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son59の海外旅行記

もっと遠くまで行きたい

201804 イラン旅行 感想

2018年09月09日 | 201804イラン
 砂漠に行きたくて訪れた二度目のイラン。世界一暑いと言われるルート砂漠は何もない場所だった。人類が滅びた後の地球はこうなるんじゃないかと思えるくらい、そこには砂と岩だけしか存在しなかった。今回は長時間滞在できなかったのが心残り。まる一日滞在して暑さやこの土地をもっと感じたかった。



 今回の旅ではいくつもの観光地を転々とし、訪れた土地の特徴を味わうことができた。イラン庭園は花々と水の流れを組み合わせた庭園が美しかった。メイマンドや地底都市などのイランの村も個性的で面白かった。モスクを彩るペルシャンブルーも美しい。イランは観光資源が豊富な国であると改めて思う。旅行後半はちょっとたるんでいてシシュータルにでも行けばよかったという想いもあったが、これはこれでよかっただろう。







 そんなイランだが、最も印象に残ってるのは公園や緑の中で絨毯を敷いてお茶会をしていたイラン人家族だった。どこの街でもそんな風景を見かけ、ある家族はお茶会に誘ってくれた。イラン人が緑の中で過ごすのは、日本で言うとどういうことに相当するのかは思いつかない。けど日本人が外に出て敷物しくのはお花見のときくらいでそう考えるとイランの公園風景は特殊。このお茶会は代々続いてきたものだろうし、これからも継がれてゆくだろう。

 残念だったのはお互い英語が上手くないので上手く会話にならないこと。その対策としてアラビア語の翻訳アプリを用意したのだが、イランの公用語はアラビア語ではなくペルシャ語。大きな勘違いをしてしまった。ちなみにアラビア語とペルシャ語は日本語と韓国語のように大きく異なる言語のようで、アラビア語アプリはまったく使い物にならなかった。
 イランは探せば楽しめそうな風景がいくつもあるし特殊な風習もありそう。人も親切なのでまた今度訪れることができたらいいな。


9日目 カーシャーン~テヘラン~ドーハ~羽田空港~自宅

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日は夕方までカーシャーン近郊を散策し、帰国の途に就いた。
 朝食後まずはNOSHABADへ向かった。NOSHABADはカーシャーンから20kmほどの場所。カーシャーンからタクシーで30minほどだった。ここには地底都市があるという。到着しても地底都市への入口が分からず少し迷った。
 地底都市へ入場。説明書きには世界一大きい地底都市とある。メイマンドもそうだったがペルシャ人は掘るのが好きな民族だ。



 地底都市の天井は低く道は狭くて暗い。インディジョーンズの気分で歩いていると、先行していた英語ガイドのグループに追いついた。このグループの最後尾に加わり、説明を聞きながら地底都市を巡った。この地底都市の説明が珍しいくらい訳が分からなかった。途中から聞いたこと、そして英語がよく分からなかったので聞き間違いはあるかもしれない。



 まずこの地底都市は掘ったらたまたま見つかったということ。水はどこかで流れてるらしく、そこの水を貯水していたということ。この辺りはまあ理解できる。
 よく分からなくなったのはそれ以降の説明。この地底都市を攻める連中がいたということ。その敵が何の目的でどこからやってきたのかは説明されなかったのか聞き取れず分からなかった。攻められた地底住人はOoeと奇声を上げて侵入者がきたことを他の住人に知らせ、侵入者を誘導して罠にはめたらしい。暗いことが最大の武器なのだから、わざわざ奇声をあげずともいいんじゃないかと思った。
 一番訳が分からなかったのは、この地底都市は20年ほど前の洪水で水浸しになってしまったということ。確かに地底都市内は妙に湿気が高い…。洪水がおこる土地の地下に壮大な地底都市を築いたペルシャ人はすごいのか間抜けなのか、どちらなのだろうと考え込んでしまった。うーん、訳が分からない。
 自分は基本的にガイドの説明など聞かず自分のペースで好きに見るのが好きな人間だ。しかしここのガイドは、摩訶不思議な説明で魅了してくれた。残念なのは、途中からだったからか、誰がいつ、どのように、そして何のためにこの地底都市を作ったのかという肝心な説明がゴッソリ抜けていたこと。そんなこともあって謎の地底都市NOSHABADは妙に印象に残った。
 続いてNOSHABADのお城。こちらは、土の城はこう崩れますという見本のような建物で、すぐに見学は終わった。

