晴れ時々大雨~カメレオン日記~

人生晴れの日もあれば豪雨の日もあったり(^^)他人の不幸は蜜の味?!読んで笑って☆バタ子のトラブルドタバタ日記☆暇潰しに

アンザックデイ☆オーストラリアつれづれ日記

2009年03月03日 | オーストラリア生活

アンザック・デイ(Anzac Day)

第1次世界大戦における、オーストラリア・ニュージーランド連合軍(Australia and New Zealand Army Corps)のガリポリ半島上陸を記念した日で英語の頭文字をとってアンザック(ANZAC)と呼ばれます。
1915年4月25日、ダーダネルス海峡北岸のガリポリ半島に展開するトルコ軍戦線を突破するため、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド軍を中心とする遠征隊が半島南端に上陸した。 3万3千人以上の戦死者(うち約4分の1がオーストラリア軍兵士)を出し作戦は失敗しましたが、この悲劇はオーストラリアのアイデンティティと愛国主義形成にとって重要な基盤を与えることとなりました。
初めてアンザック・デイが祝われたのは1916年4月25日で、ガリポリ半島において軍による戦死者追悼として挙行されました。
1920年代中頃にオーストラリアの祝日として各州に広まり、後に他の戦争による戦没者慰霊の役割も兼ねるようになりました。
アンザック・デイには、オーストラリアの各地で行進、花輪の贈呈、演説などが行われ、長くオーストラリアで最も重要な祝日となりました。



このアンザックデーですが、この日はオーストラリアやニュージーランドでは祝日扱いとなっていて、在豪日本人にとっても少し意味のある日になります。
アンザックデーが近づくにつれ、
にわかにある噂を聞くようになりました。

“日が落ちたら日本人は外出しない方がいい”

と。
その時は既にホームステイを終え、シェアハウスに移っていたのですが、ホストマザーからも

十分気を付けるように!
夜の外出も控えるように!!


と釘をさされておりました。
理由は、この日は一部のオージーにとって特別な日であると同時に、
ちょっとしたイベント(?)があるからです。

当時私がいたケアンズでは、このアンザックデーにお祭りやイベントといった祭事はなかったものの、個人的には特別に思っている人も少なくはありません。
私のホストファザーはキィーウィー(NZ人)、ホストマザーはフィリピーナ、それぞれ父親と祖父を日本人に殺されています。
もともとは直接日本と関わりのある日ではないのですが、日本の終戦記念日と同じく、
全ての戦没者の冥福を祈る日として、
特に死者が多く出た第2次世界大戦における日本兵に対しては当然ながら印象はよくありません。
今の時代に今の日本をど-こ-言う人はオーストラリアにそれほどいないにしても、家族を殺されてれた事実は消えません。
なので、やはり特別な日なんです。

で、話は戻りましてそのアンザックデーのちょっとしたイベントというのが、
戦争を知らない若い世代のオージーが、
日本人(らしき人)を見かけると、生卵やエアーガン、水鉄砲で打ってくるんですよ!
車に乗って、とにかく日本人見かけたら片っ端から無差別に。
たぶん、大きな都市や南の方ではそうでもないと思いますが、
特に、オーストラリア唯一の日本兵進行都市・ダーウィンや、ケアンズといった北の方では激しいと聞きました。

その日は、確か早めに帰っておとなしくしていたように思います。
しかし翌日、日本人や韓国人の友人たちと遊んで、夜歩いて帰っていると、一台の不審な車が後ろからついてくるんです!!
みんなで振り返って訝しんでいると、
突然スピードを上げ、
追い越し際の次の瞬間、
撃たれました(´д`|||)
水鉄砲で。

車には何人かの白人が乗り合わせ、何やら叫びながら、彼らはとても楽しそうに笑い声とともに走り去りました。
生卵でなくてよかったとは思いつつ、
なんだか複雑な思いのバタ子でした。



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