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son59の海外旅行記

もっと遠くまで行きたい

201312 エチオピア旅行まとめ

2014年02月07日 | 201312エチオピア
 今回の旅は大きなトラブルもなく見たいところは大部分見て回れた。どこでも自分の想像を超えるものに出会えたので刺激的な旅となった。メインのダナキルは変化が激しく自然ってすごいんだなと素直に感じさせる場所で素晴らしかった。北部で見た雄大な山には圧倒された。ラリベラでは熱心な信者と岩の教会がかもし出す独特な雰囲気が印象的だった。最後のハラールは移動がしんどかったが、奇妙で特徴的なイスラムタウンが心に残っている。

 時間がなく南部の民族とシミエンマウンテンを訪問できなかったことは残念。時間が短いのは毎度のことだが…。機会があればまた次回かな。
 食事。インジェラは慣れれば大丈夫そうだが、量が多く飽きそうで完食は難しいかも。パスタやピザなどイタリア料理があるので大丈夫。全体的に味付けはちょっと辛め。何を食べても100ブルも出せば豪華な食事になるので安い部類だろう。コーラは500mlのペットボトルが15~20ブルと100円くらい。もっとアボガドジュースなどジュース系をガンガン飲めばよかった。

 ホテル。お湯シャワーや設備にこだわらなければどこかには泊まれる。砂埃と暑さと夜の寒さからお湯シャワーを浴びたかった。悪名高い南京虫はブルーシートや肌を露出しない対策がよかったのか被害はなかった。
 移動。バス移動は距離もあり時間がかかったことは短期旅行にはつらい。それでも目的地にはなんとか予定通りたどり着けたのでよしとしよう。夜行バスがなく時間の節約ができないのは残念だが街灯がないあの山道を夜間走るのは危険だろう。飛行機が想定より高額で使えなかったのは誤算だがこれは時期が悪かったからかもしれない。
 街。砂埃と暑さがしんどいので体力が必要。秩序はあまりないので歩きにくい。全体的にゴミが多く汚いのが残念。また牛やヤギ、ロバ、犬から猫まで動物多数。動物多数はいいが糞が困ったもんだ。
 人間。ローカルはよく話してくれる。学校で英語を習うらしく英語を話す人が多数いたのはびっくりした。バスで会った人たちは、東洋人に興味があったのか、インジェラに招待してくれたりと友好的で親切だった。
 まとめ。アフリカ有数の観光国として有名なエチオピア。雄大な自然と友好的で個性的な人間が印象的だった。旅行前はかなりびびってたけど、また訪れたいくらい気に入った国である。自然が好きな人には是非お奨めしたい国である。

2014/01/05 機内泊~ドバイ空港~羽田空港泊~自宅

2014年02月06日 | 201312エチオピア
 この日は日本への移動で終わった。アディスアベバからドバイ行きの飛行機搭乗後はすぐに睡眠体勢に入った。飛行機って本当に快適だ。窮屈ではないし、クッションがフカフカだからか尻は痛まないし、心地よく眠れる。

 ドバイ空港では特にやることがなく、のんびり免税店を見て回った。ここでiphoneに異変が。タッチパネルに触れても動作しなくなってしまった。iphoneの表面にある丸ボタン(□)と電源ボタン(スリープのオンオフ)を同時に押し続けることでiphoneを強制的に再起動できるのだが、この方法を知らず羽田まで全くスマホを使えなかったのはしんどかった。
 羽田空港に到着したのは23:00ごろ。風邪を引いているので、万が一に備え、健康管理室でマラリアなど感染症が発症したときに受診できる病院のリストを入手した。体温も測ったが平熱で一安心。
 終電はすでに行ってしまったので朝まで空港ベンチで待機。ダナキルツアーで一緒だったイタリア人に聞かれた。東京ほどの大都市なのに空港からの公共交通機関がどうして24時間動いてないんだ?と。日本人のハードワークを知っているか?24時間動いてるといつまでも働かされるから動いてなくていいんだよ、と答えておいた。この答えは間違いでないと確信しているが、今夜だけは動いていると助かった。
 翌朝、早朝の電車で一度帰宅してから出勤。一度帰宅すると家から出るのがしんどかった…。仕事から自宅に帰りようやく落ち着くことができた。薄ら寒い我が家だがなんとも居心地がよい。お湯シャワーが本当にありがたい。そして我が家の布団。今夜からはブルーシートを敷かなくてよい。蚊も南京虫もいないし蚊にさされてもマラリアなどにはならない。なんて素晴らしい我が家の布団! 安心して寝られるというのは大きいのだろう。この日は熟睡した。

