遜文侍のweblog

子育ちは親育ち。成長記録weblog。2005.1~。

下村副長官発言をめぐり

2006年11月09日 21時13分32秒 | 箴言・苦言
11月9日の讀賣新聞「気流」(読者投稿欄)に、タイトルの発言(無理に働かなくとも家庭でしっかり子育てをやってもらえるようにシフトしていくことが望ましい)に対して、反対・賛成意見が並び、片方はまさに「家庭教育崩壊が現代の悲惨な日本をつくっている」という現実に全く気づくことがない、子どもからの視点が完全に欠如した「自分様」母親、もう一人が子どもを育てるということが人間の営みの中で何を意味するのかをしっかりと押さえた子どもの視点を大事にした母親。

賛否両論というにはあまりにレベルの違う意見の並列に、今の日本の縮図を見ました。
結論は明確。
この発言の方向性でシフトしなければ、日本の社会は地獄図へ変貌していくだけでしょう。

「自分様」母親の主張はこうです。
「私は生後八ヶ月から子どもを保育園に預けている(立派に働いているのだ!子どもは文句一ついわない!)」
「我が家も兄弟を同じ保育園に通わせるには、1歳未満で職場復帰せざるをえない事情があります」
「母親は育児に専念すべきだという価値観の押しつけが、さらなる少子化を招いている気がします」
どうでしょう。すごい自分様ぶりです。子供の視点がどこにもありません。子どもというのが、どれだけまだ周りが見えない状況で世の中に立ち向かっているのか。自分だけを見ていてくれる安心感の保証は「親(母親でなくとも良い)」しかあり得ません。その子どもから見た世の中の見え方、という実際を感じようとしたことはこの母親には金輪際ないようです。
同じ保育園に通わせることが、その人間の人生にどれだけ大事なことですか。ただの親の都合以外の何物でもないじゃないですか。
「母親が育児に専念」というただの被害者意識には、子どもが母親がそばにいてくれることを熱望しているという視点が完全欠如。いきなり価値観の押しつけに話が飛躍し、さらに少子化に飛躍しています。世間の言葉の受け売りというのもここまでくると実にバカ丸出し、そんな単純な理由が少子化に繋がると本気で思っているところが救いようのない愚か者と断定します。
トドメがこれです。
「無理に働いているのではなく、好きで働いている母親もいます」
この母親の子どもは、あなたの存在などより私の人生充実=仕事の方が大事なの、とこれにより宣言をされたわけです。
これを悲劇といわずして何といいましょう。
虐待の変形を見せつけられた実に不愉快極まりない発言であります。
こうして幼児期に徹底した心理的虐待を受けた子どもがまた大いに歪んでいくという連鎖が、現在の日本の地獄図です。

一方、下村副長官発言をあたたかく評価する母親は、
「幼児期の一年は、大人のそれとは比べようもないぐらい濃密だ」
ここに子どもを心からしっかりと観察してきた母親の真理を語るすべてが凝縮されているといっても過言ではありません。
「母親が働きに出れば、子どもと接する時間が減ってしまうことになる」「基本的な生活習慣を身につけ、情緒の安定を保つためには、母親と一緒に過ごすのが望ましい。」
それは、片親や死別離婚等どうしようもない環境もあるため、これだけを強調は出来ないが、次の一文が現在の腐敗した日本社会のすべてであることは確実。
「家庭という基盤が弱体化していることが、青少年を取り巻く様々な問題を引き起こす一因となっている」
そして、この意見が私が前からずっと思っていたことを代弁してくれた貴重な意見だと拍手を送りたいものであります。
「子どもの将来と幸せのために、政府は母親が働きに出るのを後押しする税制や年金制度を見直すべきなのではないだろうか」
そうです。働きに出るのを後押しする政策なのです。
選挙権のある「母親(一部の)」の言い分だけに耳を傾け、すべての子どもたちの悲痛の叫びを切り捨てているとしか思えません。
親なら男親女親関係なく、子どもにぴったりと3年間は親がついていることができる、ここまでやらなければだめです。
保育園の時間延長など子どもをより苦しめる仕打ちでしかないのです。

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