私が20代中盤には既に絶頂期を迎えておりました。大学を卒業して2年くらいで鮮魚売り場の主任を拝命致しました。鮮魚部門とお魚の加工品部門の2つを任されておりました。それは私が24歳くらいの時でお給料は安く年収は350万ほどでした。基本的に2部門とも現金で売ることになっておりました。仕出しとか注文とかが多かったのでそのようになっておりました。
売り上げは鮮魚部門が年間6000万円から7000万円程度加工品を含めると年間一億円を少し超えるほどでした。昔はコンピューターとかなかったので売り上げは現金で一括管理の状態でした。それを私が管理しておりましたが年間の売り上げの10%ほどは自由裁量のお金がございました。色々な出費もございました。お金がかかったのでした。
私の商売のやり方だと利益が10%くらい多くなってしまうので調整が必要でした。職人さんにも「長靴代」という習慣がございまして月に3~5万円を渡すのが習慣でした。それをしないと職人さんに真面目に働いてもらうことはできなかったのです。それに色々なお付き合いもしなければならないので毎月一定のお金は必要でした。
上司からは「お前は泥棒みたいな商売をしてるな!」といわれましたが私は常に反論しておりました。売り上げ目標と利益率の目標を達成すればいいのですからその数字は常に達成しておりました。あまりにも利益が出すぎるのを調整するための措置として行っていたのでした。まあ魚の仕入れ値は毎日変わるのですが私は売れる値段を固定してお魚を売っておりました。
ですからお給料の他に年間1000万円程は私が自由に使うことができたので色々な工作を行っておりました。パートタイムの大学生などには当時はやっていた「ノーパン喫茶」によく連れて行っておりましたね!そのくらいで学生にはいいのです。まだ飲み屋に連れてゆくには早すぎますね。コヒー一杯1500円ほどで結構若い美人ぞろいでした。
10人連れて行ったて15000円程ですね!そこの女性は下着は一切つけず超ミニスカートだけで床は鏡張りでした。ほとんど全裸に近い格好でコーヒーを運んでくるのです。若い男で満席でした。私の行くクラブでは15000円だと一軒行けばそのくらいの料金はかかります!
そんなの安いものですね!学生は責任がないので私の言う通り動いてくれました。人の上に立つのにはまず身だしなみも必要でした。女性のパート従業員などに影でこそこそ最初の頃は言われましたね!「主任はまた昨日と同じワイシャツを着ている」とか「昨日と同じネクタイをつけている」とか女性のチェックは厳しのでした。またお泊りだということがばれてしまうのでその後は気をつけておりました。
なかなか厳しお仕事でしたが私にもそれなりの楽しみはございました。
この宇宙人による拘束にもお金はかかりますね!やはり一定の経費は必要でしたね!何の楽しみも工作も全て自腹ではできませんでした!
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