 これでNOSHABAD観光は終了。往路のタクシーでNOSHABAD街中でバスを見かけた。あれでカーシャーンに帰れないだろうか?とロータリーに向けて歩いていくとバスが走ってきた。慌てて追いかけて乗車しカーシャーンへ。
 残り時間が少なくなってきたが、フィーン庭園行のバスへ。
 フィーン庭園も前回の旅で訪れた場所で二度目。フィーン庭園はこじんまりとしていて、落ち着いた雰囲気。個人的にはここの庭園がイラン庭園の中でベストかなあ。水路がちょうどの細さ、子供も大人もサンダル脱いで足を浸したくなるような雰囲気、そういうのが心地よかった。



 フィーン庭園の去り際はちょっと悲しくなる。また訪れることがあるといいな。
 カーシャーンに戻るバスでは目的地を通り過ぎバザールの東側まできてしまった。時間はなくはない。ホテルがあるバザール西側まで、バザールを完走して帰れということだろう、と歩き出す。けど昼間のバザールは人気がなく不気味だった。

 ホテルに戻って荷物を回収。これからはまずはタクシーでカーシャーンのバスターミナルへ移動するためタクシーと料金交渉をして出発。しかしタクシーは途中のロータリーでストップ。ここにテヘラン行のバスが来るから待てとのこと。こんなところに本当にバスはくるのだろうか? それで乗車前の料金交渉で決めた代金を払えという。こういうことをされるとムカつく。
 カーシャーンではタクシー、ホテル、お店など至る所で金額をふっかけられた。ホテルもチェックイン時には60万と言っておきながらチェックアウト時に65万と言われたし、店では値札に書いてある以上の金額を請求された。ふざけてるだろ、と不快になった。
 怒りながらロータリーで待ってるとテヘラン行きのバスがやってきた。無駄にVIPバスでお菓子まで出てきた。
 テヘラン到着。バスターミナルからメトロでエマームホメイニーの霊廟へ。
 エマームホメイニーの霊廟は一目見ただけで終了。

 ここへきた目的はイラン通貨の残額処分のための買物。エマームホメイニーの霊廟の並びには店がいくつも並んでいる。買物を済ませてタクシーで空港へ。英語が通じない運転手と料金交渉したら残額内に収まった。17万IRR。
 暗くなったテヘラン郊外の風景を眺めながら、前回のイランの旅も同じようにエマームホメイニーの霊廟から、タクシーで空港へ向かったことを思い出した。あの時の自分は何を考えていたのだろう。まるっきり思い出せない。
 テヘラン空港到着。ドーハ行き飛行機は23:45発、夜遅くて眠たかっただけだろうか、飛行機搭乗時は特に思いなし。
 その後は特筆することなく、普通に帰国した。

8日目 エスファハーン~カーシャーン

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日はエスファハーンを散策し午後にカーシャーンへ移動した。
 朝からエスファハーンを散策した。困ったのは行先。観光都市エスファハーンだが見所は少ない。大体の観光地は見てしまった。昨日ハージュ橋の方向にフラワーガーデンの看板を見つけたので、そちらに行ってみよう。
まずは通行人に道を聞いてバスに乗車して向かうが、スィー・オ・セ橋で乗り換えてくれと言われた。時間はあるので水がない川沿いを歩くことにした。

 ハージュ橋。前回の訪問ではこの橋で敷物しいてくつろいでいた地元のイラン人家族にお茶会に招かれていろんな話をした。それが印象的で二度目のイランの訪問となった。あの家族は、川の水が枯れた今もここでお茶会やってるのだろうか?



 フラワーガーデンの看板がなく場所が分からない。仕方ないのでエマーム広場へ戻ることにした。エマーム広場への道は繁華街なのか店が多かった。歯科の診察台が売られていたり、男ばかりのお茶屋さんがあったり(イランの茶屋はどこも男ばかりだった)、昔ながらのクリーニング店があったりと一風変わった店が多かった。



 最後にエマーム広場をブラブラとする。さすがにもう一度訪れることはないだろう。なんともセンチメンタルな気分になってしまう。

 一度ホテルへ戻り荷物を回収しバスターミナルへ移動し、14:30のバスでカーシャーンへ。カーシャーン中心部に到着したのは17:30ごろだった。
 カーシャーンのホテル探し。バザールの西側がホテルが多い地区。事前に地図で場所を調べておいたが、カーシャーンの宿探しは難しい。大通りにはホテルがなく、入り組んだ道の先にある。また建物の外観はすべて土壁でホテルなのか一般住居なのか区別がつかない。ホテルの看板も、こじんまりとしていて、分からなかった。
 なかなか見つからないなーと30分くらい安宿を探してると、客引きにつかまり安宿へ。ドミ60万。宿には欧米人旅行者が多かった。
 荷物を置いて街を散策。バザールの西側は活気あり。カーシャーンを少し歩いて気付いたのは、まず女性の服装が変わったこと。黒いショールを深くかぶってる。宗教色が強いのは聖地ゴムが近いからか。
 安宿を見つけてお金に余裕ができた。そこでお土産を購入。バラのジャムやバラの花びらを購入。ヨーグルトやお茶に入れるらしい。
 その後もぶらぶらと散策。青い薔薇が珍しいなと思ったら作り物だったり、ケーキ屋でシュークリームをご馳走になったり、パン焼きを見学したり、スパイスショップでレーズンをつまみ食いしたりと楽しい散策だった。



