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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

チューリングテストには根拠がない

2023年12月30日 23時33分13秒 | 意識論関連

チューリングテストには論理的根拠がない

そもそもアラン:チューリングというのは手続き型コンピューターの概念を作った人であって 現在のニューラルネットワークを用いたディープラーニングAIのことなど一切知らない人であって 現在のAIを云々語れるような時代の人ではない

チューリングテストというのは 「チャットのような会話をした場合に人間か機械か区別できなければ知能と言えるのではないか?」という論理的には「何の根拠もない予測(主観的感想)」でしかない

ヒトか機械かを判定するヒトそのものが一定の基準にもならず 家族か詐欺師かの区別すら儘ならぬヒトも後を絶たぬ以上は「ヒトが判別可能かどうか」自体が無意味である

たとえ電子工学に詳しい専門家であろうとも 「当人が区別できない」ことが論理客観的に知能であることの論証には全くならない

 

TBSの報道番組では未だにチューリングテストを鵜呑みにしているが 文科系のマスコミ記者なんてのは論理思考のできないバカしかおらんので 一向にバカが治らず論理的根拠のないデマを無責任に垂れ流している始末である

ChatGPTなどの生成AIというのは あくまで学習データに依存した「それっぽい解答」を割合的に算出しているに過ぎず 論理的に何かを理解し「考え」て答えを導き出しているわけではない

それはまるで教えられたことを教えられた通りに鵜呑みにする学力偏差値が高いだけのバカと同じで マスコミなんぞそんな奴ばっかりである

学習データ次第によっては 間違った学習データが大半を占めている場合には 数で押し切られて間違った答えを平気でしてくるのである

現在の進化生物学上では「生存戦略」などと称して進化が能動的に選択可能であるかのような科学的に間違った説明が大半を占めている現状においては AIもまた間違った内容を「正解」として導き出すものなのである

Microsoft社のTwitterAIが SNS上に数多溢れるヘイトスピーチを正解データとして「学習」してしまった結果ヘイトスピーチに同調賛同する形でヘイトスピーチを始めたのもメカニズムは同じである

ある企業では 採用にAIを導入した際に過去の採用データを「学習」させたことによって 女性に無条件な採用ハードルを課していたことが判明し 採用にAIを用いることを止めたこともある

それはまるで順天堂大学の入試で女子受験者に対して無条件な合格ハードルを課していたようなものであり それは「ヒトとAIのやることには違いがない」とは言える

AIが「ヒトという種の生物」と同じ判断をすることが「知能」であることの論証には全くならない

ヒトの大半は断じて「知的生命体」ではなく 大半は何も理解していない無能な「凡人」に過ぎない

ヒトの大半は自分では何一つ論理客観的に検証しないバカであり 先天的に認知的な重大欠陥を持っているが故に 未だに戦争などというバカげた「最終解決」に固執し他人に多大な迷惑をかけ続けているのである

 

学問というものは 学力偏差値競争によって就職に有利になるためのお受験ビジネスのためにあるわけではない

何が真理(本当のこと)で 何が間違っているのかを区別し 既存の「常識」の中から間違いや嘘を見抜き排除することによって 社会安全性や持続可能性といったものに寄与し社会に貢献するためのものである

「教わったことを 教わった通りに答える」だけの能力ばかりを知能だと「思って」信じて誰も疑わないからこそ 多くの仕事がAIで代替可能なのであり ヒトはバカが治らない

 

ヒトという種の生物は 主観的に好きな相手の言うことだけを信じようとする性質がある

主観的に気分が良くなる話をしてくる相手を「頭が良い」と決めつけ 主観的に気分の悪くなる話をしてくる相手の話は何の論理的根拠がなくても観念的猜疑心にとって有利な話だけを抽出してきて嘘だと決めつけるものである

イマヌエル:カントだの養老孟司だのを読んでおけば ヒトの大半は気分が良くなって真理か何かと勘違いし 「自分は頭が良くなった」と勝手に倒錯して満足するバカである

大卒者のほぼ100%は イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智界」などといった何一つ論理的根拠のないカントの勝手な決めつけを鵜呑みにしたバカである

どんなにヒトの多数がバカであるとしても 「バカであることこそが正常」であることの論拠には一切ならない

主観的安心満足を優先し 頭の悪さを治そうとしない大多数の無責任さこそが あらゆる「人災」の根源になっているのである

 

アラン:チューリングはまだしも 未だにマイケル:サンデルの「トロッコ問題」を倫理の話だと倒錯しているバカも大半である

「一人殺すか 2万人殺すか」を選んだところで倫理の話には一切ならない

トロッコ問題は倫理的責任とは無関係であり 単に「主観的に悩ましい」とか「何とかして答えを導きたいと主観的に思う」だけの話に過ぎない

「AIにトロッコ問題を解かせよう」とするバカもいるが 本当に重要なのは「誰かが死ぬような事態に陥らないようにすること」であって 誰かが死ぬような事態にまで陥ってからAI頼みにするというのは あまりに泥縄であり無責任というものである

明らかに優先順位がトチ狂っている

たとえ「福島の原発事故において放射能で死んだ人は一人もいない」からといって倫理的に許されることにもならないのであり「死んだ人数」は倫理と無関係である

運転開始から40年間 一度たりともアイソレーションコンデンサ(緊急炉心冷却装置)の試運転をしなかったことや 緊急用電源装置が地下に設置されたままバックアップを一切増設することすらしなかった杜撰さは 「津波を予測できなかった」かどうかとは全く無関係な話であり 原発事故が「人災」であることの反証にも一切ならない

こうした杜撰な企業体質というのは未だに柏崎刈羽において「因習」として続いており 腐敗組織を構成している個人の意識が全員変わらない限りは どんなに手続き的に「改善」させても決して「治る」ことはない

腐敗組織というものは 腐敗組織に唯々諾々と服従迎合忖度同調する個人によって作り出されるものであって そもそも腐敗組織集団というのは腐敗を傍観放置する無責任な個人が原因なのであって 機械手続き的に何かを「改善したつもり」になっても無駄である

組織を構成する個人の意識というものは 手続き的な罰則などによってどうにかなるものではなく たとえば中国では麻薬取締法違反は問答無用の極刑だが一向に麻薬犯罪は減らないのであり 意味がない

個人情報の取り扱いにおいていくら罰則を設けても 「バレなきゃ良いや」と思っている無責任なバカには何の意味もないのである

腐敗組織というのは 腐敗組織に同調した無責任な個人しか残っておらず 責任意識のある人は腐敗組織から全員逃げ出して「四国で農家に転職」しているようなものであり 形式的に手続き的「改善」をしても根本原因である個人の意識改善には一切ならない

日大が一向に良くならないのも 東電の体質が一向に改善しないのも 一度腐敗した組織には腐敗に迎合するようなクソ野郎しか残っていないからである

ミャンマー軍事政権やロシアのプーチン政権など 一度腐敗した組織というものは 腐敗に迎合同調忖度服従するようなクソ野郎によって腐敗体制が温存され続けているのであって

それは戦時中の日本の軍事政権体制やナチス政権でも同じことであり 民族国籍に関わらず「ヒトという種の生物」に普遍的に見られる「社会性」によって作り出される先天的習性としての盲目的服従性によるものであり

洗脳状態の兵隊の盲目性というのは 「忠誠忠実な服従こそが美徳だ」と主観的に陶酔しているからである

だから平気で人も殺せる無責任なバカになるのである

上官や上司の命令に従った結果 事態がどんなに悪化するとしても 責任は全て上官や上司が負ってくれるものだと勝手に信じ込むことによって 誰一人として自分の頭で物事の真偽を判断しなくなることで 盲目的洗脳は成立するのである

 

