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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

脳内部での現象論。

2012年01月14日 19時04分54秒 | 意識論関連
 脳地図上での領野特定云々の話で、前の記事に「前頭前野を中心として脳全体の活性。」が本質的意識機能と関連するのではないかって書いたんだけど。

 そういえば性行為中の脳は脳全体の活性が見られる。

 論理的に何かを考えている時に、こうした脳全体の活性が起こるような興奮状態にはならないのではないか。

 どうも脳活性云々という現象からは本質的な意識機能状態を観測するのは、そう簡単には抽出できないのではないかと思う。

 そもそも、「教えられたこと以外に気付く。」とか、「教えられたことの論理的間違いに気付く。」こと自体が非常に稀で、この状態の脳を観測するのは極めて困難であろう。

 それこそノーベル賞を獲得するような大発見というのは極めて稀な現象であるから、こうした稀な現象において脳の活性がどのような状態であるかを観測することはとんでもなく困難であろう。

 脳の特定部位活性の観測といものも、結局は脳内部での現象論でしかないので。心理学的アプローチであっても脳科学的アプローチであっても、それぞれの長所がある。決して脳内活性部位だけでしか意識機能が特定不可能であるかのような観念を持つべきではない。

 むしろ、脳内の特定部位活性というのは、動物的な行動を促すために進化的に獲得した機能であると考えるべきであり。こうしたシーケンシャルな脳の活性からは人間としての脳の使い方、人間としての知能、人間としての自律的社会的責任選択というものを抽出することは反って難しいと思われる。

 自律的に社会的責任選択をする人と、そうでないヒトとの違いを観測するには。脳内部の活性部位の特定よりも、むしろ実際の行動価値観といった、物理的ではない検証方法の方が有効なのではないか。

 MRIなどの物理的観測からは、アイヒマン実験以上に意識の重要性について論じられるような成果は全く上がっておらず、ただ脳科学者達による勝手な決めつけしか出て来ないからである。

 脳活性云々という現象をいくら枚挙しても、具体的に人間としての行動責任に言及可能な成果など全く抽出されてこないのである。そもそも脳トレ類における脳活性はテレビゲーム程度の効果しかなかったことが立証されてしまっているのである。脳活性という現象に対してあまり過剰な期待をするべきではない。

 むしろ、脳内部において特定可能な部位が観測可能であるという、その条件反射的な無意識的思考パタンこそが人間としての知能を阻害していると考えるべきであって。「前頭前野の活性=意識。」といった短絡的な帰結を鵜呑みにすべきではない。

 そもそも現在の脳科学者達は、生物学における根本的間違いについて誰も言及してこなかったポンコツだらけであることを認識すべきである。こいつらに任せておいても本質的な人間の知能や意識といったものに対しての論理的考察はできないと考えるべきである。

 脳内部の現象を観測することで、あたかも脳の活動自体を「直接。」観測したような錯覚に陥って。これを「実証。」だと言い張るようなバカが脳科学者の代表みたいに扱われているのが現状である。こいつらを権威であると錯覚してアテにしてはいけない。澤口俊之の言っていることには論理整合性とか論理検証性といったものが欠落しているのである。そもそも澤口は養老孟司を「理解できないが、素晴らしい。」とか言っていたバカでしかないのである。あんなものは「ホンマでっかTV。」とかでさらしものにでもしておけばよろしい。あんな番組に出ていること自体が大衆迎合でしかないのである。

end;

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