こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

少女革命ウテナ。-【4】-

2023年04月11日 | 日記

(※『少女革命ウテナ』に関して、ネタばれ☆があります。一応念のため、ご注意くださいませm(_ _)m)

 

 順に色々思ったことを書いてきた、今回がわたし的に割と【ウテナ考察決定版】的な感じのことだったりします(ただし、あくまでも『わたし的に』ということなので、そこのところだけご注意ください^^;)

 

 実をいうとわたし、アドゥレセンス見てから思いだしたのが、ヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』のことでした。ええと、ネタばれ☆になっちゃうんですけど、あれは14歳の少女ソフィーの元に「あなたはだれ?」という極めて根源的な問いの手紙が届くところからはじまる、世界一わかりやすい哲学についての本です。

 

 それで、これから『ソフィーの世界』を読む予定のある方には非常に恐縮なんですけど(汗)、最初、読者はソフィーのことを「現実に存在する14歳の女の子」だと思って読み進めていくんですけど、割と最後のほうでそれが引っくり返ります。実は彼女は架空の世界の人間で、現実の世界にはヒルデという、架空の人物であるソフィーのモデルになった、容姿もそっくりな少女が存在しているという。

 

 このことがわかった時(「わたしが誰なのか」ということがわかった時)、ソフィーは架空の世界の少女ながら「自分が本当には生きていない」(=現実には存在していない)ことがわかり、物凄くショックを受けるんですよね。これでいくと、アドゥレセンスのウテナとアンシーのあの脱出劇はどういう意味を持つか……いえ、このことに気づいてから、わたしの中ですべてが逆転したわけです。

 

 一から説明していくと、アドゥレセンスの中で、ウテナは冬芽に対して「やっぱりあんたが王子さまだったんだ」みたいに言っています。正直わたし、「なんだろうこの、今さら設定」と最初は思ったんですけど、本当に王子さまは冬芽だった……そして、冬芽が養父から性的虐待を受けていたということがわかった瞬間、すべての謎が解けた気がしました。

 

 そのことに思い至ってから思いだしたのが、もう一冊の本で、ダニエル・キイスの有名な『24人のビリー・ミリガン』と、その続編の『ビリー・ミリガンと23の棺』。世界的ベストセラーと思うので、説明の必要ないかもしれませんが、これはビリー・ミリガンという少年が性的虐待を受けたことで、その後23もの人格が生まれ、その人格のすべてをひとつに統合してゆくという、彼の人生や治療の過程について書かれた本だったと思います(読んだの昔すぎる^^;)。

 

 つまり、ディオス=暁生王子とアンシーの肌だけふたりとも黒いのには、最初から理由があったってことですよね。このことを思いだしてからわたし、ようするにディオス=暁生王子と姫宮アンシーっていうのは、桐生冬芽の無意識が生んだ人格で、それぞれ性的虐待の経験と記憶を与えられているのかもしれないと思いました。

 

 これまで語ってきた文脈でいくと、「おまえこそ急にどうした」って結論なんですけど、鳳学園という舞台設定の世界の中心にいて、この世界を創りだしたもともとの人物は、やっぱり冬芽だということですよね。何故かというと、「鳳学園」そのものが、桐生冬芽による桐生冬芽のための、自作自演・自縄自縛の精神世界だっていう可能性もあるって思ったからなんです。

 

 これでいくと、ディオス王子が苦しみ、その苦しみを見ていられなくなった妹のアンシーが、代わりにその苦しみを引き受けるようになった理由が説明されると思う。あの設定は、視聴者の誰がどう見ても「随分トートツだな、おい」としか思えない場面。でも、ディオス王子っていうのは、冬芽が性的虐待を受けたことによる、抑圧されて生まれた無意識の人格なのだと思う。ダニエル・キイスが多重人格者であるビリー・ミリガンのノンフィクションを描いたことで……今では一般に、虐待を受けた子供がその後、その耐えられない経験を他の人格を生みだして押しつけることで、耐えやすくしたり、なかったことにしていると知られるようになったわけですけど、冬芽はまず、ディオス(暁生)王子という自分のもうひとつの人格にそれを押しつけた。ところが、ディオス王子が冬芽の養父の性的虐待に耐えられなくなると、今度は姫宮アンシーというまた別の人格に押しつけられるようになった……ビリー・ミリガンの他の23の人格の中に女性がいるように、そうであってもまったく不思議はないわけです(ビリー・ミリガンの中の女性人格の中にはレズビアンの女性もいます)。

