遜文侍のweblog

子育ちは親育ち。成長記録weblog。2005.1~。

心の清らかさ

2009年01月18日 02時52分10秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
真剣に悩むレイクン。

この間の映画の残像は消えつつあるらしく、それは克服したのだが、と彼は前置きし、今気になっているのは世の中に戦争があること、だというのです。
戦争がこわい。何とか戦争のない世界にならないだろうか。

幼稚園生にして本気で考える彼に感銘を受けると同時に、何も満足行く回答ができない自分が情けない限りでした。
彼の心配をとってあげようとフォローをするのですが、それは空虚な言葉でしかなく、その空虚さが彼にも伝わっているのが見て取れるのがもどかしいのでした。

2つの誤算

2009年01月14日 21時36分33秒 | レイくん・リサちゃんの楽しい毎日
レイクンと色々と話してこちらの遊びに引き込むことが常になり、また日々の目覚ましい成長を観ていると、あたかも小学生になったかのような錯覚を起こしているのです。
その証左に自分の誤算が彼を苦しめてしまいました。

映画を観たがるので、少しテレビで見かけたSFアクション映画「トレマーズ」(自分のお気に入りの一つ)を見たいというままに、娘が寝ているところでレイクンに見せたのですが、これが途中で怖くてやめたのです。
それから数日経った今も突然思い出してしくしく泣いたりしているというのです。

しまった、と後悔しても遅し。

今晩一緒に読んだ本は本当の幼児の本で、それも楽しそうに読んでいる彼の姿を見るとまさに幼稚園生。あまりに先走った誤算に悔いています。

今回の誤算は子どもの心を読み切れなかった誤算とは別に、「映画」についての誤算があったということも衝撃的な発見でした。

というのは、映画のリアリティと子どもの感受性との相関性、とでもいいましょうか。
子どもは常々審美眼を持って生まれていると思うことが多いのですが、まさに映画にはそのことが顕著に出たのではないか、というのが自分の至った結論です。

近年(90年代後半以降)の特にCG時代になってからのアクション系の米国映画の描写の酷さ(非現実的な動き、人間の体力部分の非現実性、不要な残酷描写等々)には本当に腹立たしさを感じています。
ひたすら面白くなくなりました。
空は飛び、高いところからジャンプし、となんでもありですが、どれもこれも全くリアリティに欠けて、それが理由で全然面白くないし、迫力・緊迫感がそれ以前のアクションものに比べて格段に落ちている、というのが自分の持論です。
それは何年経っても変わりません。
分かりやすく言えば、「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリー・ポッター」はまるで臨場感がないということ。
子ども向けの題材までそれらの描写が食い込んでいることに大変な憤りと子どもへの影響を心配していたのです。
しかし、子どももそれらを観ても怖がらない。
「トランスフォーマー」というかなり過激な映像のSFを平気で一緒にみていました。
そこで誤算が生じました。じゃあ、私の好きな旧世代(CG以前)のアクションものは更に面白いから子どもも更に喜ぶだろうと。

これが大誤算だったのです。

子どもは、何と現在の駄作アクション(敢えてそう呼びます)は、リアリティの無さ故に、怖がっていなかったのです。
いくらクビが吹っ飛んだり大量虐殺シーンが出てきても、です。

それが、何と80年代作品で、役者がちょっと演技した部分(直接描写は大体避けているし、見せるとしても「死」を一瞬見せる程度)で、子どもにとってはトラウマにならんばかりのこんな大きな反応がでてしまった。

これはまさに人間が演じていたリアリティを前提にアクション・SFを描いていたよき時代のもの(自分はだから大好きな映画になるわけですが)については、子どもはそのリアリティを受け止めて、真剣に考えてしまう、つまり少しの不穏な表現もすぐに恐怖につながる、という事実でした。

子どもの感性は、映画の出来の善し悪しのバロメーターでもあったのです。

本当にCG時代のアクションはどれもこれもとにかくリアリティの無さという点において失格のものばかりであり、観る価値の低い作品が量産されている事実に、大衆はいつ気づくのでしょうか。

きっと10年後にはほとんど見捨てられるアクションがこの近年の作品であることは間違いありません。

話が分散しましたが、そんな二つの誤算から、教訓を受けた次第でした。

子育てでいちばん大切なこと、それは自分のことを好きな子どもに育てることです

2009年01月08日 23時00分52秒 | 箴言・苦言
子育て本から遠ざかっていて久しかったので、久しぶりに佐々木正美さんの近著を借りてみました。
実にシンプルに、母親の多い悩みをQにおいて、それに重要なことを端的に伝える技術にますます磨きがかかっているのにまず感心させられました。
世間の大半の親が流されている方向とは異なる結論であるのに、それを押しつけがましくなく、そして優しさに溢れた表現でぴしっと伝えてくれる希有の書でした。

「子育てでいちばん大切なこと」(大和書房)

○子どもが言うことをきかない。第一次反抗期の悩みでしょうか。厳しく接することで甘やかさないのが対策だと思っている質問者に対して、こうです。
「子どもは、自分の言うことをよく聞いてくれた人の言うことを、聞くんです」
何たる名言!! 感動に震えました。

○いじめられない強い子どもに育てたいといきがる親に対して、こうです。
「子どもたちの社会でも、弱い子はいじめられるというほど単純ではありません。いじめっ子もいじめられっ子も、じつはコミュニケーションが下手な子どもが多いのです」
まさにそのとおり。そんなに単純ではないし、子どもをバカにした話です。
そしてコミュニケーションのちからを育てるには
「たくさん喜びを分かち合う経験をしなければ、他の人と、悲しみを分かち合えるようにはなりません」

○片親が母性・父性の両方を担うためには、という悩み
「子育ては母性性と父性性のバランスがとれていればいいのではありません。大切なのは、母性性と父性性を与えられる「順番」です。」
衝撃的解釈です。
佐々木さんのいう母性性は安らぎと安心感で包むこと、父性性はルール・責任を伝えることです。
「十分に母性性が与えられてからでないと、子どもは、きちんと父性性を受け入れることはできません」
まさにそのとおりであり、世間の親の盲点であることは確実でしょう。

○発達障害児を否定することが子育て期に続いたことが、重大犯罪につながっている例が跡を絶たない事実に、佐々木さんはばっさりとこう云いきります。
「痛ましい事件の原因は子育てが悪かったからか、と問われたら、私は「悪かったのだ」と肯定します。」
個性を認めないこと、「早く!」と言い続けること、「もっと」と過剰に期待すること、それらも否定であるという指摘がたいへん重要です。そこら中で観られる風景だからです。子どもを追い詰め、否定する親が全く自覚せずに子どもの心を蝕んでいる、という恐ろしい現実です。
「親だけでなく、教育も社会も悪いのです」子育ては親だけでできるものではない、ということを強調された言葉でしょう。子どもを持たない親がどれだけ子どもたちという未来の卵のことを自分事として考えているでしょうか。自分のことしか眼中にない人間ばかりであることは、私の周辺を見渡しても確実です。

○そして、「子育てにいちばん大切なこと」はズバリ何か。
「子育てにいちばん大切なこと、それは自分のことを好きな子どもに育てることです。」
「そして、それは子どもの「現在」を幸せにすることだと思います。」

この結論は単なる綺麗事か。抽象的な逃げか。
いやいや全くそうではありません。
このことが子どもに生かされていない、子ども(=人間)の幸福追求がなおざりにされている今日の日本であることを、佐々木さんが嘆き、考えに考えられた末に至った結論がこの言葉であることは間違いありません。
本当に重い結論であるのです。