2014/01/04 ハラール~アディスアベバ空港~機内泊

2014年02月03日 | 201312エチオピア
 この日はハラールからアディデスアベバへ移動しドバイ行きの飛行機に乗らないといけない。二泊三日の帰国が始まる。
 朝4時になり準備開始。トイレに行こうとホテルのドアを開けようとしたが、外からカンヌキをかけられ開かない。大騒ぎをして誰かに開けてもらう。まったく最後まで油断できない。
 アディスアベバへはミニバスで移動。往路の大型バスよりスピード出るのはありがたいが、尻の筋肉がないのと座席の硬さでかなり尻が痛む。ダナキルあたりから行動してる時間より座ってる時間のほうが長いもんな・・・。

 写真はランチで訪れた食堂。その場で切り落とした牛肉?を生で現地人が食べていたのでびっくりした。馬刺しのようなものか、エチオピアにも生肉を食べる文化があるんだと感心した。自分は同バスの方とインジェラ。最後にインジェラ食べれてよかった。
 バスは西に進む。アディスに近づくにつれ車の数が増えてのろくなる。時間は問題ないが尻の状態が深刻だ。
 夕方アディスアベバの何処かに到着。アディスアベバの東のほうのバスターミナルのようだった。時間はあるので休憩してから空港へ移動。バスで移動し空港の手前で降ろされた。2週間ぶりの空港だ。

 空港入る前に遠くに見えるアディスアベバの街並をながめながら残りのお菓子を食べた。何度か寄ったアディスアベバだが到着時刻が夜だったり到着場所が町外れで都会らしさは感じられなかったのはちょっと残念。
 楽しく旅できたなと感慨深くなる。これでエチオピアの旅が終わりかと思うと寂しくなる。なぜか頭の中を「壊れかけのラジオ」が流れた。

華やいだ祭りの後 静まる街を背に
星を眺めていたけがれもないままに
遠ざかる故郷の空 帰れない人波に
本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

 本当に華やいだ祭のような2週間の旅だった。終わってしまうのが悲しい。いつか再び訪れたいと思いながらドバイ行きの飛行機に乗り込んだ。

2014/01/03 ハラール その2

2014年01月27日 | 201312エチオピア
 昼食後に少し休憩してから街を散策。午前中に歩いていない狭い路地を進む。この街では子供がかわいく遊んでいるのを見ると自分まで楽しくなってきた。

 北門近辺の路地を散策。さまよってると度胸がありそうな母さんに声をかけられた。こいとのことで行ってみると家の庭で料理をしてた。13種類の雑穀をミキサーで砕いたものを混ぜて煮込んだもので、妊婦さんの栄養剤や薬として飲むらしい。風邪状態なので飲ませてもらうとドロッとしたお粥みたいな味で風邪には効きそうだった。
 家にお邪魔しお互い上手くない英語で雑談する。インジェラやコーヒーを振舞ってくれた。エチオピアの人は見ず知らずの怪しい東洋人にも親切だ。自分も日本の味を紹介するためインスタント味噌汁でも持ってくるんだったと後悔した。
 娘さんが近所の友達とお絵かきしたり、勉強をしているのを見てると心が和む。娘さんは小さくてまだ英語を勉強していないのか会話できなかったのが残念だった。
 暗くなりハイエナの時間になったのでお暇することに。色々とご馳走になりありがとうございました。楽しかったです。
 北門から先のハイエナ見学場へ。道中は真っ暗だったがハイエナがいる箇所だけ明るくなっている。入場料をせがまれたが面倒くさくなったので、遠目から少し見て撤退した。夜道ではハイエナも大型犬も同じにしか見えなかった。
 深夜になると犬とハイエナが縄張り争いでもしているのかワンワンと激しい鳴声がした。ハイエナと犬は仲が悪いらしい。たまにハイエナに噛まれる被害があると旅人から聞いていたが、ホームレスが路上で寝ているのだから割と安全だろう。
 ちょっと不思議なイスラムタウン、ハラール。滞在時間がたった一日なのがものすごく残念。いい出会いもあったし、人々の生活観溢れるエネルギーや町並みが印象的だった。