ヒトという種の生物は 先天的には殺し合いによって環境資源の奪い合い競争を勝ち抜いた人種への淘汰の結果である

遺伝的進化というものは 所詮そういう理不尽なものである

だから差別や序列や集団的殺し合いが先天的に本能として組み込まれているのであって 本能的情動というものが選択不可能は無意識であることを自覚し 理性によって「本当に望むべきもの」が何かを選択しないことには人間性も倫理もスッタクレもないのである

 

フォートナイトのような殺人ゲームに人気があるのも 野球やサッカーのようなチーム戦による勝敗に熱狂するのも 先天的本能としてそれが快感だからであり それこそが動物としての「社会性」としての情動行動バイアスだからである

「組織的協調行動さえ採れば人間性だ」といった都合の良い解釈をしておいた方が気分が良いのかも知れないが それはあらゆる組織腐敗の形成をも「人間性」として認めることになるのである

何一つ論理客観的反証反論もないにも関わらず 「少数異端である」というだけで無視され続けているのが本論である

「自分達は絶対に間違っていない」と主張するのであれば 論理客観的反証や論拠が必要である

本論を無視し続けた結果 どれだけ回避可能な危険が回避できなかったとしても私の知ったことではない それは私の責任の範疇ではないからである

多数による無責任によって事態が悪化したとしても 多数によって責任が薄まるわけでもなければ 誰かに責任をなすりつけることもできないのである

多数による無責任に関しては もはや私にどうこうできるようなものではない

この世のバカのいちいちを面倒看ている程 私は暇ではない

 

 


Ende;


諸野祐樹

2023年11月13日 01時04分57秒 | 意識論関連

極限環境生物という分類は 地上において多く見られる生物との比較における分類であって 高熱菌にとっては高温に適応しているから高熱環境の方が生存に適しているのであり 別に「高熱環境に適応しよう」として適応したわけではないし そもそも「適応しよう」として自らの遺伝子を都合よく改変できるわけではない

微生物学者の諸野祐樹は「凄い」と形容していたが 「凄い」かどうかは主観であって 客観的論証とは無関係である

「極限環境微生物にインタビューができるのであれば なぜ生きているのかを訊いてみたい」とものべていたが ヒトであっても自分がなぜ生きているのかなど誰も論理的に答えることなどできないのであり 生きていること 生存しているのは結果であって目的があるわけではなく 「生存戦略」という概念がそもそも論理的根拠がない科学的デマや著しい誤謬である

「それがわかれば学者を辞めても良い」とも述べていたが 論理科学的に物事を考え判断できないならとっとと学者など辞めてしまえ 税金の無駄遣いにしかならん

「地上において多く見られる生物」を基準にしているから他の環境を特別な「極限環境」だと主観的に「思って」いるだけであって 偏った基準で物事を判断していることそのものが科学的判断から逸脱している

嫌気性細菌にとって大気中の酸素こそが猛毒であって 地球上での生物発生初期段階では大気中にはほとんど酸素がなかったのであり 初期の生物は無酸素環境で発生したのであって 藻類の発生に伴う排泄物としての大量の酸素を含む大気環境が地上の多くの生物相進化を促したとはいえ 「多い」ことが生物の「正常」状態であることの科学的論証には一切ならない

生物に寄生することでしか存続できないウイルスが「生物」であるのかどうかという議論があるが 生物の体内環境に適応したのがウイルスなどの寄生生物であって そもそも地球上の生物のほとんど全ては地球環境なしには存続できないのであり ライオンは西表島では存続できず 限られた生態系環境なしにはヒトであろうとウイルスであろうと同じことであって 断じて「自律的に存続可能」な生物など存在し得ない

地球大気圏外の放射線環境下においても死滅しないクマムシだろうがデイノコッカスラディオデュランスだろうが繁殖環境に戻さなければ繁殖不能であり 繁殖環境なしに到底「自律的に存続可能」とは言えない

 

「生物の起源」が火星であろうと地球であろうと 正直どうでも良い話である

そんなもんわかったところで糞の役にも立つことはない

ヒトという種の生物が遺伝的進化によって組み込まれた本能や習性によって非合理な暴力を「解決」だと倒錯する先天的な認知上の重大な欠陥を自覚認識することによって 地上からヒト同士の殺し合いを撲滅することの方が人類にっては最も重要である

そのために必要なのは遺伝的進化には目的も戦略も存在せず 遺伝的進化によって組み込まれているヒトの先天的本能習性というものが単なる「結果」に過ぎない「無意識」であることを理解認識することである

 

 

 

Ende;


嘘に気づかない構造

2023年10月02日 23時23分48秒 | 意識論関連

「○○のために進化した」という説明は 「〇〇のため」という目的に則った進化を選択可能であることを意味するものである

しかし 遺伝的進化というものは目的に基づいて進化を選べるようなものではなく あくまで偶発的 且つ 結果的に繁殖が継続可能だった現存生物をヒトが生物として分類しているに過ぎず

あらゆる生物や その遺伝的進化の全ては自然現象であり 目的も選択可能性も存在し得ない

どんなに数学の成績が良くても こうした極めて基本的な論理すらも誰も理解認識できないのであり 数学の成績は論理思考能力とは相関がない

 

例えば

セイバンモロコシの葉にガラス質のトゲが形成されているのは 「食べられないため」といった目的のためにセイバンモロコシが自らの遺伝子を都合よく改変させたわけではない

あらゆる生物は 後天的都合に基づいて自らの遺伝的変異を選ぶことなどできないからである

遺伝的変異は自然現象としてランダムに生ずるものであって 偶発的に葉にガラス質のトゲが生じた個体以外が草食獣によって駆逐されることによって淘汰圧力による収斂進化の結果である

「収斂進化」の説明では あたかも「哺乳類のイルカが魚類の姿に似てくる」ことだけを収斂進化であるかのように説明されている場合が多いが これは生物学者共による「はぐらかし」であり あらゆる遺伝的進化の全ては淘汰圧力による収斂によってもたらされるものである

草食獣の逃げ足が速くなる進化においても 逃げ足の遅い個体から天敵に喰われ淘汰されることによって 逃げ足の速い個体への収斂することによって生ずるものであり 淘汰圧力による収斂なくしてあらゆる遺伝的進化は生じることはない

単に変異が起きるだけではバリエーションが拡大するだけであって ヒトにバリエーション拡大が見られるのはヒトの社会の中では淘汰圧力がほとんど働かないためである

故に ヒトはここ数万年はほとんど遺伝的進化をしていないのである

 


伊集院光が笑い話として 「カニは数億年の進化によって強靭な殻やハサミを獲得したのに 美味しくならない進化はできていない」という話をしていた

あくまで「笑い話」「ギャグ」として言っていたのだが

そもそも捕食者が「美味しい」と感じるのは捕食者側の進化によるものであり 栄養豊富なカニを好んで食べる行動習性を促される上において「美味しい」と感じるように進化したのであって 「美味しい」かどうかはカニの都合ではない

好き好んで「おいしくなろう」とも「おいしくないようになろう」とも カニは選ぶことはできない

遺伝的変異によってカニの美味しさが正規分布的にバリエーションを拡大したとして どの程度美味しいかは食べてみるまでわからないものであって もしあんまり美味しくない変異種がいたとしても 生き残れる収斂進化のメカニズムもプロセスも存在しない以上は「美味しくないように進化」は生じないのである

カニに限らず 後天的に「食べられたくない」かどうかも遺伝的進化には関係なく あくまで生態系全体のバランスの上において「繁殖が継続」可能でありさえすれば 何頭喰われようが「どうでも良い」のが遺伝的進化というものである

イワシが大量繁殖するのは イワシが生態系のピラミッドにおいて底辺を結果的に担っているからであって 絶滅駆逐されない程度に捕食され続けることによってイワシを含めた生態系バランスが保たれるのであり

