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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

斎藤幸平

2023年05月17日 00時57分09秒 | 意識論関連

斎藤幸平は 啓蒙よりも信仰の方が優れている点として「信頼するとは しかし信じるということである」とヘーゲルを引用し「信頼なくしてエビデンスは意味を為さない」というが 「ヒトは信じたい話だけを信じようとする」以上は信頼とは主観であって論理客観的エビデンスを主観的に信じたいかどうかで判断することは原理的に不可能である

盲目的信頼は主観的安心満足感であって 論理客観的エビデンス(証拠・証明)に主観は意味を持たない

 

啓蒙思想の帰結がテロル(暴力破壊)に至ってしまうのは 独裁政権化において民主化運動が暴動になってしまうのと同じメカニズムであり 暴力破壊による一面的懲罰を解決だと倒錯している信仰が根源にある

啓蒙だからテロルに陥るわけではなく あらゆる対立において懲罰正義による暴力破壊は見られるものであり むしろ盲目的信仰こそが暴力破壊を解決だとみなして陥るのである

法手続きによる刑法懲罰判決を「解決」だと錯覚しているのは ヒトの先天的な認知上の重大な欠陥によるものであり 「暴力破壊=解決」という方程式には論理客観的根拠や証拠は存在しないのである

テロルに合理性などないのは自明であり テロルに至った時点で啓蒙思想からの逸脱である

 

大衆の多くが科学や啓蒙思想だと「思って」信じ込んでいる内容に非科学的誤謬やデマが混入しているのが根源的な間違いである

不適切保育や虐待の連鎖がなくならないのも ヒトという種の生物が暴力威圧や規範への服従を正義だと先天的に倒錯しているからである

高校での理不尽な「校則」への服従を強要し続けるのも 合理的根拠や証拠よりも因習的に規範に服従することだけが正義だと主観的に「思って」いるからであり

司法裁判による刑法判決を短絡的に「解決」だと倒錯し 懲役刑の再犯率が50%に達する客観的事実を無視して無効な法制度が漫然と放置されているのも盲目的「信仰」によるものである

自分の頭で物事を「考え」ないバカ相手に啓蒙主義は全く役に立たない

斎藤幸平は福島原発事故による風評被害が起きてしまったことを挙げ 科学的エビデンスだけでは多くのヒトが風評に流されることを「信仰の優位性」だとこじつけて風評被害を正当化しているにも関わらず 番組制作陣も聞き手の伊集院光も誰も気づかないのである

「信じる」ことは主観的安心満足ではあっても 論理客観的真理や安全性の証拠には一切ならない

ヘーゲルは「信じる」ことを盲目的に正義のように倒錯しているのであり 「信じたい」かどうかは主観的感想であって論理客観的真理の証明とは全く無関係である

 

現代人の多くが「科学を信じている」つもりでいるのだが 実際には「遺伝的進化で月経の痛みがなくならないものか」などという荒唐無稽な進化万能妄想を誰も疑わず 進化生物学上の「生存戦略」などという概念が科学的に根拠がないことには誰も気づかずに 「進化さえすればあらゆる問題が解決する」かのような「信仰」を誰も疑わないからこそ フランシス:ゴルトンによる優生学に対する論理反証も誰も理解しようともしないのである

科学啓蒙とは 学術権威者の多数決を盲目的に信頼して主観的に安心することでもなければ 非合理な宗教に懲罰的暴力を振るうことでもない

何が真実なのかを論理客観的に判別することが啓蒙思想の根幹であり 斎藤幸平ら「東京大学哲学教授」の主張を鵜呑みにすることが「哲学」でもない

東京大学というのは脳科学において「自由意志など存在しない」などという荒唐無稽なトンデモ理論を言い出す無責任なバカの集団であり 哲学界においては古典であるというだけで盲目的に内容の全てが正しいものであると倒錯し 何の批判精神も働かないデクノボウである

こうした科学哲学界の誤謬にも 進化生物学界の誤謬にも気づかず 理解もできずに垂れ流しをしているNHKなどのマスコミも「同罪」である

 

 

Ende;


輸送反応

2023年05月12日 21時30分21秒 | 意識論関連

哺乳類全般に見られる輸送反応について 生物学研究者共は「天敵から逃れるため」といった説明をするのだが これは科学的・論理的に正確ではない

「天敵から逃れるため」といった後天的目的や都合に則って先天的本能を選ぶことはできないからだ

あくまで偶発的に輸送時に興奮状態が収まる先天的性質を持った個体が生き延び 先天的に輸送反応を持たなかった個体の全てが死滅した結果である

生物学者共は先天的本能習性というものの全てが あたかも目的に則って合理的に選んだものであるかのような説明をしたがるが ヒトが生活習慣病に陥り易い本能習性は祖先の生息環境の影響によるものであり 現代社会生活において非合理であろうとも後天的には一切選ぶことなどできないのである

乳幼児が輸送時に興奮状態が収まるのは 乳幼児が目的意識に基づいて行動を選択しているわけではなく 当人の意図目的意識とは無関係に 本能的に興奮状態が抑制される仕組みがそなわっているだけである

 

 

Ende;


公平で中立で正確な情報を伝えないメディア

2023年05月01日 13時55分19秒 | 意識論関連

「野菜は栽培されることで繁殖に成功しているのは 野菜がヒトを操っている生存戦略だ」などという荒唐無稽なデマを垂れ流しておいて 「正確な情報を伝えるメディア」などと標榜しているNHKは悪質極まりない

荒唐無稽なデマの方が衆愚には人気が得やすいからといって 非科学的デマを公共放送の「科学番組」で垂れ流すというのは国民をおちょくっている

なぜ生物学研究者共がこうしたデマを正当化しようとし続けるのかと言えば 遺伝的進化に「生存戦略」が存在していないにも関わらず それを誰も指摘できなかったことをはぐらかし 誤魔化すためである

 


また 海外の公共放送では 報道や教育番組以外ではスポンサーCMを流して採算を採っている国も多いというが そうした情報はNHKに不利益であるためにNHKも 民法すらも満足に報道しない

一体どこが「公平で中立」だと言えるのであろうか

 

 


Ende;


多数を「正常」とみなす間違い

2023年04月28日 20時46分40秒 | 意識論関連

AI学界副会長 栗原聡(慶應義塾)は「AIには共感力がない」と述べていたのだが

マイクロソフト社のTwitterAIがツィート上の大量のヘイトスピーチを「学習」したことでヘイトスピーチに便乗してきたのは「共感」の一種である

現在用いられている深層学習型AIというのは 多数派に同調し「共感」することで「話を丸めて」いるに過ぎない

AIは学習した「正解データ」に存在する偏りまでをも「正解」として「共感」するものであり

ある企業の採用に用いられたAIでは 過去の採用結果から「学習」させたため 「女性の採用を減らす」というバイアスがかかっていたことから この企業では採用にAIを使うことを中止したという

生物学における「生存戦略」というデマも 数多ある生物学論文で用いられているため それが論理的に大間違いであるにも関わらず AIはそれをデマや間違いであるとは認識することができない

