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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○隙。

2019年03月10日 16時47分40秒 | 意識論関連
マルクス:ガブリエルも含めて現状の文科系哲学者は全員論理思考の成立していないオカルト野郎である

もし マトモに論理的思考が成立していれば マルクス:ガブリエルなどのオカルト観念に対して批判しているはずであり そんなことを言っている奴は私以外事実上誰もいないのである

東大が文系学部を廃止したのは 文系哲学者達のオカルト観念を長年放置してきたという無責任さを隠蔽するためでもある

何が具体的に間違っていたのかは明らかにせず 全てを「廃止」という形で焼却処分したことは情報隠蔽でもある



養老孟司は「理論には勝てない」と述べた

理論というのは真理かどうかを見極めるためのものであって 勝ち負けの問題ではないのだが 養老も含めて大衆観念上では何でもかんでも「勝ち負け」だと勘違いしているフシがある

ヒトは 先天性に他者との関係性に上下序列順位をつけたがる

そして「権威」とみなした相手を盲目的に信頼することで 気分的安心満足を得る

なぜヒトが「権威」とみなした相手を盲目的に信頼しようとするバイアスが存在するのかと言えば それによって統率的協調性を発揮し これが生存価にとって有利に働いた「結果」である

そして こうした先天性本能習性というものはヒト以前から存在するものであり 結果的生存以上は何の合理的「目的」も存在していないのである

だからこそ先天的な社会形成習性というものは振り込め詐欺師やテロリストや暴力団やブラック企業やナチス政権やイジメでも働くのである

軍隊というのは先天性な社会形成習性を利用した集団であり そのため兵隊には自律的な判断能力が働かないため 同じヒトでありながら兵隊以外の文民による統制が必要となるのである



「哲学者」という肩書があれば ヒトの多くは「何か深い考えを持った学者様」的権威性を妄想することで批判精神を簡単に喪失し 疑うことをしなくなる

これは「洗脳」の基本的構造要因の一つである

洗脳されているヒトというのは 洗脳されている自覚がない

なぜなら洗脳状態というのは 主観的には安心で満足だからである

主観的感覚として安心満足であるため 客観的な論理的根拠に基づいた反証を簡単に退けることで 事実認識能力を簡単に喪失するのである

NHKで放送していれば その内容が科学的 論理的に検証されているものだと勘違いしがちだが NHKも含めてマスコミ大衆の多くは論理検証などほとんど一切しておらず 論理整合性のない話であっても平気で垂れ流しているのである

「それで良いのか」と言えば 良くなどないのだが マスコミは自律的に論理的根拠を検証などせずに 単なる多数人気や書籍の販売部数による世間的成功などを根拠に「話題になっている」と称して垂れ流すだけであり

その内容が論理的に正しいのかどうかは「メディアリテラシー」などと称して読者や視聴者に判断を丸投げしているのである



畑村洋太郎などの理工学系研究者達にしてみれば生物学の論理は「訳がわからない」としか言いようがないので批判の仕方すら見失っており 結果的に傍観放置になってしまっている

昔から理工学系研究者は「生物学は支離滅裂で訳がわからない」と述べており 批判しようにも論理的に支離滅裂過ぎて批判対象にすらなっていないのである

こうした科学的論理検証の「隙」をつく形で哲学と生物学はオカルト観念の世界をでっちあげてきたのである



Ende;

○生物学と哲学の腐敗。

2019年03月10日 15時53分03秒 | 意識論関連
「理性や人知を超越した叡智」などという実証不能の謎の能力を鵜呑みにしている文科系大衆マスコミに対して

一体どのような説明をすれば論理的理解が促せるのかが皆目見当もつかない



危険学や失敗学では基本中の基本である「最悪のケースを考えること」を「過激」などと称して考えること自体が禁忌であるかのように形容するNHKは 頭が悪すぎて話にならない

怖いことや嫌なことを予測することを観念的に毛嫌いし 気分が良くなるお花畑妄想だけを陳列しておけば社会安全性が蔑ろにされるのは必然的結果である

「日本の原発は絶対に安全だ」などというお花畑妄想神話に溺れていたからこそ 原発の津波対する脆弱性が放置されたことを NHKは覚えてもいなければ そもそも認識すらしていない可能性まである

それはマスコミとしての社会的役割を逸脱した無責任な発言である



京都大学霊長類研究所の松沢哲郎の言う「先天性本能習性から人間としての社会性を立証出来るかも知れない」などという非科学的予測をNHKは鵜呑みにし「出来たら素晴らしいですね」などと日和っただけで 何ら論理的検証もせずに鵜呑みにし 松沢の言っていることをただ垂れ流しただけである