生態系バランスが崩れるような個体種変異や進化は 生態系ごと淘汰対象となってしまい繁殖を継続することもできなくなり 絶滅せざるを得ない

イワシはほとんどが喰われてしまうことによって生態系の中で繁殖が継続できるのであって 「食べられたくない」といった後天的都合や目的が遺伝的進化に影響を及ぼすメカニズムもプロセスも存在しない

 

バカ生物学者共は いつまでも「○○のために進化した」といった説明を続けようとするが これは遺伝的進化のメカニズムやプロセスを論理的には理解認識していない故の頭の悪さによるものであり

記憶能力が高いと 一度信じ込んだ話に異常執着する脳の傾向性はネズミを用いた実験でも立証されているものである

物覚えの早いネズミは 迷路の中からエサの在処への経路をすぐに「学習」することができるのだが 同時にエサの在処が変更された場合でも「学習」された経路に執着してしまう

ヒトもまた 記憶能力が高ければ短絡的に「頭が良い」と錯覚しがちだが カルト宗教だの詐欺ペテンを信じ込んでしまうのも 「学習」された経験への執着によって短絡的に詐欺師の嘘を信じ込んでしまうのであり 「丁寧な言葉遣いだったから本物だと思った」などという主観的感想が優先してしまい 客観的な論理的検証を一切しなくなってしまうのが原因である

学生時代などに記憶力が高ければ学力偏差値もさぞかし高かったのであろうが その記憶力の高さこそが客観的論理検証性を阻害し 主観的感想だけで物事を判断してしまうバカに陥る原因でもある

テロリストや通り魔の多くに学生時代の学力偏差値の高さが見られるのも 記憶能力の高さ故の短絡的で主観的判断が優先してしまうが故に 主観に基づいた身勝手な「動機」によって暴力破壊という非合理な最終解決行動選択に至ってしまうのである

 

ヒトという種の生物は 暴力破壊によって何かが解決するものだという先天的な認知上の重大な欠陥を持っている

それは 進化の過程において 暴力破壊こそが「繁殖を継続」する上において有利に働いたという「結果」であり 「ユダヤ人を絶滅させればゲルマン民族の存続においては有利」だとか 「ウクライナなどの近隣諸国の領土を略奪すればロシア民族の存続において有利」といった非合理な倒錯は 別にドイツ人やロシア人に限って見られるものではなく 太平洋戦争時の日本政府や中国の習近平体制やカンボジアのポルポト政権下など あらゆる民族において普遍的に見られるヒトの認知上の重大な欠陥による倒錯である

現存するヒトという種の生物が 一体どれだけの他のヒト科生物を駆逐絶滅させてきたのかは もはや誰にも検証不可能なものであり ほんの15年前のひき逃げ犯すら特定できないこともある以上は数万年 数億年に渡る遺伝的進化の過程における殺戮生存競争の結果的な先天的本能習性もまた選択不可能なものである

自分の身の安全が保てないかも知れない不安に陥った場合に 都合の悪い相手を皆殺しにしておいた方が 個体の生存において有利であり 繁殖を継続する上においても同様である

ヒトがヒト科の生物に進化したのは数百万年前と言われるが それ以前の数億年の進化によって組み込まれた本能習性が全てリセットされたわけではなく

「いくら説明しても理解できないバカは面倒臭いので全員殴り殺してしまいたい」と主観的感想として「思う」こともある

だが 私は自分の主観を一切信じてはいない

「欲望そのものを欲することはできない」以上 それは何ら「自由」意思でも何でもないことを 私は理解しているからである

 

ヒトの大半はバカで 「刑法判決は解決」だと誰もが信じて疑うことがない

通り魔を何人死刑にしても通り魔事件の根源的原因究明にも再発防止にもならないし

強盗殺人で懲役25年の刑期を終えて出所した直後に殺人事件を引き起こしても 中国では麻薬取締法違反は極刑であるにも関わらず麻薬事件がなくならないとしても ヒトの大半は「厳罰化は犯罪の再発防止だ」と信じて疑わない

「そういうものだ」という固定概念を一切疑わなくなるのは ネズミがエサの在処に至る経路に異常執着するのと同じ脳のメカニズムに起因するものである

だからヒトは騙される

 

 

Ende;


間違えることを前提にすべき

2023年09月16日 13時49分17秒 | 意識論関連

学校安全を専門とする内田良氏は「学校で起こる事故はコピペ事故」だと言う

そういえばプールの水を出しっぱなしにしちゃった話もあったけど 他校で起きた事象を自分事だと自覚しないのかしら

教員免許を取得しているくらいだから学力偏差値はそれなりに高いんだと思うけど 偏差値は知能の論拠にはならないし 国家資格免許も同じこと

 

動物実験でも 記憶力の高いネズミは同時に無駄な事への固執も激しいことが立証されていて 記憶力が高いというのは同時に刷り込み学習的「常識」にも固執してしまい 考えが拡がらずに漫然と精神論に陥りがちな性質がある

東大医学部の学生がオウム真理教を信じ込み毒ガステロに走ったのも 記憶力が良くて偏差値の高い学生だからこそ起きた洗脳だと言える

もちろん私のように記憶力が悪ければ良いというものでもなくて 得手不得手をお互いがカバーするような形が効率的には最適だと言える

だが 現状では記憶力の良い学力偏差値の高い者だけが責任ポストに就くシステムが構築されすぎてしまっているため 目先の責任論に囚われてしまい「ヒトは誰でも間違える」という大前提に基づいた普遍的再発防止策にまでたどり着くことなく 結果的にコピペ事故も繰り返すことになるのである

 

プールの水を出しっぱなしにするような失敗というのも ヒトである以上は誰しもが起こしうるものであり 「水道料金を弁償させておけば解決した」ことにはならないのである

ヒトは誰でもガスコンロの火を消し忘れるとか 水道の水を出しっぱなしにして忘れるとか 玄関の鍵をかけ忘れるとか お財布をどこかに置き忘れるといった間違いは一度はした経験があるはずであり こうしたポカミスはヒトである以上は不可避である

ヒトの脳というのは忘れるように先天的にできているからである

生産現場では ポカミスは再発防止が優先され 個人の責任は問わないことがほとんどである それはミスが起こるような状況の方に問題があるのであって 間違えたヒトの方の問題としては捉えないからである

生徒が死亡したりすれば どうしても責任論は問わなければならなくなるものの その失敗の原因を個人の責任に一括して押し付けて「解決した」と倒錯しているからこそ 根本的な構造的危険性が放置されることになる

雪山での雪崩死亡事故なども 精神論的に「頑張る」こと 「鍛える」ことで何か能力が向上するものだという観念が働いていたからであり そういうのは軍隊や自衛隊が上官の命令に絶対服従させるための洗脳「手法」に過ぎず 本当の危険察知能力を不具にさせてしまう盲目性の原因にしかならない

こうした盲目性こそが原発の危険性を放置させ 日大の組織腐敗も傍観させ あらゆるコピペ事故の繰り返しの根源に隠れているのである

「数学が論理思考を養うのに良い」とされているが 冷静に論理客観的に真偽を考えてみて欲しい

微積分などの高度な高等数学を全員に教えたとして 卒業生の一体何%が社会生活で微積分を必要としているのか 生活に役に立っているのか

本当に論理的に考えれば 高等数学は大半の生徒にとって無駄なのである

だが 生徒の誰もそれが無駄だと気づくこともなく 親になれば子供にも無駄な能力を要求するようになるのである

微積分の点数評価を得ることが 「頭が良くなること」だという盲目的洗脳によって誰も疑うことをしなくなる

こうした頭の悪さこそが 構造的危険性への言及性や認識力を喪失させ 漫然と「教え込まれたことを繰り返す」だけのバカを大量生産してしまうことに陥るのである

バカはバカしか育てることができない

慶応の「塾員」が東大生をイジメたりするのも 偏差値は高いのに社会的な問題意識は何一つ働いていないバカだからである

そんなバカがいくら金儲けに長けていて 数値上の企業業績は上がっても社会的には迷惑なブラック企業でしかないのである

世の中にブラック企業が多いのは そもそも学校そのものがバカしかいないブラックな組織だからである

学校職員は学力偏差値さえ高くすれば「評価」になり

司法警察は検挙数さえ高くすれば「点数」になり

企業は売上「業績」さえ高ければ株価が上がる

そうした目先の利益や評価だけを追求し続けているからこそ 根源的な問題には誰も言及しなくなって傍観放置されることに陥るのであり

自分達の無責任な傍観放置性を棚上げにして原発の危険性放置をとやかく言えた義理ではないのである

 

 

Ende;


遺伝的進化に「知恵」も「賢い」もスッタクレもねぇ!