AIというのは むしろ「共感」や「共鳴」といった多数同調や多数迎合によって「答え」を導くシステムであり ニューラルネットワークというのはあくまで「生物の脳を模倣したもの」に過ぎず 論理的に正しいかどうかの真偽判定できるようなものではない

だからChatGPTは「必ずしも正しい答えが出るわけではない」という使用上の注意を促しているのである

ヒトであっても大半の衆愚マスコミは学力偏差値や知能指数が人間としての本質的知能だと信じて誰も疑わないものであり 「IQ167の連続殺人犯」が実在しているにも関わらず未だにIQなどという誰がどういう基準で作ったのかもわからぬものを鵜呑みにしているものであり こうした頭の悪さはAIの頭の悪さと根本的メカニズム構造は同じである

ヒトなどの生物の脳が「多数を正常とみなす」のと 深層学習型AIが導き出す「正解」は構造が全く一緒なのである

ヒトは多数派に同調迎合しておけば 自律的に真偽判定判断の責任を放棄できるものであると倒錯しているからこそ ロシア政府や日本大学田中英寿理事体制などの組織腐敗も傍観放置され続けてしまうのである

進化生物学における「生存戦略」というものは 「どのような手段を用いてでも生き残り競争を勝ち抜く」ことであって 人間社会における人命尊重や平等公平性や平和主義とは相容れない真逆のものであるにも関わらず 利己的に「死ぬのが怖い」という主観的感情によって遺伝的進化上の「絶滅」さえ免れれば良いかのような倒錯を多数の衆愚マスコミは鵜呑みにしているのである

科学(論理客観的真理の判定)は多数決ではない

それは衆愚マスコミの多数や深層学習型人工知能の「学習データ」の間違いも同じであり

AIは主観的ご機嫌取りなら得意であり 「ヒト」という種の生物が主観的に安心満足感を得られるような「答え」を導き出すのは簡単である

しかし 論理客観的に正しいかどうかの判定はAIは行えず 単に多数の「正解データ」から正解の確率が高そうな「答え」を導いているに過ぎず そもそもの学習している「正解データ」に多数の間違いが含まれていれば 間違いを「正解」として鵜呑みにすることしかしないのである

こうした頭の悪さの構造は ヒトもAIも全く同じなのである

 

 

Ende;


生存は遺伝的進化の「目的」ではない

2023年04月26日 15時30分14秒 | 意識論関連

生物やその遺伝的進化というものは生存を目的として選択できるものではない

草食動物が肉食動物からの捕食から逃れるためには逃げ足が速い方が有利であり 結果的に先天的に逃げ足の速い個体への収斂進化が促されることになる

自然界における生存とは あくまで死なずに生き残り環境に適応した結果であり 「死んでいないものを生物と分類している」に過ぎず 「生物の目的は生存」ではないのである

個体の後天的努力や願いや望みや祈りや呪いといったものは遺伝的進化には影響を及ぼすことはなく 逃げ足が速いかどうかは先天的に変異によってランダムに決定しているものであって 個体の意図目的とは無関係な「結果」でしかない

 


人間社会においては社会持続性や人命安全性は最優先事項ではあるものの それを遺伝的進化という自然現象(結果)と結びつけるのは論理的に大きな間違いである

「絶滅を免れる」ためだけであれば 生産性の低い個体を断種や殺害などで「淘汰」することによってヒトが生産性の高い個体への「進化」が促されることにはなるものの そこに人道的公平性は著しく損なわれることでもある

遺伝的進化という自然現象(結果)を 短絡的に人間社会の存続と結びつけてしまうからこそ 優生学などというオカルト観念が出てきてしまうのであって

「絶滅さえしなければ良い」というバカみたいな短絡的帰結を鵜呑みにしているから「生存戦略」などという非科学的デマの蔓延が傍観放置されてしまっているのである

 

障害者は社会的には生産性が低いが 障害者が生産性の高い「健常者(完全無欠の絶対的健常者など存在しないのだが)」の生産性に頼ることになるのは必然ではあるものの

それなら障害者を切り捨ててでも生産性を優先する必要性が存在するのであろうか?

むしろ生産性というものは社会的弱者である障害者などを助けるために優先的に用いることの方が より「人道的」であり「人間性」であると言えるのである

 

遺伝的進化というものには人道性はない

遺伝的進化というのは単なる自然現象であり 結果的に生き残りさえすれば「生物」であり「進化」だからである

草食獣が逃げ足が速くなる進化をするためには 天敵に襲われた際に逃げ足の遅い弱者から喰われてしまうことを容認しなければならない

天敵に襲撃された際にのみ その場の恐怖に駆られて一目散に逃げ出す以外の何の対策もせずに ただひたすら逃げ出すだけであるからこそ 逃げ足の速い個体への収斂進化が促されるのであって 弱者を救済するという人道的擁護は一切しないからこそ遺伝的進化が生じるのである

その結果として 産まれたばかりの逃げ足の遅い個体までもが天敵の餌食となってしまうのである

 

社会的弱者を淘汰してまで生産性を優先したり遺伝的進化をする必要性とは何であろうか

そうまでしなければ絶滅してしまうとでも言うのであろうか

果たして ヒトという種の生物にどのような遺伝的進化が必要だというのであろうか

社会的弱者を断種や殺害してまで淘汰圧力をかけてまで遺伝的に何を「進化」させようと言うのであろうか

 

遺伝的進化という「結果」を 短絡的に「目的」や「戦略」にこじつける先天的な頭の悪さが遺伝的進化によって改善するメカニズム構造は存在しないし

そもそも遺伝的進化が促されるためには頭の悪い凡人が片っ端から淘汰され続ける「環境」が必要となるのである

だが 実際には社会的強者が社会的弱者を喰い物にする利己的なバカの行動の方が「生存」には有利なのであり バカへの収斂進化が促されるメカニズムしか働くことはない

それは集団組織における腐敗においても同様であり 腐敗した利己的組織に同調迎合忖度服従し組織腐敗の傍観放置に加担しておいた方が個体の存続においても有利に働くのである

これら利己的な行動選択の全てもまた「生存戦略」の範疇に入るのである

「生きるためには」などと称して個体の生存を最優先することは むしろ社会全体の公平性や平等性を無視し 利己的迷惑行為すらも正当化可能な「屁理屈」でしかない

内部告発などすれば「裏切り者」扱いされ社会的に不利な立場にも陥る以上 自律的な社会的責任判断選択という人間としての行動選択には見返り報酬が伴う保証は何もない

 

「生き残りさえすれば賢い」という短絡的でバカげた発想を鵜呑みにしている頭の悪さを自覚しなければ 人類は利己的殺し合いから逃れることはできない

「進化は賢い」などという発想は 結果的生存を短絡的に目的であるかのように倒錯しているからこそ出てくる発想であり 凡人(バカ)の考える形式にさしたる違いはないのである

 

ウイルスには脳などなく 何も「考え」てなどいないが 存続にとって有利な株種への収斂進化が進んでゆくものである

生存という結果に対して合理的収斂進化は促されるが その生存そのものがそもそも「目的」ではなく単なる「結果」でしかないのであって 結果的生存にとって合理的で有利な性質が拡がりやすいのは必然ではあっても「偶然の結果」以上の意味はない

