文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と魔女の糸 『遠のく景色』

2018-03-26 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ



  あの男は、私の居所を察知する能力に長けている。

  そして、迷いない足取りで素早く、音もなく、私の前に現れる。





 「アマメは、危険を察知すると、瞬間的にIQが340を超えるらしいですよ」

 「きゃあああああ!!!!」

  私と凛は、可能な限りの距離を取りながら叫んだ。

  命は、いたぶられて死にかけたそれから、まだ暴虐の手を緩めない。

  頭を潰して、楽しそうに嗤っている。

 「脳が頭と腹部にあるから、ほら、頭だけじゃ死にません」

 「命、もう止めて。殺生罪で等活地獄に落ちちゃうよう!」

  凛が半泣きで叫んだ。

  アマメとは、九州一部地域での虫の呼称。

  母音をとると、ガクブルとなるアレである。

 「我は 怪異を狩る者」

  命は、最近中二病が酷いことになっている。

 「怪異は、貴方よ、命」

  私は、目を眇めて云った。

 「私は、神の一部だから、どちらかと云うと、神です。

  でも、神より狩人の方がカッコイイ」

 「そうね。キツネさんだしね」

 「とにかく、命? それを外に捨てて来て。

  そして二人共、早くおやすみなさい」

  明日は、午前6時東京発の新幹線に乗る。

  はじめての新幹線である。

  気が昂ぶって、中々眠れずにいる子供たちを見ていたら、

  こちらまで眠れなくなってしまった。

  後頭部をバーナーで炙られるような緊張と不安が、薬を飲んでも収まらない。

  遠くに出かける時は、いつもそう。

  平静でいられた試しがない。

  墨を練りあげたような闇の中で、不安は更に深まる。

  嗚呼、皓月の下で、明日歩く道が待っている。

怖くても、今は、ここに居たくない。

行先は、松原。岩手県。

遠野物語をわざわざ買いに行って、旅行鞄に入れた。

東京を出たら、目的地に到着するまでの暇つぶしだ。


    例えば出発の朝、靴紐結ぶ手が震えても、信じられる私でいよう。

  
  柄の間の 就眠だった。





  早朝の空気に、冬の気配を感じた。

  ふたりの子供に、マフラーを用意しておいて正解だった。

  岩手はもっと寒いだろう。

  結界を解いて、安寧の小さな町を出てゆく。

  電車を乗り継いで、東京駅へ向かう。
  
  途中、早朝からオープンしていたカフェで、簡単な朝食を済ませることにした。

  ヒトガタで実体化した命は、凛との初めての遠出にはしゃいでいる。

 「何処に行くの? 」

 「何処かなあ? 」

  旅路の果てで、きっと何かが待っている。

  そんな気がした。行くなら今だと思った。

  東京から新幹線で、一ノ関ヘ。盛岡行のJRで気仙沼ヘ。

  子供たちは、ずっと車窓に映る風景を眺めていた。ずっと。

  私は、少しうたた寝をしていた。



  葉末に宿る透明な朝露

  私は 胸いっぱいに空気を吸って 

  心は七字家の支配から 自由になった喜びに満ちていた

  出逢いは 夏の高原

  住みこみでバイトをしていた

  手紙をくれた彼は 優しい人だった

  世界中の花たちが歌った 白昼夢   

  静謐な水の流れ 透明な大気が いくらでも躰に流れこんで

  きっと目が眩んだのだ 

  彼は何故 あんな幻を見せたの?

  欲しがったモノは 私ではなかったくせに



  突然、大きな声に飛び起きた。

  やあやあ、帰なさったか。よう帰なさったなあ!