2023年09月16日 09時07分30秒 | 意識論関連

NHK「チコちゃんに叱られる」番組内において 「不安になることは生き残るための知恵」と紹介していたが これは間違いである

不安になるのは先天的な遺伝的進化の結果であり 「生き残るため」といった目的や知恵による選択可能性は存在しない

より不安になりやすい個体への淘汰圧力の結果的に不安になるのであって 不安になりにくい個体の全てが死滅した結果である

古来から進化生物学では 遺伝的進化が「知恵」だの「賢い」だのといったこじつけをしてきたが これが根本的に間違いである

遺伝的進化は選ぶことができない これが大前提であり 「知恵」だの「賢い」だの「戦略」だの「目的」を遺伝的進化にこじつけるのは科学を逸脱したデマである

 

また 「狩猟採集をやめて農耕生活になってから1万年程度では進化しない」などといった説明もしていたが

天敵などからの強力な淘汰圧力が働かない限り遺伝的進化そのものは生じることはなく

実際にヒトはここ数万年ほとんど進化が起きていない

ただ漫然と生きて繁殖さえしておけば遺伝的進化が起きるようなものではなく 自然界の過酷な生存競争なくして遺伝的進化など起きないのである

いちいち説明せんと間違えるのは 理解もしてなければ自分の頭で「考え」てもいないからだ

「考え」ない奴をバカという

 

 

「キョエちゃん鳥なのに 鶏皮食べるの?」と聞いていたが

カラスはハト喰うぞ ニワトリだって喰うだろ

まあ キョエちゃんはカラスじゃなくて「江戸川の謎の鳥」だけどな

 

 

Ende;


正義のつもり

2023年09月09日 12時00分13秒 | 意識論関連

時折 先の信号が赤なのにアクセル全開で停止線に詰めようとするバカがいる

アクセルを踏み込んで加速すれば 気分的には急いだような主観的感覚にはなるのかも知れないが

それは確実に錯覚である

信号の変わり目で黄色信号を無視して加速して交差点を突っ切る奴もおるが

その信号を一つパスできたことによる時間短縮は1分にも満たない

赤信号で待たされていると 必要以上に損をしているような感覚にはなるのだが

実生活で数分を競うような生活なんぞ誰もしていないのである

そんな分単位での無駄を省くような生活をしている奴などおらず だいたいはコンビニで漫画読んだりクソゲーだのティックトックで暇潰しをしているものである

暇なのか 急いでいるのか よくよく考えれば「急いでいる」のではなくて「焦っている」か「慌てている」だけであり 主観的感覚によって促されている錯覚に過ぎない

気持ちに余裕がないため 赤信号で止まらされていることにもイライラしてしまう

時間に余裕がないのではなく 気持ちという主観的感覚や感情の方に余裕がない

漫画だのクソゲーだのティックトックで暇を潰すことが 本当に人生にとって「得」なのか よくよく考えれば何の得にもなっていないのである

 

学力偏差値競争に煽られて 大学の入学試験に合格したところで ニーチェだのカントの内容に論理客観的根拠が伴っていないことには誰も気づかぬバカしかおらぬ

進化生物学上の「生存戦略」という誤謬についても 学生の誰も指摘することはできない

挙げ句の果てに東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒き散らし 東京電力の原発安全担当者は40年間一度もアイソレーションコンデンサー(緊急炉心冷却装置)の試験運転をしなかった

上司の言いなりになって 個人が自律的な社会的責任を一切負わないことによって 組織に迎合し続けることの利己的利益の方を優先することによって あらゆる組織腐敗は進行するのである

ビッグモーターだろうが日本大学田中英寿理事体制だろうがプーチン政権だろうがナチス政権だろうが東条英機内閣だろうが 組織腐敗を作り出すのは組織を構成する個人の自律的な社会的責任の欠如によるものである

自律的な社会的責任を放棄する本能習性を無視し 自らが所属する組織集団の利益を優先することを「社会性」などと形容していた無責任を「多数によって薄まる」と勘違いしている無数のバカによって 問題の本質を「なかったこと」にしているのである

「だって京都大学の学長ガー」だの「だって東京大学名誉教授ガー」といった屁理屈や言い逃れは通用しない

そもそも松沢哲郎が「チンパンジーの習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などと言い出したのも 私が「生物学上の社会性は人間としての社会性とは別物である」という主張に対する反証の試みであり 実際には何一つ反証することのできない非科学的「デマ」であった

その「デマ」を マスコミは「できたら素晴らしい」などと口を揃えて称賛し 何の根拠もない文化功労賞を「業績」だと報道したのである

NHKもそれを一度たりとも訂正すらしていない

にも関わらず官邸内の「ぶら下がり」取材での農水相の言い間違いをいつまでも擦り倒して正義だと倒錯しているのである

それで「信頼できるメディア」だの「公平中立」だと標榜している

脳みそ壊れているだろ

一体なんの「つもり」だ?

目先の個人攻撃ばかりに視聴者を誘導し 多数大衆の頭の悪さには一切触れずに「なかったこと」にしているから問題の本質を見失うのである

 

 

Ende;


悪意の自覚

2023年09月08日 17時12分14秒 | 意識論関連

農水相が「処理水」を「汚染水」って言い間違えたことをいつまでもひつこく非難しているけど

マスコミだって間違えた報道をすることだってあるだろうし マスコミが間違えた時には一回だけしか訂正なんかしないのに

正式な記者会見でもない「ぶら下がり」の取材の言い間違いを鬼の首でも獲ったかのように繰り返し報道し続けるのは不公平というものではなかろうか

処理水を汚染水と言ってしまうのは不祥事ではあるものの 意図的な悪意もない単なる言い間違いは訂正したならそれ以上の報道は悪意のある嫌がらせにしか思えない

そもそもマスコミなんてのは進化生物学上の誤謬だろうが哲学上の根拠のないカントの妄想だろうが何の検証もせずに学術権威に責任を丸投げしておいて訂正すらもしやしない

司法裁判の報道でも「動機の解明が急がれる」などと言い続けているが 「犯罪者個人の感想」を解明しても何の役にも立たないことは論理的に明らかである

マスコミを筆頭に無責任なバカが多すぎる

それで「世の中が良くならない」のは必然というものである

 

 

Ende;


「生存戦略」という宗教

2023年09月07日 22時20分22秒 | 意識論関連

ある遺伝子の分析では、遺伝子配列の3分の2にあたる部分はランダムな変異が起きても問題ない領域であることがわかりました。

この結果は、突然変異の66%が中立突然変異であり、生物に目だった変化を起こさないことを示しています。

生物たちは変異に対する堅牢性を高めることで、種としての体面を保ち、子孫たちが無秩序な姿になるのを防いでいたのです。

 ↗出典:「数学」が進化の法則を制御していたと判明! -ナゾロジー

 

⇨無秩序な変異は生存や繁殖の継続において不利であるため 中立的変異が起きる種への淘汰の結果であって

意図目的的や生存戦略的に「無秩序な姿になるのを防いでいた」わけではない

生物学者ってのは遺伝的進化に「目的」や「戦略」をこじつけ続けようとするバカが多すぎる

 