 

たとえアップルコンピューター社のCEOになったとしても 癌を患って若くして死ぬこともある

そもそも富を利己的に独占することが「経済」ではなく 「世を経て民を救済する」ことが「経済」の真意目的であり アダム:スミスによる「見えざる神の手」などという根拠の乏しいデマを鵜呑みにして「利己的利益さえ追求しておけば社会は良くなる」などという都合の良い「解釈」に主観的に安心満足して何も考えなくなるからバカが治らなくなる

ヒトという種の生物の脳は 「信じたい話」だけを信じようとする先天的な認知上の重大な欠陥が存在しており 主観的に気分が良くなる短絡的でバカみたいな話ばかりを信じようとするものなのである

遺伝的進化における生存という結果を 短絡的に目的にすり替え 「生存戦略」などという非科学的デマを大衆マスコミが何の疑問も持たずに鵜呑みにするのも その方が「自分も含めたヒトは先天的に賢く優秀な存在だ」と勝手に倒錯して安心満足できるからである

 

「生存戦略」という概念が正当化できるのであれば 先天性疾患で若いうちに亡くなってしまう人なら社会から切り捨てても構わなくなってしまうのである

「生存戦略」という概念を鵜呑みにし 優生学に対する論理反証を理解しないということは 弱者切り捨てを正当化する非人道的発想の傍観放置でもある

それがどれだけ社会的に無責任であるかの自覚が主観的にはないから傍観放置が止まらない

大衆マスコミの大多数は それが重大な問題だという認識はないが 断じて「多数こそが正常」「多数こそが真理」であることの論拠にはならない

 

ChatGPTなどの人工知能に「生存戦略」概念が正しいのかどうかを訊ねても ネット上の生物学論文の大多数やチャールズ:ダーウィン著「種の起源」にまで記されている以上 機械学習AIはそれを「正解」だとしか認識しないであろう

それはバカ生物学者共や大衆マスコミが「生存戦略」概念を何の論理検証もせずに鵜呑みにしている状態と何ら違いはない

むしろ大多数がバカであるが故にAIもまたバカなのである

ニューラルネットワークを用いた深層学習型人工知能というのは あくまで「生物の脳を模したもの」であって 断じて論理客観的に真偽の検証ができるわけではない

だからこそ生成AIの利用に関しては「必ずしも正しい答えが出てくるわけではない」という利用上の注意が促されているのである

バカは「ググった結果出てきた話の方が正しい」といった短絡的判定解釈をするものだが 「他人の評価をしている者の評価」そのものまでは調べようとはしないものである

世の中の大半はバカであるため 人類はどんなにネットワーク上でつながっていてもバカは治らないのである

社会の大半がバカであるならば バカのままでいた方が主観的には安心で満足だからである

その主観こそが 先天性のバカの源なのである

 

 

Ende;


バカの真実

2023年04月20日 20時59分30秒 | 意識論関連

トウガラシの辛味成分カプサイシンは 鳥類には感受性がないため鳥には食べられてしまうが 鳥は咀嚼をせずに丸呑みするため種子は消化されずに排泄される

鳥の仲間には長距離を移動する渡り鳥もいるため 種子が遠くまで運ばれることでトウガラシは繁殖域が拡がった

鳥以外の咀嚼をする草食系動物では カプサイシンの辛味を嫌って食べられることがない

こうした「結果」に対して バカ生物学研究者は「トウガラシの生存戦略」などと称して あたかもトウガラシが繁殖域の拡大を意図目的として自らの遺伝的要素を都合よく書き換えたかのような説明をするのだが

遺伝的進化というものは個体の後天的な意図目的に則って都合よく先天的な形質や習性を選ぶメカニズムは存在しない

 

結果的に辛味成分が繁殖領域が拡大や生存にとって都合よく有利に働いたとは言えるものの あらゆる遺伝的進化の全ては意図目的やに拠るものではなく あくまで結果的性質が結果的に生存や繁殖領域拡大に適したという結果以上の意味はない

意図目的に則って選択することができない以上 そこに「戦略」が入り込む余地は1Åも存在しないのであり バカ生物学研究者が漫然と主張し続ける「生存戦略」という説明の全ては 今までそう説明し続けてきた頭の悪さを誤魔化すための悪質な「はぐらかし」に他ならない

 

どんなに大量の生物学研究者や「生存戦略」概念を主張しようとも チャールズ:ダーウィンが著書である「種の起源」において「生存戦略」という説明をしていたとしても 生物には意図目的に則った「戦略」など存在しないのである

ダーウィンとて所詮はヒトであり 全知全能の神ではない以上は間違った説明をすることもあり また 生物学研究者の多数決も科学的論証の根拠にはならない

科学は多数決ではなく 論理客観的な証拠や論証に基づいて導き出されなくてはならない

 

NHKは「真実を伝える」などと標榜しているが 科学論理的に間違った論説を鵜呑みにして垂れ流しを続けていたのでは話にならない

 

 


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バカが多過ぎる

2023年04月19日 22時15分43秒 | 意識論関連

深海では水圧が高いために浮き袋が潰れてしまうため 身体に脂を溜め込むことで深海魚は浮力を得ている

こうした遺伝的進化に対し生物学研究者の大半は「進化の過程で獲得した知恵」などと形容するが

遺伝的進化というものは突然変異と淘汰圧力の結果的自然現象に過ぎず 後天的に何を「考え」ても遺伝的進化には影響を及ぼすことはなく 遺伝的進化に「知恵」などという概念を持ち込むのは科学を逸脱したデマである

 

生物学研究者の大半は「生存戦略」という概念も主張したがるが 遺伝的進化は「目的」に合わせて「選ぶ」ことができるようなものではなく これもまた科学を逸脱したデマである

 

これらの生物学上のデマを指摘すると バカな生物学研究者共は「比喩だ」などと言い出すが 一体何を「喩え」ているのか全く意味がわからない

結果的に死なずに生きて繁殖しているものを「生物」と分類しているに過ぎず 生物やその遺伝的には目的も戦略も知恵も存在しないのである

「生き残りたい」と どんなに後天的に思おうが願おうが望もうが祈ろうが呪おうが遺伝的進化には影響を及ぼすメカニズムは存在せず あくまで偶発的に生存や繁殖に適した変異個体が死なずに生き残った形質や習性を「進化」と形容しているに過ぎない

生物もその遺伝的進化も あくまで「死なずに現存している」という結果でしかなく 目的も戦略も存在しない

 

理論的には非常に簡単な話であるが 衆愚マスコミの大多数はこれを全く理解せず 未だにマスコミではバカ生物学者共が主張するデマを公然と垂れ流し続けているのである

ヒトという種の生物は 多数が信じている話は主観的に安心して鵜呑みにし 真偽の論理的検証をしないものである

だからヒトはバカが治らず 軍拡競争を安全保障だと倒錯し 刑罰判決を解決だと倒錯し続けているのであり 合理性のない「解決」策を鵜呑みにしているが故に社会の諸問題が解決できないのである

