時機
家庭菜園で春になるとジャガイモの種芋を植えつける、糸のように細かった玉ねぎの葉もすこしずつ太くなる。梅の花が咲く、木の芽が膨らむ、太陽が輝き気温が暖かくなる。そうすると植物が成長しや動物が動き出す。すべてその時がやってきて、その時に乗っていると、無理なく自然とうまくことが進み運んでいきます。人も子どもの時は遊び、勉強する。大人になって仕事をする、結婚して家庭を築き子どもを育てる。老人になって、静かに自分の時間を楽しみながら使い、そして消えていく。これは時に乗っているだけであるけれど、自然でうまく治まる。この流れに乗らない乗れない生き方の時代となっていますが、時の流れに逆らうとうまくいかないこともあります。
時の流れに乗ると同時にその時、情況をよく見極めるという冷静な判断も要ります。それは運がよかった、不運だったと言うかもしれませんが、その時、その情況で自分なりに考えて行動するほかありません。
「老子 荘子 列子 孫子 呉子」中国古典文学大系 平凡社に列子が「時を得る者は昌(さか)え、時を失う者は滅びる」と出ています。要約します。
昔、二人の子どもがいて、一人は学問を好み、もう一人は兵法を学んだ。学問好きは学問の道で仕官、王子たちの子守として役に立ち、もう一人は別な国で気に入られ、軍法の役人として役に立って、その家は富んだ。その隣人にも二人の子どもがいて、同じ学問をしていたが貧乏だった。それで富んでいる家の人の話を聞いて、一人は別な国に学問で仕官した。ところがその国で必要としているのは軍備と食糧だけで、もし仁義の教えで国を治めようとすれば、国が滅んでしまう、ということでその子を去勢して追放した。もう一人は、さらに別な国に兵法で仕官しようとしたら、その国は弱小国で周りには強い国に囲まれている。もし軍備を強くすれば、強い国から攻められてたちまち滅ぶ。お前をこのままで帰すと、禍になるので足を切ってから返した。隣人同士、やっていることは同じなのに結果は、まったく逆となってしまった。
「時世に乗れた者はうまく栄え、時世に乗れない者は滅び去る。きみたちのやり方はわれわれと同じなのに、成果はわれわれと異なったのは、時世に乗れなかったからだ。やることが間違っていたわけではない。それにいったい、世の中にはいつでも正しいという道理もなければ、いつでも間違っているという事がらもない。過去には役に立ったものが現在では棄てられることもあり、現在棄てられているものが将来には役に立つこともある。つまり役に立つか役に立たぬかということは時世次第であって絶対的な是非の基準などないのだ。つけこむ隙をみてチャンスをものにし、あらゆる事態に対応できるのは、頭のはたらきによるものだ。」
なるほど、時に乗るということだけか、就職、投資など時に乗れば、たいして努力しなくてもいいけれど、時に逆らえば苦労のわりに報われないことが多い。でも、それだからと言って、その人の能力がないのではない。じっと時というのを観察し、頭を働かせてから行動するということでしょうか。家庭菜園で野菜を育てるのと同じですね。
家庭菜園で春になるとジャガイモの種芋を植えつける、糸のように細かった玉ねぎの葉もすこしずつ太くなる。梅の花が咲く、木の芽が膨らむ、太陽が輝き気温が暖かくなる。そうすると植物が成長しや動物が動き出す。すべてその時がやってきて、その時に乗っていると、無理なく自然とうまくことが進み運んでいきます。人も子どもの時は遊び、勉強する。大人になって仕事をする、結婚して家庭を築き子どもを育てる。老人になって、静かに自分の時間を楽しみながら使い、そして消えていく。これは時に乗っているだけであるけれど、自然でうまく治まる。この流れに乗らない乗れない生き方の時代となっていますが、時の流れに逆らうとうまくいかないこともあります。
時の流れに乗ると同時にその時、情況をよく見極めるという冷静な判断も要ります。それは運がよかった、不運だったと言うかもしれませんが、その時、その情況で自分なりに考えて行動するほかありません。
「老子 荘子 列子 孫子 呉子」中国古典文学大系 平凡社に列子が「時を得る者は昌(さか)え、時を失う者は滅びる」と出ています。要約します。
昔、二人の子どもがいて、一人は学問を好み、もう一人は兵法を学んだ。学問好きは学問の道で仕官、王子たちの子守として役に立ち、もう一人は別な国で気に入られ、軍法の役人として役に立って、その家は富んだ。その隣人にも二人の子どもがいて、同じ学問をしていたが貧乏だった。それで富んでいる家の人の話を聞いて、一人は別な国に学問で仕官した。ところがその国で必要としているのは軍備と食糧だけで、もし仁義の教えで国を治めようとすれば、国が滅んでしまう、ということでその子を去勢して追放した。もう一人は、さらに別な国に兵法で仕官しようとしたら、その国は弱小国で周りには強い国に囲まれている。もし軍備を強くすれば、強い国から攻められてたちまち滅ぶ。お前をこのままで帰すと、禍になるので足を切ってから返した。隣人同士、やっていることは同じなのに結果は、まったく逆となってしまった。
「時世に乗れた者はうまく栄え、時世に乗れない者は滅び去る。きみたちのやり方はわれわれと同じなのに、成果はわれわれと異なったのは、時世に乗れなかったからだ。やることが間違っていたわけではない。それにいったい、世の中にはいつでも正しいという道理もなければ、いつでも間違っているという事がらもない。過去には役に立ったものが現在では棄てられることもあり、現在棄てられているものが将来には役に立つこともある。つまり役に立つか役に立たぬかということは時世次第であって絶対的な是非の基準などないのだ。つけこむ隙をみてチャンスをものにし、あらゆる事態に対応できるのは、頭のはたらきによるものだ。」
なるほど、時に乗るということだけか、就職、投資など時に乗れば、たいして努力しなくてもいいけれど、時に逆らえば苦労のわりに報われないことが多い。でも、それだからと言って、その人の能力がないのではない。じっと時というのを観察し、頭を働かせてから行動するということでしょうか。家庭菜園で野菜を育てるのと同じですね。