カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

「シヨン」を拡大し世界宗教統一へ

2017-06-01 16:43:43 | エキュメニズム
「シヨン」を拡大し世界宗教統一へ

 1907年2月、オルレアンでのシヨンの会議で、サンニエは彼の計画を明かします。それはプロテスタントや自由思想家たちも参加が可能なようにシヨンを大きくすることでした。自覚があろうと無かろうとキリスト教精神に基づいているすべての力を結集し、「精神的一致の新しいセンターを実現させる」ことでした。

 私たちと同じカトリック信仰があろうと無かろうと、「キリスト教的理想」に本当に基づく人々は、民主主義に、正義と兄弟愛の本当の意味をもたらすことができる、とサンニエは考えました。

 “宗教”というものは、もはやその時、教会が教えを垂れて、教会を通して受け入れるものではなくなり、個人個人のうちに息吹く「霊」が“宗教”となるのです。

(シヨン運動について:2)

シヨン運動について

2017-06-01 16:42:18 | エキュメニズム
シヨン運動について

教皇聖ピオ十世が書かれた、『我が使徒的職務』(Notre Charge Apostolique)という教皇文書をよく理解するために、その中で取り上げられている「シヨン」運動についてまず、見てみましょう。

「シヨン」運動とは何か

 シヨン運動(le Sillon)とは、キリスト教民主主義という考えが最も明らかに具体化したものです。フランス語で、sillon[シヨン]とは、「畝(うね)」という意味です。

 シヨンはスタニスラス校の生徒であったマルク・サンニエ(Marc Sangnier)によって生まれました。彼は裕福なブルジョワの息子でしたが、1894年から学友たちを毎週金曜日に集めて集会を開き始めたのです。裕福であるということを言わばコンプレックスに感じているブルジョワの青年達が誤った平等主義をここで習得していったのです。

 この誤った平等主義のために、例えばサンニエがトゥール(Toul)で予備の中尉として兵役をするとき、「尉官と兵士とを隔てる溝」を発見し怒りを感じています。そこで彼は軍隊と民主主義に関するおしゃべりの会を開いたりするのです。

 1894年1月10日、サンニエはル・シヨン(Le Sillon)という雑誌を創刊するのです。彼はそこでこう書いています。

「我々は、この世の生活に身を交えながらまず愛さなければならないと自覚している。それはこの世の混乱と惨めさにもかかわらず、そして、特にそのゆえにこそ、愛さねばならない。」

 こうして、シヨンは健全な判断、認識、また堅固な原理原則を確立することなく、愛と感情を育てるのです。ここでサンニエの言う愛とは、天主への愛、天主を愛するがゆえの隣人愛、また祖国愛では無いのです!ここで問題となっているのは、この世なのです。

 この世、と言うのはあいまいな言葉です。確かにこの世には、人間という哀れな、苦しみに満ちた、同情に値する被造物がいます。しかし、彼の頭のなかにあった惨めさ、混乱、というのは、本当の別の名前が付いています。それは、悪であり誤謬と呼ばれています。そして、悪も誤謬もそれ自体には、哀れみにも同情にも値しないものです。

 シヨニストたちは、既成概念をすべて軽蔑します。長い歴史をもつカトリシズムと言うものは、発明すべきものではなく、学ぶものである、と言うことをすっかり忘れてしますのです。

 シャンベリーの民主派の新聞はサンニエのした講演会について「新しいメシアが人類兄弟愛の統治を告げに来た」と書き、彼のことを「使徒」とか「新しいメシア」などとよんでいました。フォガッザロ(Fogazzaro)は「メシアたちが宗教を進展させる」とも言っていました。

 彼ら若きカトリックたちは“探求の途上に”あり、1904年には「私たちはどこに行くのか知らない」と書いています。カトリック教会の教え、教義、そんなものをかれらはガイドラインとはしようとしませんでした。彼らはどこに行くのか知らないのみならず、行ってはいけない所に行く危険が多分にありました。