そもそも先天性本能習性というものは 特定環境下における行動バイアスの結果であり 環境依存性から逃れることの出来ないシーケンシャルな条件反射行動に過ぎない

人間としての社会性というものは 環境条件に左右されずに「自律的な社会的責任判断を行うこと」が必須であり この時点で先天性本能習性から人間性を立証することは構造原理的に不可能な松沢の非科学的で身勝手な妄想に過ぎない

どんなに文科系マスコミによる身勝手な妄想を多数集めてきても 科学的論証には一切ならないのである

チンパンジーで人間性が立証出来るというのであれば それを立証したらチンパンジーに原発や高速バスの運転を任せられるとでも言うのであろうか

残虐な殺人を行ったテロリストや通り魔を 松沢が行うような条件下において 一体どのような行動を採ったとしたら 既に行われた残虐行為の反証になると言うのであろうか

それが出来ない以上 どんなに利他的に見える行動結果を抽出枚挙してきても ヒトという種の生物の人間性の立証になどならないのである

特定の条件下で一定の行動が促されさえすれば 常に自律的な社会的責任判断選択が出来ることの論証になど一切ならず それが可能であるならば あらゆる人災は最初から防げることになるが そんなお手軽安易な試験選抜など存在せず 故に国家試験に合格した原発も建築士も航空機操縦士による不祥事が後を絶たないのである



松沢がなぜ「先天性習性から人間としての社会性を立証出来るかもしれない」などと言い出したのかと言えば 先天性な社会形成習性というものは人間性が伴わないという私の論理的立証に対する言い逃れ取り繕いはぐらかし開き直りとして言い出した嘘であり

科学的根拠がない嘘を鵜呑みにしてくれるマスコミの頭の悪さを利用した業績の捏造でしかなく 文化功労賞もこうした捏造に基づいた茶番に過ぎない



遺伝的進化というものには合理的目的が存在しないという論理的証明を 今まで生物学者の誰も気付かなかったという頭の悪さを隠蔽するために 生物学者達はその場しのぎの嘘取り繕いを展開しているに過ぎない

フランシス:ゴルトンによる優生学というものは遺伝的進化に目的が存在することを大前提にした屁理屈であり 遺伝的進化を万能だという妄想を正当化するためのオカルト観念に過ぎず

この優生学に対する論理反証を認知し 周知しておけば 相模原障害者施設虐殺事件を防げた可能性まである

その意味において 松沢哲郎や山極寿一を筆頭とした生物学権威の大多数は「A級戦犯」である



哲学とは 本来「科学の帝王」である

科学が科学を逸脱することを防ぎ 暴走を食い止めるために哲学という学問があるはずなのだが 現状では論理的理解の出来ない文科系「哲学者」達によるオカルト観念の陳列にしかなっていない

論理検証が面倒臭いからといって「理性や人知を超越した叡智」などという論理検証を蔑ろにする観念を鵜呑みにし 理論的証明を「なかったこと」にするという無責任な行動を 哲学者のみならず マスコミ大衆も平気で行っているのである

論理検証などという面倒臭いことを放棄し「殺人犯なんぞ死刑にしちまえ!」とでも怒鳴り散らしておけば人間性か何かだと錯覚し その場限りに気分的に満足出来るのであろうが それは極めて無責任な社会的損害の傍観放置であり様々な「人災」に対する科学的検証や具体的対策を蔑ろにするものである

マルクス:ガブリエルが言う「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すれば無くなる」などというオカルト観念に酔い まるで何かの解決策につながるかのような錯覚に陥って その場限りに気分的に安心満足していることの無責任さを認識すべきである

そんなものは「哲学」ではない

こんなくだらん事までいちいち言わなきゃわからんか

頭が悪いにも程がある



Ende;

○ゴキブリの幸福。

2019年03月08日 12時10分09秒 | 意識論関連
人間としての知能というのは 勝ち負け優劣という生存価に基づいた序列を決定するためのものではない

個人的に「勝った」からといって 社会安全性が高まるわけではなく むしろ利己的な「勝ち」を追求してしまうことによって格差を助長し 結果的に非効率な社会に陥ってしまう原因ともなる

自己の遺伝子を残したとしても何かの役に立つわけでもない

生物学における遺伝的進化というのは あくまで「結果」であって合理性に基づいた意識的「目的」選択が介在しているわけでもなく

遺伝子にこだわったところで一組の配偶関係から産まれてくる子供の遺伝的バリエーションというのは数十億に達するランダムな結果しかもたらすことはなく それもまた自然環境下における遺伝的進化という「結果」に過ぎない

そもそも雌雄配偶というのは 遺伝的進化のかなり初期に組み込まれた変異を促進する構造であって それによって遺伝的進化の速度が加速したわけだが 変異というのは方向性も目的もなく 大量のバリエーションを作り出すことによって環境適応可能な個体が生じる確率が高まるに過ぎない

