間違った「常識」を鵜呑みにして受け入れ その「常識」に合理的根拠が伴うのかどうかは自分の頭では考え判断しなくなる習性がある

宮台真司による「自分の頭で考えるのは10年早い 教えたことは丸暗記しろ」などと言い出したのも 「自分が学生時代に教授からそう言われた」ことを鵜呑みにした過去の自分を事後正当化する形 「認知的不協和を解消する形」で頑なに言い張るようになったのである

ヒトという種の生物は ことほど左様に簡単にバカになるものなのである

バカにならないために必要なのは 自分の頭で物事を考え判断することであり 教えられたことを鵜呑みにしているからバカになるのである

養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのフリードリヒ:ニーチェを読めば 大多数の衆愚は内容の根拠や基準に合理性があるかどうかは何も考えず 自分にとって都合の良い勝手な解釈をこじつけることで主観的に満足し その満足によって彼らを主観的に「好き」になり 主観的に「信じたい」と思うことによって盲目的に信用することでヒトは自分の頭で物事を考えなくなり バカになるのである

読書猿は 「学校の勉強を認知的ワクチン」だと仮定した上で まるで学校の勉強さえしておけばデマや嘘には騙されなくなるかのように言い張ったが この話には論理客観的根拠も証拠もなく 単なる読書猿による勝手な決めつけに過ぎない

それでも 大衆観念上の「学力成績=知能」という方程式を正当化できることによって 大衆は気分的満足感を感じることにより その満足感によって何の疑いも持たずに鵜呑みにし 本当の話なのかどうかを一切自分の頭では考えなくなることで 大衆は簡単にバカになり 読書猿の衆愚人気を支えてしまうのである

嘘やデマを鵜呑みしている頭の悪さを自覚せずに 一体どうして「デマや嘘に騙されなくなる」と言えるのであろうか

衆愚はこう言い逃れをするであろう 「だって 誰もデマだと教えてくれなかったからだ」と

いちいち何がデマで 何が真実なのかを他人から教えられなければわからないのは 自分の頭で考え検証していないからである

世の中の大卒者のほぼ全員は イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「絶対に知覚することのできない叡智界」を鵜呑みにしたバカである

こんなバカげた話を鵜呑みにしておいて 「教えてくれなかったから」などと言い逃れができると思っている時点で バカが酷すぎて話にならない

養老孟司の「脳化社会」云々の屁理屈の全ても 論理整合性すらない支離滅裂なこじつけであって 衆愚観念に寄り添った「衆愚のご機嫌取り」に過ぎず 論理客観的には何一つ論証していないのである

「約束を守るのは 脳化しているからだ(養老孟司)」

意味が全くわからない

一体何を「わかった」つもりになったのであろうか

頭が悪いと理論的には何も理解していなくても 「わかった」ような感覚に陥って満足して思考停止に陥るのがヒトという種の生物の普遍的な認知上の欠陥なのである

養老孟司はこう言い逃れするであろう 「言葉の一部だけを切り取って批判されても 前後の文脈に基づいて全体を理解して頂かないと困る」と そう諭されて鵜呑みにするバカは多いだろう だが 「前後の文脈」をいくら読んでも養老の言説は何一つ論理客観的根拠も証拠も論理整合性も成立してはいないのである

「わらないなら わからないなりに わかったとする そういうわかり方もあるのかと 思っていただければ幸いです(養老孟司)」

こういうバカげた話を鵜呑みにして 「養老孟司を読んだから 頭が良くなった」と勝手に勘違いしているバカが世の中の大半である

9割以上はバカだと言って差し支えない

「バカのままで構わない」と「思う」か

それとも「バカのままでは嫌だ」と「考える」かは 私の判断ではない

私はキリスト様でもお釈迦様でもないので この世のバカのいちいちを面倒看るつもりはない

私はバカが大嫌いである

だが バカが大半のままだと私も困ることになるので 仕方なく説明を尽くしているのである

 

 

Ende;


道草

2022年06月11日 17時27分40秒 | 写真

シロツメクサというのはクローバーのことだと知っていたが

アカツメクサってのもあったのね

何となく「アザミみたいの咲いてるな」と思ってたんだけど よく見たら全然違ったわ

 