 ホテルに戻り、中庭でネットしてたら蚊に刺されまくった。寝床にも蚊が侵入してきた。これには参った。

7日目 エスファハーン

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日はエスファハーンを散策した。前回のイラン旅行でもエスファハーンを訪れていて、思い出の地めぐりとなった。
 エスファハーン北バスターミナル到着に到着したのは6:30。思ったより早い時間に到着できた。まずはバスターミナルで翌日のカーシャーンへの移動情報 ゲット。14:30にバスがあるとのこと、もっと本数ないのかな。
 市バスでホテルへ。部屋は確保できたが、まだ部屋に人がいるとのことで部屋に入れない。シャワー浴びたいたいというのに。仕方なく荷物預けて街を散策。
 マスジェデ・ジャーメへ。最初に建てられた8世紀から長い年月をかけて増築を繰り返したモスク。まずは入場して左手の回廊。イスラムらしい柱とアーチの組み合わせを抜けると古いドームが現れた。ここが一番古い部分。



 逆時計周りでグルリと回ると、だんだん新しい建物が現れた。どの建物もイスラムらしいきれいな彫刻や模様が見れる。
 エマーム広場。世界の半分と言われた広場は多くの観光客で賑わっている。ペルシャ人にとって世界とか半分はどんな定義なのだろう。

 美しいペルシャンブルー。これを見たくて前回は訪れた。今回見ても美しい。

 一度ホテルに戻りチェックイン。3日ぶりのシャワーは気持ちいいに決まっている。
 午後の散策はスィー・オ・セ橋へ。しかしザーヤンデ川の川沿いに到着して唖然とした。水がない…。川の水が干上がってしまい普通の土の大地が現れていた。5年前に訪れたときは水はあったはず。一体どうなったんだ? 帰国後調べると、川の上流にダムができてから、夏に川が干上がることがあるらしい。
 帰国後に5年前に訪れたときの写真を見てみたが、川を歩いて渡っている人がいた。もともと川は深くないようだ。

 川底だった場所を歩いて観察してみると、川底だった場所には雑草も生えておらず、かなり長いこと干上がっていたように見える。イランという土地環境を思い知った気がした。

 スィー・オ・セ橋。今まで訪れた橋でトップスリーに入る名橋だと思っていた。しかし水がない川にかかる橋を橋と呼んでいいのだろうか?と微妙な気持ちになって、スィー・オ・セ橋は名橋から陥落した。

 雨が降り出した。スィー・オ・セ橋には屋根となるアーチの下で雨宿り。いつかまた水が流れることはあるのだろうか、なんて考えてしまった。
 水がない川沿いを歩いても面白くないので、川沿いを散歩する予定をキャンセルして、エマーム広場へ。エマーム広場の西の公園では多くの人が団らんのときを過してる。家族と雑談したり、お散歩したりして時間を過ごしていた。広場に遊びに来てた地元の人と雑談してのんびりする。
 19:30ごろにエマームのモスクへ。この時間はタダで入れた。しかし歩ける場所は狭い。

 その後はエマームをブラブラ。遅くまでブラブラしてホテルへ。さすがに疲れた。

6日目 ルート砂漠~ケルマーン~エスファハーン行き夜行バス

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日は早朝にルート砂漠を散策し、ケルマーンに戻った後はケルマーンを散策し夜行バスでエスファハーンへ移動した。
 4:30からテント片付け。5時にテント場を出発し、日の出スポットへ。これはもう少し早く行くべきだった。
 前日に夕陽を見た場所と道路を挟んで反対側の場所で日の出を鑑賞。まん丸の太陽が上る様は壮観。朝陽が砂漠の岩肌にあたり赤くなった。



 続いてShur Riverという塩の川。水は一部流れているが、一部は干からびて真っ白となっていた。少し上流のほうへ歩いてみると、塩の部分がカチンカチンに固まっていた。この塩はどこからやってくるのだろう。ガイドに聞いてみたが、分からないと言っていた。

