ネアンデルタール人は絶滅したと言われているんだけど
それが「ホモサピエンスの方が生存に適していたから全ての面において優秀だ。」という論証にはならない
生きていさえすれば全てが正当化出来るというのであれば「戦争で勝ち残りさえすれば人間性まで保証された」ことには全くならないからだ
実際野生動物というのは一定の凶暴さを持つことによって捕食や繁殖が成功するのであって、野生環境下においては凶暴さを抜きにして生存が成立しない以上 生存さえしていれば自動的に人間性が先天的に組み込まれるメカニズム構造など存在しない
先天的に仲間内だけに利他的行動を採る習性があったとしても それこそが社会的責任判断を不具にする原因にもなることは今まで何度も述べてきたはずである
人類の絶滅可能性の原因とは 主にヒトの先天的欲望の暴走に因るものであり ヒトという種の生物の「個体にとって有利な行動」だけを求めているからこそ地球環境を破壊してしまう程の繁殖や資源の喰い尽くしを招いてしまう
「現代文明社会を築いて繁栄した」ことが全面的に正しいとは言うことは出来ず むしろ過剰な異常繁殖によって地球環境を食い尽くしてしまったのでは大局的には生存には適さないのである
野生環境下においては 食物連鎖という弱い生物に対する危害によってのみ成立しているのであって ヒトがこうした野生環境から逃れて人工的に生存環境を構築することによって自然淘汰圧力を免れた結果 地球環境まで喰い尽くす程の異常繁殖を招いた
もちろん だからといって「現代文明の全てを放棄して野生の食物連鎖を受け入れろ」と言うわけではなく 地球環境との調和構造を人工環境の中に新たに構築することによって持続可能性を維持しなければ「種の存続」にすら適さないのである
ジャレド:ダイアモンドは「これからも人類は進化する。」と述べたが 残念ながらヒトは人工環境を構築することによって自然淘汰圧力を免れた以上、遺伝的進化を促すことはない
遺伝的な進化というものは、例えば草食動物の足が速くなったのは 天敵から逃げ出し続けた結果足の遅い個体が淘汰された結果であり どんなに仲間が天敵に喰われようとも何の工夫も対策もしない頭の悪さによって淘汰圧力を数万年以上にも渡って受け続けなければ遺伝的には進化を促すことはない
要約すれば 「バカじゃないと遺伝的には進化しない」のである
ヒトの知能が発達したのは あくまで生存にとって有利に働いた「結果」であって 決して「知能を高めよう」といった「目的」に則って遺伝的進化を能動積極的に「した」わけではない
遺伝的進化というのは個体の意図目的とは無関係に起きるものだからである
人間性を欠いた嘘や集団組織的暴力を用いても 人工環境下において「生存」に有利に働く
それなら結果的「生存」さえしていれば人間性が先天的に組み込まれる保証は何もない
ヒトには利他的行動習性が見られるのだが それゆえ自分が所属する集団組織にとってのみ有利で利己的な行動を採ることによって 非人道的かつ安全性の低い持続可能性のない行動選択をしてしまう原因ともなる
イジメにおいて大多数が傍観放置したり 暴力的で差別的な統率者に服従迎合するのは それが先天的本能習性だからであり それが進化過程において生存にとって有利に働いた「結果」であろう
戦争は人類全体の0.2%かも知れないが イジメの発生率はおそらく圧倒的多数であろう
SNS上においてもヘイトスピーチは非常に多く 政府に対する意見にまで差別促進が非常に多いのだという
これで本当にヒトという種の生物が知的生命体だと言えるであろうか
「戦争は人類の0.2%しかしていないことに気づけば戦争はなくなる」などという何の論理的根拠もない話で気分的に安心満足し その上「楽観的」かどうかなどという主観を持ち出し何の問題意識も持たずに権威や多数の意見を漫然と鵜呑みにしていて どうして知的生命体だと言えるのであろうか
誰も何にも「考え」てねぇじゃねぇか
そこにあるのは単なる「思い」込みだけだろ
ヒトという種の生物は 先天的には認知機能に問題がある痴的生命体である だが先天的な欠陥に起因する錯覚妄想は論理検証によって錯覚妄想であると自覚認識出来れば人間としての知能を獲得することは可能である
ところが現状の教育制度というのは 単なる世間的な成功ばかりを目的とした学力偏差値競争にしかなっておらず そもそも学力偏差値や学位学歴といったものが人間としての本質的知能とは無関係であることすら認識していない