キキョウが咲いていて

これは植えたんだろうな

 

荒川河川敷のサッカー場

何か違うな

 

 


Ende;


「間違える」ということ

2022年06月10日 12時03分46秒 | 意識論関連

一般的に 他人からの見た目を「自意識」と呼ぶが 他人からの見た目は「自分の意識」ではない

そもそも他人からは自分が何を考えているのか 何を感じているのかがわからないのであって 考えや思いというものは個人の脳内で閉じているものであり 他人からは自分の意識などわかりようがないのである

ヒトは その先天的な「社会性」によって 他人からの見た目 他人からの評価に敏感に反応しがちな習性があり 故に多数他人との差異に「恥ずかしい」とか「格好悪い」といった感情が生じる

しかし こうした感情というものは 単に同調的圧力として働くだけであって 多数が間違ったものを信じ込んでいたとしても 間違いを間違いだと指摘することに対しての恐怖心も作り出してしまうのである

たとえ自分がバカげた間違いをしていたとしても 多数が同じ間違いをしていれば 気分的には安心することができる

らしい

私は安心できないので よくわからない

アスペルガーだと「空気を読む」ことができないので 同調圧力を「感じ」ないらしいのだ

多数他人に同調して安心している自己のことを アスペルガーではない大多数の人は自分の意識の本質だと認識しているようである

ヒトは所詮動物であるために 主観的安心や満足感を求めるものであることに違いはない

だが ヒトの場合は論理客観的安全性と 主観的安心との区別をすること「も」可能ではある

「皆と一緒で主観的気分としては安心満足だけれども 論理客観的に考えたら安全とは言えない」ことを識別すること「も」可能ではある

可能ではあるものの 論理客観的に考えなければ それは識別することができず 主観が優先してしまい 何も考えなくなる

「意識の9割は無意識」と言われているが 要約すれば「9割が主観」という意味でもある

振り込め詐欺師に騙され 恐怖によって行動を支配されている状態になれば 意識の全てが情動という無意識に支配されてしまい どんなに説得しても 「いや、自分は絶対に騙されてなどいない」と言い張るようにもなる

虐待が連鎖してしまうのも 虐待されて育ったことによって 虐待状態こそが「常識(正解データ)」として行動学習的に学習してしまうことによって それ以外の行動が主観的情動によって制限されてしまうことで生ずるものである

「しつけの一環だ」とか「自分はそういう育て方しかされていない」といった言い逃れや取り繕いは 「そう思わなきゃ やってられない」からであって 強力な「思い(情動・無意識)」による条件反射的行動制限によって 虐待は連鎖され続けることに陥るのである

社会学者の宮台真司が学生に対して「自分の頭で考えるのは10年早い 教えられたことは丸暗記しろ」と言い出したことがあるが その「理由」として宮台は 「自分は学生時代に教授からそう言われた」とも言っている

自分の頭で考えずに 盲目的に唯々諾々と丸暗記することが教育として正しいのかどうか それすらも「考えて」はいけないという非合理で理不尽な「教育」を 宮台は学生時代に受け入れたという過去の選択を 事後正当化する形で学生達にも強要しているのである

しかも 「自分は絶対に間違ってなどいない」という自己過信によって 頑なに自分の主張を曲げようとはしないのである

こうした非合理で理不尽な「常識」を強要してくる人というのは 別に宮台真司に限ったことではなく むしろヒトという種の生物全般に普遍的に見られるものであって 「お茶くみは女子社員の仕事」などといった ありていに言ってバカみたいな「常識」が長年因習として受け継がれてしまうのも ヒトの先天的な認知上の欠陥によるものである

ヒトは 生育環境から受けた価値観や常識の影響が行動に大きく作用し 論理客観的には非合理で理不尽な「常識」であっても 過去に既に受け入れた価値観は その「受け入れた自分の選択」を事後正当化する形で頑なに堅持しようとするものなのである

