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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

中毒。

2013年11月21日 15時46分22秒 | 意識論関連
○バカ中毒。

 ヒトの多くは特定他人のことを誹謗中傷することによって、あたかも自分達が正当化出来ているような錯覚を得ることが出来る。

 これは目先の多数派意見を同調させることによって、気分的安心満足を得ることが目的であって、強迫観念的に誰かを誹謗中傷し続けていないといられない中毒症状のため。自分達でとめることは極めて困難である。

 実際のイジメというのは、「ウザい」だの「死ね」などといった単なる主観的好き嫌いを述べているだけであって、論理的に人格性を批判することはない。

 イジメなどというのは、いわばバカがバカげた主張をバカ同士で共有しているだけであって、論理的に人間性を否定出来ているわけでもなく。むしろバカげた主張でイジメ行為に同調していること自体が人格の崩壊であることには、イジメを行っている本人達に自覚はない。

 多数他者から誹謗中傷されると、あたかも人格を否定されているかのような錯覚をする人は多いようだが。匿名の多数他人の個人的好き嫌いをどんなに多数抽出しても、論理的な人格の否定にはならない。

 論理的な人格の否定ではない以上、どんなに多数の主観的好き嫌いを抽出しても、「飲み屋の酔っ払いの主張。」程度の意味しかない。

 いわばイジメ中毒という一種の精神病であって、イジメに同調しているという自己の卑しさを意識から外すことによって脳が酔っ払っているのと同じ状態である。

 酔っ払いの与太話を真に受けて自殺するなどというのは、あまりにバカげているので無視すべきである。

 イジメなどというバカげたことをとめられない集団に馴染んでも、人間としての社会性など身につかないばかりか、むしろバカに同調迎合するというバカげた行動「学習」しかされることはない。

 しかし、ヒトの多くは目先の多数派と同調出来ないことに対し、論理的根拠のない不安や恐怖を感じる本能習性がある。

 イジメなどの差別排除というのは、ヒトの本能習性が促す行動バイアスの「結果」であって、意識的論理検証による「目的」行動選択ではない。

 先天的本能習性に流されることから逃れることの出来ないバカがイジメのような差別排除に異常執着し、中毒症状的に誹謗中傷に邁進するのであり。本当に憐れなのはイジメられている方ではなく、むしろイジメている方の脳なのである。

 他人を誹謗中傷することにばかり意識を奪われ、自分自身の卑しさを認識出来ない頭の悪さすらも意識から外し、むしろ自らの頭の悪さ、精神的欠落から目を逸らすために一心不乱に他人の誹謗中傷にだけ邁進する姿は、客観的には狂人に過ぎないことすら認識出来ないのである。

 従ってイジメというのは病気であり、中毒症状に他ならず、誰かの悪口を多数で共有するという「狂人の快楽」から逃れられない憐れな病人に過ぎない。

 「狂人の快楽」を自覚出来ない中毒患者の主張を真に受け、鵜呑みにすることもまた愚かである。「嫌な気分」というのは副腎皮質ホルモンが脳に作用しているに過ぎないので、理論的にも本質的にも「意志」とは無関係だからである。

 イジメなんぞが蔓延している集団に迎合する必要性はなく、むしろそうした集団とは関わらない方が人間性の成長において有益である。狂人の集団に迎合しても人間性や社会性が身につくわけがないからであり、もっとマトモな集団を探すべきであって、選択すべきであって、検証すべきである。

 誰が狂人なのかを。

 多数派が狂人を占める状況であるからといって、多数派が正常であることの論理的証明には全くならない。

 文科系大衆観念的には、目先の主体的選択をしていない集団に無為に迎合することで「集団生活を学ぶ。」などと言い張るが。イジメが蔓延している集団に迎合しても、自律的な社会的責任判断能力を喪失するだけであって。ヒトの本能習性としての社会形成性を学習することで原発の危険性を放置することも平気になり、主体性目的行動選択も出来ない憐れな病人になるだけである。

 ヒトの多くは病気でいた方が安心で満足である。

 高血圧患者が塩分を異常に求めるのと同じように、病気というのはヒトを自滅暴走へと導く性質がある。虐待や体罰が連鎖するのも、ナチズムやポルポトやオウム真理教のようなオカルトに多数が洗脳されるのも、ヒトという生物が持つ先天的な行動バイアスの「結果」である。

 先天的行動バイアスに無意識に流される以外に自律的に選択出来ない状態というのは、客観的に見れば主体的意志が働いておらず、本質的には「自由」すらないのだが、この不自由というのは脳が快楽を感じるために自由と錯覚しているのである。

 麻薬中毒患者が麻薬に意識を囚われ、麻薬のことで頭がいっぱいになっているのと同様。イジメ中毒患者が他人を誹謗中傷することだけで頭がいっぱいになっている状態には「自由」はない。

 文科系大衆観念に囚われ、自律的に論理検証することの出来ない多くのヒト達も、多数派に迎合する気分的安心満足を自由と錯覚しているためである。

 ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫。」だと錯覚している。それは振り込め詐欺師に騙される被害者達の論理的根拠なき自己過信と同じものであり、それによって気分的に安心満足することが目的である。

 ヒトの脳というのはバカでいる方が安心で満足なように出来上がっている。だから人類はいつまでもバカが治らないのである。


Ende;