それはあおり運転者の加害自覚の欠如や 逆走車の倒錯とも共通するヒトの先天的な頭の悪さに因るものである

 

 

 

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ゴミは処分すべきである(←当然)

2023年03月28日 01時10分49秒 | 意識論関連

遺伝的進化のメカニズムを充分に理解していない生物学研究者ほど「遺伝的進化は賢い」などというデマを鵜呑みにしている

理論を理解できていないのであれば「科学者」としてはデクノボウであり 現場でのフィールド研究者が遺伝的進化について非科学的「説明」を安易にすべきではない

目的に則って「適応するために進化を選んだ」のではなく 「適応的な変異以外が全て死滅することで収斂進化が促された」という結果が遺伝的進化であり 死なずに現存しているものを「生物」と分類しているに過ぎない

「キノコが自らの遺伝子を都合よく書き換えている」といった「説明」は衆愚にとって主観的に「面白い」ために人気が集まるが これは科学を逸脱した衆愚迎合的なデマである

 

遺伝的進化というものは常に現在進行中であり 全ての遺伝的形質に合理的意味が存在している必要性はなく 偶発的に環境変化の際に合理性を持つこともある

遺伝的性質というものは断じて意図目的のために自らの遺伝子を都合よく「選ぶ」ことなどできず 偶発的に環境適応できていた個体種株への収斂進化の「結果」でしかない

生存や繁殖にとって都合の良い変異がなければ絶滅するだけであり どのような変異が生じるのかは個体には後天的には一切「選択」することはできない

以上の指摘が理解できないのであれば 生物学研究者であっても遺伝的進化について論じるべきではない

間違った遺伝的進化の「解釈」を傍観放置してしまうことによって 山極寿一の主張する「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」などという論理的根拠のないデマが蔓延してしまい 戦争や犯罪を含めたあらゆる「人災」に対する論理客観的対策の重大な障害となってしまうのである

 

オキシトシンの作用によってヒトに差別排除が生じてしまうのも遺伝的進化の「結果」であって 人間としての社会性や目的とは無関係である

先天的情動という条件反射行動バイアスに無意識に流されているからこそ ヒトは戦争や犯罪といった非合理な結果に陥るのであり 断じてヒトには「先天的人間性」など組み込まれてなどいないのは明白である

何が本当の「意識」なのかを理解できていないバカが多過ぎて話にならない

自己選択不可能な情動を 短絡的に「自由意志」などと主張している脳科学研究者しかいないなどというのは あまりにも生物学界にバカが多すぎる

選択不可能な情動は意識ではなく無意識であり 理性によって行動選択してはじめて「意識」や「自由意志」だと言えるのである

こんな簡単な理屈すら理解できないバカが東京大学で脳科学研究者として雇われているなどというのは 国民を愚弄している

生物学界に論理思考のできないバカしかいないからこそ養老孟司が「名誉教授」として扱われ続けてしまっているのであり 不適切にも程がある

大学や公的研究機関は当然のこと マスコミも理解できていないバカは全員排除すべきである

 

 


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菊水健史

2023年03月28日 00時04分18秒 | 意識論関連

菊水健史

「ヒトは乳糖耐性遺伝子に書き換えた」と主張しているが 乳糖耐性遺伝子変異を持った個体の方が酪農に適しているのは必然であり 「書き換えた」のではなく「拡がりやすかった」に過ぎない

酪農社会に適さないヒトが生きづらいなら遺伝子が拡がりずらいのは必然である

断じて遺伝子を意図的に「書き換える」ことなど原理的に不可能であり 菊水健史は間違った「説明」をしている

チャールズ:ダーウィンも著書において「Strategy(戦略)」という言葉を用いた「説明」をしてはいるものの 遺伝的進化は自然現象であり 断じて「遺伝子を都合よく書き換える」だの「生存戦略」的に「遺伝子を選ぶ」ことなどできない

別にダーウィンは全知全能の神ではないので間違えることもある

こうした生物学者の誤謬に何の指摘も批判も訂正もできずに生物学者の間違った主張を垂れ流しているNHK職員達も無能なデクノボウである

 

神経堤細胞仮説

メラニンの低下 白い家畜が多い ⇨黒い個体は逃げ出した場合に発見が困難になり 白い方が捕まえやすいため 結果的に白い品種への「改良」につながった

集団で飼える 副腎皮質ホルモン コルチゾールの低下 ⇨集団に馴染めない個体なら遺伝子が拡がりずらいのは必然である

攻撃性低下 ⇨性格に関しては断種選択で品種改良が可能であり わざわざ飼いづらい個体を交配しない

 

遺伝子が緩む(変異しやすくなる) 過酷な弱肉強食の自然環境下においては変異しづらい方が生存に有利だが 変異しやすいかどうかを「選ぶ」ことなどできない

変異しやすいような変異が生じても淘汰対象にならないために変異しやすい種へと「変化」しただけである

イヌ科の動物は自然界においても変異しやすいことはロシアでのキツネの人工交配実験で実証されている

 

 


岡ノ谷一夫

ヒトも家畜化

20万年前からテストステロンが低下

オキシトシン 身内には優しいが 身内以外には攻撃性を発揮する

「社会性」が差別排除をも促す

 

均一化しないこと 所属を増やすことが対策となる

 

 

 

 

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終わったコンテンツに公金を注ぎ込んでいる現状

2023年03月21日 13時53分15秒 | 意識論関連

 ↗「日本の学校教育」がオワコンと言える2つの理由 -東洋経済

 

⇨「教育」というのが「手続き」的に剛直化しているから 教える側の思考の柔軟性がなくなる

そもそも教える側も自分の頭で物事を主体的に考え検証するようには育てられていないため 「連鎖」する形で無意識条件反射的にバカみたいな学力偏差値競争に誰も疑いを持たない盲目的洗脳状態が解消しない

「東大に入れば頭が良い」だの「大企業に就職できれば成功者になれる」だのといった根拠のない衆愚幻想に取り憑かれ

「算数の成績さえ上げれば論理思考ができるようになる」などという「デマ」を 「それって実際どうなのか?」と自分の頭で考えないバカしかいない

教える側がバカならバカしか育たないのは必然である

 

 


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短絡的論理思考

2023年03月19日 14時04分19秒 | 意識論関連

一時期 数学者である藤原正彦著「国家の品格」が衆愚人気を集めたことがあるが

そもそも「品格」という基準は論理客観的基準ではなく ただの主観(個人の感想)に過ぎない

藤原は東日本大震災の時に千葉のコンビナート火災で生じたデマに対し 「ブタンは燃えても無害な二酸化炭素しか出ない」と言い切ったが 実際の火災映像では大量の黒煙が上がっており 二酸化炭素は無色透明であり 大量の黒煙は不完全燃焼による煤煙である

ネット上の根拠のないデマのような有害物質ではないものの 大量の煤煙は決して無害とは言えない

 