要するに変異とは確率を上げるだけであって 淘汰圧力による膨大な死滅の屍の上に成り立つ遺伝的進化の構造の一面でしかないのである

もし 遺伝的に才能が決定しているのであれば ノーベル賞受賞者同士をかけあわせるような「栽培」方法によって より知能の高い個体を作り出すことが可能となると考えがちだが 実際には知能というのは遺伝的要因は関係がなく どちらかと言えば主体的好奇心による徹底的な探求心の方が有効である

実際に 誰も思いつかなかったような発明や発見に辿りつく人物というのは 予め遺伝的要因からは全く予測が出来ないし

それは犯罪者も同様である

そもそもヒトという種の生物は ここ数百万年遺伝的にはほとんど進化がないと言われており それはむしろヒトという種の生物は遺伝的進化に頼らなくても 知能による工夫や発明によって自然界の過酷な淘汰圧力から免れることが出来たからである

にも関わらず 「勝ち負け」などという犬の価値観を鵜呑みにして生存価を絶対的だと勘違い錯覚するのは 要するに脳が幼稚なのである

どんなに世間的に成功しようとも 突然急死することは誰にでも起きうるものである

スティーブ:ジョブズもスティーブン:ホーキングも 世間的に成功したからといって死ぬときゃ死ぬのである

隣の家で子供が丸焦げにされていても何も「感じ」なければ それは一種の幸福かも知れないが その幸福は「ゴキブリの幸福」である

私は以前 「生存自体に意義はない」と述べたことが何度かあるが それは個人の人生にとって生存価というものは決して最優先事項などではないという意味であって 生命自体を軽んじているわけではない

むしろ 誰かの幼稚な価値観に基づいた無責任な損害によって理不尽な死をとげるような事態を どのようにして減らすべきかを論じているのであり その過程において自己の生存価にとって不利な選択であっても避けてはならない

文科系哲学者の多くは他人の文面から一部だけを抽出してきて「名言」などと称して有り難がるのが大好きだが

それは論理根拠もなく目先の気分的安心満足を促しているだけであって

深い「考え」に基づいた「理解」ではなく 主観的で身勝手な思い込みに基づいた観念的で一面的な「解釈」に過ぎず

単なる「レッテル貼り」による思考停止に過ぎない



Ende;

○マナー産業。

2019年03月07日 21時05分14秒 | 意識論関連
一般的に言うマナーとは 合理的根拠に基づいたものではなく 伝統 手続き 形式 経験則 に則っただけであり合理性など必要性がない

「マナーだ」と言われれば「伝統や形式に則ったものであるはずだ」という錯覚を促すため マナー産業に利用されたのである

マナーや伝統 形式 経験則 手続きというものが合理的根拠もなく多くの大衆が鵜呑みにしてしまうのは一種の「権威」性を纏(まと)っているためである

伝統的に受け継がれているものに対してヒトの多くは「合理的根拠が存在しているから受け継がれているはずだ」という錯覚を齎(もたら)してしまう

伝統的に受け継がれているものの中には経験則的に合理性に辿りついていたものもあるのだが

決して全ての伝統に合理的根拠が伴っているわけではなく むしろ非合理な因習にしかなっていないものも少なくはない

経験則というものは あくまで「いままでやっていた限りにおいては効果的であった」という統計的多数の論証にはなるのだが 必ずしも論理的に最適である保証はない



保守主義的に伝統や手続き形式経験則を 根拠のない因習である可能性も検証せずに頭ごなしに鵜呑みにし 他人にも強要することは 到底合理的とは言えない

しかも 保守主義に限らず文科系哲学者の多くは論理的合理性に対して観念的拒絶反応を発揮し 精密検証を放棄して主観的な観念にとって都合の良い話に誘導する癖も非常に強い

合理的根拠や論理検証を蔑(ないがし)ろにしてしまえば もはや客観的真理など見失うのは必然である

主観的な気分的安心満足によって 客観的な論理的根拠に基づいた真理の追求が放棄されてしまう

これは ヒトという種の生物全般に普遍的に見られる「習性」である



東大名誉教授だとか 京大学長などという肩書形式という「権威」の言うことに対して論理的追求をほとんど全くしなくなるのは 「権威」とは元々「疑うことなく盲目的に信用することで安心出来る対象」に過ぎないからであり

権威に対する気分的安心によって客観的論理検証への意欲を喪失する性質があるためである

つまり「権威」自体は論理科学的には立証されたものでも何でもなく 単なる先天的習性が作り出した観念妄想に過ぎないのである

権威に対して疑問を呈することは マナーに反するものであると ヒトは観念的に「思って」おり

また こうした観念的マナーによって多数が権威に疑問を持たない環境下だと 自律的に疑問を持つことに「恥ずかしい」という少数異端への強迫的恐怖心によって 多数派同調的に誰も権威に疑問を持たない「空気」を作り出してしまうのである