  その胴間声を張りあげたのは、切符を確認に来た車掌だったろうか。

  いや、まさか。

  あの声、覚えがある。幼い私がここを出てゆく時に、

  出てゆけ出てゆけ! と愉快そうに笑った大きな妖がいたのを思い出す。

  着いた。とうとう、来てしまった。

  ここは、岩手、陸前高田市。七字の先祖の生家がある。

  白婆様も、母もここで産まれた。家を護ったのは男たちで、

  女は幼いうちにここを出て、全員、修行者となった。

  女だけが、異様な神通力を持って産まれた所為だ。苦衷の極みだった。

  誰でもいい。行くなと云って止めてくれる者がいたら、

  七字家の歴史も変わっていたろう。良くも悪くも。

  男たちも、その孤独に堕することなく生きた。

  今はもう朽ち果てた家屋。呪われた一族が暮らす家は、気味悪がれ、

  人が絶えても、取り壊されずにすんだ。



  私たちは、とりあえず地魚で寿司を出す店に入った。

  嗚呼、記憶が甦る。

  私を連れて生家に戻った母は、一族の誹りを受け、

  間もなくして亡き人となった。

  結界の張られた霊山に護られないと、力が暴走して、

  柔らかな人の肉は、もろくも崩れ落ちる。

  つまり、霊山に籠もっているのは修行の為だけではなく、

  己の命を護る意味もあるのだ。

  私のこの肉体も、いつ変調をきたすか知れない。

  いや、白婆様の呪詛の所為ばかりではなく、最近はどうも調子が悪い。

  寄ってくる妖を祓う度に、止まらぬ血のように力が流れだし、

  付加されることがない。

  神通力というものとは、違う。

  似たようなものだが、私が使っているのは、俗に云う魔力で、

  森羅万象のエレメントから使った分だけ補充しないと、
  
  いつかは尽きてしまうもの。

緑の指など持っている筈もなく、周囲の者を落胆させた。

  白婆様は、私を異端者と呼んだ。

  お前は、神の代弁者ではなく、闇に堕ちた魔女だ、と。

  お寿司が運ばれて来た。

  私は、地酒を飲む。すっきりと甘い。

  子供たちは、美味しいと云いあいながら食べていた。良かった。

 「この天ぷらも美味しいわよ。お食べ」

  食べている子供の姿って、何故こんなにも愛くるしいんだろうか。

  疲れと酔いで、私は、一瞬気が飛んだようだ。

  またあの高原ヘ戻ってしまう。

  眩い星の夜、初めて男の人の手に触れた。

  ただ、それだけのことに、戸惑う自分がいた…


 「母さん!」

  凛の声にハッとなった

 「眠いの? 寝ていたよ? 」

  テーブルの上は、きれいに片づけられていた。

 「嗚呼、よく食べたねふたりとも。どうしてかな。

  思い出したくもない昔のことが、やけにしつこくよみがえってくる」

 「早く行こうよ、母さんが産まれた家を見に」

 「うん、…行こうか」

  命が、いぶかし気な表情で、私を見ていた。



  生家は、墓石のように、無言で立っていた。

  不気味なほど、無感情な様相だ。

  白い蝶が飛んで来たから、歓迎は受けているようだ。

  ご先祖だろうか。

  強い結界はそのままで、どんな妖もここには入ることはできない。

  命でさえも。

  古い護符が貼ってある、囲炉裏のある部屋。護符はまだ生きている。

  完璧にこの家は護られていたが、ぬくもりだけは、

  私を待ってくれてはいなかった。

  鍵は開けてあるのに、誰も入った形跡がない。

  それ程、不気味な雰囲気があった。

  母とここへ戻ったのは、幾つの時だっただろうか。

  部屋数だけはあるこの家の一室で、忍び寄る驚異に怯えながらの生活。

  母はすぐに心身共に病んだ。

  母が亡くなってからは、父と一緒にこの家を出た。

  それからは、普通の子供の様に、普通の生活を送っていたが、

  幸い、躰がおかしくなる事はなかった。

  父が亡くなってからは、独りで生き、あの高原に住み着いたのだ。

  そして、阿久津と出会った。

  出会ってしまった。



 「寂しい家だね」と凛が云った。

 「そうね。住んでいた頃は、白い蛇がいたのよ」

 「きゃあ、怖い」

 「アマネより怖い? 家を護っている神様よ。