 1907年には、ル・シヨンは、三千部しか定期購読数がありませんでしたが、しかしよくうわさになりました。

 彼らが言うには、「カトリシズムとはまず生活であって、宗教体験が我々のガイドである。キリストは証明されるというよりむしろ体験されるものである。」

これらすべては、プロテスタントの無秩序から出て「内的インスピレーション」という別の原理へと導かれています。

 彼らの意向はよかったかも知れません。しかし意向の善し悪しにかかわらず、誤謬は誤謬であり、その誤謬の結果がよくなる訳でもありません。

 1899年4月10日には、ル・シヨン誌のなかにこのような首を傾げさせる文章があります。

「キリスト教は常に、そしてトレント公会議の後には、かつて無かったほどに人間理性の業である。」

 シヨニストらが使った教科書は、アイルランド司教の『教会と世俗』という本です。そこでアイルランド司教は、「教会は民主主義を祝福し、それを、キリストの前における、キリストによる、すべての人間の平等、兄弟愛、自由という教会自身の原理が開花したものである」と言っています。

 シヨニストたちは、“トレント公会議以来教会は、「誤った、ずんぐりした、敵愾心に満ちた、調和の取れた」立場をとっているが、自分たちは「聖職者や、司教、また教皇の命令によってではなく、自分たちの良心と経験の光りに照らし合わせて」それの良否を決める”といっています。

 レオ13世は『共和制参加運動(Ralliement)』を唱えるのですが(教皇はそのことを後で大変に後悔します。)、この教皇についてこう言います。

「教皇は、自分の栄えある教皇職の事業のうち、人間らしいことをそして破壊されやすいところを少しずつ否定しつつあるように思われる、と言うのが率直ではなかろうか。」

我々の嘆き

2017-06-01 16:37:14 | エキュメニズム
我々の嘆き

 日本の司教様、神父様、また全世界の司教様、神父様、願わくは「私がまず最初に擁護しているのは信仰ではない、人間である」(1978年5月)などと言われないように。

「全ての国内・国際政治活動は“人間から”由来し、“人間によって”行使され、“人間のため”にある。全政治の存在理由は人間への奉仕である。」(国連にて1979年10月2日)などと言われないように。

 願わくは、聖ピオ十世の言葉に耳を傾けんことを。ピオ11世の言葉に耳を傾けたまわんことを。教会の聖伝の教えに耳を傾けられんことを。

 私たちはカトリック信者である。私たちの祖先が中国文化の影響の元に良く訳したように『天主公教会』の信者だ。天主教の信者であって、『自ら神となった人間』を信じる宗教の信者ではない。わたしたちの信じているのは、人類教でも、民主教でもない。

人類教・民主教の教えとはこれだ。

 人類教にとって、『天主公教会』のかわりに、『キリスト教世界』のかわりに、「人類」が、普遍的救いの社会である。「すべての人はある意味ですでにキリストと結び付いている」が拡大解釈され、「すべての人はキリストの御托身により既に救われている」となり、すべては知ると知らずとも、“人類教の教会”の一員である。

 人類教にとって、「人権宣言」が新しい良き便り、福き音ずれ、新しい“福音”である。この宗教は、天主への対神徳である信仰・希望・愛と教えるかわりに、天主なき「自由・平等・博愛」を説く。

 人類教にとって、『天主のみ国』とは、「全世界民主主義」を建設することである。

 しかし、私たちには『天主の天主による天主のための』唯一真理の宗教がある。この宗教は、「人間への信仰」ではなく『天主への信仰』を教えている。

 私たちは、人間を礼讚・賛美・礼拝するのでなく、天主を礼讚・賛美・礼拝している。 教皇レオ13世は、回勅 Humanum Genus のなかでこう言われた。

「人類は、2つの相対立する陣営に別れている。この2つのうち、一方は真理と徳のために戦い、他方はそれの反対すべてのために戦っている。一方はイエズス・キリストの本当の教会であり、…他方はサタンの王国である。」