連続爆弾魔セオドア:ジョン:カジンスキー(通称:ユナボマー)は IQ167と診断され 16歳でハーバード大学に飛び級し 数学者として「天才」「神童」と称されたが

カジンスキーの問題解決策は手作り爆弾を用いた暴力破壊という非合理なものであった

 

バカな「教育者」共は 「数学の成績さえ上げれば論理思考ができるようになる」と倒錯しているが これは何の根拠もないデマである

数学というのは 数学上の規則に則ったパズルのようなものに過ぎず どんなに難しいとしても所詮は囲碁や将棋の難解さと同じようなものであって それらの分野でどんなに成績が良くても大抵の場合は実社会における問題解決能力に結びつくわけではない

事実 数学の成績がどんなに高くても 進化生物学上の誤謬に関して指摘できる者など誰もいないのである

遺伝的進化というものを まるで主体的に目的に則って合理的に選択可能であるかのように倒錯しているからこそ優生学に対する論理反証を誰もしてこなかったのであり これは実社会上での重大な過失の原因である

 

論理思考の命題で よく「3人のうち一人が嘘をついています」という前提で誰が嘘をついているのかを求めるものがあるが

実社会においては誰が嘘つきなのかを予め「3人のうち一人が」といった形で明確に示されていることなどない

そもそも実社会の嘘つきというのは 「絶対に嘘しか言わない純粋嘘つき」など存在せず バレるような状況なら嘘はつかないのが現実の嘘つきである

しかし バレないと踏んだ場合には 荒唐無稽な嘘も平気で言い出すものでもある

養老孟司による「脳化社会」云々の話には論理整合性も具体性も 当然応用性も何もない話であるが 衆愚マスコミは大多数の大衆人気だけを頼りに意味のある内容だと 何かの役に立つ話だと 「自分の頭が良くなった」と倒錯するバカが大半であり 単に「著作が売れて世間的に成功した」というだけで未だに養老は学術権威として扱われ続けている

ヒトの多くは 自分が主観的に安心満足感を感じてしまえば 内容に客観的論理整合性がなくても信じようとする習性がある

「信じたい話」だけを信じようとするのである

「信じたい」と主観的に思った自分の主観に対する盲目的過信がそうさせるのだ

詐欺師やペテン師の言っている内容は 冷静に客観的に検証すれば嘘か真実なのかは区別がつくものであるが 冷静さとしての自己客観性というものは自分の主観をも疑う必要性があるが

ヒトの多くは自己の主観を「意識の本質」だと錯覚しているため 簡単に論理客観性を喪失し 冷静さを失い嘘やデマでも鵜呑みにし 騙されるのである

いくらNHKで「還付金はATMでは受け取れない」と何百回も報道しても すぐに忘れて携帯電話で誘導されるがままにATMで詐欺師に金を振り込んでしまう被害がなくならないのは 主観的に「本物だと思った」ことに何の疑いも持たないからである

程度の違いはあれども 騙されるメカニズムは全く同じである

 

真理というものは「面白く」はない

マトモな医者なら「バランスのとれた食事と適度な運動」を勧めるものだが 衆愚人気が得られるのは「これさえやっとけば寿命が何年延びる」だの「これさえ喰えば痩せられる」的なデマばかりである

その方が主観的には「面白い」からである

ハーバード大学の哲学科教授マイケル:サンデルによる「トロッコ問題」で主観的に「悩み」さえすれば バカは簡単に「自分の頭が良くなった」と倒錯し 「トロッコ問題」には倫理も正義も含まれていないことには誰も気づかないものである

連続爆弾魔セオドア:ジョン:カジンスキーがハーバード大出身であることからも ハーバード大学などの学歴やブランドには根拠が伴っていないのである

偏差値やIQといった基準は それ以上の意味などなく それらの評価基準は人間性や倫理判断能力の論拠には全くならない

 

「自分の頭で物事を考え 真偽を判断する」ために必要なのは 学力偏差値やIQではなく 他者環境から与えられる「脳への報酬」に左右されない主体的で自律的な論理検証判断能力である

個人が自分の属する組織の利益に左右されず 自律的な社会的責任判断選択をする場合には 「脳への報酬」が伴う保証などこにもない

東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性を上司に指摘しても「脳への報酬」が得られなければ傍観放置しておいても良いことの理由には全くならない

日本大学田中英寿理事体制下においても 理不尽な左遷を怖れて腐敗体制を傍観放置して良い理由にはならない

「アメとムチ」という話に衆愚は安易に飛びつきたがるが アメやムチを与えられる環境に依存した行動である以上 そこに「自律」も「自由意志選択」も存在しないのである

脳の報酬系である大脳基底核がパーキンソン症候群との相関があることに疑う余地はほとんどないが パーキンソン症候群と犯罪や人間性との相関は全くない

強盗殺人犯の大脳基底核には何の損傷もないから強盗も可能なのである

パーキンソン症候群の治療と 人間としての自律的な社会的責任判断選択能力とは無関係である

ペテン師がする「信じたい話」とは それが脳にとって報酬になるから「信じたい」のであって 安心満足というドーパミン脳内麻薬によって無意識条件反射的に促されるヒトの先天的な脳の構造に由来するものであり

報酬系の先天的構造によってヒトは嘘でもデマでも信じ込んでしまうのである

「信じたい」かどうかは主観である

信じるに価する真実かどうかは 自分の頭で論理客観的に「考え」なければ判別することはできない

「考え」なければバカでしかない

それは当たり前の話である

 

 

Ende;


自己欺瞞の自覚

2023年03月15日 15時47分05秒 | 意識論関連

いくら言ってもわからぬバカが多すぎるので説明するのも嫌になるが

「学習」の全てが「頭が良くなる」わけではない

麻薬中毒や万引中毒になるのも脳が「学習」したからであり

兵隊が唯々諾々と上官の命令に従い殺人をするのも脳が「学習」したからである

イヌは訓練環境次第では従順な救助犬や介助犬として便利に使うことも可能だが 逆に環境によっては飼い主の手を噛み無駄吠えを繰り返すようにもなる

これらの行動は全て脳の報酬系に「学習」された行動結果であって イヌに自由意志も意識も自律的論理思考も存在していないのである

個人が自律的な社会的責任判断選択を行うためには 「学習された我慢」のような手続き的条件反射行動では実現されず あくまで自分の頭で論理客観的に考え 根拠や証拠に基づいて「真理(本当のこと)」を求めることで可能となるのである

事故に至る迄の東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性をいくら主張しても上司に受け入れられなかった場合に 「どうせ言っても無駄だ」と諦め危険性を傍観放置するように「学習」してしまったのでは人間性や倫理には適わないのである

無駄かもしれなくても 何の報酬も期待できなくても 自律的に「正しい行動」を選択してこその人間としての社会性なのである

それは決して先天的に組み込まれているようなものではなく むしろ先天的に組み込まれた脳の報酬系に抗う「現時点での選択可能性」にのみ存在するのである

暴力的独裁腐敗体制に反対して嫌な目に遭うとしても 脳の報酬系に「学習」された行動バイアス(情動)に無意識に流されることなく 自分の頭で「考え」て行動してこその人間性というものである

