毎年の2月14日は、ロマンチックなバレンタインデーです。この日、ある人は99輪の、エクアドルから輸入されるバラの花を恋人に贈って、花のように美しい、永遠に続く自分の愛を表現します。ある人はバラの花を、「roseonly」のマークのついた灰色の箱に入れて恋人に贈って、理性的で恒久的で穏やかだという感じを恋人に与えます。ある人は恋人に恋人の好きなもの、或いは最もよい約束を与えます。またある人は恋人と一緒に旅行に行こうとします。その他の人はどこにも行きたくなく、ただ家で食事の支度をして、恋人が家に帰るのを待とうとします。
どんなプレゼントを贈っても、愛する者のために何をしても、すべての人は真心があり、恋人に対する自分の忠誠と真の愛を表明しようとします。だが、わたしたちは次のことを発見しました。恋人に贈ったエクアドルから輸入されるバラの花はいくらよくても、ただ一時的にあでやかで、まもなく枯れます。たとえ恋人の好きな金銀製のアクセサリーを恋人に贈っても、恋人は悲しみ、つらく思う時に慰めを得られず、むなしく感じる時に心の空白を埋めることができません。多くの時、わたしたちの願望と約束は世の無常のゆえに、絵空事になり、全然実現できません。わたしは新聞でこんな記事を読んだことがあります。一人の女の子が白血病にかかりました。彼女の恋人はバレンタインデーに、化学療法を受けている彼女の病床のそばに座って、静かに涙を流すことしかできませんでした。わたしはまた、あるクリスチャンの経験話を聞いたことがあります。そのクリスチャンは女の子です。彼女の夫はお金持ちで、彼女の好きなものなら何でも買いますが、でもいつも外で殴り合いのけんかをしました。そのため、彼らの家庭が和やかではなくなり、社会も大きな危害を受けました。このような時、この女の子は夫のことを気にかけるだけでなく、また口を酸っぱくして夫に勧め、夫が罪を犯すことを八方手を尽くして阻みました。でも、これらは夫を変えられませんでした。そのため、この女の子は極めてつらい思いをし、絶望しました。その後、彼女は神を信じました。そうすることで慰めを得ました。その時から、彼女はもはやつらく悲しい思いをしなくなりました。しかも夫の行為に寛容で忍耐し、いつも夫のために祈りました。彼女の夫はそれを見て、感動を受けました。そして妻と一緒にひざまずいて祈り、神の前に出て悪の道を離れました。それ以後、彼ら一家は幸せな生活を送るようになりました。
わたしはいろいろ考えさせられました。人であるわたしたちが真の愛を持っていますが、わたしたちの愛は限りがあり、あまりにも小さいです。神の愛だけが限りのないもの、最高至上のものです。神の愛は、わたしたちに新しい命を与え、わたしたちを正しい人生の道へと導くことができます。なぜなら、神は愛だからです。この世界ができて以来、わたしたち人類は神の愛に包まれています。
神は万物を造って、人の食べられる食物、人の飲める水を生じさせた後、人類を造られました。これは、子女が生まれる前に、父母が十分な必要品を準備しておくのと同じです。このことから分かりますが、神のわたしたちに対する深い愛情は神の造られた万物に表れています。
神の愛にはわたしたち人類に対する神の心配も含まれています。神は人類の祖先アダム、エバを造った後、人を心配し始めました。エデンの園の中で、神はアダム、エバに命じて言われました。「だだし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創2:17)。神がこう言うのは、人が神の言葉を聞き、ずっと神の前で生き、神の顧みと守りのもとで生きるためでした。だが、アダム、エバは神の言葉を聞かず、サタンの言葉を聞いたため罪を犯しました。こうして、彼らと神の間の愛が破壊されて、彼らがエデンの園から追い出されました。その時から、彼らは呪われた生活を送るようになりました。わたしたち人類が罪を犯しましたが、神は依然としてわたしたち人類を顧み、わたしたちのために家庭を準備し、配偶者を定められます。こうして、わたしたち一人ひとりは、自分と共に造物主から与えられた自分の使命を果たす配偶者を持つようになりました。
神の愛にはわたしたち人類に対する神の憐れみと寛容も含まれています。ノアの時代、全人類は見るに堪えないほど淫乱で堕落しました。そのため、神はその時代の人を滅ぼさざるを得なくなりました。でも、神は世界を滅ぼす前に、人に機会を与えられました。すなわち、ノアに箱舟を造ってさまざまな生き物を収容し、120年福音を宣べ伝えるように命じられました。ニネベの町の人たちが、神が彼らを滅ぼしたくなるほど堕落した時、神は彼らが悔い改めることを望み、ヨナを遣わして彼らに対する警告を伝えさせました。律法の時代の後期、当時のイスラエルの民の犯す罪がますます多くなり、彼らの罪を贖うことのできる罪祭はもう足りなくなりました。そのため、彼らはみな、律法によって罪定めされて死に処せられるという危険に直面していました。人類を救うために、神は受肉して人の子となり、人の世に来て自ら贖いの仕事をなさいました。つまり、主イエス・キリストは世の人の罪を担うためには十字架につけられました。これで分かるように、わたしたち人類に対する神の愛と顧みは、それぞれの時代の神の働きの中に隠されています。
神の愛はまた、わたしたち人類に対する神の期待、神がわたしたち人類の悔い改めを待つことを含みます。人類が造られた後、神はあらゆる民族、あらゆる国に供給し、あらゆる民族、あらゆる国を導き、守り、顧みられます。でも、人類はサタンに誘惑されて神を裏切り、しかも神からますます遠く離れます。特に世の終わりに、わたしたち人類は堕落の中に生きているようになり、ただ酒食遊楽を追い求め、肉体の安逸さをむさぼります。そのため神から遠く離れ、神を裏切りました。それでも、神はやはり望んでおられます。わたしたち人類はよみがえて、自分が神から出て来たこと、そして神がずっと人の改心を待っていることを知ることができるということを。
あなたが神の愛を体験したなら、しかもあなたが本当にあなたの恋人を愛するなら、神のこのような愛を無視しないで、恋人を神の前にもたらすべきです。もしあなたの恋人がすでに神を信じたなら、あなたは一層神の愛に感謝し、神の救いを暗やみの中でもがいている人々にもたらさなければなりません。神の愛は世間のすべてを超越し、価なしにわたしたち一人ひとりに与えられました。
あなたのために救われるに関するより多くの文章を推薦します