いや、おいらは嘘をついたり他人の話を無視したりする心理の原因究明が目的であって、サンプルとしての病理医ちゃんを誹謗中傷したいわけじゃないのよ。
病理医ちゃん「みたいな」排除差別発言をするヒトって、ヘイトスピーチとかイジメとか、普遍的(結果としてのね。)にどこにでも見られるものなので。そこに共通する心理構造を解明するのが目的なのよ。
別においらが病理医ちゃんにDisられたからって、そんなもんは「おいらが主観的に気分が悪い」だけなので、どうでもいいって言ってるんだけど、そこは理解しないのね。
人体ピラミッドで悪名高い吉野よしろう教諭「みたい」に、自分の観念を絶対だと信じ込んで、自分の主観的な気分に都合の悪い話を全く聞き入れないヒトに共通の構造を論じているんであって、そこに対する論理的反証説明とか、そういうのを全くしないで科学的議論もすったくれもないんですけどね。
病理医ちゃん「みたいな」ヒトに見られる普遍的な傾向性を論じることが科学的ではないって言い張って、どこぞの病理医ちゃんが提起した命題に則った閉鎖的なご機嫌取り議論が科学的だって言うんだろうか。
そういうトンチンカンな話要らないです。
なんだろ、自称法学生にとっても気分が悪い話だから観念的に否定したいだけなんじゃなかろか。
仮説に過ぎないっていうのであれば、きちんとした反証説明をしないと仮説に過ぎないことの証明にすらならないよ。
そこはがんばれ。
実はおいらの端末だとTwitterの動作が時折おかしくて、急に動かなくなることがあるのでブログに書いている。
ブログ上でもそんなに安定しないので、メモ帳に文章書いてコピペしているのです。
さらに言うとメモ帳も安定させるのにコツが要る。
◇追記:
特定個人が提起した命題に則った議論しか出来ないといった特殊なルールに基づいた議論から導き出される結論には普遍性がありません。
それは単なる気分的満足感のための身勝手な妄想にしかならないからです。
イジメとかヘイトスピーチといったものも、その集団内部では同じ構造があって。普遍的な価値観を無視して排他性を発揮することで、気分感情を満足させることが目的になっているからです。
素人目には科学的議論のように「見える」のかも知れませんけど、基礎医学だとか言いながら特殊なルール上でしか議論してはいけない議論にどうして科学的普遍性があると言うのでしょうか。
ま、この辺りは興味のない人にはわかんないのかな。
従来の進化生物学的こじつけ論法なんかも、特殊なルールに基づいた議論しかされていなかった典型です。ですからこういった議論からは普遍性を持った科学的議論として成立しないのです。
特定個人のルールに則って間違った土台(進化生物学的こじつけ論法)の上で議論している可能性が高いと判断して、「進化生物学的こじつけ論法は間違いですよ。」って説明したんですよ。
○ヒヤリ、ハッと。
それに対して病理医の偏ったルールに基づいた議論は都合が悪いもんだから
やはり素人考えでしたね。こんなブロ グを出してくるなんて論外です。現在学術の 世界できちんと議題にあがっている内容を、 reviewのついた論文で論じるならまだし も……。聞きかじりで恥を書き続けるのはお やめになったらよいと思います。もう話しか けなくていいですよ。
といった拒絶反応が来ました。
進化生物学的こじつけ論法が間違いであることは、既に「学術世界中できちんと議題にあがっている内容。」であるにも関わらず、病理医は頭ごなしに否定しており。病理医はそれを知らなかったことが証明されています。
にも関わらず、その後から「結果と目的の区別がついていた」かのような取り繕いをしているわけです。
嘘ついているのが立証されているのです。
ってな風に病理医の嘘を説明すればするほど、病理医の立場は悪くなる一方なので、法学部4年生が論理的反証もなしに弁護したつもりになっても、病理医の嘘が拡散されるだけなんですけどね。
病理医が私に嘘をついたからといって、何か具体的に損害の類が出ているわけでもないので、単においらが主観的に気分が悪いだけですから、それはどうでも良いんです。
問題なのは、こうした嘘とか閉鎖的議論を普遍性のある科学的議論だと勘違いしているヒトの心理構造を分析することであって。それは科学的に普遍性を持った議論として成立し得るわけです。
繰り返しますけど、病理医は検証サンプルに過ぎないのです。(個人的感情も時折入るけど、それはドローだよ。殴り合いに意味はないです。)
失敗学とか危険学の考え方に基づけば、「悪者探しをして罰を与える」だけの刑法懲罰感情論こそが、過失の原因究明にとって最も害になるものであって。懲罰感情を短絡的に正義か何かと勘違いしたままだから「原発事故に逮捕者がいないのはおかしい。」という話になってしまうのです。原発事故の本当の原因究明は、まだ途中中断しているだけであって、終わってなんかいません。