これは イジメに対する多数派の傍観放置の「空気」の醸成の構造と同じものである

「空気」とは 要するに観念であり 合理的根拠があるわけではなく あくまで主観的観念に基づいた感覚が促す錯覚に過ぎない

多数派同調バイアスによって原発の津波に対する脆弱性放置も 多数派同調性に起因する「空気」が作り出したものなのである



大衆の多くはマナー産業がでっちあげた「ご苦労様は上から目線」などというデマを鵜呑みにしていたわけで 大衆の大半は論理検証的な客観的視点を持ち合わせていないことを意味するのである

それでも「自分だけは 絶対に大丈夫」だと「思って」いるのは ただのバカとしか言いようがない




Ende;

○最悪のケース。

2019年03月06日 22時32分50秒 | 意識論関連
将棋や囲碁 チェスではAIの優位性が立証されたけど

ネットゲームでもAIの方が優位なはずなのよね

で 嫌な想像をすると 戦争の作戦行動においてもAIの方が作戦成功率や損害が少ない場合 司令官がAIになってしまうかも知れない

既にタクシーの配車にはAIが用いられ実績もあるわけで こうした「AIがヒトを使う」ことが戦争にも応用される可能性は充分にある

元々「ヒトがヒトを殺し合いの道具として使う」戦争というもの自体が人道に反するのだが 味方のみならず敵の損害までも最小限にとどめられるとしたら AI司令官の方がヒトの司令官よりも優秀だと見なされる可能性は充分にある

AIがどういう道筋を描いて指令を出しているのか わからないケースというのも出てくる可能性はある

それでも中断出来ない作戦行動であった場合 AIの指令に従わざるを得なくなるかも知れない



「超AIは人類にとって最善のものとなるか 最悪のものとなるだろう」スティーブン:ホーキング

あの 「どっちかになるだろう」なんて話は論理的根拠に基づいた予測として成立してないけどな

「テクノロジーは道筋を決めておく必要がある」

それこそマイクロソフトのTwitterAIのようにヘイトスピーチを始めてしまうこともあるわけで

AIが特定の民族の存続だけを目的にしてしまう可能性は充分にある

「絶滅してみる」という失敗だけは取り返しがつかない

だが AIは学習過程で必ず失敗を繰り返す必要性がある

だから AIはあくまで道具であって その使い方はヒトに委ねられているのである

「人間の知恵が勝つようにしようではないか」

それは当たり前の話だよ

特筆すべき内容ではない



NHKなどの文科系マスコミだと 最悪のケースを考えることは「過激だ」などと まるで禁忌であるかのように形容していたが

危険学や失敗学では最優先されることである

社会安全性を高めるために必要なのは むしろ最悪のケースを予測しておくことなのである

それは「愚かであること」を論ずることも同じである

本当に賢くなりたいのであれば 「頭の悪さとは何か」を徹底的に知ることから始まる

少しは考えてから発言しろ



 ◇追記:「理性には利己的利益追求の側面があります」だとか

「暴力的革命は理性によるものだ」だとか

文科系哲学者の類はやたらと理性を悪者扱いして論理的思考を放棄しようとしたがるが

こういった論理的根拠の伴わない雑な分析に基づいて実証不能の観念を振り回しているから真理を見失うことに陥る

スティーブン:ホーキングの言っていることは理論であって 観念ではない

それなのに どうして論理を蔑ろにするのか

意味がわからない




Ende;

○見ずに清し。

2019年03月05日 13時50分55秒 | 日記
ボスの「ご褒美ラテベース」には

「香ばしピスタチオ」「焦がしキャラメル」「甘さ控えめ」「無糖」 とあるんだけど

無糖以外は全て一杯100mlあたり57キロカロリー

「甘さ控えめ」っつってもカロリーが低いわけではなくて

文字通り「甘さが控えてあるだけ」なのだ

なので香ばしピスタチオっての買ってみたんだけど

原材料見てもピスタチオのピの字も書いてない

ナッツ系の香りが良いんだけど

香りだけらしい

何だかいろいろ残念だな



Ende;

○暴走の構造。

2019年03月05日 12時20分56秒 | 意識論関連
生物っていうのは別に生存を目的にしているわけではなくて

無意識に促される先天的行動バイアスとして 主観的気分として安心満足する行動を採っているに過ぎず

その行動の結果がたまたま生存に適した行動だった個体種に淘汰されているために

現状存在している生物の行動習性だけを観察すれば あたかも生存を目的に行動しているかのようにも見えるだけである

先天的行動習性が原因で絶滅しようとも それは「結果」である

それは先天的行動習性が原因で死なずに結果的に「種の保存」を目的にしているように見えても それもまた「結果」以上の意味はない

死滅したケースは「進化の袋小路」と称し 生き残ったケースだけをあたかも合理的目的選択であるかのように言い張るのは 理論的に支離滅裂で 生物学者達によるコジツケ以外の何物でもない



