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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

犬。

2011年03月28日 23時44分23秒 | 意識論関連
 先程、NHK教育で「犬学。」という番組をやっていた。「犬。」である「大。」ではない。

 イヌは飼い主や、他者からの視線に敏感であるという。

 一般的に言われる「自意識。」という概念は、他者からに視線に対する反射的な無意識のことである。

 「他人からの見た目。」こそが自分の意識の本質で、それ以外は自分の意識ではないという理屈は。要するに自発的な自律判断が存在しない者だけに特有の概念である。

 イヌの場合、他者からの視線なしに自制することが困難であるという。逆に言うと、他者からの視線に執着するということでもある。


 飼い主との信頼関係において。双方の大脳辺縁系の一部である「視床下部。」から分泌される「オキシトシン。」という物質によって、双方の情動的な信頼関係が結ばれるというのである。

 イヌにおける信頼関係というものは、基本的に盲目である。特定の対象に対する異常なまでの執着によって、必死になって媚び従い。疑うことをしない。そのため爆弾を背負わせて敵の車両に「特攻。」させることも可能である。

 ヤクザに見られる「鉄砲玉。」や、テロリズムに見られる「自爆。」なども、「特攻。」の一種であろう。

 太平洋戦争において、日本は英米からの迫害を受けていたわけではない。従って、パレスチナ人の自爆攻撃と同列に扱うのも、事情が異なる。にも関わらず、盲目的に自爆特攻を受け入れた日本人の民族性とは、現実には特に迫害などを受けてもいない相手に対して、言葉だけで洗脳されて盲目化する程の従順さを持っている。

 「言葉の力。」などという話を、文系の人間は好む。あらゆる「力。」は、その使途、方向性を制御する意思なくして意味を持たない。ルワンダの虐殺も、ラジオ放送による「言葉の力。」の暴走によって引き起こされたのである。

 「力。」それ自体を信仰するのは、何も考えたくない文系の人間特有の観念である。

 「勇気がわく。」だの「元気が出る。」などの気分の問題にすりかえたがるのが文系の特徴である。気分が乗らないと何もしたくないケダモノみたいな奴らが文系というものである。

 文系の人間というのは、物理学への理解はしたがらないのだが。生物学に関しては「わかる。」と言う。それは従来の生物学における結果と目的を混同した観念との親和性によるものである。

 何も考えずに、無為無策な情動行動の結果に対し。事後追認的なこじつけを正当化できる従来の生物学のパラダイムというものが。理論的に考えることの苦手な文系の人間にとって感情的に「楽。」なのである。






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