若き織田信長が19才頃の時、清洲城攻めのために通った道がある。
そんな話しを聞いて、蟹江城址から須成~大治~甚目寺~清洲城までを
のんびりと走ってきました。
出発は蟹江城址から、住宅街の中に大きな碑と井戸跡があります。
須成地区には信長街道の案内があると聞いたので探してみます。
地元のお母さん二人にお話しを聞いて、信長街道の案内板を発見。
昔ながらの旧街道らしい雰囲気が残っております。
神明社への道はゆるく曲がっているところが旧街道らしい。
七宝では、佐屋街道を交差して大治町の西条地区に入ります。
この辺りでは柳街道という名になっております。
大きな蔵や黒く長い塀が街道らしさを色濃く残していました。
途中、道がよくわからないところもありますが適当に走って甚目寺観音へ。
最後はただ清洲城に向かうだけ、どの道が当時の街道筋なのかも
よく分かりませんでした。
それでも清洲城に辿り着いたら、それだけで満足の自転車旅になりました。
地元に残る、小さな街道も良いものです。
ホームページはこちらです。
そこに道があるから ~まだ見ぬ景色を探しに行こう!
そんな話しを聞いて、蟹江城址から須成~大治~甚目寺~清洲城までを
のんびりと走ってきました。
出発は蟹江城址から、住宅街の中に大きな碑と井戸跡があります。
須成地区には信長街道の案内があると聞いたので探してみます。
地元のお母さん二人にお話しを聞いて、信長街道の案内板を発見。
昔ながらの旧街道らしい雰囲気が残っております。
神明社への道はゆるく曲がっているところが旧街道らしい。
七宝では、佐屋街道を交差して大治町の西条地区に入ります。
この辺りでは柳街道という名になっております。
大きな蔵や黒く長い塀が街道らしさを色濃く残していました。
途中、道がよくわからないところもありますが適当に走って甚目寺観音へ。
最後はただ清洲城に向かうだけ、どの道が当時の街道筋なのかも
よく分かりませんでした。
それでも清洲城に辿り着いたら、それだけで満足の自転車旅になりました。
地元に残る、小さな街道も良いものです。
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