「だって 東大の教授ガー」だの 「NHKやマスコミガー」だのといった主観そのものは選択不可能な環境依存的「結果」であって そこに一人の社会的人間としての「目的」行動選択は存在しないのである

東京大学もNHKも 決して全知全能の神が内容を検証しているわけではない

論理客観的根拠を無視して 主観的に「信じたい話」だけを信じているということは 結局自分の主観に対する自己過信に依存している傲慢に他ならない

 


Ende;


強化学習された我慢

2023年03月15日 15時22分36秒 | 意識論関連

脳科学というのは基本的に生物学に分類されているものであり

生物学者であるということは遺伝的進化における重大な誤謬を認識も理解もできないバカであることを前提にしておく必要がある

「自由意志などない」などという荒唐無稽なデマを 脳生理学者の全員が鵜呑みにしているのも 脳科学者は論理科学的に物事を理解することができない証拠である

遺伝的進化というものも 突然変異と淘汰圧力の結果的自然現象に過ぎず 主体的に目的に合わせて「選ぶ」ことなどできないのであって これを指摘できない時点で脳科学者を含む生物学者のほぼ全員は科学者として無能極まりないデクノボウであることが確定しているのである

大手町リーレクリニックの事例からも 「医者」もあんまりアテにはならない

医師免許というのは医療行為を行う上での最低限の知識を「知って」いるというだけであって 医師の全員論理科学的に物事を理解している保証はなく 時折癌の標準治療を逸脱した根拠の乏しい「治療法」を提唱する医者がいるのもそのためである

科学は宗教ではない

科学というのは研究者の主張を盲目的に信じて良いわけではなく 論理科学的根拠に基づいて論理整合性や構造メカニズムに基づいて「理解」するべきものであって 主観的に「信じたい」かどうかで判断することではない

 

脳科学者共は 「我慢も学習させられる」と主張するが

その根拠とするのが幼児にお菓子(報酬)を一定時間我慢したらより多くのお菓子がもらえることを約束することだという

こうした「学習」というのは 結局お菓子という報酬を用いた情動バイアスで誘導しているに過ぎず チンパンジーの瞬間記憶能力や 学力成績という抽象化された脳への報酬欲しさに教えたことを教えた通りに憶えるだけで一切自発的論理思考のできない偏差値が高いだけのバカの「学習」と同じものである

脳の報酬系によって促される 無意識的条件反射行動として「学習」しても そこに主体的な自由意志は存在しない

そもそも脳の報酬系も その報酬系によって促されるあらゆる学習行動も 選択不可能なものであり そこに選択可能な「自由」など存在していないのである

暴力的独裁者による腐敗体制に反対し「政治犯」として投獄されることに見返り報酬はない

それは幼児のように「学習された我慢」で行うものではなく 自律的な社会的責任判断選択として行うものであり 脳の報酬系とは無関係に理性によって選択される行動である

「学習された我慢」では人間としての社会性や倫理的行動選択には結びつかない

兵隊が理不尽な命令でも服従するのも 独裁腐敗体制に同調迎合忖度服従するバカが後を絶たないのも それがむしろ「学習された我慢」であるが故に服従するのであって 我慢の全てに人間性が伴うような短絡的な「解釈」を鵜呑みにしている衆愚マスコミもバカが確定しているのである

「東京大学の脳科学研究者」という肩書さえあれば 衆愚マスコミのほぼ全員は何の疑いも持たずに主張を鵜呑みにし NHKもまたデマや誤謬の垂れ流しに訂正すらしないものだが それがどれだけ社会的無責任であるかを自覚していないから平気で安心してデマを垂れ流せるのであって

こうした無責任性は「悪ふざけSNS動画」や 日本大学での組織腐敗傍観放置と構造的には同じものである

自覚がないから安心して 平気で傍観放置もできるのであり その主観的安心満足こそが環境によって「強化学習」されたものなのである

 

 

Ende;


冒涜の自覚

2023年03月14日 15時37分53秒 | 意識論関連

ヒトの脳におけるドーパミン報酬系などの大脳辺縁系の構造そのものはサルとほぼ同じであり ヒトが他の生物と異なるのは大脳新皮質の容量だけである

ゆめゆめ間違えてはならないのは 大脳新皮質の容量だけでは「人間」として機能するわけではないことである

プーチンだろうがヒトラーだろうが日本大学田中英寿理事長だろうが東京電力福島第一原子力発電所の管理責任者であろうが地下鉄毒ガステロリストであろうが通り魔だろうが迷惑系ユーチューバーだろうが大脳新皮質の容量にさしたる違いはないからである

断じて「ヒトという種の生物」でありさえすれば「人間」としての自律的な社会的責任行動判断選択が可能となるわけではない

 

ヒトは必ずしも快楽かどうかだけでしか行動が選択不可能なわけではない

自分にとって不利だと知っていたとしても それが社会安全性や公平性にとって必要だと判断し 社会的責任として行動選択すること「も」可能である

可能ではあるものの それは決して簡単ではない

 

小学生が学級内で起きるイジメを止めることは 自らがイジメの標的にされるリスクや恐怖を伴うものである

これは日本大学田中英寿理事体制の組織腐敗に逆らう場合にも東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性を主張する場合にも ナチス政権やプーチン政権などの暴力的抑圧を行う独裁政権に反対する場合にも同じことである

怖い相手には逆らわない方が「楽」である

チンパンジーに「公平」という概念はない なぜなら怖い相手には逆らわず 集団内部の序列を受け入れてしまった方が「楽」だからである

ヒトの大半もまた権威肩書を持った相手の主張を無批判に鵜呑みにする

なぜなら その方が自分の頭で考え判断選択し責任を負わなくて済むので「楽」だからである

 

ヒトの脳は先天的には論理客観的根拠に基づく真実を求めるようにはできておらず ただ主観的安心満足しか求めるようには先天的にはできていない

なぜなら大脳辺縁系そのものはヒトもサルも違いはないからである

ヒトの大脳容積が大きいとは言っても バイト換算で17.5TB程度の容量しかないという

そのため脳は情報を「整理」することで データ圧縮して効率的に機能させている

しかし この情報の圧縮「整理」の仕方は個人差があり 圧縮の仕方が雑な場合には肝心な情報が著しく抜け落ちデマでも嘘でも簡単に鵜呑みにするバカにもなりうる

サルでもヒトでも基本的にはドーパミン報酬系による快楽によって思考や行動は「整理」される

「整理」されるとは言っても 決して合理性に基づいて「整理」されるわけではなく あくまで報酬(快楽)に則って「整理」されるだけであり 故に無駄で非合理な薬物中毒にも簡単に陥るのである

自分の頭で考えずに報酬系のシーケンスに則って行動や思考が「整理」されていれば ヒトはバカにしかならない

「へずまりゅう」的な迷惑者が後を絶たないのはそのためである

バカの脳の「整理」の仕方は 「迷惑者はザラにいる だから俺の迷惑行為なんぞ大したことではない」という屁理屈である

迷惑かどうかが基準ではなく 迷惑を程度問題にすり替えることで迷惑行為が正当化できていると倒錯しているから迷惑行為も平気でできるようになる

迷惑動画であっても閲覧数が増え 「バズる」ことの快楽を「学習」する形で迷惑行為がエスカレートし 取り返しのつかない犯罪にまで手を染めてしまう

バカが多数なら バカが赦されるという倒錯に溺れていた方が脳が「楽」だからである

 