 

 人は誰にも知られたくない真実を語る時、それをそのものズバリという形では言わず、精神科医と話をするにしても、最初は王子とか魔女とか、あるいは「先生。オレにはあるひとつの王国がありました。でもそれは、お姫さまがやって来る前に木っ端微塵に砕かれてしまったんです……」というように、かなり遠まわしにたとえで話したりするものだと思う。また、「あれ」とか「あのこと」といったように語ったり、こういう時、カウンセラーの先生が、うっかり「ああ、義理のお父さんのことですね」とか、空気を読まない発言をすると、患者のほうではカッとして突然部屋から出ていってしまうかもしれない。

 

 この説を押し進めていくと、ウテナが何故まず最初に冬芽の親友(仮・笑)である西園寺莢一と勝負しているのかも、なんとなくわかる気がします。西園寺は確かに、現実の世界でも冬芽の幼なじみのような存在なのだろうと思う。でも、冬芽と西園寺ってなんとなくキャラ的にも似てますよね。ところが、常に冬芽のほうが一枚も二枚も上手であり、西園寺は決して冬芽に敵うということがない。しかも、時々キレ気味で、狂気的な顔つきをしているアレっていうのは――「鳳学園」=「冬芽の無意識ワールド」とした場合、冬芽が養父に対して感じていた激しい怒り、西園寺莢一は冬芽の中の無意識が現実の彼を元に作り出した人格だとした場合、そうした怒りや狂気を引き受けているキャラなのかもしれない。

 

 そして、冬芽には七実っていう妹がいますよね。最初のうち、七実が兄として彼のことを崇拝するのを、冬芽は彼女だけは「妹として特別」といったような優しさをところどころで見せてもいる。また、アニメとして見た場合、冬芽が七実のことを時に冷酷に突き放す感じでも、前半部分はコミカルな部分もあって、それほど深刻さは感じない。でもだんだん、「養父母にそう言われたから優しくしていただけ」とか「あんなのお芝居さ」など、後半になるにつれ、実の妹に対してでさえも冬芽が冷たい人間であることがわかってくる。

 

 また、鳳暁生が出てくると、視聴者的には「あ、コイツがウテナの言ってたほんとの王子か」、「んじゃ、こっちが本命ってことで」みたいに、暁生をミステリー小説の真犯人のように眺めるようになってしまい、冬芽でさえも本当の王子である暁生には敵わないんだ……という二番手的存在であるように見てしまうようになる(ここが落とし穴という気がする^^;)。

 

 でも、アドゥレセンス見ると、冬芽の妹に対する冷たさや、他のどの人間に対しても冷たいのが何故かが、逆算してわかるようになってくる。おそらく、冬芽にとって七実という妹は、現実の世界においてはとても大切で、ここからは想像ですけど、養父から「このことを誰かにしゃべったら、妹にも同じことをするぞ」とか、脅されていた可能性もある。七実って、お金持ちの義理の両親の元に兄の冬芽と一緒に引き取られたものの、彼女の「何も知らない幸福」というのは、冬芽の義父に犯されるという犠牲の元に成り立っているとはまったく知らないでいる。

 

