スーパーボランティアの尾畠春夫さんと 無差別殺人犯との違いは何でしょうか?
同じヒトという種の生物でありながら 他人が困っていたり苦しんでいることを放置出来ずに自らの身を削るように助けに奔走する人と
身勝手な観念に基づいて何の合理性もない無差別暴力を振るうバカとの違いは一体何か
それは意識の違いです
どう違うのかと言うと 意識の広さが違うんですね
尾畠さんは社会全体を見ている だから目先の自分の欲望には興味がわかない
小さな子供が行方不明になって どこかで親を探して泣いているかも知れない そう思ったら居ても立ってもいられない
飯も喉を通らない だから助けに行く 報酬も世間的評価も欲しがらない
子供が親と再会して喜んでくれれば もうそれだけでお腹がいっぱいになる どんな豪華な食事よりも その喜びが優先している
では 無差別殺人犯は何を見ているのかと言うと 非常に狭い幼稚で浅はかな主観的屁理屈の中しか見ていないし そもそも見ることすら出来ない可能性まである
他人とくらべて自分の世間的な評価や報酬が少ないことに腹を立て 評価をしてくれない世間全体に対して茫漠とした不満をぶつける形で無差別殺人を行い 実質的には何の解決策にもならない暴力による報復感情を満足させることしか見えていない
なぜ社会全体が見えずに 幼稚で浅はかな主観的価値観の中でしか物事が見えないのかと言えば
「他人とくらべた多数他人からの評価」を求めているためである
評価承認欲求中毒
他人からの評価が目的の場合 自律がありません
多数他人からのウケが良ければバイトテロでも何でもやらかします
自分が社会の一員であるという自覚がありませんから 責任感もないんですね
「人類の救済」だとか言ってますが その真意は「俺様は人類を救済した凄い奴として歴史に名を遺すんだ」という「身勝手な価値観に基づいた他人からの評価」が基準になってしまっている
だから自律的には何も考えない
考えないから理屈が幼稚で薄っぺら
自律的論理思考という「考え」の代わりに主観的観念という「思い込み」の強度程度だけが優先してしまう
本当に人類(他人)にとって有益な行動であるかどうかを検証する理性が働かない
目先の多数大衆からの評価を優先し 科学的な論理検証に基づいた具体的な問題解決方法など一切考えず 「どうするべきかは皆さんへの宿題」だと問題を丸投げするバカが山極寿一京大学長です
そして 自分達の頭の悪さが露見すれば既得権に差し障りがあることを恐れて批判を隠蔽黙殺する
こうした山極達の一連の行動を 社会的無責任行為だと認識することが出来ない大衆マスコミも同罪です
自分達の頭の悪さを認識させられることは「楽しい」ですか?
それとも「つまらない」ですか?
「楽しい」か「つまらない」かは 個人の主観ですから 客観的事実真理とは無関係です
その区別が出来るか出来ないかが 人間としての社会性の基準の一つでもあり
これはヒトでありさえすれば出来るわけではなく
意識の広さに依るものなのです
Ende;
同じヒトという種の生物でありながら 他人が困っていたり苦しんでいることを放置出来ずに自らの身を削るように助けに奔走する人と
身勝手な観念に基づいて何の合理性もない無差別暴力を振るうバカとの違いは一体何か
それは意識の違いです
どう違うのかと言うと 意識の広さが違うんですね
尾畠さんは社会全体を見ている だから目先の自分の欲望には興味がわかない
小さな子供が行方不明になって どこかで親を探して泣いているかも知れない そう思ったら居ても立ってもいられない
飯も喉を通らない だから助けに行く 報酬も世間的評価も欲しがらない
子供が親と再会して喜んでくれれば もうそれだけでお腹がいっぱいになる どんな豪華な食事よりも その喜びが優先している
では 無差別殺人犯は何を見ているのかと言うと 非常に狭い幼稚で浅はかな主観的屁理屈の中しか見ていないし そもそも見ることすら出来ない可能性まである
他人とくらべて自分の世間的な評価や報酬が少ないことに腹を立て 評価をしてくれない世間全体に対して茫漠とした不満をぶつける形で無差別殺人を行い 実質的には何の解決策にもならない暴力による報復感情を満足させることしか見えていない
なぜ社会全体が見えずに 幼稚で浅はかな主観的価値観の中でしか物事が見えないのかと言えば
「他人とくらべた多数他人からの評価」を求めているためである
評価承認欲求中毒
他人からの評価が目的の場合 自律がありません
多数他人からのウケが良ければバイトテロでも何でもやらかします
自分が社会の一員であるという自覚がありませんから 責任感もないんですね
「人類の救済」だとか言ってますが その真意は「俺様は人類を救済した凄い奴として歴史に名を遺すんだ」という「身勝手な価値観に基づいた他人からの評価」が基準になってしまっている
だから自律的には何も考えない
考えないから理屈が幼稚で薄っぺら
自律的論理思考という「考え」の代わりに主観的観念という「思い込み」の強度程度だけが優先してしまう
本当に人類(他人)にとって有益な行動であるかどうかを検証する理性が働かない
目先の多数大衆からの評価を優先し 科学的な論理検証に基づいた具体的な問題解決方法など一切考えず 「どうするべきかは皆さんへの宿題」だと問題を丸投げするバカが山極寿一京大学長です
そして 自分達の頭の悪さが露見すれば既得権に差し障りがあることを恐れて批判を隠蔽黙殺する
こうした山極達の一連の行動を 社会的無責任行為だと認識することが出来ない大衆マスコミも同罪です
自分達の頭の悪さを認識させられることは「楽しい」ですか?
それとも「つまらない」ですか?
「楽しい」か「つまらない」かは 個人の主観ですから 客観的事実真理とは無関係です
その区別が出来るか出来ないかが 人間としての社会性の基準の一つでもあり
これはヒトでありさえすれば出来るわけではなく
意識の広さに依るものなのです
Ende;