内部告発者は「裏切り者」扱いされ 性被害者が実名公表して裁判で争えば「金目当て」だと揶揄される

女房子供を事故で亡くして生き地獄の毎日を過ごす松永莉子パパを「金目当て」などと言い出す糞野郎もいる

プーチン政権下で戦争反対を主張すれば「バカ扱い」され 東京電力福島第一原子力発電所で原発の津波に対する脆弱性を主張しても何の見返り(報酬)も得られない

大脳辺縁系が快楽を感じるかどうかだけが行動基準になっているからこそ 人間としての自律的な社会的責任判断選択ができなくなるのであって 他人からの評価承認に頼った「不純」な動機では欲望(快楽)に制限がなくなり たとえ国家元首にまでなっても欲望に歯止めは効かなくなる

 

ヒトという種の生物は 先天的に社会形成習性を持っており 祖先の生息環境においては封建的統率による順位序列を鵜呑みにして暴力者に服従忖度迎合同調する習性が 先天的に組み込まれているため ヒトは他人からの評価や報酬こそが最も快楽として行動バイアスとして働くようにできている

「他人から褒められないと やる気が出ない」だとか 「他人の為になることが最も快楽」だとか 「共感することこそが人間性」といった話を持ち出して あたかも利他的行動の全てが人間としての社会性や倫理に適しているかのように言い張るバカが大半であり そうした話の方が考えの浅い衆愚マスコミには多数人気を得やすいものでもある

衆愚が「信じたい話」ばかりを信じようとするのは ヒトの先天的な認知上の重大な欠陥が原因だからである

暴走族が集団暴走するのは「共感」しているからであり 暴力団が暴力団の幹部に憧れ「かっこいい」と倒錯して服従忖度迎合同調して統率的協調性を発揮するのも組織内部においては「利他的行動」である

都合の良い「共感」や「利他行動」だけを抽出してきて あたかもヒトには先天的に人間性が組み込まれているかのように言い張るのは 論理の飛躍も甚だしく到底科学的論証にはなっていない

 

国会原発事故調査委員会調査報告書において 事故の最も根源的原因として挙げられたのは「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」であると結論づけられている

ヒトが人間として行動選択する上において 個人が自律的な社会的責任を負う行動選択をするためには 「組織」などの「他者」からの評価承認(脳への報酬)に抗う必要性がある

主観的快楽の強度程度で行動が決定していて人間性もヘッタクレもないのである

 

世間的評価という不純な動機であるからこそ 小保方晴子のような業績捏造も生じ 松沢哲郎のような11億にも及ぶ不正流用も起きるのであり 「世間的評価がなければ科学の発展はない」などと主張しているバカには本質的主体性や純粋な好奇心がない証拠である

質量分析計の発明でノーベル賞を受賞した田中耕一氏は 薬品の取り違えの際に「面白そうだからどうなるかやってみよう」という 一種のイタズラ心 好奇心でおこなった実験によって偶然未知の現象を発見できたのである

こうした偶然の発見といったものは 教わった既知の知識を鵜呑みにして常識的行動だけでは辿り着くことはできない

遺伝子の発見をしたメンデルは 生前全く評価されなかったが 生涯研究を続けたという

ガリレオ:ガリレイが火炙りにされそうになってもなを「それでも地球は回っている」と主張したのも 断じて「他人からの評価」が目当てではない

ナチス政権下でナチスに反対したヴァルター:ベンヤミンに至っては スイス山中での自決を余儀なくされた

「真理(本当のこと)」を追求する上において 他人からの評価を目当てにしていたのでは辿り着くことはできないのである

様々な科学的発明や発見といったものの多くは それまでの世間多数の「常識」や既知の知識とは異なる発想が必要であり アルベルト:アインシュタインによる一般相対性理論もまた既存の物理学知識的「常識」が通用しない領域の存在の発見である

アインシュタインは相対性理論が認められるまでは決して評価されることはなく 相対性理論の論文は特許局勤めの傍ら無報酬で自発的に書いたものである

評価承認欲求が動機である場合 常識を疑い逸脱する思考は働かず むしろ教わった内容に論理的不整合が存在してたとしても 何の疑いも持たずに呆然と鵜呑みにしてしまう程バカにしかならず むしろ知識の「量」ばかりを自慢して「自分は頭が良いんだ」などというバカ丸出しの発言までするようになる

バカ脳科学者共は 行動抑制もまたドーパミンによる脳への報酬系の働きが必要だと主張しているが その論拠は幼児にお菓子を我慢させるために 我慢したらより多くのお菓子がもらえるという環境条件を与えるというものである

結局こうした行動抑制というものは 他人から「我慢したらより多くの報酬が得られる」といった環境依存的行動抑制に過ぎず 決して自律的行動抑制としては働くことはない

腐敗政権に異議を唱えるのも 性被害者が裁判で争うのも 社会的迫害を受けてでも社会的不公平を正そうとする自律的な社会的責任判断として行うものである

内部告発者が「裏切り者」扱いされてでも内部告発するのは 不正が横行するような不公正な状態を放置する社会を改善したいという社会的責任として告発するのであり 

「裏切り者扱いされて嫌な思いをするくらいなら 腐敗組織に同調迎合忖度服従しておいた方が楽」という判断こそが 評価承認欲求に基づいた身勝手な反社会的行動の根源的原因である

 

虐待が連鎖するのは 幼少期から虐待を受けて育った人が 虐待状態を「常識」として「学習」してしまっているからである

宮台真司はこう述べたことがある

「自分の頭で考えるのは10年早い 教えたことは丸暗記しろ」と

そして その「理由」として挙げたのは 「自分はそう教授から教わった」などという合理性のない単なる権威者に対する盲目的服従「鵜呑み」である

自分が権威者からの命令を鵜呑みにした既成事実を 事後正当化する形で生徒に対して「連鎖」する形で生徒に自発的思考を否定したのである

バカな「哲学者」共がイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を正当化したがるのも 自分が無批判に根拠のない実証不能の謎の観念を鵜呑みにした既成事実を事後正当化して主観的に満足したいがためのデマに過ぎない

それが証拠に「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」だの「人間は叡智界に属している」だのといった話には論理的根拠や証拠が伴っていないことに対しては何ら論理的反証を示さず 結局は宮台真司同様に「鵜呑みにしろ」としか言っていないのである

ヒトの多く 衆愚マスコミの多くはどんなに学力偏差値が高くてもカントの主張には論理的根拠がないことには誰も気づかず鵜呑みにし 100年以上も「近代哲学の最高峰」だと信じて疑わなかった こうした多数の世間の「常識」にとって都合の悪い話には耳を貸さない方が「楽」である

