文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と魔女の糸『高尾山事変4』

2017-03-27 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ
母さんの体力が回復し、山を下る事になった。

私たちは、お借りしていた宝山殿の家の掃除を、丁寧に行った。

母曰く、これは最低限の礼儀なのだそうだ。

男所帯ながらも、きれいだった家も、

障子紙を張り替えたり、浴室のカビ取り、庭の草取りをしたら、

見違えるように綺麗になった。

「今年の大掃除は、しなくてもいいようだな」

 宝山殿は、きれいになった家を見まわしてご満悦だ。

「長らくお世話になりました」

 母さんが深く、頭を垂れる。

「いつでも、帰っておいで。凜殿も、いつだって遊びにきていいのだぞ」

 破顔一笑する宝山殿に、私は抱きついた。

「せっかく、お山のワンちゃん達ともお友達になったのに、寂しいよ」

「大丈夫だ。あの子たちは、ずっと、凛殿のことを忘れたりしない。待っているよ」

 宝山殿は、優しく頭を撫ぜてくれた。



 荷物をまとめ、彼と別れる時、彼は母さんに云った。

「くれぐれも、独りで抱えこまずにいておくれ。紫殿は、決して独りではない。

 娘を護ってやるのだろう? 独りでは解決できないこともある」

 母さんは、そんな彼の顔を、食い入るように見ていて、やがて、云った。

「いつか、凛が人生に迷って、ここへ来るかも知れない。その時は、頼みます」

 私の胸が、不安に慄いた。

 母さんは、白ばあちゃんから、厳しい試練を受けている。 

 この先、何が起こるのか、私には判らない。

 母さんが、この先どうなってしまうのかも判らない。

 それを想像すると、心臓が壊れそうになる。不安で仕方なくなる。でも、私は、涙を耐えていた。

 


 奥深い霊山を抜け、リフトに乗って山を下ると、そこはまるで別の世界に見えた。

 私たちが、生きる世界。もうここには、宝山殿も、山犬もいない。はしゃぐ観光客。

 私たちは、境界を越えたのだ。

「…凛」

 母さんが、そっと髪に触れてきた。

「帰ってきたよ。もう、全て忘れて、楽しく生きよう」

「…母さん」

「ねえ、命が人に変化出来るようになったのよ」

「ええ?」

 私は、抱いている命を見つめた。

 命は、私達以外の人には見えない。妖の姿も、小さな男の子に変化した姿も。

 命は、白いパーカーにジーンズの姿で立っていた。

 丁度、私くらいの年齢の男の子。

 薄い茶髪に、グレーの眸。綺麗な、男の子だった。

「お姉さま」

 なんて云って、私に抱きついて来て、どぎまぎさせる。

 とんでもなく、イケメンな男の子。

「夏ちゃんに、お土産頼まれているんでしょ?」

 母さんが笑っている。

「うん。木刀。あるかな」

「探そう! それから、おいしい、天ぷら蕎麦を食べようよ」

 私たちは、手をつないでお土産屋さんに入った」

「木刀、あるね。でも、夏ちゃんが云っていた『洞爺湖』って書いてあるのがないなあ」

「それは、北海道に行かなきゃないよ」

「そうなの? えー、どうしよう。それに思ったより、木刀って高いんだね。

私も同じもの欲しかったのに」

「いいよ、母さんが買ってあげる」

 母さんは楽しそうに、木刀を2本手に取った。

「文字は自分で書けばいいじゃない?」

「うん。それもそうだね」

 母さんは、猫さんや夏ちゃんのお母さんにあげる『天狗黒豆まんじゅう』も買っていた。

 それから、お蕎麦屋さんに寄って天ぷらのせいろを食べる。母さんはビールも飲んだ。

 命もキツネ蕎麦を、美味しそうに食べていた。

 私は、話すなら今しかないと思い、ずっと胸に秘めていたことを話した。

「私、夏ちゃんと一緒に、テコンドーを習いたいの」

「テコンドー?」

 母さんは、ぼんやりとして応える。

「空手、みたいなもの。私、強くなりたいの」

「なんで?」

 母さんは、面白そうに笑う。

「私、母さんを護りたい、塾のお金とか大変?」

「それほどでも」

「じゃあ、習わせて」

 この時母さんは、フッと笑って私の頭を撫ぜてけど、



 これが、とんでもない事件に関わってくる事なんて

この時は、まだ、誰も知らなかった。

 
 母さんと命と、高尾山に行った。

 宝山殿と、山犬達と友達になった。

 命が、自分の意志で人に変化できるようになった。

 母さんが、独りじゃないと知って、安心した。

 私も。

 ここにいつでも帰ってきていいのだと、知った。

 …でも。

 白婆ちゃんの死が、まるで当たり前であるかのように消され、

 日常は、続く。
 
 母さんが恐れていたものを、この時の私は知らない。

 強い妖力、神通力を持つ母が、

 悪霊や魔物より、はるかに恐れていたものが、近づいていた。




 人間が。


 「高尾山事変」  了    

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