 キャラバンサライは小ぶりな廃墟だった。昔は通商路でこのルート砂漠を横断した人がいたということだろう。砂漠で通商路といえばラクダだが、そんなの一匹も見なかった。水もなさそうなこの砂漠、どうやって横断したのだろう。

 これでルート砂漠は終了。ルート砂漠は日本人がイメージする砂漠ではなかった。この砂漠のすごいとこは、砂と岩の他は何もないこと。モロッコのサハラ砂漠にはラクダもいたし餌となる草も生えてたしうざったいほどハエがいた。ルート砂漠には植物も昆虫も本当にいなかった。あるのは砂と岩で、ある種の純粋さが印象に残った。
 ケルマーンに戻ったのはの10時。バスターミナルでガイドとは別れた。この日は21:30の夜行バスでエスファハーンへ移動する予定。夜行バスまでどうしよう? 
 第一候補はライェン行き。バスが10:30にあることは知っている。ライェンからケルマーンへ戻るバスがいい時間にあれば、と思ったが、聞いてみると13時にあるだけ。これではライェンを観光する時間がない。タクシーで戻ることも考えたがあるか分からないタクシーを使うのは不確実性が高く不向きだ。
 仕方なく荷物をバスターミナルに預けてケルマーンを散策。とはいっても昨日にほとんど見てしまった。街の東側のJabalieh Domeというゾロアスター教寺院を訪れたが、閉まっていた。

 時間つぶしでSanati museum of contemporary artへ。彫刻や絵画の近代美術作品が展示されていた。近代美術はやっぱりよく分からない。

 その後は無線使える店を見つけて時間つぶし。ケルマーンのガイド本がないので、どこが見所なのかよく分からずなんかもったいない半日だった。もうちょっと真面目に調べておけばよかった。
 21:30エスファハーン行のバス乗車。よく考えたら行先はシシュータル方面とかマシュハドでもよかったかもしれない。ちょっとたるんでるな。
 エスファハーン行のバスの中では爆睡だったが深夜1時ごろパスポートのチェックで叩き起こされた。

5日目 ケルマーン~ルート砂漠

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日は午前中はケルマーンを散策し、午後から一泊二日のルート砂漠ツアーにでかけた。
 朝から昨夜歩いた繁華街を中心部のほうへ歩いた。朝の繁華街は人気もなくひっそりとしていた。実はこの日は祝日。昨夜はお祭り騒ぎだったのでお休みモードだったようだ。

 ケルマーンのバザー。店は半分くらい開いていた。このバザールはクラシックスタイルなバザー。どことなくウズベキスタンあたりのバザールに似ていた。



 バザーの中心のキャラバンサライ。広い。昔は商人で賑わっていたのだろう。ルート砂漠を横断したのだろうかなんて妄想してしまう。

 これでケルマーン観光は終了。砂漠ツアーに備えホテル近くでランチといきたかったところだが店が開いていない。砂漠前なのでガッツリ食べたいとこだが、パンケーキ?だけ食べた。
 13時、ガイドがやってきてルート砂漠スタート。ガイドは大学生だった。やってきたガイドの車に乗り込み移動する。
 早くルート砂漠に行きたいが、昼間は暑くて行かないほうがよいと寄り道をしながらルート砂漠へ向かった。まずはケルマーンの街の東側にある山や世界最大の樹木(?)を見学するが、これは面白みに欠けた。真っ先に砂漠へ向かうべきだった。
 ルート砂漠へは昨日も通ったマハーンへの道を経由してシャブダバードへ。山を一つ越えて、標高を下げてゆく。ケルマーンは標高2000mくらいだが、シャブダバードは標高が300mくらい。標高が下がるにつれ暑さが増していった。
 シャブダバード到着。シャブダバードはルート砂漠の入口となる街。ここを過ぎると、ようやく砂漠っぽくなってきた。Nepka forestという砂漠の入口に生えていた植物が面白かった。地面はカラカラに枯れていてカチンカチンだった。そんな場所に、丘のように土が集まっていて植物が生えていた。風で運ばれた砂が植物のところに集まり丘のようになる、とのことだった。

 ここからが本格的な砂漠となった。砂漠といっても砂砂漠ではなく岩砂漠。植物がなくなり砂と岩だけの世界となった。
 そんな場所を進むとカルートという場所に到着。ここは夕陽スポットで想像以上の観光客がいた。ここは高さ数メートルの岩のようなものがいくつもそびえたっているエリアで砂漠にしてはちょっと奇妙な場所だった。
 到着直後に夕陽。想像以上に観光客が多く、地面が固いからか乗用車が走り回っている。もっと静かに夕陽を見れると思ってた。
 夕陽はきれいだった。日常生活の中でも夕陽を週に一度くらい見れるといいよね。



