こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

「一度きりの大泉の話」と「少年の名はジルベール」-【6】-

2021年07月26日 | 日記

 

 そろそろもうこのお話はいいかな……と、自分的にも思っていたというか、ここからは萩尾先生と竹宮先生の漫画を読んだら、そのあとぽつんぽつん☆と続けていこうかなと思ってたんですけど――軽くネットで検索してみただけで、ほんっと~に色々出てくるんですよね

 

 それと、「自分的にこのあたりのことが知りたい!(>_<)」と思うことについては、基本的に本を読まれた方の感想や評論を読んでもわからないままなのは、当然なことなわけで。。。

 

 でも、一番情報として痒いところにかなり近いと思ったのが、「吉田豪、萩尾望都と竹宮惠子を語る」「吉田豪、萩尾望都と竹宮惠子を再び語る」というmiyearnZZ Laboさんのページだったのです(^^;)

 

 以下、自分にとってすっごく興味深いことだったので、その部分を少し抜粋させていただきたいと思いましたm(_ _)m

 

 竹宮先生には、村田順子さんという漫画家の元お弟子さんがいらっしゃって、「少年の名はジルベール」にも名前が出てきます。>>このころから増山さんは、私のファンクラブを組織し、高校生だった村田順子さん(その後、私のアシスタントからマンガ家になった)を会長にして、会報誌を作るための情報を流したりしてくれるようになる……といったように。

 

 また、村田順子先生のツイッターを見ると、>>「私が16歳の時から今の今まで、竹宮先生の側にいて、神に誓って証言できることは、竹宮先生と増山さんからただの一度も萩尾先生の悪口を聞いたことがない!ということです。」というツイートが5月26日に上がってもいます。

 

 それで、「村田順子」でググると、わたしのブラウザには4番目くらいに「村田順子・炎上」っていう検索項目が出てくるわけですが、その炎上して削除されてしまったと思われる記事の言葉が、こちらになるみたいで(^^;)。

 

 

 >>吉田豪)そして実は竹宮先生のアシスタントだった村田順子さんという方がいまして。彼女のブログで結構なことが書いてあったんですけども。これがちょっと、そこの中の記述が問題で批判されて削除されちゃって。今は読めないんですけども。そこにはやっぱり、「謝罪の手紙を入れて『少年の名はジルベール』を送っていた。それを受け取り拒否されていた」ということが判明して。推測は当たっていたんですけども。

(宇多丸)なるほど。

(吉田豪)で、そのブログには、鍵を握っていると思われる増山法恵さんという方のことも言及されていて。増山さんというのは元々は萩尾先生の友人で、大泉に住んでいて、自宅前の長屋が空いたからということで竹宮先生と萩尾先生を呼び寄せて住ませた人物。で、2人が決裂した後は竹宮先生のブレーン的な存在になって……っていう人なんですけどね。で、この彼女がアシスタントをやっていた時、竹宮先生からポツポツと大泉時代の話を直接聞く機会があって。で、竹宮先生は自分が言ってしまった言葉について「私はこんな風なことをモー様に言ってしまったの」っていう風に言っていたという。

(宇多丸)ああ、悔やまれて。

(吉田豪)で、増山さんは「私はケーコタンとモー様の間に何があったか、よく知らないのよね」と言っていたという。

(宇多丸)あら? ほうほう。

(吉田豪)で、「『そんな、まさか』と思っていたけども、どうやら本当のようで。ある意味で、天然です」っていう風に言っていて。

(宇多丸)その、萩尾さん側からしたら相当ね、思うところもあるということでしたもんね。なるほどな。それぞれに違うんだな。

(吉田豪)で、このブログでも「そっとしておいてあげましょう。竹宮先生は強いのでどんなことも乗り越えられるけど、萩尾先生は無理なんだから」っていう。だから、萩尾先生が打たれ弱いからこそ、そのマネージャーの方が受け取り拒否とかをした。気を遣ってっていうことだと思うんですけども。ただ、これがやっぱり、その記事が削除された後の文章。今も読める文章が僕、すごくグッと来て。