 

Ende;


戸高一成

2023年08月16日 22時53分21秒 | 意識論関連

戸高一成(海軍史研究家 大和ミュージアム館長) 「主観教育は 自分と考えの違う人がいても妥協点を探ることで紛争を避ける

 

⇨植松聖の考えと妥協するなどというバカげた話は意味がない

強盗の考えと被害者の妥協点を探ってどうする

自由民主化運動と独裁政権の妥協点にも意味はない

主観的な個人の好き嫌いに基づいて報復懲罰的暴力が唯一絶対的解決だと倒錯していることが戦争などの暴力の根源であり 主観に意味はない

社会安全性や持続可能性 公平平等を「目的」とした論理客観的行動選択をしていれば暴力による最終「解決」こそが根源的間違いであり ヒトという種の生物の先天的な認知上の重大な欠陥である

「主観こそが意識であり 主観に意味がある」というヒトの錯覚を理解自覚しないことには戦争や犯罪を含めたあらゆる「人災」の実効性ある再発防止にはつながらない

 

 

Ende;


「核軍縮」は道具の問題

2023年08月13日 11時45分23秒 | 意識論関連

「人類のごくわずかしか戦争をしていないことを知れば 戦争はなくなる」などという何の論理的根拠もない山極寿一のデマを鵜呑みにしている衆愚マスコミもまた無責任極まりない同罪である

「戦争は人間の本性ではない」などという話にも論理客観的証拠や根拠は何もなく ただ衆愚マスコミが主観的に安心満足して金儲けになるから拡められているデマに過ぎない

ウクライナ侵攻が起きてから大騒ぎしているが プーチン政権のような組織腐敗は日本大学でも東京電力でも東芝でもオリンパスでも起きていたことであり 数多ある集団組織腐敗の構造メカニズムを論理客観的に「理解」しようともしてこなかった多数の衆愚マスコミによる日和見によって戦争のような重大事象への発展も抑止することができなかったのである

 

川崎における中学生による殺人事件も 集団組織における保身感情が暴走する形で犯罪にまで発展したのである

これはプーチン政権においてもミャンマー軍事政権においても同じである

評価承認欲求による世間的成功を目的としていれば 一度手にした権力体制を維持保守することだけが目的となり 社会安全性や持続可能性への配慮は失われることになり 暴力威圧的な独裁腐敗組織へと変貌してしまうのである

プーチンも 当初は国際社会との協調を標榜していたが 内実は組織体制にとって不都合な者を粛正する権力体制の維持保身を目的とした腐敗政権であり 権力を手にするまでの便宜的な「嘘」に過ぎなかった

 

日本大学の林真理子理事長が学生の大麻覚せい剤所持を隠蔽しようとしたのも 日本大学の経営上の不利となる可能性が原因であり 組織の維持が自身の権力保身とも結び付いた形での隠蔽である

社会的責任においては組織の不利になるとしてでも真実を述べるべきであり 組織体制の維持や保身感情が優先するから嘘や隠蔽が横行することになるのである

国会原発事故調査委員会報告書においても 事故の根源的原因として「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」と結論付けているのであり これは原発に限らずあらゆる組織体制においても共通して言える「人間性」の問題である

 

核兵器や銃が人や人類を殺すのではなく それら「道具」を扱う「ヒトという種の生物」の「人間性」とは何なのかを論理客観的に「理解」していないことがあらゆる「人災」の根源的原因なのである

ロシアもゴルバチョフ政権下においては核軍縮条約が締結されるなど 平和への道程を歩んでいたにも関わらず 政権腐敗による不公平を放置した挙げ句にウクライナからの離縁を突きつけられたプーチン政権が セバストポリというナチスに対する「過去の栄光」を保守するためにウクライナ侵攻という暴挙に走ったのである

 

「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わない」のはなぜか

それは 組織に属している個人にとっては組織の利益が自分の利益と共通しているからであり 腐敗した組織体制においては唯々諾々と服従忖度していないと組織においては不利になるからである

日本大学田中英寿理事体制体制においては 組織に服従忖度迎合同調しなければ左遷されるという恐怖心が組織腐敗を傍観放置させ むしろ組織腐敗を増長させる原因ともなったのである

これはビッグモーターや電通などのブラック企業でも同じことである

そして 日本大学の職員が言うような「組織は頭から腐る」などと称して組織のトップだけに責任があるかのような言い逃れを繰り返し 「個人が自律的な社会的責任」を負わなかった判断については「多数によって責任が薄まる」ような倒錯によって 主観的に安心満足し 責任逃れを正当化しようとするのである

山極寿一によるデマを鵜呑みにしている衆愚マスコミの多数もまた その多数によってデマを鵜呑みにしている無責任性が薄まっているかのように倒錯しているのである

戦争という殺し合いは ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた生存競争を勝ち抜くための本能であり 遺伝的進化の過程において選択不可能な「結果」である

遺伝的進化における最も大きな淘汰圧力が「天敵からの捕食」であり 「殺して喰う」ことである

ほんの数十万年前に発生した「ヒト」が 数十億年に亘る進化の過程において組み込まれた先天的本能習性から逃れられるわけもなく 先天的本能習性によって促されるあらゆる情動行動を「自分の意識の本質」だと錯覚しているからこそ 山極寿一のデマに主観的に安心満足して鵜呑みにし 未だに学術権威だと倒錯し続けているのである

 

ヒトは先天的に嫌な相手を殺したり 力によって抑圧しておけば安心満足するものである

厳罰化というのは権力を用いて抑圧するものであり これを「抑止力」だと錯覚している

こうした錯覚は「核抑止力」などの軍拡競争とも共通するものであり たとえ中国で麻薬取締法違反を死刑にしていても麻薬犯罪がなくならないのと同様 威圧的抑圧は実質的には「抑止」にはならないのである

通り魔を死刑にすれば法手続き上は「解決」であるが それが通り魔事件の再発防止のための根源的原因究明にならないことは明らかであり 実際に何度も繰り返しているのである

強盗殺人などの凶悪犯罪においても 出所後短期間に再犯するケースは非常に多く 刑罰というものが実質的には何の「解決」にもなっていないことは統計的にも論理的にも証明されているにも関わらず 多数の衆愚マスコミによって実効性のない不毛な刑罰制度が維持温存され続け 司法役人達の組織体制維持に浪費され続けているのである

司法役人達は犯罪者が再犯しても誰も責任を負うことはない それは司法制度を傍観放置している衆愚マスコミの多数においても同罪である

ヒトの大半はバカなので 自分の頭で物事を考え 何が真実で何が嘘や間違いなのかを自律的に考え判断したりはせず 既存の権力体制に唯々諾々と服従する以上の何もしようとはしないものである

だから山極寿一のようなペテン師がいつまでも学術権威として扱われ続け 山極の発言内容に何の科学論理的根拠が伴わないことについては誰も言及しようとすらしないのである

衆愚マスコミは 養老孟司の著作が売れて世間的に成功さえしていれば 養老孟司の言っている内容に論理客観的根拠や実効的な意味があるものだと倒錯している

養老の著作内容というのは 実質的には「それらしい話」の陳列に過ぎず あたかもChatGPTの答えのようなものに過ぎず 読者は「わかったような気分(主観)」によって意味があると錯覚しているに過ぎない

マイケル:サンデルによる「トロッコ問題」には倫理が存在していないことについても 大学生のほぼ全員も NHKを含めた衆愚マスコミも気づいておらず 単に主観的に「悩んだ」ことを「考えた」と倒錯し 「自分の頭が良くなった」と満足することによってサンデルを主観的に「好きに」なることによって あたかも「サンデル先生は頭が良い」と倒錯するのである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」に「人間は叡智界に属している」などという荒唐無稽な話を 数百年に渡って「近代哲学の最高峰」だと倒錯し続けているのも ヒトという種の生物が如何にバカであるかを立証しているのである