 暗くなったが満月も出てたし星空的には今ひとつ。
 この日の宿泊はカルートから車で30分ほど移動したキャンプ場。ここは整備されていたが水は出なかった。どうせならカルートの近くでテントを張りたかった。
 砂漠の夜は暑かった。風を入れないと暑いので、テントの入口を開けたままにして就寝。幸い虫はいないので普通に眠れた。

4日目 Shahr-e Babak ~ケルマーン~マハーン~ケルマーン

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日はケルマーンへ移動し、近郊の街マハーンを散策した。
 朝食を食べて、Shahr-e Babakバスターミナルへ移動。ホテルの旦那さんが車で送ってくれた。バスターミナルでは、バス会社の人に自分をケルマーン行きのバスに乗せろと話をつけてくれた。
 7時のケルマーン行はオンボロバスだった。ケルマーンへは東へ3時間ほど。道路は高速道路のように道幅が広い優雅な道路だった。

 遠くの荒涼とした山々は木も生えていない丘のような山だった。日本のように緑が豊かな山ではない。こんな山、直射日光で暑くて誰も登らないだろう。実はイランの山って未踏峰だらけなんじゃないか、なんて考えた。
 ケルマーンバスターミナル到着。時刻は10時すぎ。まだ時間は早いしマハーンへ行ってみることに。しかしバスターミナルからマハーン行きのバスはなく、タクシー使えと言われてしまった。かなり困ったが、ライェン行きのバスに乗って途中下車という方法がメモにあったのを思い出して、ライェン行きのバスを探すことに。バス会社は簡単に見つかりマハーンで下りたいと伝えると、マハーンへは行かないと言われた。なんで行かないんだ。地図を見せて、途中の街じゃないかと交渉すると、Bagh-e Shahzadeという言葉が出てきた。Baghしか聞き取れなかったが、庭園の意味であることは理解していた。Baghへ行きたいんだよ、と伝えると切符を売ってくれた。運よくライェン行きのバスは10:30ですぐ出発した。
 ライェン行きのバスは相変わらず荒野を進む。遠くの山に雪が残っているのが見えた。あの雪解け水が庭園に流れてるのだろうか?なんて考えてると、隣のオッサンが家族の写真やバンダルアッパーズのイベントの動画を見せてくれた。かなり独特な動画で訪れてみたくなった。
 荒野の中に妙に緑が多い一角が見えた。あそこがBagh-e Shahzadeだよ、と乗客の一人が教えてくれた。絵に描いたようなオアシスみたいな場所。幹線道路で下車して歩いて庭園へ向かった。Bagh-e Shahzadeはマハーンの町はずれにあった。
 入口で荷物を預けて庭園へ。庭園へ足を踏み入れると目の前に段々の水の流れと噴水が現れた。噴水の両脇には高い木々が並んでいる。この木々が木陰を作るので、来訪者は涼しげに散策することができる。太陽は水が流れているところにのみ当たるようになっている。なんて絶妙な設計なんだ。





 噴水のそばを歩くと、薔薇など花々の花壇がある。白い薔薇はきれいだね。歩いていると頭にプリンセスプリンセスのダイヤモンドがながれた。冷たい泉に素足を浸して♪、というやつである。そうしたくなるような庭園。
 水源を辿ってみると建物の裏には背の高い樹木が育っている。イランという場所は土地柄、太陽の光は強いから水さえあれば植物はしっかりと育つのだろう。そんな場所を外壁に沿って歩いていると、外壁に隙間がありそこから水が入ってきているではないか。こんなに水inは少ないのに、あんなに大きな流れになるのか…。この庭園の設計者は大したものだと感心した。

 少し疲れたので建物裏のチャイハネで休憩。のんびりしていると地元の男子中学生くらいの連中に囲まれてまたもや写真攻めにあった。この男子学生はかなりしつこくて歩き出してもついてくるので困ってしまった。静かに見て回りたいというのに。
 ようやく静かになり入口から再度往復してみる。やっぱりこの庭園、素晴らしすぎる。涼しさと緑と豪華さと繊細さが入り混じった不思議な庭園だった。
 マハーンの街中のシャー・ネエマトッラー・ヴァリーの霊廟へタクシーで移動。庭園は町はずれにあって中心から10分くらい離れていた。中に入ると、ここにも中学生くらいの学生さんたちが遠足にきていた。男子はバレーボールして遊び、女子たちはカーペットの上でお菓子を食べながら女子会をしていた。