「萩尾先生の悲しみや苦しみを理解したうえで、私が心配していたのは、どれだけ竹宮惠子先生が悪者になるんだろう?ということでした。実際起こったことに対しての批判は仕方がないと思っています。でも憶測や噂レベルで違う風向きになるのは嫌だったので、いてもたってもいられず勢いで私が知っていることをいろいろ書いてしまいましたけど、皆様が「引っ掻き回すな!」とおっしゃるので了解です。もう書きませんので、ご安心ください』っていう。

(宇多丸)うんうん。

 

 

 よく考えてみたら、確かにそうですよね(^^;)

 

 一般的な礼儀として鑑みても、手紙も何もつけずに本だけ送ってくる……とは考えにくいですから。でも、他の方も書いておられるように、「竹宮先生にとって書きたいことを書いてから事後承諾的に本を送ってくるのはどうなのだろうか」という意見も確かに正しいと思うわけです。。。

 

 ただ、竹宮先生に近い側の方が>>「竹宮先生は強い方なので乗り越えられる」とおっしゃってるので、そのあたりは大丈夫そう……みたいに思うと、何か少しほっとしました

 

 また、増山さんは竹宮先生が萩尾先生に何をどんなふうに言ったのか、詳しいことまではご存知なかったんですね(^^;)

 

 でも確かに、これは炎上するのは当然だし、村田順子さんからしてみれば、ある程度それは予期していたことではあったけれど、竹宮先生のことを思うと書かずにいられなかったのだろうとも思いました。

 

 

   ドラマ化オファーの真相

(吉田豪)ということになってしまいまして。さらには、竹宮惠子先生のマネージャーで竹宮先生の妹さんでもある方がやっぱりブログを書いて。それもかなり深い情報が書いてあったんですけども、やっぱりある記述が問題で批判をされて削除されちゃって。なんですけど、そこに書いてあったことがドラマ化についての話なんですよね。「『少年の名はジルベール』の出版以降、二度ほどオファーが来て、私たちも断るのに苦労した」と。

(宇多丸)ああ、そうなんだ。竹宮さんサイドですよね?

(吉田豪)そうなんですよ。「テレビやドラマ業界では作品のコントロールが出来ないから、独り歩きして表現が変わってしまいそうなので絶対に無理という認識で。ましてや関係者が多数いらっしゃるので……とお断りしたのですが、それがなぜか『萩尾先生がOKならよいです』と。そんな短絡的に無責任な感じで伝わってしまっていたとは……もう驚くしかありません。残念です」っていう。

(宇多丸)要は、竹宮先生サイド的にも当然、扱いは……。

(吉田豪)困難だし、やれるわけもないと。

(宇多丸)そう思っていたのに……まあ、業界の片側オファーする時にそういうことを言うみたいなのはさ。ねえ。

(吉田豪)実際、そういうのは僕らも何度も見てきているし。

(宇多丸)ある話なんだけども。ねえ。それが……なるほどね。聞いてみるとこうだったんだ。

(吉田豪)だから、これだけこじれているとは知らずに、たぶんいつもの調子でそういうことをやっちゃって……っていうことだと思うんですけどね。で、さらに「対談については特にこちらから依頼を持ちかけたことなど過去に一度もないはずです。第一、これまでに当方への対談依頼は各社どこからも一度も来たことがないから、お応えのしようがない。それなのに『萩尾先生がOKなら』と伝わっているとは」みたいな感じで。

(宇多丸)へー。なるほどね。うんうん。

(吉田豪)で、さらにはその当時、決裂したことで「苦しんで目の病気にまでなられたという萩尾先生。同じ頃、竹宮も自律神経失調症となってスランプに陥り、そして増山さんもまた同じように不安定になり、ずっと長く苦しんでおられたとのことです」っていう。増山さんもダメージを受けていたことがここで判明という。

(宇多丸)うんうん。

(吉田豪)で、これもやっぱり即……翌日ぐらいですね。「仕事上の誤解を払拭するためでしたが、やはり身内である私が発信するべきではなかったと思いました。争いごとが起きるのは決して本意ではありませんので、昨日のblogは取り下げさせていただきました」という。

(宇多丸)なるほどね。

(吉田豪)で、これでやっぱり鍵を握っている増山さんが重要だと思って、僕は増山さんの調査を始めたんですよ。で、増山さんのインタビューが過去、2つぐらい載っているんですね。で、まず1996年、別冊宝島の『70年代マンガ大百科』っていうのがありまして。ここに出ているんですけども。彼女たちにいろんな映画とか本の知識を与えたっていう話がいろいろと書かれていたんですが。

