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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○破綻回避策。

2019年03月24日 14時20分50秒 | 意識論関連
養老孟司は「意識に意味はない」とか「意識に主体性があるのは錯覚」だと言います

ヒトの意識の大半は無意識であり 無意識に主体的選択可能性が存在しないことは確かですが

そもそも主体性がないから無意識って言うんですよ

意識の全てが無意識なわけではありませんし 主体的論理客観性が存在しないことの科学的論証にもなりません



ヒトの多くは 自分の頭の悪さを認識することを嫌いますから あたかも「自分は先天的に遺伝子レベルから優秀な存在なので 意識的に物事を考えたり主体的に選択しなくても 無意識な感覚だけで倫理や人間性を発揮出来るはずだ」という文科系大衆観念的妄想錯覚にとって都合の良い話ばかりを鵜呑みにし そういう話をする奴に対して盲目的に信頼するようになります

ヒトという種の生物には 嘘や暴力といった非人間性と 倫理的人間性の両面があります

決して「どちらか一方しかない」という話ではないのです

また 「ヒトには先天的に人間性や倫理が組み込まれている」と決め付けたところで 嘘や暴力性の論理的反証にもなりません

哲学者や生物学者達が先天的人間性を主張したがるのは それを主張しておくと論理科学的に検証することが苦手なバカな大衆から人気を得られて金が儲かるからです

なぜ人気が得られるのかは既に述べましたが 「自分で主体的に物事を考えなくても 無意識自動的条件反射的に人間性を発揮出来る優秀な遺伝子を持っているんだ」という 訳のわからぬ謎の能力が存在していると妄想錯覚出来るからです

ホセ:オルテガ:イ:ガセットなどの保守主義者達は 本気で「理性や人知を超越した謎の英知」などという実証不能の観念に基づいて 「手続き」だの「伝統」だの「経験則」だのを盲目的に信頼しており それは感覚的安心感を得られるからであって 論理客観的根拠に基づいた理論ではなく 単なる妄想錯覚お伽話お花畑でしかありません



ヒトという種の生物には二面性があると述べましたが

人間性が失われてしまう原因は主観的感覚の強度程度の方を意識の本質だと錯覚していることが原因です

ヒトの意識の大半は無意識で その無意識の正体が主観的感覚としての先天的な行動習性バイアスによる気分や感情であり

こうした無意識性によって 自律的な論理客観性を簡単に喪失することで 人間性も同時に喪失することになるのです



頭の悪い奴は 「理性には利己的利益追求の側面があります」などと平気で言いだし あたかも理性こそが非人間性の根源であるかのように言い張りますが

それなら皆さんに問います 理性以外の先天的本能習性が促す欲望には利己的利益追求の側面が存在しないとでも言うのでしょうか?

そもそも 利己的利益追求性というのは 動物的な先天的欲望に基づくものであり 欲望が理性を利用しているから利己的利益追求になるのであって

理性が欲望を客観視出来ていれば 目先の利己的利益追求などという一面的「生存価」に有利な行動選択にはならないのです



ヒトは理性を悪者扱いしておいた方が満足出来るのです

物事を精密に論理検証するなどという 面倒臭い事は拒絶して 「感覚的無意識のままに直感的に人間性が発揮されるはずだ」とでも勝手に妄想錯覚しておいた方が気分が良いからです

哲学者の大半は 「理性や人知を超越した謎の英知」だとか 「世界は存在しない」などといったオカルト妄想に対して何の疑問も持ちません

論理科学的真理という「本当の事」など 存在しない方が気分が楽だからです

「気分が楽」なのは主観であり感覚であり 感覚が促す錯覚によって ヒトは真理を見失うのです

養老孟司のような詐欺師達は こうしたヒトの先天的欠陥を利用して人々を騙すわけです

「ハーメルンの笛吹き男」は 実話であり 再現可能なものなのです



意識そのものが なぜ存在しているのか それは進化の結果ですから謎ではありますが 結果的であれ主体的選択可能性を持っていることが事実であることとは関係がありません

例えば「地球が存在している事実」は「地球がどのようにして出来上がったのか」とは関係がないのと同じことです

「意識という主体的選択可能性がどうして存在しているのか」を探ろうとする探究心はあっても構いませんが それがわかろうがわかるまいが主体的選択可能性が実在していることとは関係がないのです

「地球がどのようにして出来上がったのか」がわからないからといって「地球など存在しない」ことの論証には全くならないでしょ

説明していてバカらしくなるわ



寝ている間や 気絶している間は意識がありません だから居眠り運転は危険なんですよ

それとも何ですか 自動車運転中の人を後ろからハンマーで殴って気絶させても「同じ人だから 結果は同じだ」とでも言うんですか?

キチンと目を醒まして 主体的に論理客観的に物事を判断していれば 詐欺に騙されることはありません

騙されるのは 生物学/医学的なレベルの意識がありながらも 人間としての論理客観的検証性が働いていないからです

ヒトは誰でも間違えるものです 完璧じゃありませんからね

でも 間違えたら原因を論理客観的に検証し 再発防止策を構築して初めて「教訓」として機能するようになるのであって

「間違えたのは 自分がバカだったからだ」と気分的にいくら落ち込んでも 具体的再発防止策には一切ならないのです

刑罰というものの無効性は 国家権力による罰という暴力威圧によって 気分的に後悔させているだけであって それは無意識レベルの精神論にしかならず 論理客観的な意識レベルの改善治療にはならないからです

どんなに罰を重くしても 犯罪は無くなりません それは構造原理的に犯罪というものの分析による 具体性のある論理的再発防止策ではないからです



詐欺師ペテン師の類は後を絶ちません 別に養老だけが詐欺師なのではなく 生物学者も哲学者もマスコミも同罪です 意図しようがしまいが 論理的に理解可能な話を面倒臭さがって拒絶しているのは雑な手抜きであって 無責任さの自覚がないからです

マイケル:サンデル ジャレド:ダイアモンド リチャード:ドーキンス マルクス:ガブリエル 養老孟司 西部邁

こいつら全員言っている内容に論理整合性がない詐欺師なんですよ それを「話題になっている」だとか「販売部数が多い」といった多数決だけで あたかも論理科学的に正しいかのように錯覚して垂れ流すマスコミも同罪ですよ

それとも何ですか 多数派なら責任が薄まるとでも思っているんでしょうかね

まるでサブプライム金融じゃないですか

そりゃ破綻するに決まってるでしょ



Ende;