○瞑想。
瞑想を長年していると脳の処理速度が向上する。
しかし、処理速度だけを取り上げて「頭が良くなった。」と決め付けるのはあまりに短絡的で科学的とは言えない。
そもそも統合的論理検証というのものは処理時間を必要とするものであって、瞑想によって思考が短絡的条件反射しかしなくなっているのであれば、むしろ「頭が悪くなっている。」可能性も高い。
短絡的に処理速度だけを知能であるというのであれば、チンパンジーの瞬間記憶能力をも知能であると言い張るのと同じことである。チンパンジーの瞬間記憶能力というのはエサに対する機械的条件反射であるからこそ異常なまでの超高速処理が可能なのであり、要するに環境から促された中毒症状であり動物的な行動学習に過ぎない。
処理速度に限らず、学力成績というのは厳密に認知科学的根拠があるわけではなく。短絡的に一面的能力だけを取り上げて「頭が良くなった。」などと決め付けるのは科学的とは言えない。
速読暗記能力においても、その速度をどんなに高めても内容の論理検証能力とは無関係である。速読能力が高い者がニーチェや養老の論理整合性の欠落を指摘出来るわけではなく、結局個人的好き嫌い感想しか述べられないのである。
アイヒマン実験において短絡的に権威に服従してしまうことも、判断処理が短絡的で高速であるからであろう。論理検証が浅く条件反射的に権威に服従しているからアイヒマン実験だの振り込め詐欺師に騙されるのであって、瞑想によって自律的な統合的論理検証可能性の証明でもなければ、瞑想による処理速度向上だけを根拠に「頭が良くなった。」などと決め付けるべきではない。
瞑想を長年やっていると大脳の皺も増えるのだというが、皺が増えたことによる具体的効果が実証されているわけではなく、単なる現象論に過ぎない。脳血流増加を短絡的に「頭が良くなる。」と言い張ったからこそ実質的効果もない脳トレ類を「頭が良くなる」ともてはやしたのであり。具体的効果も検証せずに短絡的に「皺が増えた」だの「血流量が増えた」ことを「頭が良くなった」などと扇動すべきではない。
大脳皮質の皺というのは皮質自体の量と比例するはずであるが、頭の良さというのは量で決定するようなものではない。通り魔の脳容積が少ないとか、ノーベル賞受賞者の脳容積が多いといった証拠はなく、容積だの処理速度といった断片的現象だけを取り上げて「頭が良くなった。」などと言うべきではない。
瞬間記憶能力を向上させたチンパンジーの脳においても大脳の皺が増えている可能性は高い。それを短絡的に「頭が良くなった。」とは言うことが出来ないのである。大脳の大部分は無意識機能を司るものであり、機械的条件反射を動物的行動学習しているだけである。考え方を変えれば無意識的条件反射行動を無駄に行動学習しているだけの可能性も否定できないのである。
事実、オウム真理教では瞑想を修行として行っており、瞑想の危険性も否定出来ないのである。
技術的に困難を伴う毒ガス製造が可能であるなら、恐らく脳の皺も多いのかも知れない。それのどこが「頭が良い」と言えるであろうか。
脳の皺の増加を短絡的に「頭が良くなった。」などと大衆迎合的にウケ狙いで垂れ流すマスコミは無責任である。権威に検証して貰ったからといってそれが短絡に科学的な裏付けになると思ったら大間違いである。現在の脳科学界は生物学における結果と目的の区別も出来ないバカの集団であるため、脳科学者達には科学的検証は出来ないものであると考えるべきである。
偏差値の高い無差別殺人犯の脳の皺も恐らく多いのではないだろうか、抽象化された報酬「エサ」に対する条件反射的な行動学習(中毒症状)によって獲得した無意識機能であれば、チンパンジーの瞬間記憶のような暴走的集中力を発揮するものである。無意識的な特定能力の暴走的行動学習によって大脳容積が増えても、これは反ってバカになっている可能性が高い。
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