ヒトという種の生物は 進化の結果として科学技術を利用することが可能にはなったが

その扱い方についての「考え」は全くといって良い程持ち合わせていない

「キチガイに刃物」という例えがあるが 科学技術という刃物(道具)ばかりを研ぎ澄ませることにばかり邁進していて それを取り扱う方の人間性や倫理については 具体的な中身が何もない

そりゃ原発も暴走するわな

先天的な本能習性に人間性が組み込まれていると勝手に錯覚妄想して 生物学者達のコジツケを鵜呑みにしておけば気分的には安心なんだろうが

その気分的安心によって イジメや差別の原因は撹乱され 解決策を見失うことになる

「暴力的革命は理性が原因」などという雑な分析に基づいて保守主義を正当化するのは 論理検証の逸脱でしかない



ヒトは 多数派が認証する「権威」の言っていることに疑問を持たなくなる習性がある

ヒトという種の生物は 先天的に特定の「権威」に対して盲目的に服従することで 結果的に統率的協調性を発揮する習性があるからだ

そのため 哲学者と認証された研究者の多数が「権威」と認証しているオルテガの言っている内容に対して ヒトの大半は何ら疑問を持たない

ヒトは「権威」に対してバカになるのである

バカになった方が頭の回転が速くて便利なのである

戦争とかテロに使うためには バカの方が便利である

バカがバカに服従して暴走している方が安心に出来ているのがヒトという種の生物なのである

そしてバカは口々にこう述べる

「自分だけは 絶対に大丈夫」だと



Ende;

○嘘は面白いが 真実はつまらない。

2019年03月05日 11時34分33秒 | 意識論関連
奨学金と称して学生に700万円だかの借金させておいて

「理性や人知を超越した叡智」なんつうオカルト観念教え込んで

それで評価承認が得られないから研究室と一緒に焼身自殺するとか

バカのスパイラルにも程がある

マスコミもバカなので「制度が悪い」だとか言っているが

制度も含めて社会のどこに問題があって どのように改善しなければならないのかを特定出来る人材を育てるのが学府の本来の社会的役割なんじゃねぇの?



「理性や人知を超越した叡智」なんつうもんは 一体どうやったら発揮できんすかね

何せ「人知を超越」してますから ヒトにはわからないんでしょうな

「理性まで超越」してますから 論理的には説明しなくて良いんでしょうな

それ

何の役に立つんですかね

オルテガは「伝統や形式や経験則でナントカなる」的なこと言ってますが

当然論理的根拠なんぞないんですよ

なんたって「理性を超越」してますからな

そんな話を鵜呑みにしていた西部だって同じでしょ

それ オカルト妄想ですから

そういうオカルト妄想を鵜呑みにしていたバカが 「多数派から人気があった」とか「惜しまれ」たとしても

それってカルト教団の教祖と一緒じゃないすか

哲学界全体がオカルト妄想に誰も気付かないんですよ

それを学生に大金徴収して教え込んでいる

頭おかしいでしょ

バカな学生なら 教えられたことを鵜呑みにして正確に「知って」さえいれば単位成績になって それが就職に有利なら それ以上何も追求することはないでしょうよ

知能って 就職のためにあるんすかね



Ende;

○豚小屋の栄光。

2019年03月04日 12時41分55秒 | 意識論関連
AIを用いて錯覚の研究をしている人が言ってたんだけど

「錯覚であることを理解しても 錯覚によって促される感覚自体はなくならない」

これは感覚という主観は錯覚から逃れることが出来ないということでもある

錯覚を錯覚であると認識するのは客観的論理的理解であって 主観的感覚ではない



ヒトが社会安全性を求めるのも 結局は欲求欲望であることに違いはないのだが

社会的責任に基づいた欲求というものは自己の様々な欲望の中から論理客観的に選択されたものであり

それは 単なる目先の欲望の強度程度に流されるだけの無意識から導き出されるものではない



養老だの西部だのといったオカルト右翼ジジイに話を丸め込まれて その場限りに気分的安心満足をすることで客観的論理検証性を喪失し 理論的に有り得ない「客観的事実などない」だの「理性や人知を超越した叡智」といった嘘を誰も疑うことなく鵜呑みにする

論理というものは 欠陥があると誤った動作結果をもたらす

論理的な欠陥がどこにあるのかを丹念に探すことをせずに 論理検証自体を放棄するという支離滅裂な行動選択を 文科系大衆マスコミや生物学者や哲学者は平気でやらかすのである