 霊廟の中を見学する。ここは日本人には馴染みの薄いスーフィー教団一派の霊廟。霊廟の外観にはペルシャンブルーのタイルが使われていて普通のモスクと変わりない。内部はモスクとはちょっと趣が異なるなーくらいしかわからない。外観からは大きな建物に見えたが、中に入ると思ったより小さい。あっという間に見学は終了してしまった。
 ケルマーン市内への移動はソバリスを利用した。ソバリスは乗合タクシー。霊廟から北へちょっと歩いたところに乗場があった。ソバリスで30minほどでケルマーンへ。
 到着したのはケルマーンの南のどこか。タクシーの運転手にホテルの場所を聞いて歩き出した。予定したホテルはホテルオミッドというホテル。ホテルの住所は分かっているがそれが街のどこにあるかは分からない。街の中心部だろうとGPSを頼りに適当に歩き出す。これが実は大失敗。ケルマーンの街自体がかなり大きくホテルまで2時間以上歩いた。
 ホテルチェックイン。このホテルも最初70万と言われたが、値段交渉すると60万リアルに値下がりした。イランは値下げに応じる宿が多かった。
 ホテル近くの繁華街をブラブラ。ホテル近くの繁華街はケルマーンの銀座のような場所なのか多くの人で賑やかだった。ショッピングモールがあり、パナソニックやLGなどの家電屋があり、おしゃれな洋服屋さんもあってアジアの繁華街のようだった。映画館やバンコクあたりにもありそうなファーストフード店もある。
 街は音楽がかかり多くの人で賑やかだった。洋服屋とか食べ物に関係ない店が、歩いてる人にお茶やお菓子を振る舞っていたのは驚いた。ケルマーンのお店はこうやって客引きするんだなーとこの時は感心してたが、実はこの日は祝日前日でこのように飲食物を振舞う習慣があるらしい。この後も至る所で同じ光景を目にした。

 ホテルに戻り、翌日のルート砂漠のツアーについて相談。旅行会社に電話をして、値段と行く場所を交渉し納得したので申し込んだ。あいにくほかの参加者はいないとのこと。ただ暑いだけの砂漠に行く物好きはいないということだろうか。

3日目 メイマンド~ Shahr-e Babak

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日はメイマンドを散策しShahr-e Babakへ移動した。
 朝からメイマンド散策。とはいっても小さな村なのでほとんど見てしまっている。前日とは逆周り。
 少し村の外を歩いてみることにした。村の奥の坂道を左側に進んだ。30分ほどで峠に出た。遠くで未舗装の道路がいくつにも分岐していた。遊牧民の夏の住居に通ずる道があるだろうが、どれが夏の住居に通じるかは分かるはずがない。おとなしく引き返すことに。

 ホテルで朝ごはん。この日はメイマンドからShahr-e Babakへ移動し13時のケルマーン行きのバスに乗る予定だった。問題はメイマンドからShahr-e Babakへの移動方法。バスなどないのでタクシーとなるが、タクシーなんてあるだろうか。
 朝食後にメイマンドを再度散策すると、物静かな村が大勢の人の話し声で賑やかになっていた。いくつものグループに別れた高校生くらいの女性たちが、日陰に敷物を敷いて女子会をしていた。なんなんだ、これは? 話をしても英語が通じず分からないのが悲しい。

 メイマンドを歩いていると日本人が珍しいからか写メを撮られまくった。写メに応じてると引率の先生らしき年配の女性が現れてお茶に誘われた。事情を聞いてみると、Shahr-e Babakの学校に通ってる学生さんで、メイマンドに遠足のような感じでやってきたようだ。見る限り女の子ばかりだが一応共学とのこと。男が来ていない理由はよく分からなかった。宗教的なことが頭に浮かんだがそこまで徹底するものか? 日本人には分からない感覚だ。
 ケルマーン行のバスは13時。間に合うように街の入口に向かった。出会ったオッサンにタクシーを呼んでと無茶振りをした。どこかに電話して、待ってろ的なことを言われたので待つことに。しかし結局、タクシーは来なかった。さすがに考えが甘かったか。結局、ヒッチハイク的な手段でShahr-e Babakに移動した。
 ケルマーン行きのバスは行ってしまい、この日はもう移動手段がない。Shahr-e Babakの街には宿泊する予定などなかったのでホテルの調査なんてしていない。前日メイマンドへ移動するときに幹線道路沿いにテントが張られていたのを見かけた。おそらくチャリダーだろうが、同じようにテントを張ればいい。こういうときにテントがある人間は強い!
 まずは現地の人に道を教わりバスターミナルへ向かった。しかし、教わった方向へ歩いてもバスターミナルであるはずの昨日バスを下りた場所は見つからない。地元の通行人に聞いてみると車で案内してくれた。街の南側にバスターミナルの建物があった。前日バスを下車した場所はバスターミナルでもなんでもないことにようやく気付いた。

