遜文侍のweblog

子育ちは親育ち。成長記録weblog。2005.1~。

嬉しい分析

2006年11月15日 12時46分07秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
佐々木正美先生の言葉から。
4歳の我が子がモノに対する執着が大変薄く、おもちゃ屋の前でもとても聞き分けが良いので、不思議に思うと同時に助かるなあと感じていました。
佐々木正美さんは、こんな分析をされています。
「手をかけてもらえた子のほうが、モノに執着しないのです。子供に手をかけてあげていれば、今日はおもちゃを買いませんよといえば納得します。おもちゃ屋の前で駄々をこねるのは、いかに手や心をかけていないかということです。」

同感です

2006年11月15日 08時52分08秒 | 箴言・苦言
またまた佐々木正美先生の言葉から。
親になって思うことはこれに尽きると思います。
「たとえば私が自分の子供に、親が生きているうちに親が子供に望むものがあるとしたら、親より先に死なないことだ。これを私は冗談を交えながら、おりに触れて言っています」

幼児期の子の要求を叶える「過保護教育」のすすめ

2006年11月14日 09時10分34秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
敬愛する佐々木正美先生の持論ですが、我が家も、これについては結構実践できたのではないか、と思っています。
最近、4歳になるレイクンは「お父さんは何がしたい?」と聞いてくることがあります。結局は一緒に遊んで欲しいのには違いないのですが、その相手の考えを聞いてくるその姿勢は、これまで彼の思いに意識して耳を傾けてきた成果かもしれません。

幼稚園入園申込の会場での再会

2006年11月13日 02時51分36秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
レイクンの幼稚園入園申込の会場で手続きが済んで、部屋を出るその場で、「ご苦労様でした」と来場者に声をかけるその姿・・小学校の5・6年生の時の担任の先生でした。
思わず「M先生!」といったが、当然25年前の子どもの私しかしらない先生は、唖然とした様子。
私が名告ると先生は思い出してくださり、会話が成立しました。
短い会話も大変心が躍るような気持ちになりました。
あちらは25年経って、白髪となられても私の目からは、全く人違いをする可能性などは思いもつきませんでした。それくらい、はっきりと歳月が蘇ったことに、後でとても感慨深い思いをしました。
何とも25年後にも、教師は教え子にしっかりと記憶されていることなのだと、小学校の教師という職業を少しうらやましく思ったところです。

下村副長官発言をめぐり

2006年11月09日 21時13分32秒 | 箴言・苦言
11月9日の讀賣新聞「気流」(読者投稿欄)に、タイトルの発言(無理に働かなくとも家庭でしっかり子育てをやってもらえるようにシフトしていくことが望ましい)に対して、反対・賛成意見が並び、片方はまさに「家庭教育崩壊が現代の悲惨な日本をつくっている」という現実に全く気づくことがない、子どもからの視点が完全に欠如した「自分様」母親、もう一人が子どもを育てるということが人間の営みの中で何を意味するのかをしっかりと押さえた子どもの視点を大事にした母親。

賛否両論というにはあまりにレベルの違う意見の並列に、今の日本の縮図を見ました。
結論は明確。
この発言の方向性でシフトしなければ、日本の社会は地獄図へ変貌していくだけでしょう。

「自分様」母親の主張はこうです。
「私は生後八ヶ月から子どもを保育園に預けている(立派に働いているのだ!子どもは文句一ついわない!)」
「我が家も兄弟を同じ保育園に通わせるには、1歳未満で職場復帰せざるをえない事情があります」
「母親は育児に専念すべきだという価値観の押しつけが、さらなる少子化を招いている気がします」
どうでしょう。すごい自分様ぶりです。子供の視点がどこにもありません。子どもというのが、どれだけまだ周りが見えない状況で世の中に立ち向かっているのか。自分だけを見ていてくれる安心感の保証は「親(母親でなくとも良い)」しかあり得ません。その子どもから見た世の中の見え方、という実際を感じようとしたことはこの母親には金輪際ないようです。
同じ保育園に通わせることが、その人間の人生にどれだけ大事なことですか。ただの親の都合以外の何物でもないじゃないですか。
「母親が育児に専念」というただの被害者意識には、子どもが母親がそばにいてくれることを熱望しているという視点が完全欠如。いきなり価値観の押しつけに話が飛躍し、さらに少子化に飛躍しています。世間の言葉の受け売りというのもここまでくると実にバカ丸出し、そんな単純な理由が少子化に繋がると本気で思っているところが救いようのない愚か者と断定します。
トドメがこれです。
「無理に働いているのではなく、好きで働いている母親もいます」
この母親の子どもは、あなたの存在などより私の人生充実=仕事の方が大事なの、とこれにより宣言をされたわけです。
これを悲劇といわずして何といいましょう。
虐待の変形を見せつけられた実に不愉快極まりない発言であります。
こうして幼児期に徹底した心理的虐待を受けた子どもがまた大いに歪んでいくという連鎖が、現在の日本の地獄図です。