「かくて2つの愛が2つの国を築いた。天主を蔑む自愛は地の国を、自己を卑しむ天主の愛は天の国を築き、前者は自らを誇り、後者は主において誇る。」(アウグスティヌス『神の国』第14巻28章)

 わたしたちは、イエズス・キリストの天主としての権利が国内、国際社会に承認され、高揚されるために、公教会の自由と栄えのために戦うべきであって、人権のために、人間の自由放埒のために戦うべきではない。

 私たちは超自然の徳とイエズス・キリストの御血の功徳、7つの秘跡の聖寵と天主の十戒への従順に期待する。私たちは聖寵なき人間からは、何を望むことができるだろうか。あたかも原罪がないかのように、あたかもこの世を悪魔が支配していないかのように、あたかも多くの犯罪と罪が日々犯されていないかのように、どうして現代人すべてがその本性上善良であると信じることができるだろうか。どうしてキリストなき「人間の良心の上に」新しい世界を建設しようとするのか。

 キリストのいない「国連」、ユネスコ、国連食糧農業機関などに、どうして何を期待せよと言うのか。カトリック教会のパロディーである国連、キリストを除外したうえで世界新秩序を建設しようとする国連、新しいバベルの塔である国連に、何を期待せよと言うのか。「人々は和合と平和の最終的な希望を[真の天主ではなく]国連においている」とか、「[国連の組織は]世界の人々の最も大きな希望です。それは、この地上の人間社会の発展のために、超越的な愛に満ちた神の計画の反映であるとさえ言えます。それは天上の福音のメッセージが地上のものになったものです。(1965年10月4日)」などと言わないでほしい。

 もし「どの宗教でも良い、世界平和のために協力しよう」といい、「自己の主観に安住または逃避」し、「真理の特徴である客観的妥当性は、宗教や信仰の領域では通用しないもの」とするとき、岩下壮一神父の言われたごとく、「近代社会において、自由主義的、個人主義的主観主義に堕して真理性の要求を放棄したキリスト教[プロテスタントのこと]は…社会生活の指導的地位を失い、その結果は今日見るような近代請った内部の一組織である以上の何物でもなくなってしまった」(半澤孝麿『近代日本のカトリシズム』思想史的考察1993年みすず書房242ページからの孫引き)ように、人類教は世界民主主義連邦の御用宗教に成り下がるしかないだろう。

 もしも聖福音のこの世における実現があるとしたら、それはカトリックの民だみの作り上げるキリスト教文明である。そこではすべてがイエズス・キリストの上に築き上げられ、公教会が社会面において延長されたのであり、聖寵と信仰の業の実りである。それが聖ピオ十世の教えである。それが、聖ピオ十世の書いたシヨン運動排斥に関する書簡である。

 キリストのみが私たちに本当の平和を与えてくれるだろう。キリストの与える平和はこの世が与えるような「平和」ではない。バベルの塔を作ろうとするものには平和も休みをないだろう。

 私たちは、ベトレヘムの羊飼いたちと共に私たちの主イエズス・キリストを礼拝しよう。このクリスマスに、善い決心を立てよう。天主に対して罪をもう犯さないと言う決心を。私たちにとって一番重要なことは、「これまで戦争や災害などで、多くのお友達が病気になって苦しみ、食べるものもなく、お腹をすかせながら亡くなりました。…みんなで心を合わせて、私たちのなかから戦争やいじめを亡くし、地球を大切にして仲良くしていきます。」(カトリック新聞1999年12月19日)というよりも、むしろ「これまで多くの兄弟たちが、罪のと誤りの闇のうちに、亡くなりました。世界中の兄弟姉妹たちが、罪の病から洗礼によって癒され、霊的な糧であるイエズス・キリストに養われ、天主と教会の掟を大切にして、天主への信仰と愛と真理の一致のうちに、生きることが出きる聖寵を求めるます」ということだ。

 願わくは、司教・神父様がたが公教会の聖伝の御教えに耳を傾けてくださらんことを!

(王としてのイエズス:5 了)