 翌朝のバスチケットを購入し後は朝まで待機するのみ。連れてきてくれた地元の人をこれ以上付き合わせるのは申し訳ないとShahr-e Babakの街を見物して野宿するよ、と伝えると、なぜかRivas homestayというゲストハウスへ送ってくれた。ゲストハウスの場所はバスターミナルのさらに南の街中から遠く離れた場所。地元の人にはいい迷惑だったろうが嫌な顔を見せなかった。自分もこんな大人になりたいものだ。
 ゲストハウスに到着。翌朝どうバスターミナルに移動するか思案していると、通行人が宿に話をつけて翌朝車でバスターミナルまで送り届ける運びになった。通行人とは短い付き合いだったが、タクシーなど乗らんという自分の考えを理解したようだ。

 ということで予定外のホテルでの宿泊。Shahr-e Babakという田舎町のさらに辺鄙なところに宿泊客なんていないだろうと思っていたが、他に宿泊客が一組いた。ドイツ人の六人組でドレスデンやベルリンに住んでるらしい。どうやってこのホテルを見つけたのか聞いてみると、homestayというサイトで見つけたと教えてくれた。
https://www.homestay.com/iran/shahr-e-babak/110109-homestay-in-shahr-e-babak
 夕食はドイツ人グループとホストの家族と食べた。ドイツ人と話をしてみるとセネガルやアンゴラを旅した強者たちだった。セネガルなんて病気が怖くて行けやしない。
 夕食後はシャワー。熱すぎるお湯がわんさか出た。さすがに気持ちいい。こんな快適に過ごせるなんて最高だ。
 ケルマーンに移動する予定がボツになったが、地元の女子高生の遠足を見学したり、快適なホテルに泊まったりと日常では体験できないことばかり。巡り合わせに感謝。

2日目 Shahr-e Babak ~メイマンド

2018年06月21日 | 201804イラン
 この日はメイマンドへ移動し、街を散策した。
 朝方の夜行バスは冷えていたが、それでもよく眠れた。明るくなると乾燥した台地が広がっているのが見えた。荒野という感じ。これから一週間はこんな世界を旅することになる。

 7時過ぎに目的地Shahr-e Babak到着。幹線道路沿いの屋根付きベンチがある場所で下車。バスターミナルらしい感じはなかったが、タクシーが何台もいたのでバスターミナルみたいな場所なのだろう、とそのときは思った。

 タクシーと料金交渉してメイマンドへ。タクシーは舗装された道を30分ほど進んだ。メイマンドは山奥にある舗装されていない村と勝手に思っていたのでちょっと意外だった。
 メイマンド到着。観光地のようで欧米人が朝の散歩を楽しんでいた。まずは重い荷物を置きたいので宿探し。メイマンドの街を進むとゲストハウスの看板があった。まずはそちらに行って料金を聞いてみる。一泊100万RIAL。とりあえず荷物を部屋に置かせてもらって散策。
 街を散策。まず街の中心には川が流れていて、この川の周りは木々で緑が多い。そして少し離れた、緑がない岩肌にいくつもの穴が掘ってある。なんとも不思議な風景。
洞窟には人が住んでいたり住んでいなかったり。感触としては半々。村にはモスクもあったしわずかな土地に草花を植えたり、鶏を飼っていたりと生活感もあった。一方で誰も住んでいない洞窟はゴミだらけで廃墟のようだ。



 堀穴の上の高台に上ってみた。メイマンドと周りの風景が一望できる。メイマンドの風景は見事に周りの風景に溶け込んでいた。道路がなかったらこんなところ見つけることはできないだろう。



 街を散策してると地元民二人組に遭遇。妙に英語が上手い。元々テヘランで教師をしていた二人組で今はメイマンドでゲストハウスを運営したり地元の人と土産物を作っているようだ。ちなみに日本のテレビがメイマンドを放送した時も撮影班にメイマンドを案内したようだ。
 http://maymandmoon.ir/

