カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

現代世界における「シヨン」運動の再出現

2017-06-06 22:51:34 | エキュメニズム
現代世界における「シヨン」運動の再出現

 この教会の敵は現代社会に、名前を変え、姿を変え、別のグループ組織の元にもう1度、姿を現すでしょう。聖ピオ10世のこの手紙は、あたかも現代の私たちに現代私たちの目前にいる教会の敵について描き出しているかのようです。

 「人間の尊厳」「人間の自由」「平等」などが声高く叫ばれ、世界中の諸宗教の代表者たちが「平和」のために、例えばアシジに一堂に集い、国連ではキリストのない「道徳的価値」のみが謳われている現代は、かつて排斥されたはずのシヨン運動がまた蘇ったかのようです。司教様はじめ、司祭は今声高らかにこの排斥された「シヨン」を信奉しています。

 私たちはシオン主義者のようなうつろな夢を追いかけるべきではありません。教会の聖伝の教えに忠実であるべきです。歴代の教皇様がたの聖伝に基づくカトリックの教えに忠実であるべきです。

 願わくは、読者の皆様が、社会問題や社会に関する知識が昨日誕生したばかりだと思い込ませんように。願わくは、教会と国家がいつも幸いにも協調し、この目的のために豊饒的な組織を引き起こしたことを知りますように。

 教会は妥協的な協定を結ぶことによって人々の幸福を一度も裏切ったことがないことを、教会がその過去を捨て去る必要などないことを、皆様が良く知りますように。天主が社会をお建てになったのとは別のようには社会を建設することができないことを確信しますように。

 日本の社会の再建のための本当の働き手の協力とともに、革命によって壊されてしまった組織をもう一度取り戻し、それを息吹いた同じキリスト教精神のうちにもう一度、現代社会にそして日本の社会に適応させれば十分であることを確信するように。

なぜなら、民衆の本当の友は、革命家でもなく、改革者でもなく、伝統主義者なのであるから。

 もし教会が社会の土台を敷き、その仕事を指導しないなら人は本当の意味で、「社会」を建設し得ないでしょう。本当の意味で「文明」とはもはや発明するものではないのです。新しい国も雲の上に建てるものでもないのです。「文明」はかつてあり今でもあります。それはキリスト教文明であり、それはカトリックの国です。

 願わくは天におけるがごとく地にも御国の来たらんことを!

 以上は、L'Eglise occup e, par Jacques Ploncard d'Assac 2e dition. Edition de Chir , B.P.1, Chir -en-Montreuil F86190 Vouill , France Tel 49.51.83.04 を参考にしました。私たちは、聖ピオ10世の上記の「私の使徒的職務」をお読みになることを皆様にぜひお勧めします。

 英語では、《Our Apostolic Mandate》という題で、Angelus Press, 2918 Tracy Avenue, Kansas City, Missouri 64109-1529 U.S.A.(816)753-3150, Fax(816)753-3557 で注文できます。

 フランス語版では、《Ecrits Doctrinaux de S. Pie X》と言う題で、Edition TEQUI, 82 Rue Bonaparte, F75006 Paris, France. Tel 43.26.04.58 から注文できます。


(シヨン運動について 了)

排斥の意味

2017-06-06 22:50:54 | エキュメニズム
排斥の意味

 シャルル・モラスはこう言っています。「『わたしはおまえを知らない』『わたしはおまえを最早知らぬ。』これが、排斥のすべての意味である。人は長い間この排斥の判決を受けた人々のことをかわいそうに思った。しかし、この判決が守り強めてくれた数多くの暗闇の民のために、この判決がどれほどの助けになったかということは、今日感嘆されなければならないだろう。」

 さて、マルク・サンニエはフォガッザロの勧めに従いこの判決文に服従しました。シヨンは姿を消しました。しかし、その精神はなかなか消えるものではありませんでした。


(シヨン運動について:15)

カトリック教会こそ本当の文明の保護者

2017-06-06 22:50:03 | エキュメニズム
カトリック教会こそ本当の文明の保護者

 司祭は、「偽りの民主主義の幻想によって、減退のさまざまな意見の迷路に」迷い込まないように注意すべきであると、教皇様は言います。「願わくは、彼ら(司祭たち)が、教会の最悪の敵と民衆の雄弁から、良く響き渡るくせに非現実的な約束ばかりのおおげさな言い回しを物まねしないように。

願わくは、彼らが社会問題や社会に関する知識が昨日誕生したばかりだと思い込まないように。願わくは、かれらが教会と国家はいつも幸いにも協調し、この目的のために豊饒的な組織を引き起こしたことを知るように。

 教会は妥協的な協定を結ぶことによって人々の幸福を一度も裏切ったことがないことを、教会がその過去を捨て去る必要などないことを知るように。

 社会の再建のための本当の働き手の協力とともに、革命によって壊されてしまった組織をもう一度取り戻し、それを息吹いた同じキリスト教精神のうちにもう一度現代社会に適応させれば十分であることを確信するように。

 なぜなら、民衆の本当の友は、革命家でもなく、改革者でもなく、伝統主義者なのであるから。」


(シヨン運動について:14)