2014/01/03 ハラール その1

2014年01月27日 | 201312エチオピア
 この日は実質観光は最終日。ガンガン見て回ろう。
 朝から旧市街を散策。城壁沿いに街を一周。街中はイスラムの街という感じで白いイスラムっぽい家が並んでいた。ところどころ青、緑、紫など好みの色を塗りましたみたいな統一感のない色で塗られている。何処かに似ている…モロッコのテトゥアンあたりをカラフルに塗りバラナシのケオスと汚さ、そして家畜系の動物を足すとハラールになるように思えた。


 イスラムといえばチャイハネ。どこかにあるかと思ったが見つからなかった。マーケットはイスラムっぽいが置いてある商品や食べ物は他のエチオピアの町と変わらない印象。同じ国だしガラリと変わることはないのだろう。チャットマーケットがあるとのことだが残念ながら見つからなかった。
 ハラール博物館を訪問。街中はうるさいがここは静かで落ち着く。雑貨や庭に咲く花々など生活感が多少ある空間は落ち着いて気持ちがいい。

 とりあえず午前中のハラール旧市街散策は終了。新市街へ向かい明日のアディスアベバ行きバスの切符を買いにセラムバスのオフィスへ。しかしバスは予約で満席だった。前日のひどいバスかミニバスで移動するしかない。目の前が真っ暗になった…。
 気を取り直してお土産探し。自分はいつも消費できるお酒とか食べ物をお土産に買う。まずはビールを探すが、なかなかビールを売ってる店が見つからず苦労した。スーパーではワインは置いてあるのになぜかビールはない。アロクェ(トルコのラクのエチオピア版)も買いたかったがこれも見つからなかった。ビールに関しては妙にイスラムっぽいのは何故だろう?
 ハラール観光その1は終了。その2へ続く。

2014/01/02 アディスアベバ~ハラール

2014年01月26日 | 201312エチオピア
 この日はハラールへの移動2日目。アディスアベバからハラールへ移動する。メケレ-アディスアベバ間と同様セラムバスで移動したかったが、セラムバスは前日の予約が必須で乗れなさそう。普通のバスで行くしかない。腰が痛むし飛行機にすれば良かった、と後悔した。
 朝5時前にホテルを出でバスターミナルへ向かった。真っ暗な繁華街で治安が悪そうな地区なので褒められる行為ではないかもしれない。早朝だがミニバスが走っておりバスターミナルへ移動。ちなみにバスターミナルはMerkatoを連呼すれば通じる。
 しかし問題はここからだった。バスターミナルでハラール行きミニバスは簡単に見つかったが人が全然集まらない。ミニバスの中身を見て運転手と話をして何人も去っていく。こりゃ無理そうと判断し普通のバスを下見。こちらはほぼ満席ですぐ発車しそうなのでこちらに。
 バスは座席が狭く窮屈。100人くらい乗ってるのではないか。しんどいが耐えるしかない。しかもスピードが出ていない。これだと予約で快適に座って移動できるデラックスバスが流行るのも納得だ。周りの人がランチに招待してくれたり、お菓子をくれたりと親切だったのが救いである。

