北極圏の風景を見たくて6泊7日でクングスレーデンを歩き倒した。道を間違えたり、ケブネカイゼに登ったので歩いた距離170km。冷たい雨に降られたこと、ぬかるんだ湿地帯を歩いて靴の中がびしょ濡れになったこと、足裏の痛みや重い荷物に耐えながら歩いたこと、浸水するテントの中で一晩過ごしたのも、今となっては楽しい思い出である。





クングスレーデンで見た景色は儚い無常の世界だった。太陽の光を浴びた大地は壮大で美しかった。しかし変わりやすい天気でその風景は暗く絶望的とも思える悲しい風景に一変した。冷たい雨と風の中、自分が感じたのは広大な土地に放り込まれたちっぽけな自分という悲しい構図だった。その風景は今も目に焼き付いている。
単に軟弱なだけかもしれない。北極圏の風景にほれ込む人は少なくないが、今すぐ戻りたいと思えない世界だった。だからかもしれないが、そんな場所に住む人々が何を考えて生きてるのか、本当に幸せなのか? この土地をどう思って生きているのか、そういう興味は強くなった。
クングスレーデンの魅力は雄大な風景、自由など色々だが最大の魅力は人だと思う。クングスレーデンにやってくる人間は総じて英語ペラペラなので会話できたのがよかった。誰もかれもが他人に興味をもち話しかけたり困ってる人を助けたりとか、普通のことを普通にしていた。そういうことがクングスレーデンの魅力なのかもしれない。
そんなスウェーデン人トレッカーによく聞かれたのが、どうしてクングスレーデンに来たのか? わざわざ遠方からスウェーデンの僻地で一週間もトレッキングするのが奇妙に思えたのだろう。旅先で出会ったスウェーデン人に教えてもらったと答えたが、実はこの質問に対する答えは自分にも分かっていない。クングスレーデン前のトレーニングのときもクングスレーデンでしんどい状態になったときも、北極圏の風景を見たいだけなのになんで一週間も歩いているのだろうと自問自答した。その答えは結局分からなかった。
何もわからないまま旅行後に残ったのは歩き続けてボロボロになった肉体だった…。残暑のせいかなかなか疲れがとれない。そして猛烈なクングスレーデンロスという現象に襲われた。旅の後は多かれ少なかれロス現象に陥るのだが、今回は一週間も歩いたからか情が移ってしまったのかもしれない。クングスレーデンの冷たい風は今も体に巻き付いている。
今年の夏は熱い夏だった。





クングスレーデンで見た景色は儚い無常の世界だった。太陽の光を浴びた大地は壮大で美しかった。しかし変わりやすい天気でその風景は暗く絶望的とも思える悲しい風景に一変した。冷たい雨と風の中、自分が感じたのは広大な土地に放り込まれたちっぽけな自分という悲しい構図だった。その風景は今も目に焼き付いている。
単に軟弱なだけかもしれない。北極圏の風景にほれ込む人は少なくないが、今すぐ戻りたいと思えない世界だった。だからかもしれないが、そんな場所に住む人々が何を考えて生きてるのか、本当に幸せなのか? この土地をどう思って生きているのか、そういう興味は強くなった。
クングスレーデンの魅力は雄大な風景、自由など色々だが最大の魅力は人だと思う。クングスレーデンにやってくる人間は総じて英語ペラペラなので会話できたのがよかった。誰もかれもが他人に興味をもち話しかけたり困ってる人を助けたりとか、普通のことを普通にしていた。そういうことがクングスレーデンの魅力なのかもしれない。
そんなスウェーデン人トレッカーによく聞かれたのが、どうしてクングスレーデンに来たのか? わざわざ遠方からスウェーデンの僻地で一週間もトレッキングするのが奇妙に思えたのだろう。旅先で出会ったスウェーデン人に教えてもらったと答えたが、実はこの質問に対する答えは自分にも分かっていない。クングスレーデン前のトレーニングのときもクングスレーデンでしんどい状態になったときも、北極圏の風景を見たいだけなのになんで一週間も歩いているのだろうと自問自答した。その答えは結局分からなかった。
何もわからないまま旅行後に残ったのは歩き続けてボロボロになった肉体だった…。残暑のせいかなかなか疲れがとれない。そして猛烈なクングスレーデンロスという現象に襲われた。旅の後は多かれ少なかれロス現象に陥るのだが、今回は一週間も歩いたからか情が移ってしまったのかもしれない。クングスレーデンの冷たい風は今も体に巻き付いている。
今年の夏は熱い夏だった。