通り魔や銃乱射といったものは 方向性や合理性のない世間に対する報復感情によるものである
世の中は決して完全に公平ではないし 格差などの問題も少なからずある
社会に間違いがあるのならば それは論理的にどこがどう間違っているのかという原因を究明し どのようにすれば改善して再発防止につなげられるのかを丹念に見つけ出すことで 社会の諸問題は少しづつ改善してゆくのである
しかし 通り魔やテロリストというのは そうした論理客観的合理性に基づいた行動選択をせずに 極めて短絡的に「暴力で解決」しようとする
原因はそもそも情動と行動が直結している短絡性にある
教えられたことを 教えられた通りに憶え 答えさえすれば 教えた奴からの評価は得られる
評価されればヒトは快楽を感じるので 教えられた内容が間違っていようが何だろうが 教えられた通りに憶え答えさえできれば主観的快楽は得ることができる
教えられた内容が間違っていようが何だろうが 教えられた通りに答えさえすれば 他人との順位比較において優越感も得ることができる
こうして評価承認欲求中毒患者は出来上がるのである
本当は知りたくも 憶えたくもない知識でありながら 評価順位の序列に対する恐怖心と報酬に対する条件反射的情動行動として 学力偏差値や学歴マウントのための知識であるために テストが終われば全部忘れてしまい 教えられた内容に論理整合性の欠如があったとしても一切気づかず 漫然と鵜呑みにして何の批判精神も持たない
慶應の「塾員」が東大出身者をイジメたりするのも そもそも学力偏差値や学歴だけが目的であって 社会の諸問題に対する問題意識なんぞ一切働いていないからである
チャールズ:ダーウィンの進化論に基づけば 遺伝的進化という自然現象は主体的に合目的的に「選ぶ」ことなどできず あくまで淘汰圧力によって結果的に収斂が引き起こされたに過ぎない
昆虫などの擬態では 「天敵から見つかり難いような姿を選んだ」わけではなく あくまで「天敵から見つかりにくい姿をした個体以外が全て喰われた」結果でしかない
擬態では 凶暴なハチなどの姿に擬態している昆虫もいるが これもまた自分から遺伝子を操作して「選ぶ」ことなどできず あくまで凶暴なハチに似た姿をした個体以外が全て死滅した結果である
このように 遺伝的進化の全ては環境に適応的ではない個体の全てが淘汰圧力によって死滅し 結果的に環境に適応した個体だけに収斂した現存生物だけを見て「進化」だと形容しているに過ぎない
決して全ての生物が進化をするわけではなく 十億年前のバクテリアであっても環境によってはほとんど進化せずに現存しているのであり 洞窟の中や超深海での熱水鉱床に適応した生物もいるのである
それらは その環境に適応しようとして適応したのではなく 適応することの出来なかった個体の全てが死滅した結果 偶発的に適応できた個体だけへの収斂進化の結果以上の意味など存在していないのである
また 適応的な個体が変異によって生じなければ 単純に絶滅するだけの話であり 必ず進化して絶滅を免れることができる保証など 遺伝的進化には存在しないのである
ヒトは先天的に暴力性が存在し また 自発的に論理客観的な「考え」が本能習性として組み込まれているわけではない
自分の頭で考えるか それとも考えないかは 本質的主体性の有無に依るものであり ヒトであってもただ漫然と「生きているだけ」であればサルと同様に情動と行動が直結した条件反射的行動しかしなくなるものである
先天性の「罪悪感」というものにも合理性はなく サヴァイバーズギルドのような合理性のない罪悪感に苛まされてしまうこともあり 逆にヘイトスピーチに邁進しながら何の罪悪感も持たないこともある
「迷惑者はザラにいる」と称して自分の迷惑行為を正当化できていると勘違いしているバカも珍しくはない
バカが多数を占めているのであれば バカのままでも許されると思っているのは 多数という数が主観的安心感をもたらし その主観的安心感を論理客観的根拠に基づく安全性か何かと勘違い錯覚しているからである
養老孟司やフリードリヒ:ニーチェやマルクス:ガブリエルは 言っている内容の基準や根拠が曖昧で 論理整合性が著しく欠けているのだが 多くの衆愚やマスコミは自分にとって都合良く解釈可能であることから主観的に安心満足し その安心満足を安全性か何かだと勝手に錯覚することで 何も疑うことなく盲目的に信用するようにもなるのである
「客観的事実などない」(養老孟司)だの「世界は存在しない」(マルクス:ガブリエル)だのといった非科学的オカルト観念であっても 衆愚マスコミは主観的に気分さえ良くなれば簡単に鵜呑みにし バカになるのである
ヒトという種の生物は 物事の真偽を論理客観的には検証するようには先天的にはできておらず あくまで主観的に安心だったり満足感が得られたりしさえすれば 簡単に盲目的信頼をしてバカになるものなのである
通り魔や銃乱射などのテロなども それらの「重大事象」の陰には無数の「小さな事象」が隠れているのであり 通り魔やテロリストだけを死刑にしておけば通り魔事件の再発防止になるわけではなく
ヒトに普遍的に見られる頭の悪さがどういうものなのかを より多くのヒトが自覚認識しないことには 通り魔のような「重大なバカ」の発生を抑えることはできないのである
どんなに理不尽な暴力に怒り 「許さない」と言ったところで それは主観的感想に過ぎず 理不尽な暴力を振るいたがるバカがどうして発生してしまうのか そのメカニズム構造を論理客観的に理解し 先ずは自らがバカげた行動選択や発言をしないようにすることが必要不可欠なのである
プロ野球選手や鉄道員やスーパーの店員さんに向かって理不尽な誹謗中傷をしていれば 「世の中 気に入らないことがあれば怒鳴り散らしたり 暴力で解決しても良いんだな」と勘違いするバカを生み出す要因ともなるのである
自分の主観的気分というものを 意識の本質だと勘違いし 怒鳴り散らしたり暴力的威圧をして満足してしまうという「小さな事象」を丹念に潰してゆくことで 「大きな事象」への発展を食い止めることへとつながるのである
それは決して簡単なことではない
簡単なことなら私がとやかく言う必要などないのである
「これさえやっときゃ戦争はなくなる」みたいな安易は処方箋はない
山極寿一のように「戦争をしているのは人類のごくわずかであることを知れば戦争はなくなる」などという何の根拠もないお伽噺を鵜呑みにして満足している方が安心満足なのかも知れないが それこそがデマや嘘であることを自覚しない「衆愚の安心満足」に他ならない
Ende;