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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

毒。

2013年11月24日 21時47分29秒 | 意識論関連
○毒。

 カモノハシの毒がオス同士のケンカに使われるのは「結果」であって、カモノハシ自身が目的意識的に身につけた能力ではない。

 天敵などに襲われた際に役にたった能力が、結果的にどのような用途に用いられるのかは、習性や環境によって結果的に発現するものであって、そもそも毒などというものは当人の意図的目的意識によって選択獲得出来るようなものでは最初からない。

 それくらい気付け、バカ進化生物学者共め。

 ヒトにおける幼児虐待や体罰の連鎖を、進化生物学者が事後正当化のために屁理屈をこじつけても意味がない。

 ヒトが戦争や重大事故といった「人災」を論理的に検証したがらない習性も結果であり、論理検証性の欠落に対して「何らかの目的があるはずだ。」などといくら念じても、そんなものは最初から実存しない。

 実証も何も、最初から論理的に不可能な立証であることに気付かないから、「実証不能の観念。」が放置されるのであり、ヒトの頭の悪さに目的が存在しないのと同じで、だからこそ結果の抽出枚挙から構造原理的に目的が論証出来ないことに進化生物学者のほとんど全員は気付かないのである。

 フィールドであれ実験室であれ、どんなに生物の生態調査をしても、それらは全て進化変化の「結果」を見ているに過ぎず、結果をどんなに抽出枚挙しても、そこから「目的」など構造原理的に出てこないのは必然である。

 つまり、進化生物学上の発見からは「目的」など最初から論証することは原理的に不可能であり、進化過程から目的を論証しようとしていること自体が科学的に不毛なのである。

 進化生物学が立証可能なのは全て「結果」であって、目的意識的な選択可能性は原理的に論証不能である。

 進化変化の全ては「生存」も含めて「結果」である。「結果」をどんなにたくさん抽出枚挙しても「目的」など論理構造的に立証不可能であり、「目的」を立証しようとするのは業績の捏造に他ならない。

 身の程を知れ、ポンコツ進化生物学者共め。

 ◇

 そもそも先天的な本能習性が環境によって行動が決定する以外に選択不可能であるならば、最初から誰にも目的など存在しない証明であり。「現代文明社会環境が悪い。」だの「時代が悪い。」などと言っている時点で主体的目的意識の欠落を証明しているのである。

 バカに目的意識がないのは当然である、目的というものを自発的に論理検証追求する「意志」がない状態を指して「バカ」と言うからだ。


Ende;

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