認知科学的にも学力成績は知能の本質とは無関係であることが証明されており 学力成績がどんなに高くても その学力成績の大半は学力成績という抽象化されたエサ(脳への報酬)欲しさの条件反射的な鵜呑みばかりを促すため 教えられた内容が本当に正しいのかどうかを自律的に論理検証する者はほぼ皆無である
哲学界や生物学界における論理検証性の著しい欠落の原因は バカ教師に成績と引き換えに教えられた内容をバカみたいに鵜呑みにして教えられた通りに答えることでしか成績として認めてもらえないからであり 何も自律的には論理検証しないバカでないと哲学界や生物学界では権威として認められないからである
更に言えば 論理的思考の苦手な文科系大衆観念に染まったマスコミ報道が バカ大学教授の言っている内容を何の論理検証もせずに「素晴らしい」などという主観的形容詞によって持ち上げるだけで 何の批判精神も働かずに傍観放置することによって 教育機関におけるバカ体制が維持され続けてしまっているのである
生物学者や社会心理学者が「ヒトという種の生物には、先天的に人間性が組み込まれている。」などと言い出せば 大衆マスコミは「素晴らしい」などという主観的形容詞でもてはやし 何の疑問も持たずに鵜呑みにして安心満足する
その主観的安心満足こそがヒトの先天的な欠陥である「論理検証性の欠落」の最大要因であることは オイラ以外ほとんど誰も指摘しない
松沢哲郎の文化功労賞だとか ジャレド:ダイアモンドのピュリッツア賞などというものは 論理科学的に内容を精査して与えられたものではなく むしろ大衆迎合的人気を評価基準にしたものに過ぎない
理詰めで徹底的に論理検証することを避け 「楽観的」などという主観を科学に持ち込むように誘導することによって 科学を逸脱していることを撹乱しているのである
もちろん 単なる論理武装によって「俺様の方が知的に優位に立っている」かのような気分的満足で思考停止しているのでは話にならないが だからといって誰彼構わず「対話」によって大衆迎合的に話を丸めていたのでは科学を逸脱してしまう
これは決して「バランス」の問題ではなく 意識の問題である
大衆迎合であれ論理武装であれ 目的が主観的満足だから意味がなくなるのであって 主観を排除した客観的論理検証にのみ科学的価値が存在するのである
オイラは別に頭が良いわけではない むしろ哲学界や生物学界の痴呆状態を指摘しているだけであって 決して知能的に優位なわけではない 決して論理的に理解することがむづかしいことを述べているわけではないからだ
過去に天才として扱われた人達であっても その業績を大多数の人が理解できたからこそ業績として認められたのであり それなら理解可能な誰が気付いてもおかしくはなかったのである
しかし 大多数の人は「言われてみれば理解することが可能」であるにも関わらず 自ら気付くことが出来ないから気付いた者を天才だと見なして扱うのであろう それは単に珍品希少価値に過ぎない
◇
歴史教育においても戦国時代の為政者を歴史の主役「英雄」扱いするのはおかしな話である
近代においては戦争暴力によって侵略することや封建的独裁は悪として扱っているにも関わらず 時代が戦国時代なら暴力的為政者だけを歴史の主役扱いするのは支離滅裂である
暴力的独裁為政者という点においてのみ評価するのであれば ナチス政権にも功績を認めることは可能である 高速道路の整備や工業の発展という「結果」だけを取り上げて功績だと言い張るのはあまりにも無責任な話であろう
しかし戦国時代の武将の場合 仲間内だけに有利な行動を採りさえすれば人格者であるかのように取り扱うことがしばしばある
これは文科系大衆観念的妄想錯覚以外の何物でもない
主観的に戦国武将などの中世の為政者を好きになっても構わないというのであれば ナチス独裁者のアドルフ:ヒトラーを好きになっても構わないという話になってしまうのである そんな話要らん
2018年ノーベル賞受賞者も「教科書を信じるな」と述べているように 教えられたことや多数派の意見を漫然と鵜呑みにせず 冷静に論理検証する気持ちを忘れるべきではない
これは 決して奇をてらった発想ではなく むしろ科学的論理検証においては普遍的に言えることなのである
科学的思考というのは社会安全性にとって重要な基礎であり 観念的妄想錯覚に起因する意味のない因習や危険行為を避けるために必要なスキルなのである
