明日で東日本大震災から11年になります。
震災に伴う原発事故により、多くの動物たちが警戒区域に残されたことを皆さんは覚えているでしょうか。
今回のブログでは当時どのようなことが起きたのか、動物たちに焦点を当てて振り返ろうと思います。
東日本大震災後の国の避難指示等について、藤村(2011)に記載された坂本弁護士の説明をもとに振り返ります。
〇2011年3月11日19時03分
原子力緊急事態宣言発令
菅直人首相を本部長とする原子力災害対策本部の設置
〇同日21時23分
第一原発半径3キロ圏内を避難指示区域とする
〇3月12日
避難指示区域を第一原発の半径20キロ圏内に拡大
〇4月21日
第一原発の半径20キロ圏内を警戒区域として設定
原発事故が発生した当初、行政から避難指示を受けた際に「2、3日で帰れる」という説明を受けたケースもあったようで、動物たちを家に置いてきた人が多かったのです。
また国は避難指示を出すにあたり、動物同伴可能な避難体制の整備や避難指示区域の動物の救出、餌やりの体制をすぐに整えたりはしませんでした。
一方福島県は、4月25日に福島県保健福祉部食品衛生課長を本部長とする「福島県動物救護本部」を設置しました。
全国から動物愛護団体や保護活動をする方々が、動物のレスキューに向かいました。
SORAの代表も東京から福島に向かい、多くの犬猫を救いました。
当時の様子はSORAに写真で飾られています。
国や県が主体となって行った保護活動もありましたが、保護された犬猫は限られた数字でした。
行政や動物愛護団体が連携し犬猫をレスキューすることができれば、もっと多くの動物の命を救うことができたかもしれません。
一方国は、産業動物に対しては過酷な対応をとっています。
原子力災害対策本部長は、5月12日、福島県知事に対し、警戒区域内に生存している家畜については、当該家畜の所有者の同意を得て安楽死によって処分することにしたのです。
このような対応に対し坂本弁護士は、大災害時におけるペットや産業動物の保護、救出のための制度を定めていなかったことや、福島県だけでの対応にこだわっていること、警戒区域の動物の捕獲・保護体制を作らなかったことなどについて疑問視しています。
多くの尊い命が奪われた震災、原発事故に関して、動物に焦点を当てることが理解できない方もいらっしゃると思います。
しかし、当時から同伴避難や同行避難が当たり前の社会であれば、多くの犬猫の命が失われずに済んだかもしれないのです。
失われてもしょうがない命はありません。
SORAは震災や原発事故によって飼い主さんが飼えなくなってしまった犬猫たちの保護、譲渡施設として生まれました。
私たちは当時の犬猫たちに何があったかとともに、同伴避難、同行避難の重要性を伝え続けます。
震災から11年目を迎える明日、当時の犬猫たちのことを考えてみてください。
〔参考〕藤村晃子, 2012, 『震災ペットを救う 3.11から学ぶ「ペット防災学」』, 長崎出版