○北野武。
北野武のように、大衆観念に則って「日本の文化」云々を論じていれば大衆からウケるのは当たり前である。こうした手口は養老孟司のそれと全く同じものである。
「文武両道」だの「小笠原流」だのといった、如何にも大衆にウケそうな話をしていれば無思考な大衆の脳を酔わせることは簡単である。
そもそも日本の文化こそが太平洋戦争における暴走を引き起こしたのであって、無反省にも程ががある。
北野だの養老というのは、多数派への迎合による多数からの評価が目的であって、統合的論理検証による合理性のある話をすることはない。論理整合性がないということは無責任と同義であることを忘れるべきではない。北野だの養老というのは自分の発言が間違っていたとしても、「自分の言っていることを信用信頼したお前らがバカだ。」などと言い逃れするつもりである。占い師の細木数子が「占い師の言うことなんて真に受けるんじゃないわよ。」などと言うのも同じことである。
どんなに芸術分野での評価があるとしても、芸術というのは無責任な気分的気晴らしに過ぎない。気晴らしという気分的満足安心というのは所詮精神的ガス抜きに過ぎず、そんなものが長期的持続可能性や安全性の証明には全くならないのである。
むしろ無責任な大衆迎合を鵜呑みにしているからこそ、効果的実効性のある論理的根拠を持った原因究明や再発防止が全く進まないのである。子供に柔道や踊りを強要してもイジメが減る合理的根拠など全くないのである。あまりにバカげていてウンザリさせられる。
北野自身が述べるように、どんなに優れた芸術作品を作りだしても、戦争や犯罪が減る影響を及ぼすわけではない。多数大衆からの観念的評価をどんなに得ても、社会安全性には無関係なのである。
どんなに気分的に満足しても安全性が確立されるわけではないのである。
Ende;