Ende;
それが「ホモサピエンスの方が生存に適していたから全ての面において優秀だ。」という論証にはならない
生きていさえすれば全てが正当化出来るというのであれば「戦争で勝ち残りさえすれば人間性まで保証された」ことには全くならないからだ
実際野生動物というのは一定の凶暴さを持つことによって捕食や繁殖が成功するのであって、野生環境下においては凶暴さを抜きにして生存が成立しない以上 生存さえしていれば自動的に人間性が先天的に組み込まれるメカニズム構造など存在しない
先天的に仲間内だけに利他的行動を採る習性があったとしても それこそが社会的責任判断を不具にする原因にもなることは今まで何度も述べてきたはずである
人類の絶滅可能性の原因とは 主にヒトの先天的欲望の暴走に因るものであり ヒトという種の生物の「個体にとって有利な行動」だけを求めているからこそ地球環境を破壊してしまう程の繁殖や資源の喰い尽くしを招いてしまう
「現代文明社会を築いて繁栄した」ことが全面的に正しいとは言うことは出来ず むしろ過剰な異常繁殖によって地球環境を食い尽くしてしまったのでは大局的には生存には適さないのである
野生環境下においては 食物連鎖という弱い生物に対する危害によってのみ成立しているのであって ヒトがこうした野生環境から逃れて人工的に生存環境を構築することによって自然淘汰圧力を免れた結果 地球環境まで喰い尽くす程の異常繁殖を招いた
もちろん だからといって「現代文明の全てを放棄して野生の食物連鎖を受け入れろ」と言うわけではなく 地球環境との調和構造を人工環境の中に新たに構築することによって持続可能性を維持しなければ「種の存続」にすら適さないのである
ジャレド:ダイアモンドは「これからも人類は進化する。」と述べたが 残念ながらヒトは人工環境を構築することによって自然淘汰圧力を免れた以上、遺伝的進化を促すことはない
遺伝的な進化というものは、例えば草食動物の足が速くなったのは 天敵から逃げ出し続けた結果足の遅い個体が淘汰された結果であり どんなに仲間が天敵に喰われようとも何の工夫も対策もしない頭の悪さによって淘汰圧力を数万年以上にも渡って受け続けなければ遺伝的には進化を促すことはない
要約すれば 「バカじゃないと遺伝的には進化しない」のである
ヒトの知能が発達したのは あくまで生存にとって有利に働いた「結果」であって 決して「知能を高めよう」といった「目的」に則って遺伝的進化を能動積極的に「した」わけではない
遺伝的進化というのは個体の意図目的とは無関係に起きるものだからである
人間性を欠いた嘘や集団組織的暴力を用いても 人工環境下において「生存」に有利に働く
それなら結果的「生存」さえしていれば人間性が先天的に組み込まれる保証は何もない
ヒトには利他的行動習性が見られるのだが それゆえ自分が所属する集団組織にとってのみ有利で利己的な行動を採ることによって 非人道的かつ安全性の低い持続可能性のない行動選択をしてしまう原因ともなる
イジメにおいて大多数が傍観放置したり 暴力的で差別的な統率者に服従迎合するのは それが先天的本能習性だからであり それが進化過程において生存にとって有利に働いた「結果」であろう
戦争は人類全体の0.2%かも知れないが イジメの発生率はおそらく圧倒的多数であろう
SNS上においてもヘイトスピーチは非常に多く 政府に対する意見にまで差別促進が非常に多いのだという
これで本当にヒトという種の生物が知的生命体だと言えるであろうか
「戦争は人類の0.2%しかしていないことに気づけば戦争はなくなる」などという何の論理的根拠もない話で気分的に安心満足し その上「楽観的」かどうかなどという主観を持ち出し何の問題意識も持たずに権威や多数の意見を漫然と鵜呑みにしていて どうして知的生命体だと言えるのであろうか
誰も何にも「考え」てねぇじゃねぇか
そこにあるのは単なる「思い」込みだけだろ
ヒトという種の生物は 先天的には認知機能に問題がある痴的生命体である だが先天的な欠陥に起因する錯覚妄想は論理検証によって錯覚妄想であると自覚認識出来れば人間としての知能を獲得することは可能である
ところが現状の教育制度というのは 単なる世間的な成功ばかりを目的とした学力偏差値競争にしかなっておらず そもそも学力偏差値や学位学歴といったものが人間としての本質的知能とは無関係であることすら認識していない