 冬芽が性的虐待を受けて生まれた人格=鳳暁生であるとした場合、人間は無意識には勝てないという意味で、冬芽が何をどうしようと彼に敵わない理由はよくわかる。また、暁生が出てきて以降、このふたりは「キャラ的に丸かぶりやんけww」というように感じられるわけですけど、それでいて暁生が冬芽に友好的で排除しようとしないのが何故かの理由もこれでいくとよくわかる気がする(というか、お互い鏡を相手にしゃべっているようですらある)。また、七実はアンシーに絶対勝てないようにも出来ている。何故なら、冬芽の無意識界において、七実は「何も知らない女の子」であって、アンシーは「すべて知っていて、犠牲を引き受けている女の子」だから……でんでん虫を筆箱に入れようとしようが、蛇を机に入れようとしようが、そもそも敵うわけがなかったのです(笑)。

 

 こう考えてくると、暴れ馬→暴れ牛→暴れカンガルーに七実が襲われるっていうアレも……無意識の夢的世界な解釈でいったら、普通はあれ、コントロール出来ない性欲のことですよね。でも、みつる君がいつでも七実にまとわりついて守ろうとしてるっていうのも、冬芽の願望のように思えなくもないわけです。彼がまだ小学生で、にも関わらず七実がそれなりにちゃんと相手してるっていうのも、そう解釈できなくもありません。そして、冬芽が現実の世界のほうで近親相姦の罪を犯していた場合、カンガルーをボクシング・グローブはめてKOしたようには出来ず、「自分の苦しみを妹にもわからせてやりたい」という衝動に打ち勝てなかった――こうして薔薇は散らされ、血のように赤く染まったという瞬間があったということなのかどうか。

 

 性的虐待+妹への近親相姦が冬芽が「鳳学園」に執着する理由なのであれば(運営のほうは彼の無意識が生みだしたもうひとつの人格である暁生が行なっているのだとしても)、彼はこの自分で創った城の中から今後とも決して出てくることはないだろうし、そこから出てきて耐え難い現実と直面するくらいなら自殺したほうがマシだ……と思っていても、まったく不思議はない。

 

 でも、『少女革命ウテナ』は言うまでもなく、『美少年革命トーガ』でもなければ、『青年革命トウガ』というわけでもない。ウテナというのは、冬芽にとって、「彼女だったらもしかしたら……」と唯一期待の持てる変数的存在だったのだと思う。そして、ウテナは確かにそれをやってのけた。どんなふうに?冬芽が棺に閉じ込めていた、誰にも知られたくない痛みを彼女が解放し、革命することによって。

 

 この場合の革命とは、冬芽ってすべての秘密を心の内に秘めたクールキャラなわけですけど、そのクールな仮面を外して、自分は本当はこんなに傷つき苦しんでるっていうことを、他者に見せるということだと思う。ウテナは暁生という、もうひとりの彼とキスもしたし、肉体関係も持った。でもやっぱり、彼が何を考えているかわからず、それは想像していたような恋人関係というのともまるで違うものだった。人の無意識には、男性であれば、男性的人格の他に女性的人格もあり、女性も、女性的人格の他に男性的人格も持っているものだと思う。この場合、ウテナの中の男性的人格(王子的人格)と、冬芽の中の女性的人格(プリンセス的人格)であるアンシーが結ばれたのって……自分的にそんなに不思議な感じがしないんですよね。

 

 こうしたトラウマの癒しを得て、冬芽=アンシーは、ウテナと一緒に現実の世界へと飛び出していった――まあ、変ですよね。何故かというとウテナだって、冬芽の中の現実世界のウテナが心に取り込まれているといった存在なんでしょうから、ここまでの強固な自我世界をアニメで描いたのかっていうのは、疑問の余地が残るところだとは思う。

 

 でも、ここからはさらにわたしの妄想ですけど……ウテナが例の第33話で暁生に処女を捧げたあれっていうのは、あくまでも相手の姿がなく、「どうもそうらしい」とわかる程度のもの(まあ、事後に手を握りあってるからはっきりそうとわかるとはいえ)。暁生っていうのは、冬芽の無意識世界の王子とした場合、現実の世界のほうでは冬芽が相手だったっていう可能性も、なくはないのかなって思います。

 