(宇多丸)はい。

 

 ドラマ化の話や対談なども、竹宮先生サイドでは断っていたんですね。「一度きりの大泉の話」を読むと、間に挟まっている共通の知人・友人・アシスタントさんその他の方の噂話が物凄く色々萩尾先生サイドには伝わっているらしい……といった印象を受けたのですが、今現在がそうであるように、お互い直接ちょっと話せば「ああ、本当はそういうことだったのね!」と簡単にわかることが、そこが絶たれているがゆえに――誤解の連鎖のようなことが起きているようにも感じました(^^;)

 

 

   増山法恵さんインタビュー

(吉田豪)そこでも言っているんですが。「伝えたいこと、教えたいことがたくさんあったのよね。だって当時のモー様やケーコタンって『こんなに本を読んでいない人たちってこの世の中にいるの?』っていうぐらい、あの頃は本を読んでいなかったのよね。こんなことを言っちゃうと、怒られるかな? あの2人に」とかね。

(宇多丸)うんうん。

(吉田豪)「もう何十年も経っているから言ってもいいよね。そう。ヘルマン・ヘッセの『デミアン』とかウィーン少年合唱団とか少年系を勧めたのは私なのです。私は昔から、少年愛にあこがれていたし、パブリックスクールとか大好きなんです」っていうね。

(宇多丸)はい。そういう啓蒙していったみたいなのは書かれていましたもんね。

(吉田豪)そうです、そうです。ただ、その2人が決裂した原因っていうのが、前回はあえてはっきりとは言わなかったんですけども。要するにまあ、「盗作したんじゃないか?」みたいなことを増山さんと竹宮先生の2人に萩尾先生が詰められて。それがショックで……という話で。もちろん、盗作なわけはないんですけども。要するに、同じモチーフを使って、自分よりも先に……それで当時、竹宮先生は好きな作品を書ける段階ではなかった時に、同じモチーフをより完成度の高い感じで。そして、「少年愛を理解していない」と増山さんが言っていた萩尾先生がそれを先に書いてしまうことに対するジェラシーやら恐怖やら、いろんなものが混ざっての、言葉が過ぎた瞬間があったんだろうということではあると思うんですけども。

(宇多丸)うんうん。

(吉田豪)だから、モチーフ全て……増山さんの中でもいろんな複雑な感情があったはずなんですよね。で、増山さんが結構、この時に2人に対してキツいことを言っていたみたいなことは本でも書いていましたけども。まあ、読むとたしかにひどいんですよ。「近所に住んでいる漫画家の先生と道で会っても、認めてない人だと挨拶をしない。向こうは『こんにちは』と言うのに。ケーコタンが挨拶をするでしょう? そしたら『挨拶をしたらダメよ。バカが伝染る』とか言っていたの」っていうね。

(宇多丸)ご自身の言葉として、こう言っているんですね。96年のインタビューで。

(吉田豪)そうなんですよ。で、2010年に『スペクテイター』22号。こちらにもインタビューが載っていて。ここで、やっぱり彼女が言っていた話が出るんですね。「70年代安保でみんなが『革命だ』って騒いだ時、学生だけで国をひっくり返すのは無理でも、ある一定分野だったらひっくり返せる。プレスリーが音楽史を変えたように、少女漫画革命を起こそうとして19歳の時、竹宮惠子と萩尾望都という才能を見た瞬間に『これは世の中をひっくり返せる』と思った」という。革命のために2人をアジりまくってその気にさせようとしていたんですけども。そのアジがちょっとひどかったんですよね。正直、今の基準で言ったらアウトなレベルでやっていた。

(宇多丸)うんうん。

(吉田豪)たとえば「よく泣かせました。私。作品のネームを持ってくるとなんか面白くないんですよ。『どう?』って聞くから『死ねば』って。『よくこんな作品、書けるね。恥ずかしくないの?』って怒鳴ったり、『こんな駄作を書く人なんて私のそばにいないで』っていう感じ。そうするとワーッと泣き出すんですよ。『あなたの力があれば、こんな程度じゃなくてもっといいものを書ける。書き直し』って。で、書き直した作品は本当に優れていて。私は絶対に高いレベルの作品しか嫌だったんです」っていう。

