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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

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2013年05月02日 15時06分29秒 | 意識論関連


 社会心理学者達がこぞって立証したがる「利他的行動結果」というのは、大衆ウケの良いご都合主義的なヒトという種の生物種自体の正当化に過ぎず、ヒトが人間足りうるためには何が必要であるかを無視した大衆迎合に過ぎず。科学としての社会的役割を放棄している。

 ヒトでありさえすれば常に絶対に人間としての行動を採るわけではないことは自明であり、ヒトという種の生物種自体を正当化すること自体が原理的に不可能なのである。

 ヒトの脳というのは進化の過程において論理検証を行い自律的に社会的責任判断をするような進化過程を経ておらず。中世近代の暴力を用いた覇権争いをしていたヒトと現代のヒトとの間に、進化生物的な変化をもたらすためには数百年程度ではあまりに短過ぎ、進化生物学的には何ら変化しているとは言えない。

 ヒトの多くは社会的責任よりも個体の生存にとって有利な選択を採るものである。組織的統率行動というものも、結果的に個体の生存にとって有利に働く可能性は極めて高く、シエラレオネの少年ゲリラのような組織的統率は結果的には「個体の生存。」にとっては有利なのである。

 断片的に集団内部における利他的行動によって、集団の存続維持を結果的にもたらしたとしても。これがその種の生物の環境との調和可能性の論証にもならない。

 ウニとサンゴモの共生関係が沿岸の砂漠化を促すことからも、断片的共生関係は環境持続可能性とは直結しない。

 振り込め詐欺師集団が、その内部での統率協調性を発揮し、集団の存続だの個体の生存だの種の保存に適したとしても、これが短絡的に社会の持続可能性や安全性には全くならないのと同じである。

 断片的立証だけでヒトの「人間としての社会性」を立証したかのように言い張るあらゆる研究者達は、科学者としてポンコツと言わざるを得ない。

 本気でヒトの無意識性の危険性について検証考察しない時点で、人間としても出来損ないである。



Ende;

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