「あんたがさ、クールな振りして、なんか悩んでるみたいだっていうのはわかるから、こんなことでもすれば少しはくらい心を開いてもらえるかなって思ったけど……ダメなんだね。そういうことじゃないんだ」みたいなことが、現実のほうであったとした場合――心の冷たい冬芽にはとりあえず、選択肢がふたつある。ひとつ目は、ウテナのことを他に数いる多くの女性のひとりとして扱うというパターンと、ふたつ目は「実はこういうことがあって……」と、初めて自分の弱いところを見せるのか、という。

 

 冬芽にとってウテナって、養父から虐待されていた時に出会い、彼女が棺に閉じこもり、「生きてるのって気持ち悪い。どうせ死んじゃうのに、なんで生きてるんだろう」と言ってた、風変わりな女の子で……でも、彼もまた、その時まったく同じことを思っていた。養父に性的に虐待されることで、「生きてるのって気持ち悪い。生きててもどうせ苦しいだけなのに、なんで生きてるんだろう」といったように。ここ、ですよね。この時、心と心、魂と魂が通じあうような感覚があったから、冬芽はウテナならもしかしたら……という期待をかけた。

 

「黒薔薇編」は、最初はなくても特に大筋に関係ないように思ったんですけど、ウテナとデュエルしたデュエリストが敗れるたび、棺がひとつ燃やされていたことから……そのあたりも比喩だったのかなって思わなくもありません。また、確かミッキーが「釧路記念館じゃなくて、登別記念館でもなくって、ああっ、思いだせないと気持ち悪いっ!!」と言ってた根室記念館ですが、そうなんですよね。北海道人にとって根室と聞いて思いだすのは間違いなく地名としての根室です(笑)。

 

 そして、冬芽って、名前が意味深な気がしたり。もし冬の庭に薔薇が芽を出したとしたら、それはまさしく奇跡だけれど、そもそも冬に芽をだす花なんてあるだろうか?という話。また、あのキャベツからモンシロチョウが蛹から育って穴を開けているというのも……御影草時の、「深く。もっと深く……」っていうのと関連性のあることなんでしょうね。この場合、冬芽が幼い頃養父に犯された場所が、本当にキャベツ畑と考える必要はなく、たぶん心理学的な意味を持たせてるっていうことなのだと思う(魂=蝶とか、そういう)。

 

 また、御影草時って、実は冬芽がカウンセリング受けてた病院の精神科医か何かなんじゃないかという気もしたり(^^;)そして、これは偶然とは思うんですけど、根室って日本の中で一番最後に春が来ると言われている地方だったりします。つまり、サクラ前線のやってくるのが一番最後で、本州の方ですっかりサクラが散って、「今年も春、終わっちゃったね~」なんて言ってるその一月かそれ以上も遅れて五月の上旬くらいに「ああ、今年もサクラが咲いた~」なんてやってたり(でも、今年はもう少し早そう・笑)。

 

 そして、ウテナの髪の色はサクラのようなピンク色。たぶん根室は日本で一番寒い地方のひとつと思いますが(でも夏は涼しい)、少し遅れても確かに花は咲くんだよと、ウテナが冬芽(この場合は=アンシー)に教えてあげてくれたら嬉しいと、そんなふうにも思いました

 

 いえ、アドゥレセンスでは、最後の最後まで暁生はウテナとアンシーの邪魔をしてたわけですけど、無意識の心の動きとしては最後まで冬芽が抵抗した気持ちはよくわかる(わたしだって絶対そうすると思うから)。でも、今はアンシーのほうが暁生よりも強い自我を持ち、ウテナが革命を起こしたことによって得た力により、暁生よりもずっと力が強くなっている。最初見た時はあのラストって、「わたしが求めてたのとは、なんか違うなあ」と思ったんですけど、今は最高のラストシーンであったことがわかります

 

 なんにしても、こう考えてきて、今もう一度ウテナを第1話目から見ると、最初見た時とはまったく意味変わってくると思うんですけど、それはまた、もう少し時間を置いてからのお楽しみに取っておきたいと思っています♪

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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