 夕方ハラールに到着。暗くなってきたので早くチェックインしたい。しかし狙いの宿はいくつも満室。2014年に入ってホテル運が落ちているのを感じる…。
 夕食を食べて帰りに少し旧市街を散策。それにしてもハラール旧市街は町並みはイスラムだが街の中心には教会があり、なんか奇妙な感じがする。
 さらに奇妙だったのは娼婦っぽい女性がいることやホームレスがいること。アディスは都会だからいてもなんとなく納得できるがハラールにまでいるとは…。こんなもんかもしれないが、今までのエチオピアやイスラム国ではなかったのでかなり困惑した。
 後にハラールの人に宗教を聞くと、ハーフイスラムハーフクリスチャンという回答が複数あった。ハーフという表現は始めて聞いたが、日本だって神社やお寺があるのに結婚式はチャペルであげているのだ、ハーフブディストハーフクリスチャンと言ってもいいのではないか。
 それはさておき日本と同じように考えると、ハラールでは宗教上の規律や戒律はさほど厳しくないのだろう。割となんでもありなのかもしれない。イスラム色の強いソマリアに近いという地理的な影響もあり、キリスト教とイスラムのいいとこどりをしたらハラールのような町になったのかもしれない。
 そんなことを考えながら就寝。2日にわたるしんどい大移動がようやく終了。明日はガンガン見て回ろう。

2014/01/01 メケレ~アディスアベバ

2014年01月26日 | 201312エチオピア
 この日はハラールへの移動初日。メケレからアディスアベバまでセラムバス移動する。
 5時発のセラムバスでアディスアベバへ向かう。隣席は不在でラッキー。空席あるのに発車するというエチオピアでは珍しい体験ができた。

 バスはひたすら山の中を走った。一時、霧の中を走ったので怖かった。
 19:30ごろ アディスアベバ到着。
 セラムバスはアディスアベバのメスケル広場に到着した。狙いのタイトゥーホテルへ向かうがまさかの満室で撤退。タイトゥーホテルがあるピアッツァ周辺はエチオピアの歌舞伎町のような感じで繁華街だった。カツアゲされたという話も聞いていたので、かなりびびりながら宿探し。
 バーの内部にホテルがあったが、やかましいうえにけばい女性がバー内部をたむろしていて泊まる気がしない。ロンプラにあるホテルは暗い道を進んだ先にありかなり怖かった。部屋を見ても泊まりたくなるようなホテルではないが時間は21:00と遅いし他のアテもないのでチェックイン。
 治安が不安なので外出することなくカロリーメートを食べて就寝。2014年が不安になる元日であった。

2013/12/31 ダナキルツアー4日目

2014年01月18日 | 201312エチオピア
 朝の4時ごろガイドに起こされて起床。噴火口に行くかと思ったがそのまま下山。もう一度見たかったな。見たければ夜中に自己責任で行くしかないようで、そうしたツアー参加者もいたようだ。
 真っ暗な中下山を始めたのでなり怖くゆっくりと下山した。朝日が上り昨夜は真っ暗で見えなかった登山道の様子が分かり始める。火山灰が堆積された道で、富士山の登山ルートと同じような感じだ。

 8時ごろ下山完了。この時間になると暑くてしんどかった。
 キャンプで朝食を食べてしばらくするとメケレへ戻ることになった。あまりに急で他のツアー参加者とお別れする時間が足りなかったことが心残りだ。もと来た道を、ひたすらメケレへ移動。途中ランチ休憩があったが15:00メケレホテル到着。終わってしまうと寂しい気持ちになる。
 ホテルにチェックイン。まずはシャワーでダナキルの汚れを洗い流す。たった2晩のキャンプだったが、水があるってありがたいし風を遮る部屋があるのもありがたい。街って本当に快適であることを実感した。
 夜食はラリベラから一緒だったフランス人と食事。色々と旅話で盛り上がる。エチオピアに来るという旅行者はやはり旅行経験が豊富で面白い経験がいくつも出てくる。数日一緒に回れてよかったです。メルシボクー!
 この日は大晦日だが大晦日らしいことはなし。エチオピアの新年は9月らしく、今夜の盛り上がりはイマイチのようだ。アジアではよくある話なので特に違和感はなかった。

2013/12/30 ダナキルツアー3日目

2014年01月17日 | 201312エチオピア
 夜はやはり寒くて眠れなくて何度も目が覚めた。3時ごろ夜空を見上げると流れ星がいくつも見えたのが救い。
 日の出の時間になると湖のほうへコッソリと移動。雲が多くきれいな朝日が見えたのはよかった。