オルテガは大衆の暴力的解決を批判したが 保守体制による呆然とした問題放置も 結局は同じ「論理検証性の放棄」という意識の怠慢が引き起こすものであることに違いはない

大衆は論理を嫌う

論理的思考検証は地道で面倒臭いからである

面倒臭いことを地道に丹念に行うよりも 何も考えずに呆然と傍観放置したり 暴力破壊に頼ったりと 極端な解決法しか選択したがらない

それは ヒトが生物であるという先天的欠陥による「習性」に他ならない

折角大きな容量の脳を持って産まれてきているにも関わらず その優位性を全く活用せずに 大多数の大衆は目先の欲望に流されるだけの無意識しか発揮することはない

社会安全性に関わる論理検証は誰もやりたがたない癖に 大学入試の成績競争には必死になって煽るのが大衆の価値観である

こうした大衆の価値観には論理根拠がなく 鵜呑みにしていると大学院を卒業しても糞の役にも立たないバカにしかならない

だから九州大学の研究室は燃やされたのである それは大衆観念上は「かわいそう」などと あたかも「政治が悪い」かのように報道するが そもそも大衆観念自体を鵜呑みにしているマスコミの頭の悪さの方が問題なのである

大衆観念に基づいた強迫観念的な学力偏重主義の方に問題の根源があるのに それを棚上げにしておいて「制度が悪い」かのように言い出すのは 問題のすり替えでしかない

そもそも 制度に間違いがあるなら その間違いを指摘したり改善するための「知性」なんじゃねぇのか?

なのに「評価が得られないから 研究室ごと自分も燃やしました」なんていう暴走破綻行動を「かわいそう」などと主観的に形容して正当化するのは 頭がおかしい

何がしたいのかを主体的に選択する本質的な「意思」がないから 「悪いのは環境のせいだ」などという通り魔的発想に帰結してしまうのである

現状の社会に問題や欠陥があることは当たり前である それを改善するために知能が必要なのであって 欠陥を特定して改善策を提示するという合理性ある建設的行動選択こそが知能知性の役割である

世間的評価などという利己的利益を目的にしているから 知性本来の「目的」を忘れるのである

一体何のための学力なのか 誰も「考え」ていないんだろう

クイズの正解率なんぞ具体的に社会にとって何の役にも立たないが 大衆観念上は「頭が良い」と誉めそやし 崇め奉って満足したいだけなんだろう

だから学問が糞の役にも立たなくなる



Ende;

○屁理屈。

2019年03月03日 15時47分39秒 | 意識論関連
ヘビースモーカーに向かって「タバコ一本で10時間寿命が縮まる」と言ったら

「一日経てば寿命は一日縮まるんだよ」と返されたそうである

寿命の話 生存時間の話だけなら確かにそうなんだが

不健康な生活をすることによる健康保険料の増加は社会的負担になるわけで

不健康な生活をしないというのは 明文化はされてはいないが社会人としての義務である

不健康な生活が原因で病気になっても一切公的健康保険に頼らないっていうなら好き勝手にすれば良いが

実際はそういうわけではない



生活保護費を貰ったその日に全額ギャンブルに注ぎ込んで

翌日からはボランティアの炊き出しで食いつなぐバカがいる

法律上は生活保護費をどう使おうが勝手なんだが

それは生活保護の主旨を明らかに逸脱した使い方である

明文化されていないからといって何でも勝手にやって良いというものではなく

物事の主旨や合理性に鑑みて社会的に責任ある行動を採ることは社会人として必要な人間性である



何でもそうだが 一面的な理屈だけで思考を停止させるのは本当の理性ではない

そういうのは屁理屈という



Ende;

○優先順位。

2019年03月02日 13時13分03秒 | 意識論関連
ヒトは ヒトという種の生物は 主観的に気分を良くしてくれる相手を「頭が良い」とか「人間性に優れている」などと形容したがるが

これが先ず大間違いなのである

主観的気分というのは脳の構造的バイアスに過ぎない

養老だの西部だのは その場限りに相手と話を丸めて仲良しこよしになっているだけであって 深い考えが伴っているわけでも何でもない

にも関わらず ヒトの多くは主観的気分が良くなりさえすれば安心満足し あたかも客観的安全性か何かだと勝手に勘違い妄想錯覚を生じて思考が停止する

これはマイケル:サンデルの洗脳手法も同じである

主観的感覚と 論理的客観性の区別 分別がきちんと自律的に出来ていれば 「個人的に好きな相手だけども 言っている内容は正しいわけではない」という論理検証も出来るようになるのだが

ヒトの多くは主観的感覚が促す「好き嫌い」を意識の本質的主体であると錯覚しているため 自律的論理検証性という人間としての意識の本質を簡単に喪失することに陥るのである