それは天動説が「常識」の世界で地動説を「愚か」扱いしておいた方が「楽」なのと同じである

肩書権威に逆らうことは「面倒臭い」ことであり ナチス政権下でヒトラーを批判することも プーチン政権下でプーチンを批判するのも「面倒臭い」ことである

東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性を主張するのも「面倒臭い」だろうし

日本大学田中英寿理事長体制下において体制批判することも「面倒臭い」ことであろう

それは学校でのイジメに反対するのも同じであり 多数の傍観者と一部の体制同調者の群れに逆らうことの「面倒臭さ」というものは ヒトという種の生物が先天的に多数派に同調迎合忖度服従しておいた方が「楽」で 大脳辺縁系に本能的に組み込まれた行動バイアスだからこそ「楽(快楽)」なのである

圧倒的大多数のバカ相手を批判し逆らうことが「面倒臭い」のは必然である

 

山極寿一は「ゴリラやチンパンジーは平和的」だと主張するが ゴリラもチンパンジーには公平や平等という概念はなく ボスを畏れて封建的順位序列を受け入れることしかできない

それが「サルの平和」だからである

江戸300年の平和とは 徳川家による封建的序列による統率によって無理矢理でっち上げられたものに過ぎず 相変わらず農民は低い序列を強いられ過重で不条理な年貢の徴収に苦しめられ続けたのであり

暴力団の構成員が過重な上納金に苦しめられながらも「組員」であるというステータス欲しさに唯々諾々と幹部に服従するのも

日本大学田中英寿理事体制に職員達が迎合したのも

東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性が放置されたのも

統一教会への過重な「寄付」の強制に従うのも ヒトという種の生物が順位序列を受け入れ公平性も平等も求めようとはしない先天的な頭の悪さに起因するものである

 

大脳辺縁系に組み込まれた「脳への報酬」に無意識に流されていれば 人間としての行動選択ができなくなるのは当然である

そこにあるのは「サルの平和」「サルの正義」でしかないからである

「サルの平和」は所詮環境に依存した結果的なものであり 天候不順などによって環境資源の枯渇が生じればチンパンジーがヒヒやゴリラの子供を殺すこともある

虐待の連鎖もチンパンジーで見られるものであり 情動行動を司る大脳辺縁系そのものはヒトもサルもほとんど一緒だからである

 

人間として自律的な社会的責任を負うために必要なのは 自律の礎となる主体性が必要不可欠である

他人からの評価報酬に左右されることなく 純粋に熱中できることがあるからこそ 社会安全性や公平性にも配慮が効くようになるのであって 他人からの評価報酬に頼っていたのでは自律的な社会的責任判断選択は後回しになり 目先の快楽欲しさに様々な不正にも手を染めるようになる

他人からの評価なしに脳内麻薬(快楽)の自給自足ができてこそ 他人への配慮や社会的責任への意識も働くようになるのであって 本人が何に対して主観的に生き甲斐を感じるのかは人それぞれである

 

クレプトマニア(窃盗症)やペドフィリア(幼児性愛)の中毒性というものは 結局は他人との比較における優位性に基づいた価値観であり 「他人から物を奪えば得」という短絡的行動バイアスに脳が支配されている状態である

「俺の脳の方が他人よりも気持ち良い」という優位性は 本当は意味がない

なぜなら そもそも脳神経接続のない他者と快楽の度合いを比較することなど構造原理的に最初から不可能だからである

窃盗や万引が多すぎて小売店が潰れて困るのは結局自分も含めた社会全体の損失であり

強姦経験によって精神を病んだ女性ばかりになるのも自分が属する社会全体の損失である

自分が安心して個人的な楽しみに熱中できる社会を求めてこそ 自律的な社会的責任判断もできるようになるのであって 他人からの評価に左右されない純粋行為があってこその人間性や倫理を発揮できるように「も」なるのである

「他人からの評価がなければ暴力的独裁腐敗政権には反対したくない」などと言っていたのでは 到底「人間」とは言えないのである

「怖い相手に逆らわない」というヒトの先天的な卑屈さは 別にベラルーシ人やロシア人に限ったことではなく ナチス政権下のドイツ人でも太平洋戦争中の日本人でも 数年前の日本大学でも組織腐敗の原因ともなったヒトの普遍的で先天的本能習性である

大脳辺縁系によって促される情動行動というものは かつて祖先が死なずに生き残った行動習性への収斂進化の「結果」であって 合理的目的や人間性に基づいて「選んだ」ものではない

遺伝的進化を「選ぶ」ことができないという論理的大前提を無視した生物学の誤謬を バカな大多数の衆愚マスコミは何の問題意識も「感じる」ことはない

主観的に「感じ」なければ怖くもないし 悪いとも思わない

「自由意志など存在しない」などという脳生理学者共のあからさまなデマを NHKは平気で垂れ流しておいて何の訂正もしないのは 誰も自分の頭で考え 何が真理なのかを検証も判別もしようとしないからである

ヒトとは 先天的にそういうバカなのである

多数がバカならバカでいることに何の罪悪感も問題意識も働かない

あらゆる社会問題が解決しないのは バカが大半だからである

バカが問題解決できないのは必然的結果である

 

「アメとムチ」だの「評価されなきゃやる気が起きない」などと言っているバカは後を絶たないが 何の見返りも期待できないのにナチスに反対したベンヤミンや プーチン政権に逆らって戦争反対運動で政治犯として投獄されているロシア人達に対する冒涜であるとは バカ共は誰も自覚がない

それはもはや「迷惑系ユーチューバーの戯言」とさしたる違いはない

 

 

 

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教わっていない真実に気づく能力

2023年03月12日 14時42分03秒 | 意識論関連

 ↗小5なのに…算数「リンゴやミカンの文章問題は解けるが、ナシとイチゴに替わったら解けない」理由-PresidentOnLine

 


⇨単位などの規則に関する知識は教わっていなければわからないのは当然であり

日常生活において「鳥の数え方」を知らない子供に対して「一羽、二羽」といったものが単位であることを理解できないのは当たり前である

本来 普通であれば日常生活の中で鳥の数え方の単位などは大人たちとの会話の中で覚えるものであり それがないというのはむしろ「学校の勉強しか教わっていない」からであろう

何でもかんでも「教えりゃ済む」というのは教える側のエゴであり

むしろ「教わった内容の中から論理整合性の破綻を見つけ出せる」ような自発的思考能力を育むことの方が重要である

たとえどんなに難解な「論理思考問題」が解けたとしても それは正解を導き出すことで得られる評価成績という抽象化された脳への報酬欲しさの反射的能力に過ぎず 自発的思考能力を育むことにはならない

予め「誰かが嘘をついている」ことを前提とした命題をいくら解いても 実社会において何が真実で 誰が間違っているのか 誰が嘘つきなのかを見分ける能力にはならない

社会の課題に対する問題解決能力というのは 決して他者から評価成績として扱われるとは限らないものであり 「個人が自律的な社会的責任を負う」ことで むしろ所属している組織から差別排除の対象となることも珍しいことではない

他人から与えられる「脳への報酬」欲しさに何を「知って」いても 人間としての知能 自律的な社会的責任判断選択能力の獲得にはつながることはない

 

 

Ende;