懲罰感情というのは、ヒトという種の生物の脳に先天的に組み込まれた感情(行動バイアス)に過ぎません。
ヒトが暴力で最終解決を図ろうとする短絡性というのは、こうした先天的な習性の結果であって。懲罰感情のままに短絡的に「悪者探しをして、罰を与えときゃ解決だ。」という錯覚こそが、ヒトの暴力性とか差別排除の原因でもあるのです。
なんだろ、法学部っていうのは刑法罰などの道具の使い方ばっかり習っていて、社会安全性とか持続可能性に対する配慮とかは習わないのかしら。 っていうか、自称法学部4年生ってのが嘘としか思えないんだけど。法律を学んでいるにしては議論が雑過ぎるもの。
法学上においては判決さえ出れば解決だと見なすんだろうけども、それって制度(手続き)上での話でしかないですから。
そこわかってない人って多いのかしら。法学部で習わないの?。だとしたら大問題なんじゃないのかしら。
社会にとって本当に重要なのは、刑罰科料の決定とか、罰の重さという基準なんかじゃなくて。ヒトという種の生物がどうして犯罪をしてしまうのかという普遍性を持った分析によって原因を究明し、再発防止のために社会にフィードバックすることなはずなのよ。 でもそれは現在の司法制度の中には組み込まれていない。
ヒトという種の生物は、長く続いていることに観念的安心感を抱くと同時に、それを喪失することに対しても不安や恐怖を抱くようになります。ですから、「刑法懲罰に社会的価値はない。」なんて話を持ち出すと反射的に拒絶反応を示す人は少なくありません。
法律家の多くは、「法の支配」とか「法律さえ守らせておけば治安が守られる。」という観念に囚われ、法律というものが絶対的正義か何かと勘違いしているフシがあります。 自分が専門で取り扱っている分野だから事後正当化的に絶対的なものでなければ気分が悪いというバイアスがそうさせているのでしょう。
それって「基礎医学」だと称して普遍性のない議論をしている病理医と同じ精神構造じゃないんですか?。
こうした集団組織内部の特殊な偏った正義を振り回す性質こそが、原発の危険性を放置したり、人種差別とかイジメとかを引き起こす原因だと考えられるのです。 反論反証があればどうぞ。
論理的な反証反論なしに「仮説に過ぎない」と言い張ることなんてのは、むしろ「論理的根拠のない仮説。」にしかなっていないんですよ。 その方がより非科学的だってことに気付いてください。 それが出来ないのに科学的議論もすったくれもあったもんじゃありませんよ。
Ende;
病理医ちゃん「みたいな」排除差別発言をするヒトって、ヘイトスピーチとかイジメとか、普遍的(結果としてのね。)にどこにでも見られるものなので。そこに共通する心理構造を解明するのが目的なのよ。
別においらが病理医ちゃんにDisられたからって、そんなもんは「おいらが主観的に気分が悪い」だけなので、どうでもいいって言ってるんだけど、そこは理解しないのね。
人体ピラミッドで悪名高い吉野よしろう教諭「みたい」に、自分の観念を絶対だと信じ込んで、自分の主観的な気分に都合の悪い話を全く聞き入れないヒトに共通の構造を論じているんであって、そこに対する論理的反証説明とか、そういうのを全くしないで科学的議論もすったくれもないんですけどね。
病理医ちゃん「みたいな」ヒトに見られる普遍的な傾向性を論じることが科学的ではないって言い張って、どこぞの病理医ちゃんが提起した命題に則った閉鎖的なご機嫌取り議論が科学的だって言うんだろうか。
そういうトンチンカンな話要らないです。
なんだろ、自称法学生にとっても気分が悪い話だから観念的に否定したいだけなんじゃなかろか。
仮説に過ぎないっていうのであれば、きちんとした反証説明をしないと仮説に過ぎないことの証明にすらならないよ。
そこはがんばれ。
実はおいらの端末だとTwitterの動作が時折おかしくて、急に動かなくなることがあるのでブログに書いている。
ブログ上でもそんなに安定しないので、メモ帳に文章書いてコピペしているのです。
さらに言うとメモ帳も安定させるのにコツが要る。
◇追記:
特定個人が提起した命題に則った議論しか出来ないといった特殊なルールに基づいた議論から導き出される結論には普遍性がありません。
それは単なる気分的満足感のための身勝手な妄想にしかならないからです。
イジメとかヘイトスピーチといったものも、その集団内部では同じ構造があって。普遍的な価値観を無視して排他性を発揮することで、気分感情を満足させることが目的になっているからです。
素人目には科学的議論のように「見える」のかも知れませんけど、基礎医学だとか言いながら特殊なルール上でしか議論してはいけない議論にどうして科学的普遍性があると言うのでしょうか。
ま、この辺りは興味のない人にはわかんないのかな。