一方、下村副長官発言をあたたかく評価する母親は、
「幼児期の一年は、大人のそれとは比べようもないぐらい濃密だ」
ここに子どもを心からしっかりと観察してきた母親の真理を語るすべてが凝縮されているといっても過言ではありません。
「母親が働きに出れば、子どもと接する時間が減ってしまうことになる」「基本的な生活習慣を身につけ、情緒の安定を保つためには、母親と一緒に過ごすのが望ましい。」
それは、片親や死別離婚等どうしようもない環境もあるため、これだけを強調は出来ないが、次の一文が現在の腐敗した日本社会のすべてであることは確実。
「家庭という基盤が弱体化していることが、青少年を取り巻く様々な問題を引き起こす一因となっている」
そして、この意見が私が前からずっと思っていたことを代弁してくれた貴重な意見だと拍手を送りたいものであります。
「子どもの将来と幸せのために、政府は母親が働きに出るのを後押しする税制や年金制度を見直すべきなのではないだろうか」
そうです。働きに出るのを後押しする政策なのです。
選挙権のある「母親(一部の)」の言い分だけに耳を傾け、すべての子どもたちの悲痛の叫びを切り捨てているとしか思えません。
親なら男親女親関係なく、子どもにぴったりと3年間は親がついていることができる、ここまでやらなければだめです。
保育園の時間延長など子どもをより苦しめる仕打ちでしかないのです。

急性中耳炎

2006年11月09日 09時11分25秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
10か月の娘が、睡眠時に苦しみ泣くようになり、風邪で鼻が詰まって苦しいのだろうかと思いながらも、近くの評判の耳鼻科に行くと、急性中耳炎と診断され、その場で鼓膜切開ということになったのでした。
昨日は休暇だったので、自分が耳鼻科に連れて行きました。
1時間の待ち時間、いいこにして待てた娘に感心したと同時に、母たちの日常を観察できる貴重な良い時間を過ごすことができました
切開以来、夜泣きも失せ、ご機嫌な娘の姿に、ありがたい思いで今日に至っています。
良く眠れるようになった代わりに、今朝は5時から元気いっぱいでしたが…。

バイヤイ、の時期再び

2006年11月06日 09時15分33秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
11か月の娘が、この数日でよく歩くようになりました。会社にいく格好で玄関に立つと我が家の誰よりも早く駆けつけてくれて「バイヤイ」と両手をグーパーしてくれるようになりました。
今朝は、一生懸命バイヤイしながら、行くなといわんばかりに抵抗して騒いでいる姿が、後ろ髪引かれる思いで、自宅を出ました。
4歳の息子が「今、あまり痛くなかったから、『頭にきたなあ、もう』って言わなかったんだね!」と言われ、大いに苦笑させられたと同時に、自分の普段着の姿を見せてもらえたことに、感謝です。

痛い!頭にくるなあ、もう

2006年11月06日 09時03分42秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
赤ん坊の娘を抱っこして階段を降りてくる際に足をぶつけて「痛い!」
4歳の息子が「今、あまり痛くなかったから、『頭にきたなあ、もう』って言わなかったんだね!」と言われ、大いに苦笑させられたと同時に、自分の普段着の姿を見せてもらえたことに、感謝です。

普段からの近所との人間関係がすべて

2006年11月01日 00時19分53秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
仕事中、レイくんがハロウィンの魔女に扮した姿で箒を片手に楽しそうに立っている写真がメールで届きました。
後で聞くと、プレ幼稚園で作ったハロウィンの手作りコスチュームを身にまとい、近所の7件ほどの家を、「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞー」といって巡ったというのです。そして、皆さんからたくさんのお菓子をいたただいて大喜びだったとのこと。
この発案は我妻の気まぐれなのですが、実にこれが子どもに喜びを与え、近所との関係をより密にすることにつながっているか、その地域コミュニティにおける円滑剤として、素晴らしいことだとつくづく思うのです。
これは私には決して出来ない芸当だけに、妻の思いきった行動力には本当に頭が下がる思いと同時に、こんな可愛らしい近所付き合いがこの病んだ日本において広がれば、もっと人が人を信頼しあえる地域社会造りにつながっていくと確信した次第です。