  怖くない、怖くない」

  しばらく色んなところを見て回り、長い廊下の行き止まりに目が止まった。

  何故か、こんな場所で、母に抱かれて震えた記憶がある。

 『大丈夫だよ、大丈夫』

  母の柔らかな声が蘇る。

  白い蝶が、また飛んでいた。


 「凛、忘れないでね、この家を訪ねた今日のことを。

  私は、ここから出発したの」

 「うん、大丈夫。わたしは、覚えてるよ」








  それから、私たちは、観光スポットに向かうことにした。

  箱根山に登り、リアス式の海岸線を見る。

  高田松原。白い海岸と松の美しい景色。

 「きれいな場所。まるで天国みたい」

  凛が感極まったように呟いた。

  砂浜にも出てみた。

  命は、初めて海水に触れて悲鳴をあげた。

 「冷たい…! 」

  クロマツとアカマツからなる7万本もの松林。

  ここは、仙台藩・岩手県を代表する防潮林の、景勝の一つだ。

  その白砂青松の風景は、ずっと記憶に残っていた。

  白い砂浜で、私たちはしばらく遊んだ。

 


  その時、突然、視界がおかしくなった。

  視界が歪む。

  巨大な歪み。

  視界に広がる景色が、一変していた。

  白い砂浜も、青い松もない、剥き出しの大地。

  此処は、どこ? 海はどこ?

  この地鳴りのような音はなに?

 「母さんどうしたの? 顔が真っ白だよ」

  樹がない。地平線まで、何もない。

 「母さん? 」

  此処は、どこ? 

  何故、あの美しい松がないの?

  いや、あった。1本。たった1本の松。少し離れた場所に。

  銀色の砂粒が、松の木を彩っている。

  まるで、敬虔な祈りのような言葉が聞こえる。

  怖い…

  哀しい…

  …お願い…帰ってきて

  …どうか…返して…

  そんな人の感情に似たもの、或いは確かに人の感情かもしれないものが、

  大地いっぱいにあふれている。

  その圧倒的な迫力に負けて、恐ろしくて、

  思わず顔を覆った。怖い。

  誰かが誰かを探して彷徨い歩く。

  誰かが何かを見つけて、叫び声を上げる。

  酷く寂しい。心が壊れそうな程、痛みを伴う哀しみ。恐怖。

  此処は、地獄?

  閻魔? 此処にいるの? 此処は 地獄なの?


 「母さん!」

  私は、溢れ出る何者かの悲鳴や慟哭に、耳を塞いだ。

  凛の声は、遠くで私を呼んでいたけれど、

  子供たちの気遣いをする程の余裕もなくなっていた。

  それだけ巨大な何かが、動いたのだ。

 「醒覚せよ、紫様。我は命。いざよ持ちされ、清き海風」

  命が、そっと私の頭に手をかざしていた。 

  腕が酷く痛む。呪詛をかけられた腕が、

  骨を削られるように痛い。

  その痛みで我に返る事ができた。

  ハッとして顔を上げると、あの美しい風景は変わらずにそこにあった。

 白昼夢だろうか。

 「不思議…、一瞬、あの松が見えなくなったの」

 「どういうこと? 」

 「判らない。判らないけど、とても怖かった」

 「母さん、大丈夫?」

 「うん。もう、大丈夫よ。命、貴方は、何も感じなかった? 」

  命が、ビクッと肩を震わせ、視線を逸らした。

 「私は、何も…」

  何かを見たな。嘘をつくのが下手な子。

  命は、眩しい海岸線を目を細めて見た。

  哀しみや怒りを殺すような、表情だった。



  凛。

  絶対に此処を忘れないでいてね。

  此処が、私たちの原点なの。

  この美しい、高田松原が。

  この日、私が見たあの幻の景色の謎は、

  遂には判らなかったけれど、子供たちは知ることとなる。

  未来の松原に何が起こったのか。

  風の音のなかに、地鳴りと海鳴りが混じり合い、

  その恐ろしい音が、海岸線の鳥を、山ヘと呼んだ。

  ネズミは姿を消し、その日、犬は散歩を拒んだという。





  ねえ、ユカリ。

  俺を助けてくれよ。

  このままじゃ、殺されちゃうよ。

  この俺を、お前は見捨てたりしないよな?






  完




高田松原へ。

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