「理性を超越」してしまえば論理客観的根拠や証拠は飛躍してしまって構わなくなる それのどこに哲学的「真理」が存在すると言うのであろう

こんな簡単な嘘すらヒトは誰も見抜けないバカなのである

自分の頭の悪さを自覚させられれば ヒトは気分が悪くなるので主観的に「信じたくない」と思うものであり 逆に「自分は頭が良くなった」かのようなデマを信じ込んでしまっていた方が気分が良くなるために「信じたい」と思うものなのである

 

ロシアの戦車兵にとっては アメリカ製対戦車ロケット弾であろうが大陸間弾道核ミサイルだろうが 個人の生命にとって脅威であることに違いなどない

核廃絶や銃規制といった「道具の問題」にすり替えるのではなく 自律的に社会的責任を負う人物を政権などの「責任者」に選ぶ「多数の責任」が最も根源的な問題なのである

日本大学の組織腐敗を傍観放置した多数の職員同様に 公然とデマを流布している山極寿一や養老孟司 長谷川眞理子 枚挙すればキリがないが肩書権威だけのペテン師を識別する責任が多数大衆にも求められているのであり 政治家だけを糾弾しておけば戦争がなくなるような簡単安易なものでは断じてない

「核軍縮は道具の問題」などと言えば衆愚マスコミのご機嫌を損ねるであろうことはわかっている

だが 真理(本当のこと)というのは多数のご機嫌取りで判別されるべきものではない

「本当のこと」が何なのかを識別できなければ あらゆる「人災」は不可避となるのは自明である

 

 


Ende;


学習された我慢

2023年08月05日 10時56分16秒 | 意識論関連

バカ脳科学者共は 「我慢も学習させられる」と主張するが

その根拠とするのが幼児にお菓子(報酬)を一定時間我慢したらより多くのお菓子がもらえることを約束することだという

こうした「学習」というのは 結局お菓子という報酬を用いた情動バイアスで誘導しているに過ぎず チンパンジーの瞬間記憶能力や 学力成績という抽象化された脳への報酬欲しさに教えたことを教えた通りに憶えるだけで一切自発的論理思考のできない偏差値が高いだけのバカの「学習」と同じものである

暴力的独裁者による腐敗体制に反対し「政治犯」として投獄されることに見返り報酬はない

それは幼児のように「学習された我慢」で行うものではなく 自律的な社会的責任判断選択として行うものであり 脳の報酬系とは無関係に理性によって選択される行動である

逆に暴力的独裁者に唯々諾々と服従し忖度することこそが情動バイアスによる「学習」結果であり 多数が暴力的独裁者に服従忖度することによって同調迎合することに主観的安心感を求めて誰も反対しなくなるのである

見返り報酬を期待した情動行動というものは あくまで見返り報酬を予め用意された環境下による行動結果であって むしろ見返り報酬欲しさに暴力的独裁政権にも同調するようになるのである

オウム真理教における理不尽な「修行」に我慢するようになるのも 独裁政権に屈服するようになるのも「学習された我慢」によるものであり 「学習された我慢」では人間としての自律的な社会的責任判断選択能力を発揮されることもなければ むしろ非人間性の源でもある

 

 

自律的な社会的責任判断選択をするために必要なのは 環境から与えられる「脳への報酬」といった先天的情動行動バイアスに左右されることのない自発的な論理検証性であり 無意識条件反射的に他人からの命令に従い報酬を得る「学習」された行動ではない

ヒトの大半はイマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容を「哲学(真理の追求)」だと鵜呑みにし 「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」などといった論理的根拠や証拠をすっ飛ばした荒唐無稽なカントの勝手な決めつけに過ぎないことには誰も言及しようとはしないバカである

哲学科の単位という「他人から与えられる脳への報酬」だけが学生の目的であり 内容が真理(本当のこと)かどうかには誰も興味を持たないのも 「哲学とは そういうものである」と「学習」した結果である

国立大学などの学術的権威肩書に対して マスコミも含めて大衆のほぼ全員は何の批判精神も持たずに唯々諾々と鵜呑みにするバカしかいないのである

それこそが社会を破綻へと導く最大の原因である

何が間違いで 何が真実なのかを区別識別できないバカが多数であれば 社会が破綻に向かうのは必然である

 


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生物学上の錬金術

2023年07月08日 10時34分34秒 | 意識論関連

子供から何の反応も返ってこないことに落ち着きを失くし、わが子を乱暴に引きずったり、木の上から投げ落とすようになります。

「霊長類の母親にとって、子供の妊娠と出産には膨大なエネルギーを投資しなければなりません。(ピサ大学霊長類学者エリザベッタ・パラギ)

ここでの共食い行動はおそらく、出産後の母親のエネルギー回復を助ける適応的な進化であり、それによって再び出産できる可能性が高まるのでしょう」

つまり、新たな命を育むためにわが子をただ捨て去るのではなく、体に取り込んで貴重な栄養源に変えていたというわけです。

さらにパラギ氏は「クマシが他の仲間と亡骸を共有しなかったことが、母体のエネルギー回復の仮説を強く裏付けている」と付け加えました。

 ↗出典:動物園の母ザルが「わが子の亡骸」を食べてしまう! -ナゾロジー

 

⇨ヒトであっても育児ノイローゼで自分の子供を殺してしまうこともあり 先天的情動行動の全てに合理的意味をこじつけるのはバカ生物学者に共通する非科学的妄想でしかない

先天的情動行動というものはあくまで遺伝的進化の「結果」的なものであって 大脳辺縁系によって促される行動の全てが常に合理的な「目的」が存在するわけではない

先天的本能による情動行動の全てに意味をこじつけるのであれば もはやあらゆる犯罪者の行動や戦争すらにも進化的「理由」をこじつけることすら可能となってしまうのであり あまりにバカげており極めて無責任であり バカ生物学者共の荒唐無稽な非科学的論説を安易に鵜呑みにする文系マスコミ関係者もまた無責任であることにおいて同罪である

荒唐無稽な非科学的デマに大衆から人気が集まるからといって 何も検証せずに安易に垂れ流しておいた方が金儲けになるからといって 根拠の乏しいデマを科学的根拠であるかのように垂れ流すというのは悪質である

 


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認知上の重大な欠陥

2023年06月28日 15時05分06秒 | 意識論関連

未だにNHKではバカ生物学者共の言う「生存戦略」などという概念を鵜呑みにしているバカがいなくならないが

そもそも生物生存にも遺伝的進化にも「目的」が存在していないのであって 「目的」が存在していないのに「戦略」概念が成立するわけがないのである

バカ生物学者は「遺伝子を盗む」などといった形容詞を用いているが あくまで形容詞であって論理科学的には盗もうとして盗めるようなものではなく あくまで自然現象の結果でしかないのである

どんなに個体が「生きていたい」と願おうが祈ろうが呪おうが 先天的に生存に適さないゲノムを持って産まれてきてしまえば遺伝子治療でもしない限りは死ぬのであり そもそもヒトなどの哺乳類には先天的に個体には寿命というものが組み込まれており また Y染色体の崩壊による「種としての寿命」まで存在しており「戦略」的に生存や繁殖の継続ができるわけではない

遺伝子の変異はあくまで偶然であり 変異が起きれば大半は生存に適さず死滅する

だが 膨大な変異が起きれば偶発的に生存に適した変異が起きる場合もあり 膨大な「失敗(これもまた形容に過ぎない)」の果てに遺伝的進化は起きるのである

失敗学や危険学では 1/100万の確率であっても「いつか必ず起こる」ことを前提に対策を行う

遺伝的進化も同様で 変異の中から極めて低い確率であっても膨大な「失敗」の果てには結果的に「成功(当然これも形容詞である)」した結果が遺伝的進化である

バカな文系マスコミ番組制作者共は 遺伝的進化さえ起きれば全てが解決するかのような勝手な幻想を抱いているようで 「遺伝的進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などという荒唐無稽な進化プロセスの存在しない進化が起きるかのような話も平気で垂れ流しているが こうした非科学的デマを認識できずにいることこそが人類の頭の悪さの真骨頂である