従来の進化生物学的こじつけ論法なんかも、特殊なルールに基づいた議論しかされていなかった典型です。ですからこういった議論からは普遍性を持った科学的議論として成立しないのです。
特定個人のルールに則って間違った土台(進化生物学的こじつけ論法)の上で議論している可能性が高いと判断して、「進化生物学的こじつけ論法は間違いですよ。」って説明したんですよ。
○ヒヤリ、ハッと。
それに対して病理医の偏ったルールに基づいた議論は都合が悪いもんだから
やはり素人考えでしたね。こんなブロ グを出してくるなんて論外です。現在学術の 世界できちんと議題にあがっている内容を、 reviewのついた論文で論じるならまだし も……。聞きかじりで恥を書き続けるのはお やめになったらよいと思います。もう話しか けなくていいですよ。
といった拒絶反応が来ました。
進化生物学的こじつけ論法が間違いであることは、既に「学術世界中できちんと議題にあがっている内容。」であるにも関わらず、病理医は頭ごなしに否定しており。病理医はそれを知らなかったことが証明されています。
にも関わらず、その後から「結果と目的の区別がついていた」かのような取り繕いをしているわけです。
嘘ついているのが立証されているのです。
ってな風に病理医の嘘を説明すればするほど、病理医の立場は悪くなる一方なので、法学部4年生が論理的反証もなしに弁護したつもりになっても、病理医の嘘が拡散されるだけなんですけどね。
病理医が私に嘘をついたからといって、何か具体的に損害の類が出ているわけでもないので、単においらが主観的に気分が悪いだけですから、それはどうでも良いんです。
問題なのは、こうした嘘とか閉鎖的議論を普遍性のある科学的議論だと勘違いしているヒトの心理構造を分析することであって。それは科学的に普遍性を持った議論として成立し得るわけです。
繰り返しますけど、病理医は検証サンプルに過ぎないのです。(個人的感情も時折入るけど、それはドローだよ。殴り合いに意味はないです。)
失敗学とか危険学の考え方に基づけば、「悪者探しをして罰を与える」だけの刑法懲罰感情論こそが、過失の原因究明にとって最も害になるものであって。懲罰感情を短絡的に正義か何かと勘違いしたままだから「原発事故に逮捕者がいないのはおかしい。」という話になってしまうのです。原発事故の本当の原因究明は、まだ途中中断しているだけであって、終わってなんかいません。
懲罰感情というのは、ヒトという種の生物の脳に先天的に組み込まれた感情(行動バイアス)に過ぎません。
ヒトが暴力で最終解決を図ろうとする短絡性というのは、こうした先天的な習性の結果であって。懲罰感情のままに短絡的に「悪者探しをして、罰を与えときゃ解決だ。」という錯覚こそが、ヒトの暴力性とか差別排除の原因でもあるのです。
なんだろ、法学部っていうのは刑法罰などの道具の使い方ばっかり習っていて、社会安全性とか持続可能性に対する配慮とかは習わないのかしら。 っていうか、自称法学部4年生ってのが嘘としか思えないんだけど。法律を学んでいるにしては議論が雑過ぎるもの。
法学上においては判決さえ出れば解決だと見なすんだろうけども、それって制度(手続き)上での話でしかないですから。
そこわかってない人って多いのかしら。法学部で習わないの?。だとしたら大問題なんじゃないのかしら。
社会にとって本当に重要なのは、刑罰科料の決定とか、罰の重さという基準なんかじゃなくて。ヒトという種の生物がどうして犯罪をしてしまうのかという普遍性を持った分析によって原因を究明し、再発防止のために社会にフィードバックすることなはずなのよ。 でもそれは現在の司法制度の中には組み込まれていない。
ヒトという種の生物は、長く続いていることに観念的安心感を抱くと同時に、それを喪失することに対しても不安や恐怖を抱くようになります。ですから、「刑法懲罰に社会的価値はない。」なんて話を持ち出すと反射的に拒絶反応を示す人は少なくありません。
法律家の多くは、「法の支配」とか「法律さえ守らせておけば治安が守られる。」という観念に囚われ、法律というものが絶対的正義か何かと勘違いしているフシがあります。 自分が専門で取り扱っている分野だから事後正当化的に絶対的なものでなければ気分が悪いというバイアスがそうさせているのでしょう。
それって「基礎医学」だと称して普遍性のない議論をしている病理医と同じ精神構造じゃないんですか?。
こうした集団組織内部の特殊な偏った正義を振り回す性質こそが、原発の危険性を放置したり、人種差別とかイジメとかを引き起こす原因だと考えられるのです。 反論反証があればどうぞ。
論理的な反証反論なしに「仮説に過ぎない」と言い張ることなんてのは、むしろ「論理的根拠のない仮説。」にしかなっていないんですよ。 その方がより非科学的だってことに気付いてください。 それが出来ないのに科学的議論もすったくれもあったもんじゃありませんよ。
Ende;