○許容量。
幼少期に他者とのコミュニケーションに苦痛を感じてしまえば、コミュニケーション自体への意欲を喪失してしまうであろう。
更に他人との比較によって、あたかも言語学習の遅れを指摘されることによって、言語学習自体を「諦め」てしまい、一種の心的外傷として行動「学習」してしまうことに陥る。
コミュニケーション能力に限らず、何でも他者と比較したりせずに当人の自発的意欲を伸ばすことを優先すべきであって。やたらと他者との比較による強迫観念的にあらゆる勉強を「強いて勉める」的に強制するからバカが増えるのである。
個人の主体的意欲があれば、自ずと自然に言語学習も出来るようなるはずである。短所を指摘することより長所を伸ばす教育をすべきなのである。短所長所というのは先天的な要素も少なくない、生れつき苦手なことを他者との比較を根拠に平均値にならすというのは、個人の長所を喪失させるだけである。
「3人寄れば文殊の知恵」などと言うが、3人共能力が同じであれば「烏合の衆」に過ぎない。あくまでそれぞれに能力の違いや個性が存在してこその他者との協調に意味があるのであって、ただ強迫観念的に他者との比較競争をしても意味がない。
日本人は他者との違いを認める大人の許容量が少な過ぎるのである。これも無意識的な観念に基づく強迫観念がヒトから許容量を喪失させている結果である。
Ende;