「他人のフリ見て 我がフリ直せ」と言うが 宮台真司個人を懲罰的にバッシングすることには意味がない

宮台のような間違いは ヒトであれば誰でも陥る可能性のあるものであって 宮台の間違いと同じような間違いに 自分が陥っていないかどうかを検証する自己客観性こそが重要なのである

みんなで寄ってたかって宮台個人をバッシングしておけば 「皆と一緒」という主観的安心感や 既存の正義の観念を満足させることは簡単なことであり 「私刑」の類いがネット上で氾濫するのも それが主観的気分として満足感が得られるからに過ぎない

「ヒトは間違えるもの」であることを前提にすれば 他人の間違いを懲罰的に攻撃することは「解決」にはならず 間違えた経験を基に論理客観的に原因究明と再発防止の教訓知識として共有することこそが 同じ様な間違いを繰り返さないためには最も重要なのである

宮台真司は社会学者としては決して無能ではない

ただ 教師としての教え方には問題がある

誰も全知全能ではない以上 「ヒトは誰でも間違えるもの」であって 「間違えた個人を攻撃して満足すること」もまた間違いなのである

「過ちて 過ちを改めず これ 本当の過ち」とは 論語だっけか?

何でも良いや 中国の古典だよ

ヒトという種の生物は 普遍的に間違いを認めようとせずに頑なに間違った観念に執着してしまう習性があるために わざわざ「何が本当の間違い」なのかを明確にしなければならないのである

 

お昼になったのでモヤシ炒めて旭川醤油ラーメンで喰うんだ

 


Ende;


衆愚の安心満足

2022年06月09日 16時44分11秒 | 意識論関連

通り魔や銃乱射といったものは 方向性や合理性のない世間に対する報復感情によるものである

世の中は決して完全に公平ではないし 格差などの問題も少なからずある

社会に間違いがあるのならば それは論理的にどこがどう間違っているのかという原因を究明し どのようにすれば改善して再発防止につなげられるのかを丹念に見つけ出すことで 社会の諸問題は少しづつ改善してゆくのである

しかし 通り魔やテロリストというのは そうした論理客観的合理性に基づいた行動選択をせずに 極めて短絡的に「暴力で解決」しようとする

原因はそもそも情動と行動が直結している短絡性にある

 

教えられたことを 教えられた通りに憶え 答えさえすれば 教えた奴からの評価は得られる

評価されればヒトは快楽を感じるので 教えられた内容が間違っていようが何だろうが 教えられた通りに憶え答えさえできれば主観的快楽は得ることができる

教えられた内容が間違っていようが何だろうが 教えられた通りに答えさえすれば 他人との順位比較において優越感も得ることができる

こうして評価承認欲求中毒患者は出来上がるのである

本当は知りたくも 憶えたくもない知識でありながら 評価順位の序列に対する恐怖心と報酬に対する条件反射的情動行動として 学力偏差値や学歴マウントのための知識であるために テストが終われば全部忘れてしまい 教えられた内容に論理整合性の欠如があったとしても一切気づかず 漫然と鵜呑みにして何の批判精神も持たない

慶應の「塾員」が東大出身者をイジメたりするのも そもそも学力偏差値や学歴だけが目的であって 社会の諸問題に対する問題意識なんぞ一切働いていないからである

 

チャールズ:ダーウィンの進化論に基づけば 遺伝的進化という自然現象は主体的に合目的的に「選ぶ」ことなどできず あくまで淘汰圧力によって結果的に収斂が引き起こされたに過ぎない

昆虫などの擬態では 「天敵から見つかり難いような姿を選んだ」わけではなく あくまで「天敵から見つかりにくい姿をした個体以外が全て喰われた」結果でしかない

擬態では 凶暴なハチなどの姿に擬態している昆虫もいるが これもまた自分から遺伝子を操作して「選ぶ」ことなどできず あくまで凶暴なハチに似た姿をした個体以外が全て死滅した結果である

このように 遺伝的進化の全ては環境に適応的ではない個体の全てが淘汰圧力によって死滅し 結果的に環境に適応した個体だけに収斂した現存生物だけを見て「進化」だと形容しているに過ぎない