 ケルマーンやメイマンドについて教えてもらった。メイマンドでの遊牧は三ケ所で行われていて、春、夏、冬の場所が異なること。今はメイマンドから南へ10kmほどの春の場所で遊牧していること、夏場は標高高い6キロ離れた場所でしていること。春、夏、冬で放牧場所が異なるのは草を求めて移動しているからとのことだった。自分たちの家畜が子供を生み順調に数を増やしていること。ちなみに村は電線だらけで各洞窟に電気はきている。ガスは屋台で使うような大きなガス缶を使っていた。水は街中の共同蛇口を使わないといけない。水は地下水からくみ上げたものとのこと。
 まだ歩いてない場所を歩いた。昼になり住民が外に出て日向ぼっこをしていた。別の洞窟住居を訪れると果物をご馳走された。申し訳ない。
 さらに歩いてると、3家族のグループで旅しているイラン人グループに巡り合った。歓迎されてご一緒させていただくことに。このグループ、まずは洞窟住居でお茶を飲み、今度は外に出て駐車場に敷いたカーペットの上でお茶を飲んだ。お互い片言の英語で会話をしながら、このグループはなにしにメイマンドに来たのだろう?真面目に観光している自分はなんなのだろう?と考えてしまった。家族団らんのときを楽しむ、それがイラン式の楽しみ方なのだろう。
 だんだん暗くなってきてイラン人家族はメイマンドを去ってしまった。自分はホテルに戻り夕食。だけどイラン家族とのお茶会でお菓子をご馳走になったので満腹で大して食べることはできなかった。
 ホテルの部屋。洞窟に泊まるのは10年以上前に訪れたカッパドキア以来となる。

 カッパドキアとメイマンドの違いを考えてみたが、カッパドキアのことが思い出せない。どんなとこだったけと考えていたら寝てしまった。

1日目 自宅~羽田~ドーハ~テヘラン~Shahr-e Babak行き夜行バス

2018年06月09日 | 201804イラン
 この日は旅行初日。イランに入国し、メイマンド行き夜行バスに乗車した。
 羽田空港カウンター。カタール航空のカウンター前には長い列ができていた。チェックインしてると、隣の人も荷物はテヘランまで、その隣の人もテヘランまで、との係員の声が聞こえてきて唖然とした。いつの間にか、イランは普通の観光地になったようだ。
 飛行機は久々のカタール航空。機内設備は新しかった。wifiも容量制限はあるものの使えるようになっていた。機内食も美味。
 ドーハ空港到着。乗継はスムーズ。空港テレビでアニメ「ケロロ軍曹」をやっていた。ケロロ軍曹のことは分からないが、カエルがアラブの人々に受けるのだろうか?
 テヘラン行飛行機搭乗。一時間のフライトだが食事が出るのは助かった。
 テヘラン到着。入国はすんなり行った。まずは空港で両替。街中の両替のほうがレートよし。少額でOK。
 街中へは新しくできたメトロで移動した。しかし写真(なぜか写真を縦にできませんでした)の通り1時間に1本しかなくちょっと不便。メトロ駅に到着したのが電車がちょうど行ってしまった直後なので待ち。ようやくやってきたメトロ車内はアジアらしく、誰が買うの?と思える物品を売り歩く人が多かった。

 エマームホメイニ広場で下車。ここでやることは両替。到着したのは15時過ぎ。両替商は営業時間外だからか両替してくれず、仕方なく路上の怪しげな個人両替商で両替。それにしても怪しげな個人の両替商が路上にたくさんいるというのは日本では考えられない不思議な光景だ…。
 バザール散策。ここはガイド本にも載ってないバザール。ローカル感高い。値札は難敵アラビア数字で書かれていて、いくらだか分からない。

 南下してテヘランバザール。こちらは大賑わい。



 バスターミナルへ。今回の旅の目的地はルート砂漠とメイマンド。まずはメイマンドの最寄り町、Shahr-e Babakを目指すこととした。この町の規模は分からないし、地図見ると幹線道路から外れた場所にある。果たしてテヘランからの夜行バスはあるのだろうか?
 バスターミナルで客引きに地図を見せてShahr-e Babakと連呼してみると、あるバス会社のカウンターを指さした。そちらでもう一度Shahr-e Babakと連呼すると、18:30のバスがあるぜ、と教えてくれた。おお、ラッキー。あっさりとShahr-e Babak行き夜行バスは見つかりチケット購入。
 バスの発車まで待ち。バスターミナル内をブラブラ。とりあえず飯を食べようとピザを買おうとすると、地元民が食べきれないから食べてくれと分けてくれた。ヨーグルトの飲み物までご馳走してくれた。申し訳ない。
 出発の時間になったのでバス乗場へ移動。Shahr-e Babak行きのバスを見ると、バスに書かれた行先はアラビア文字でどこへ行くのか分からない。本当に目当ての街に行くのか不安だが、こういうのは久々なのでワクワクもする。

 バスに乗車。バスはVIPバスで座席は快適。空席が多いためだろう、お客さんを集めて30分遅れてようやく出発。いい加減だなあ。
 出発するとすぐさま就寝。時差ボケだからか、疲れてるからか、かなりよく眠れた。