強力な「思い込み」というのは 主観的好き嫌いや反射的拒絶反応によって客観性を失うことにより生ずる

自己の脳に既に刷り込み「学習」された価値観というのは 本質的には自己選択不可能なものであり そもそも先天的本能習性すらも自己選択不可能なものである

意識の9割は無意識だと言われているが その無意識が何なのかを識別認識出来ていれば 本質的意識とは何か 本質的自己とは何か 本質的人間性とは何かも区別が出来るようになる



人間性の本質とは何か

それは 自律的に社会的な責任判断を選択出来るかどうかにある

決して人気や世間的成功といった既存の大衆が作り出した価値観の多数決で人間性が論証されるわけではない

ヒトという種の生物は先天的に社会を形成する習性を持っているため どうしても特定の誰かの言っている事だけを盲目的に信奉しようとする習性がある

「この世のどこかに 全てを知り尽くした万能の神みたいな素晴らしい人物が存在していて そいつの言うことに従ってさえおけば自動的に自分も幸福になれる」ものだと そう信じておけば気分的に安心なのである

そもそも「安心」とは 脳内物質が促す快楽であり 先天的に決定している行動バイアスを作り出す構造という「結果」に過ぎない

何も自律的に考えないバカにとっては 自己という存在は先天的に誰かによって保証されている優秀な存在か何かだと勝手に妄想しておいた方が 気分的に安心で楽なために 「先天的な習性によって 人間としての社会性が立証出来るかも知れない」などという理論的に不可能なお伽話を鵜呑みにすることで 更に満足感を得て思考停止のまどろみへと陥るのである

思考は停止していた方が 脳は楽なのである

現状の文系哲学者達というのは 「いかにして思考を停止させて満足するか」に邁進しているばかりで 何が間違っているかなど一切「考え」ることなく ニーチェだのハイデガーだのプラトンの言っている内容で その場限りに満足感を得ること以上の何もしない

残念なことに 本人達は必死になって「考え」ているつもりらしいのだが 実質的には主観的満足で思考を停止させることしかしておらず 客観的論理検証は誰もしていない



「悟り」という言葉がある

「真理を知った」ことを意味するはずなのだが

大抵の場合「考えたって どうせわからん」だのという虚無主義で満足してみたり

その場限りに満足安心したことを「悟った」と簡単に勘違いして満足して 内容が本当に論理的に正しいのかどうか 真理に辿りついているのかどうかなど ほとんど誰も考えてなどいない

キェルケゴールは 真理探求の過程途中で短絡安易な「悟り」によって思考停止し 真理探求を放棄してしまうことを断罪した

客観性に基づいた論理的真理に辿りつく前に 無意識が促す思考バイアスによって主観的満足を得ることを「悟り」だと勝手に勘違いしているため

ヒトはバカが治らない

気分的満足を「悟り」だと勘違いすることは 非常に簡単である

ヒトの脳は物事を深く考えることが嫌いで 思考停止に陥りさえすれば満足する先天的欠陥が存在するからである



先天的な社会形成習性というのは 特定の個体を指導者ボスとみなして盲目的に信頼信奉することで 封建的統率による協調性を発揮し これが生存にとって有利だったために 結果的に先天的習性として遺されたものである

この先天的習性としての「社会性」とは ヒトに限ったものでもなければ 人間性とも関係がない

むしろ蜂や蟻などの昆虫のように そのほとんどが機械的条件反射行動しか採らない生物の方が より高度に役割分担を促す「真社会性」を発揮するのである

昆虫の脳などというのは顕微鏡下でしか見えない程小さなものだそうだが そんな脳でも可能な先天的な社会形成習性に人間性が伴っているなどと錯覚出来るのは むしろ「何も考えていない」からであろう

習性という行動バイアスには 「自律」がない

習性というのは あくまで環境依存的な「結果」であって 環境に左右されている以上 「自律的に社会的責任判断を行う」こととは無関係であり むしろ先天的習性が促す無意識な行動バイアスは自律的判断を喪失させる方向にしか働くことはない

それは 社会形成習性においても同じであり統率的な封建組織に自動的(自然)に陥るのも そこに人間性など存在しないことの証明である

ヤクザ暴力団テロリスト振り込め詐欺集団の身内内部で どんなに利他的行動を観察したところで それは社会全体の安全性とは無関係な「目先の習性」「目先の行動バイアス」「目先の脳内快楽」以上に意味はない

それは たとえ親子であっても同じである オキシトシンは自分の子供は大事にしようとする行動バイアスは作り出すが 他人の子供は排除虐待する習性も促すものであり 実際過酷な環境で子育てをするペンギンでは集団で子育てをするにも関わらず 他人の子供を殺すことも珍しくはない