 

 

 ……わたし、ここまで読んで初めて、実は増山法恵さんという方がそもそもの元凶ではなかったかという気がしてきました(あ、続きについては、リンクから辿ってくださいね^^;)

 

 確かに、「少年の名はジルベール」にも、>>「何考えてんの?ちょっと死んだほうがいいよ。こんな作品描いて、どうしてのうのうと生きていられるの?あなた、恥ずかしくない?」みたいに言われたとは書いてありますし、「一度きりの大泉の話」にも、増山さんや彼女と親しかった佐藤史生さんなどは、作品に対する批評が厳しかったとあります。でも、たぶんあれもまた、かなり好意的に書いてあるほう……ということなんだろうなあという気がしました((( ;゚Д゚)))ガクブル。

 

 もちろん、増山さんの影響があって、萩尾先生も14歳の少年……ということに注目されたのですし、彼女がいなかったら萩尾先生・竹宮先生双方のある作品は、今のような形でなかったのも、確かにそうかもしれません

 

 ただ、わたし的に思うに、竹宮先生と萩尾先生の住まわれていた場所が、大泉の増山さんの実家から30秒くらいの場所でなければよかったんじゃないかなと思ったのです。少し離れた場所(1駅か2駅先くらい)からやって来られる、あくまで「お客さま」くらいな感じの距離感でいたら良かったんじゃないかなあ、なんて。。。

 

 萩尾先生はあまり人の作品について批判するような方でなかったようだし、それなのに関係が悪くなったのは、萩尾先生と竹宮先生の間でだった……というのは、皮肉な運命であるようにも感じられるわけですそして、竹宮先生が萩尾先生に増山さんのことを取られたくなかったという事実。「十年目の鞠絵」のあの萩尾先生の推測って、当たってるんだなあ、といったようにも思いました(^^;)

 

「十年目の鞠絵」については、前回の【5】を参照していただきたいのですが、このお話が「十年目の(増山)法恵」といったようにも読める……ということなんですけど、鞠絵さんをさらって結婚した(竹宮先生がモデルのようにも思える)津川克実くんは、>>「おまえが怖かったんだ。だから鞠絵をさらって逃げた」と言ってるんですよね。もちろん、萩尾先生は竹宮先生と増山さんの取り合いをしていたわけではないとはいえ、萩尾先生は増山さんにいくら少年愛を「描け、描け」言われても、次々ダメを出されて「少年愛なんてわからな~いっ!」という感じで、増山さんに気に入ってもらうのは無理と断念した。

 

 でも、竹宮先生は増山さんの願いを叶えてくれた人だった。それは、自分が一番苦しい時に支えてくれたからということでもあるにしても――わたしと同じように、「一度きりの大泉の話」と「少年はジルベール」を読んで、「わたしだったらこの増山さんっていう人とは、絶対うまくいきそうにない」みたいに感じる方って、たぶんすごく多そうって思うんですよね(^^;)

 

 でも、知性と才能に溢れる凄い人というのも確かで、音大受験のことで悩んでいるとも知っていたから、萩尾先生も竹宮先生もすごく優しい対応をしているように感じるんですよ。これは、この時期のおふたりの作品を読んでもわかる部分があるし(増山さんがモデルの少女が登場したりといったことです)、すでに「プロの漫画家」として、自立してお金を稼いでいるふたりに比べると――増山さんは少し宙ぶらりんで、そのあたりに悩みやコンプレックスもあったのではないかと思ったりもします。

 

「風と木の詩」の文庫版の第10巻の解説が、他でもないこの増山法恵さんなのですが、彼女は次のように書いていたり。。。

 

 

 >>今回この文章を書くにあたって、竹宮に、

 

「一体私は、あなたの何だったのだろう」

 

 と尋ねると、竹宮はウーンと唸ったあげく、

 

「私のブレーン、というとこかなぁ。まあ、運命と青春の共同体だよね」と答えた。

 

 彼女も私と、ほとんど同じように過去を受け止めていたのを確認して、妙に嬉しかった。

 

 一緒に、全力疾走で駆け抜けた青春。楽しいこともたくさんあったが、同じくらいの量でつらいことも多かったのも事実だ。

 