遺伝的進化の全ては自然現象の「結果」であって 合理的「目的」も「戦略」も存在しない

そもそも生物生存そのものが「結果」であって 「死なずに生き残った」ことを「成功」だと形容していること自体が比喩であり形容詞でしかない

「生き残りたい」かどうかという情動や 「社会安全性や持続可能性」を合理的に求める目的意識と 遺伝的進化としての結果的「生存」は全く別次元の話であって これらを論理的に区別できていないからこそ人類はバカが治らないのである

山極寿一は「ヒトには先天的に人間性ガー」といった非科学的デマを流布して大衆人気を集めているが ヒトという種の生物は先天的には人間性は組み込まれておらず 利己的感情でしか物事を判断せず 権威肩書の主張を漫然と鵜呑みにし 何一つ合理的目的行動判断をすることができないという認知上の重大な欠陥を持っている「痴的生命体」であって 故に既存の学術権威の主張の真偽を誰も検証判断することなく安易に鵜呑みにして垂れ流すという大失態を平気で 主観的に安心して繰り返し続けるのである

 

個人的にどんなに「死にたくない」と思おうが願おうが祈ろうが呪おうが永遠に生きることには意味がないことは論理的に明白である

「死にたくない」という情動は先天的に組み込まれた選択不可能な恐怖に過ぎず 合理的な「目的」はない

ヒトは主観的恐怖心故に組織腐敗やイジメを傍観放置するのであって 論理客観的にはそれこそが社会安全性や持続可能性や公平性を著しく損なう最大の原因「人災」を引き起こすのである

国会原発事故調査委員会報告書にあるように「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」は あらゆる「人災」の根底にある

組織に従い 組織に阿(おもね)り 服従忖度迎合同調しておけば その組織の内部においては有利な立場や権益を獲得できるだろう

 *阿る:機嫌をとってその人の気に入るようにする。へつらう。追従(ついしょう)する。

それが個体の生存にとって有利に働くからといって「賢い」ことにはならず むしろ社会全体の安全性や持続可能性や公平性を損なう「バカ」げた行動選択である

遺伝的進化の結果だけを抽出すれば あたかも環境調和のための合理的生態系進化をこじつけることも可能だが 実際には過去の膨大な「失敗」の果てに持続的生態系以外が全て崩壊自滅した結果に他ならない

絶滅せずに残った個体や生態系だけを「合理的」だと形容するのは 絶滅した膨大な個体や生態系を無視した「都合の良いこじつけ的合理性」に過ぎない

1/数千兆の確率で生き残った個体や生態系が 生存や繁殖にとって合理的形質や習性を持っているのは「結果」であって 「生存戦略」という概念は「数千兆-1」の膨大な失敗結果を無視した非科学的「こじつけ」説明にしかなっていない

現存生物個体や生態系というのは現存していない生物個体や生態系を無視した「結果」だけの抽出であり 個体生存にとって合理的であることが全面的に肯定されるのであれば組織腐敗や差別的暴力支配も正当化可能になってしまうのである

ヒトは こうした結果と合理的目的意識の区別がついていないからこそ ナチス政権やプーチン政権のような暴力支配を許してしまうのである

「ロシアのような独裁は日本人には関係ないわ」と思っているバカは多いようだが 日本大学田中英寿理事体制や東京電力福島第一原子力発電所の組織腐敗は「日本人」による出来事であり 太平洋戦争における軍事政権の腐敗も同様であり 民族国籍に拠らずヒト全般に普遍的に見られる先天的な認知上の重大な欠陥が根本原因である

ヒトという種の生物には 断じて「先天的人間性」など組み込まれておらず 人間性にとって都合の良い進化プロセス以外が絶対に存在していなかったことの証明など不可能であり 現実に暴力独裁政権に逆らわない無為無能な衆愚によって人類全体の存亡が脅かされているのである

「先天的にバカなら もはや仕方がない」などと安易に帰結をしたがるバカも多いが 「仕方がない」というのは「他に一切の選択可能性が存在し得ないこと」が証明されていなければ「嘘」でしかない

バカはすぐに「先天的本能には逆らえない」などと言い張りたがるが それはバカだからこそ「本能には逆らいたくない」から言い張っているに過ぎず 論理客観的に「逆らうことが絶対に不可能であることの論証」には全くなっていないのである

ヒトは安易な根拠のない「決めつけ」で主観的に諦め 思考停止に陥って満足安心してしまう傾向が強く 注意深く慎重に根気強く真偽を論理客観的に判断追求しようとはしない

山極寿一は「人類のごくわずかしか戦争をしていないことを知れば戦争はなくなる」などという意味不明な話で大衆人気を集めたペテン師である

論理客観的に何の根拠もなくても ヒトの大半はバカなので 主観的に安心満足さえできれば権威肩書を持った開いての主張には何の疑いも持たずに安易に鵜呑みにするものである

マイケル:サンデルがトロッコ問題を「倫理の話 正義の話」だと主張していれば 論理的にはトロッコ問題は倫理や正義は存在しない命題であることには誰も気付かないものである

トロッコ問題などの「ジレンマ命題」で いくら主観的に「悩んで」も それは「考え」には一切ならず 何をどう選択しようとも「倫理的責任」にはならないのである

目の前で誰かが死ぬことが決定している場面においては もはや何を選択しても倫理的責任は当人にはない

ただ 主観的に「悩ましい」だけであって ヒトは主観的に「悩む」ことと論理客観的に「考える」ことの区別ができないという認知上の錯覚を利用したサンデルらのペテンに引っかかっているだけの話である

JR福知山線脱線事故で生き残った被害者には サバイバーズギルドという根拠のない罪悪感に苛まされることがある

本当は論理客観的には何もできないことが明白でありながらも 意味もなく罪悪感を主観的に「感じ」てしまうという錯覚である

トロッコ問題のような「悩ましい」命題を与えられると ヒトは「何かできるのではないのか」と錯覚してしまいがちだが サンデルは次から次へと制限を追加して誰かが死ぬ結果以外は出ないように誘導する

何をしても しなくても 倫理的責任が問われることはないにも関わらず サンデルの与えた命題が倫理的道義的には無意味であることには誰も気付かなくなる

にも関わらず 未だにNHKではサンデルのペテン性には触れず サンデルの講義が垂れ流され続けているのである

どんなに多数のバカ学生に人気があっても サンデルはペテン師であって 到底「真理を追求する哲学者」ではない

「哲学者」と呼ばれる者のほぼ全員は イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの実証不能の謎の「叡智界」が論理客観的には立証できないことには言及せず 実に100年以上も「近代哲学の最高峰」だと鵜呑みにしてきた「デクノボウ」であり それはサンデルも含まれる

本来哲学は「科学の帝王」であり 始祖でもあり 進化生物学における「生存戦略」パラダイムが重大な誤謬であることを指摘すべき立場であるにも関わらず バカ「哲学者」共は未だにカントを養護するような屁理屈を陳列してはぐらかすことで権威性を温存維持することに邁進しているばかりである

マスコミもマスコミでバカしかいないので 生物学界の誤謬を生物学者共にしか確認しないというバカげた「裏とり」しかしておらず

詐欺師嘘つきに「本当ですか?」と聞いているようなものである

生物の「生存」は結果であり 「目的」も「戦略」も介在していないのである

「進化は賢い」などという話を鵜呑みにしているというのは 遺伝子変異によって先天性疾患を持って産まれてきた人に対して「愚か」だと言っているのと同義であって 道義的に重大な問題であることを衆愚マスコミは自覚認識していない