イヌでもネコでも同様である

先天的な習性というのは あくまで「自然環境下で死ななかった」という「結果」以上の意味は存在しないのである

そこに人間性が存在すると「思う」のは 単なる大衆妄想観念以外の何物でもない

そもそも社会形成習性というのは ヒトに進化する以前からあるものであり ヒトという種に特有のものでもなければ ましてや人間性が伴う保証など一切ないのである



ヒトという種の生物には 先天的に人間性が組み込まれているわけではない

が しかし 後天的には人間性が必要であることを認識する能力はある

その点においては進化の奇跡と言っても構わないだろう

だが 人間性というものが先天的なものではない以上 後天的に認知認識する本質的意識 自律的論理検証性が不可欠である

自律的な社会的責任判断を行うためには 先ずは自己が社会の中で存在し続ける尊厳を持つ必要性がある

自己尊厳がなければ社会がどうなろうと「知ったことではない」

無責任な行動を採る奴というのは 自己の存在を維持しようとする尊厳を持たないからであり 目先の快楽という先天的行動バイアス習性に流されるだけで本質的意識としての自律がないからである

自律とは自発の中にあり 他にはない

フロイトが言うような超自我的強迫観念というものは自律ではなく他律であって 多数からの同調圧力に流されるだけで人間性が発揮される程 ヒトという種の生物は都合良く出来てなどいない

自律のために必要なものは 自発であるが これは個人の主観的好き嫌いに依存するものであって 昆虫が好きなのか 爬虫類が好きなのか ボランティアが好きなのか 量子力学が好きなのか 粘菌が好きなのかは「実際にある程度やってみないとわからない」ものであり 一概に決められるものではない

ところがヒトというのは先天的に多数に同調したり迎合しておくことの方が気分的に安心であるため どうしても他人の評価に流される傾向があり 本質的な自発性に基づいた純粋な行為を知ることすら難しい

だが 「難しいから出来ない」というのはおかしな話である

難関大学への受験には熱狂するが 自律的な社会的責任判断力をつけさせることは「難しい」と称して放棄しようとするのは 既存の価値観に基づいた世間的成功という利己性が優先し 社会安全性という人間としての目的を後回しにしているからである

これは完全に優先順位が狂っている

どんなに哲学界で多数人気を得ようとも その内容が「実証不能の叡智」に基づいていたのでは論外である

「寝言」としか言いようがない

養老だの西部だのといったオカルト右翼ジジイが 多くの「哲学者」から惜しまれようとも その多くの「哲学者」が実際には何ら論理的に検証したこともないデクノボウでは 「デクノボウから人気を得ていた」だけの話である

具体的に何の応用性もない実証不能の観念を振り回し 何も論理的に検証したこともないデクノボウから人気を得ていれば 論理科学的真理の探求が放棄されるのは必然的結果である

そこに人間としての「目的」など 出てくるわけがない



Ende;

○応用性。

2019年03月01日 22時03分39秒 | 意識論関連
文系哲学者の言う「理性や人知を超越した叡智」って 何の役に立つんでしょうな

伊勢崎賢治がやっているような紛争解決に応用出来るんすかね

畑村洋太郎がやっているような事故再発防止に応用出来るんすかね

尾木直樹がやっているようなイジメ対策に応用出来るんすかね

一体社会安全性にとって何の応用が出来るんすかね

この世にゃ「理性や人知を超越した叡智」を会得した超人みたいな奴がおって そいつは理性も人知も超越した人間性を発揮出来るとでも言うんでしょうか

_人人人人人人人人人人人人人人人_
> そ ん な 奴 居 ん の か よ ! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


そいつはすごいぜ

たいしたもんだぜ

ビックリしちゃうぜ

呆れて説明する気が失せちゃうぜ

西部 邁とか養老孟司が右翼民族主義者と話丸めてたのは「俺様は理性や人知を超越した叡智に富んだ優秀な人物なんだ」とか勝手に思い込んでたからなんじゃねぇのか?

誰彼構わず仲良しこよしになっときゃどうにかなるとでも思ってんのか?

ああ だから山極寿一はゴリラと仲良しになって満足してたんだろうな

そんなオカルト観念を大衆マスコミは鵜呑みにしてんだよな

だから「先天的本能習性によって人間としての社会性が立証可能かも知れない」なんつう松沢哲郎のお伽話も鵜呑みに出来るんだろうな



こういう頭の悪さって養老孟司とかを死刑にでもすれば 騙されていた大衆マスコミの頭の悪さが治るんでしょうかね?

日本人は死刑が大好きなようだし

日本にゃノーベル賞受賞者って何人もいるみたいだけど あいつらも糞の役にも立たないってことなのかしらね

論理的具体性のない実証不能の観念を鵜呑みにしておいて社会安全性もヘッタクレもないでしょうが

ああ面倒臭い

この世で一番面倒臭いのは バカに論理的説明をすることじゃないかと思うよ

糠に釘って どうやれば効くようになるのかしら



Ende;