「もう一度やれと言われても、絶対にいやだな、私」

 

 と言うと、竹宮は、

 

「そうだろうね」と即座に同意して、愉快そうにアハハと笑った。

 

(「風と木の詩」第10巻/白泉社文庫より)

 

 

 わたし、「一度きりの大泉の話」、「少年の名はジルベール」と読んできて、次にこの「風と木の詩」を手に取ったのですが、増山さんのこのある意味あっけらかんとした感じの文章を読み……「残酷だなあ」と思ったりしました。でも、今は少し別の見方も出来るのかなと思ったりもします。竹宮先生の側で増山さんに「少年の名はジルベール」を送ってないとは考えにくいのですが、城章子さんも「一度きりの大泉の話」の最後のほうで、竹宮先生と増山さんの暮らしぶりの一部を伝えているように――実際のところ、結構厄介な人でもあるわけですよね(^^;)

 

 そこには、「十年目の鞠絵」の鞠絵さんのようなしおらしさなどは微塵もない。そう考えた場合、萩尾先生は竹宮先生と増山さんのふたりと関係を絶って良かったのではないだろうか……といったようにも、長く歳月の経った今なら思わなくもないと言いますか(ただ、このことを乗り越えるのに萩尾先生がどれほど大変だったかという心痛のことを思うと、人のことだというのに自分ごとのように胸が痛むのです)。

 

 萩尾先生のほうではおふたりの少年愛革命を邪魔しようという意図など一切なく、むしろただ善意や優しさによって、増山さんの「少年愛を描け、描け」と勧める要望に応えようとしただけ――という、最初はそれがきっかけだったと思うんですよね。ところが、その元は善意や優しさによるところの作品が、竹宮先生には自身の(BL)領域侵犯であるように感じられ、それは理性で抑えられない嫉妬という感情になっていった……わたしが竹宮先生と増山さんが萩尾先生にしたことで「許せない」と感じたのが、この萩尾先生の「善意や優しさによるところのもの」を踏み躙ったように感じられたということです

 

 ところが、竹宮先生側の事情も探ってみると、別の形ではあるにしても、竹宮先生も竹宮先生で深く傷つかれていた――でも、竹宮先生のお弟子さんだった村田順子さんによると、「竹宮先生は強いから乗り越えられる」ということでしたから、自分的に、その言葉にほっとしました(わたしは打たれ弱い人間なので、こんな言い方はおこがましいにもほどがあるとはいえ、わたしが竹宮先生の立場なら、まず「一度きりの大泉の話」を読んだ時点で大号泣です。そして、そのショックが大きいあまり、外部の方が言ってることなど耳スルーになるのではないかという気がします。だって、「もしかしたら届くかもしれない」と思った萩尾先生への心の扉が開くことは……今後も決してなさそうですもの)。

 

「少年の名はジルベール」を読まれた方の中には、「萩尾先生が読みさえすれば誤解も解けるのに……」と思う方も多いかもしれません。でも、わたし的には「読んだほうがいい」っていうのはやっぱり、精神的暴力なんですよ。それは、竹宮先生が強くて乗り越えられるところのものが、萩尾先生にはないからではなくて――今仮に「実はこうだったんですよ」という真実を知ったところで、再び色々考えたり悩んだりする分、精神的にすごく大変だからです(だったらあの時、あんなに悩んだり苦しんだりしたわたしはなんだったの!?という話でもある)。そしてそれが、静かな暮らしと仕事の邪魔になるだろうことは、誰にもよくわかることなわけで、萩尾先生に「ポーの一族」の続きを描いてもらいたいファンの方などは特に、円陣すら組んで萩尾先生を守る所存でおられることでしょう(^^;)

 

 ただわたし――萩尾先生は「大泉は竹宮先生と増山さんの世界でした」みたいに書いておられたけれど、「少年の名はジルベール」の最後のほうにあった、萩尾先生に対する竹宮先生の「ありがとう」という言葉は、真実心から出たものなんだろうなと思いました。色々複雑な気持ちの入り混じった、本当に心からの「ありがとう(そして、ごめんね)」ということだったんだろうな……なんて。。。

 

 ではでは、次回はまた別の気になる記事を見つけたので、そのことに関してでもと思いますm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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