決して全ての生物が進化をするわけではなく 十億年前のバクテリアであっても環境によってはほとんど進化せずに現存しているのであり 洞窟の中や超深海での熱水鉱床に適応した生物もいるのである

それらは その環境に適応しようとして適応したのではなく 適応することの出来なかった個体の全てが死滅した結果 偶発的に適応できた個体だけへの収斂進化の結果以上の意味など存在していないのである

また 適応的な個体が変異によって生じなければ 単純に絶滅するだけの話であり 必ず進化して絶滅を免れることができる保証など 遺伝的進化には存在しないのである

 

ヒトは先天的に暴力性が存在し また 自発的に論理客観的な「考え」が本能習性として組み込まれているわけではない

自分の頭で考えるか それとも考えないかは 本質的主体性の有無に依るものであり ヒトであってもただ漫然と「生きているだけ」であればサルと同様に情動と行動が直結した条件反射的行動しかしなくなるものである

先天性の「罪悪感」というものにも合理性はなく サヴァイバーズギルドのような合理性のない罪悪感に苛まされてしまうこともあり 逆にヘイトスピーチに邁進しながら何の罪悪感も持たないこともある

「迷惑者はザラにいる」と称して自分の迷惑行為を正当化できていると勘違いしているバカも珍しくはない

バカが多数を占めているのであれば バカのままでも許されると思っているのは 多数という数が主観的安心感をもたらし その主観的安心感を論理客観的根拠に基づく安全性か何かと勘違い錯覚しているからである

養老孟司やフリードリヒ:ニーチェやマルクス:ガブリエルは 言っている内容の基準や根拠が曖昧で 論理整合性が著しく欠けているのだが 多くの衆愚やマスコミは自分にとって都合良く解釈可能であることから主観的に安心満足し その安心満足を安全性か何かだと勝手に錯覚することで 何も疑うことなく盲目的に信用するようにもなるのである

「客観的事実などない」(養老孟司)だの「世界は存在しない」(マルクス:ガブリエル)だのといった非科学的オカルト観念であっても 衆愚マスコミは主観的に気分さえ良くなれば簡単に鵜呑みにし バカになるのである

ヒトという種の生物は 物事の真偽を論理客観的には検証するようには先天的にはできておらず あくまで主観的に安心だったり満足感が得られたりしさえすれば 簡単に盲目的信頼をしてバカになるものなのである

通り魔や銃乱射などのテロなども それらの「重大事象」の陰には無数の「小さな事象」が隠れているのであり 通り魔やテロリストだけを死刑にしておけば通り魔事件の再発防止になるわけではなく

ヒトに普遍的に見られる頭の悪さがどういうものなのかを より多くのヒトが自覚認識しないことには 通り魔のような「重大なバカ」の発生を抑えることはできないのである

どんなに理不尽な暴力に怒り 「許さない」と言ったところで それは主観的感想に過ぎず 理不尽な暴力を振るいたがるバカがどうして発生してしまうのか そのメカニズム構造を論理客観的に理解し 先ずは自らがバカげた行動選択や発言をしないようにすることが必要不可欠なのである

プロ野球選手や鉄道員やスーパーの店員さんに向かって理不尽な誹謗中傷をしていれば 「世の中 気に入らないことがあれば怒鳴り散らしたり 暴力で解決しても良いんだな」と勘違いするバカを生み出す要因ともなるのである

自分の主観的気分というものを 意識の本質だと勘違いし 怒鳴り散らしたり暴力的威圧をして満足してしまうという「小さな事象」を丹念に潰してゆくことで 「大きな事象」への発展を食い止めることへとつながるのである

それは決して簡単なことではない

簡単なことなら私がとやかく言う必要などないのである

「これさえやっときゃ戦争はなくなる」みたいな安易は処方箋はない

山極寿一のように「戦争をしているのは人類のごくわずかであることを知れば戦争はなくなる」などという何の根拠もないお伽噺を鵜呑みにして満足している方が安心満足なのかも知れないが それこそがデマや嘘であることを自覚しない「衆愚の安心満足」に他ならない

 

 


Ende;