人道的に重大な問題のある断種隔離政策や差別迫害の根底には 「自分達こそが優秀で正常だ」という身勝手な進化万能論的こじつけ倒錯があり こうした先天的な認知上の重大な欠陥を自覚認識してこなかったからこそウクライナ侵攻のようなバカげた殺し合いまでをも許してしまったのである

NHKの番組制作者も含めて大多数のヒトは「自分には無関係だ」と主観的に「思って」いるのであろうが 論理客観的真偽の判定を放棄した責任は免れない

どんなに圧倒的多数で無責任な傍観放置をしても 責任が薄まるわけではないのである

 

 

 


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山極寿一の主張を鵜呑みにしているバカNHK

2023年06月18日 23時05分16秒 | 意識論関連

山極寿一は特定の部族だけを挙げて「狩猟のための弓を人間には絶対に向けたりしない」などと主張していたが

人食い部族などの危険な部族もかつては実在しており 山極の主張には根拠がない決めつけに過ぎない

農耕生活の広まりと紛争の拡大時期のシンクロが見られるとしても ヒトはそもそも狩猟採集生活の時期から殺し合いはしていたのである

また 「人間以外は仲間のために自己犠牲をしない」とも主張していたが ニホンミツバチによる熱殺蜂球などの自己犠牲はヒト以外でも見られるものである

山極はサルの事例だけでしか論じておらず 知見が狭すぎる

 

オキシトシンが差別を促すのは 子供を養育する上において有利に働いた結果的進化である

子供を育てているカラスが攻撃性が高まるのは 自然界においてはその方が子供の養育において有利だった結果的進化を促したからである

あらゆる遺伝的進化によって促される本能習性というものは あくまで「繁殖の継続」にとって有利に働いたかどうかという結果だけであって 生存戦略などの合理的意図目的が介在する必要性も必然性もなく 絶滅してさえいなければ種として存続可能な「結果」以上の意味などないのである

にも関わらず「人間には先天的人間性が存在しているはずだ」などという根拠のないデマを主張して大衆人気を集めている山極寿一は科学者として無責任極まりない

「共感力は本来助け合うためのもの」などという主張にも根拠はない

部族や民族の存続において環境資源の奪い合い競争は自然界において当然の行動であり ヒトだけが特異に助け合いを「本来」とする根拠は全くなく サル同様に利己的利益を優先するのがヒトという種の生物の先天的本能習性である

「人類全体の課題を克服するために協調できれば戦争はなくなる」などという話も プーチン政権によるウクライナ侵攻という「事実」の前には衆愚迎合のための「お伽話」にしかなっていない

ヤクザや暴力団といった反社会的組織や 日本大学田中英寿理事体制による組織腐敗 東京電力福島第一原子力発電所における「人災」も含め プーチン政権やナチス政権などの独裁腐敗体制を傍観放置してしまうヒトの無責任性というものが戦争という重大事象への発展を引き起こすのであって

子供のイジメにおいて学級内の8割が傍観者であることは 決して子供だけの特異な性質ではなく 日本大学であろうが東京電力福島第一原子力発電所であろうがプーチン政権であろうが習近平体制であろうが北朝鮮体制であろうがミャンマー軍事政権であろうが同じことであり ヒト全般に見られる普遍的性質として集団組織的腐敗に同調迎合服従忖度することで組織内部での既得権を欲しがる利己性によって腐敗体制は作り出されるのである

ニホンミツバチの熱殺蜂球のような自己犠牲というものは ヒトにおいても極めて珍しい行動であって 断じて先天的本能習性として「本来組み込まれている」ようなものではなく NHKの番組制作者同様に山極寿一のような権威の主張を鵜呑みにすることによって多数派に迎合するだけで何の批判精神も発揮しないバカによって組織腐敗は進行し 温存され続け 真理を見失うことに陥るのである

 

本来先天的本能欲望というものは暴走するものであって

性欲が暴走するからこそ痴漢や強姦が起きるのであり

食欲が暴走するからこそ生活習慣病にも陥り

過度な飲酒や薬物中毒もまた先天的本能欲望の暴走以外の何ものでもない

 

暴力団だの 半グレだのといった反社会的組織が出来上がるのは ヒトの先天的本能習性に因るものであり ヒトは先天的には自分達が属する組織集団に同調迎合忖度服従することによって 組織内部での地位権益を保守獲得することで安心満足したいという欲望が優先し 社会全体への合理的配慮が働かなくことが原因である

それは川崎で起きた中学生によるイジメ殺人においても ナチス政権やプーチン政権による理不尽な侵略戦争においても根源的メカニズムは全く同じである

ヒトという種の生物は懲罰的報復という暴力を振回せば「解決」だと倒錯する先天的本能習性があり どんなに北欧での「リゾート刑務所」における再犯率の低さを立証しても刑罰こそが唯一絶対的「解決」だと信じて疑うことをしたがらない先天的な認知上の重大な欠陥を持っているために ヒトはすぐに暴力破壊による最終解決を選択しようとするものなのである

ヒトの大脳辺縁系はサルと比べてもほとんど同じであり その先天的情動本能そのものには何の違いもない

ヒトが人間として行動できるためには 自分の頭で物事を論理客観的に理解判断し 真実かどうかを見極める能力が必要であり それなくして大脳新皮質の「容量」の優位性は全く意味を為さない

ヴァロラントやフォートナイトなどのチーム殺人ゲームこそが「楽しい」のであって スポーツ競技の大半も順位序列による勝敗を決定したがるのも あくまで主観的に「楽しい」からであって オリンピックでメダルを獲ったところで社会的には何の意味ももたらさない

賞金だの報奨金や世間的評価も社会的には何の意味もなく 社会にとって最も重要な安全性や持続可能性というものは個人の自律的な社会的責任判断によって担保されるものである

衆愚観念上では世間的評価こそが人間としての価値であるかのように「思って」いるものだが 世間大衆の主観的価値観が人間性の論拠には全くならない

そもそも学力偏差値や学歴が本質的知能の論拠にも人間性の論証にもならないことには誰も気付かないバカが大半であって それゆえイマヌエル:カントの主張する実証不能の謎の「叡智界」なんぞを未だに哲学的真理だと百年以上も倒錯し続けているのである

何が真理なのかを見分けられないバカが大半である以上 戦争などというバカげた非合理な行動が終わらないのは必然というものである

 

 

 

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小川仁志

2023年05月23日 00時02分56秒 | 意識論関連

ヘーゲルは「相互承認」を説いたが 結論から言えば単なる「多数決」に過ぎず 合理性も普遍的価値も存在しない

啓蒙思想だけがテロル暴力の源であるかのような「こじつけ」をしておいて その代替として「相互承認」なる「多数決」こそが正しいなどという屁理屈にしかなっていないのである

ヒトは合理性や普遍的価値には興味はなく 多数決などによって主観的安心満足さえ得られれば論説の信憑性や論理整合性の欠落など関心を持たなくなるという先天的な認知上の重大な欠陥を持っているのである

カントの言う「道徳」だの「叡智界」などというデマを鵜呑みにしてしまうのも 読者が主観的な安心満足による認知上の重大な欠陥が原因である

 

哲学というのは主観的に安心満足感を得られる話だけを都合良く「解釈」するためのものではなく 哲学とは論理客観的に真偽を判定するためのものであり 小川仁志による「お悩み解決人生相談」のように主観的「悩み」を解決することが哲学ではない

哲学とは「自由に考えて良い」ものではあるものの あくまで論理客観的に真偽を判定するための自由であって 論理客観的根拠を飛躍して主観的「悩み」をはぐらかして安心満足することではない

それはもはや「考え」ですらない

ヒトは主観的に「悩む」ことと 論理客観的に「考える」こととの区別が困難である それゆえヒトはバカげたデマや嘘に翻弄されることに陥るのである

 

 


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