 ツアー参加者がそろい朝食を食べて移動までしばらく待ち。温泉があるというので行ってみる。確かにお湯ですと言う感じ。近くには塩田がある。塩が山盛りになっていて絵になる風景。塩田と温泉と言う組み合わせはかなりのミスマッチのような気がして面白かった。

 エルタアレ火山のキャンプ地へ移動開始。アフリカらしい凸凹の舗装されていない道なき道だった。
 キャンプに到着し夕方の火山トレッキングまで自由時間。自分はキャンプの近くを見て回った。現地の人間が炭火の上にヤギ?の肉を載せて焼くワイルドな料理を作っていた。顔だけ近くにおいてあってちょっとかわいそう。ヤギ肉はどういう味がするんでしょう?

 夕方5時くらいから火山口に向けてトレッキング開始。夕陽がきれいなので夕陽を撮りながら進むのでかなり遅れてしまった。

 昨夜の野宿で風邪を引いてしまい鼻水が止まらない。睡眠不足からか軽く頭痛もする。かなりしんどい登山となってしまった。そんな登山が三時間ほど続いてようやく火山口に到着した。
 火山口上空はきれいな赤色が夜の空に出ている。火山口に近づくとマグマがドクドクと波打っている。それにしてもすごいところだ。

 自分が火山に興味を持ったきっかけは「本当の赤ってどんな色だろう?」という哲学的な疑問が芽生えたためである。その答えの一つが火山ではないかと考えたのが、ダナキルへやってきた理由の一つであった。しかしどうも答えとしては間違っているような気がする。というのはマグマ自体は明るすぎて赤というより太陽のように発光しているという表現が近いように感じた。流れ出る溶岩のほうが、本当の赤のような気がした。
 個人的な哲学話はおいといて、とにかくこのマグマの噴出自体はすごい。上手く表現できないのが悲しい。
 戻る時間とのことで名残惜しいが撤退。ツアーってこういうのがネックだ。この日の寝床は火山口の入口付近。近くにマットレスや荷物を運んだラクダが数匹いるので、ラクダから離れてマットレスを敷く。これは正解でラクダに踏み潰されそうで怖くて眠れなかったという人が続出していた。

2013/12/29 ダナキルツアー2日目

2014年01月17日 | 201312エチオピア
 この日のツアーは10時からなので時間がある。ツアー終了後のハラールへの移動手段の検討・探索を行った。
 エチオピア航空のオフィスへ。メケレ-アディスアベバ、アディスアベバ-ディレダワの便が400USDと馬鹿高い。アディスアベバ-ディレダワだけでも150USDとちょっと予算オーバー。これだけあれば韓国とか台湾へ旅行できると思うと購入する気になれなかった。事前情報ではエチオピアの国内線は100USD以下とあったが本当なのか? とにかく移動に時間がかかるのはもったいないがバスで気長に行こう。ハラール見物が1日だけとは悲しいが仕方ない。

 エチオピア航空からホテルまで時間あるので散策。メケレの町は今まで旅した中で一番の都会だった。ラリベラのスカーフないかと探すが都会だからか普通の服しかなくて残念。
 10時になりツアー出発し山道を進む。ツアー客を乗せた4WDが5台?とツアー用の荷物を積んだ4WDで進む。この日は昼食休憩がメインイベントのようなものだった。ツアーで一緒の方と食事しながらお話する。後はキャンプ地まで移動で行動的なものは何もなし。写真は昼食時の村から見えた風景。

 Lake Afderaのキャンプ地到着は19:00。もう辺りは真っ暗。ここで今夜はマットレスのみの青空野宿。到着時は無風状態だったが、時間が過ぎると風が強く吹き始めた。夜は冷えるので体感温度的には一桁の温度という感じがした。風を遮るものが何もないのはよろしくない。
 夜食の後はやることないので早々と横になり星空を眺める。星はきれいだが180度とはいかない。やはりモロッコの砂漠で見た星空が1番だ。こんなに寒くなかったし…。そんなことを考えていたらいつの間にか眠っていた。