認知科学的にも学力成績は知能の本質とは無関係であることが証明されており 学力成績がどんなに高くても その学力成績の大半は学力成績という抽象化されたエサ(脳への報酬)欲しさの条件反射的な鵜呑みばかりを促すため 教えられた内容が本当に正しいのかどうかを自律的に論理検証する者はほぼ皆無である
哲学界や生物学界における論理検証性の著しい欠落の原因は バカ教師に成績と引き換えに教えられた内容をバカみたいに鵜呑みにして教えられた通りに答えることでしか成績として認めてもらえないからであり 何も自律的には論理検証しないバカでないと哲学界や生物学界では権威として認められないからである
更に言えば 論理的思考の苦手な文科系大衆観念に染まったマスコミ報道が バカ大学教授の言っている内容を何の論理検証もせずに「素晴らしい」などという主観的形容詞によって持ち上げるだけで 何の批判精神も働かずに傍観放置することによって 教育機関におけるバカ体制が維持され続けてしまっているのである
生物学者や社会心理学者が「ヒトという種の生物には、先天的に人間性が組み込まれている。」などと言い出せば 大衆マスコミは「素晴らしい」などという主観的形容詞でもてはやし 何の疑問も持たずに鵜呑みにして安心満足する
その主観的安心満足こそがヒトの先天的な欠陥である「論理検証性の欠落」の最大要因であることは オイラ以外ほとんど誰も指摘しない
松沢哲郎の文化功労賞だとか ジャレド:ダイアモンドのピュリッツア賞などというものは 論理科学的に内容を精査して与えられたものではなく むしろ大衆迎合的人気を評価基準にしたものに過ぎない
理詰めで徹底的に論理検証することを避け 「楽観的」などという主観を科学に持ち込むように誘導することによって 科学を逸脱していることを撹乱しているのである
もちろん 単なる論理武装によって「俺様の方が知的に優位に立っている」かのような気分的満足で思考停止しているのでは話にならないが だからといって誰彼構わず「対話」によって大衆迎合的に話を丸めていたのでは科学を逸脱してしまう
これは決して「バランス」の問題ではなく 意識の問題である
大衆迎合であれ論理武装であれ 目的が主観的満足だから意味がなくなるのであって 主観を排除した客観的論理検証にのみ科学的価値が存在するのである
オイラは別に頭が良いわけではない むしろ哲学界や生物学界の痴呆状態を指摘しているだけであって 決して知能的に優位なわけではない 決して論理的に理解することがむづかしいことを述べているわけではないからだ
過去に天才として扱われた人達であっても その業績を大多数の人が理解できたからこそ業績として認められたのであり それなら理解可能な誰が気付いてもおかしくはなかったのである
しかし 大多数の人は「言われてみれば理解することが可能」であるにも関わらず 自ら気付くことが出来ないから気付いた者を天才だと見なして扱うのであろう それは単に珍品希少価値に過ぎない
◇
歴史教育においても戦国時代の為政者を歴史の主役「英雄」扱いするのはおかしな話である
近代においては戦争暴力によって侵略することや封建的独裁は悪として扱っているにも関わらず 時代が戦国時代なら暴力的為政者だけを歴史の主役扱いするのは支離滅裂である
暴力的独裁為政者という点においてのみ評価するのであれば ナチス政権にも功績を認めることは可能である 高速道路の整備や工業の発展という「結果」だけを取り上げて功績だと言い張るのはあまりにも無責任な話であろう
しかし戦国時代の武将の場合 仲間内だけに有利な行動を採りさえすれば人格者であるかのように取り扱うことがしばしばある
これは文科系大衆観念的妄想錯覚以外の何物でもない
主観的に戦国武将などの中世の為政者を好きになっても構わないというのであれば ナチス独裁者のアドルフ:ヒトラーを好きになっても構わないという話になってしまうのである そんな話要らん
2018年ノーベル賞受賞者も「教科書を信じるな」と述べているように 教えられたことや多数派の意見を漫然と鵜呑みにせず 冷静に論理検証する気持ちを忘れるべきではない
これは 決して奇をてらった発想ではなく むしろ科学的論理検証においては普遍的に言えることなのである
科学的思考というのは社会安全性にとって重要な基礎であり 観念的妄想錯覚に起因する意味のない因習や危険行為を避けるために必要なスキルなのである
Ende;