NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

A・ヴァイスハウプトからホーキング博士への無神論の系譜。

2018-10-22 | コラム
アダム・ヴァイスハウプトは
イエズス会であり
その教育や聖職者に反発し
イルミナティーという異教的な秘密結社を創立した。

スターリンも
神学校で聖職者の道を捨て
政治とテロリズムの道を撰んだ。


推測だが
ホーキング博士も
周りに
懐の深い
清濁併せ呑む聖カミロのような宗教者が
いなかったと思われる。


宗教的な問いを発し
対話を望んでいたのに

偏狭でヒステリックな
いかにも神学者然たる人々に
冷淡に扱われた場合

その宗教の神が存在すると
思えるだろうか。


つまり
無神論や異教的な世界観に逆戻りする人々の心は

周りにいる
ろくでもない宗教者に起因するのであり

理論的な到達とかではない。


ビッグバン
ブラックホール
量子力学など
訳の分からない理論の整合性とかで

人は無神論にはならない。




何故なら
神の存在証明論は
哲学的な認識論と存在論の分野で
ホーキング博士の専門ではないからだ。


生物、物理、化学、天文学的な分析は
自然哲学であり
形而上学ではない。


何れにせよ
日本の浅薄な論客やジャーナリストは
西欧の学説や論評を鵜呑みにするので

宗教的な論議に
安易に参加されては困る。


カトリックの無免許運転(福田恒存)をされては
社会が迷惑なのだ。


免許を持っている私が
ホーキング博士の
無神論という
私的な経験に制約された
主観的な観念論の誤謬を
指摘するだろう。



おわり


高橋記

存在論から認識論を再構築する。

2018-10-20 | コラム
ミュゼふくおかカメラ館で
哲学的テーマに関する閃きがありました。

いわゆる
普遍論争です。

客観的な実体は
実在するという実在論と

名前、記号だけとする
唯名論です。


キリスト教的な存在論から言えば
霊魂や天使という
普遍概念は

心のなかにあるイメージ(表象)だけでなく
実在する実体であります。


つまり
存在論から
認識論を再構築すれば

スコラ神学や
近代哲学の誤謬が
すっきりすると思いました。


カメラのレンズと
目のレンズ
そして
心眼のような
五感の認識以外の
直観(ヌース)が
知識の源泉となります。


言語的な論理学に
命題の真偽を委ねる
アリストテレス以来の
屁理屈は
間違いの元です。


やはり
プラトンが
異邦人の自然哲学者として
真理に近いと思いました。



高橋記(ネオプラトン主義)

大塚久雄のプロテスタンティズム。-近代の神学的な始源-

2018-10-17 | コラム
大塚久雄の思惟は
マックス・ウェーバーの思想の
借り物であり

日本では
あまりに無力な学問である。


そもそも
日本の近代は
西欧近代の物まねであり

その前提となる
カトリック神学と
アンチとしての
プロテスタンティズムや宗教改革
哲学の出現の本意を理解している学者は
少ない。


日本の近代化を
朱子学や国学などの儒教と日本原理主義の出現で
説明しようとする必要はない。


なぜなら
西洋の近代
プロテスタンティズムも資本主義も
人類を駄目にした本源であり
何等称賛に値しないからだ。


つまり
大塚久雄の思惑

近代はプロテスタンティズムによってもたらされたので

日本もプロテスタンティズムや近代的な思惟を
真似れば一等国になれるという

プリミティブで安直な思想は
日本の近代主義の象徴的な有り様である。



ルターやカルビンの
信仰義認説や予定説は

伝統的なカトリック神学から逸脱した

著しく傲慢な個人主義
絶望的な運命論、差別論に過ぎない。


イギリスのピューリタン革命や名誉革命は

単に
イギリスが
偏狭なる異端な宗派や
国教会に堕落し

カトリックの権威を蔑ろにした
国家主義の専横に過ぎない。



すなわち
大塚久雄の観念は

現実の前に
脆くも崩れ去る
偶像である。



おわり



高橋記

丸山眞男の近代。 -軍隊と全体主義-

2018-10-16 | コラム
三島由紀夫の楯の会は
全てが近代の軍隊であった。

制服、自衛隊体験入隊、硬直した身体、剣道、ボディービル。

それは
太陽と鉄の文明を志向し
月の陰影や木や土の柔弱に目を背けた
近代の特徴を帯びていた。


もし
三島が
前近代の歴史と伝統への回帰を志向するならば

神風連の乱の如く

柔術と剣術を鍛練し
甲冑と弓馬の道を服飾し
その脚本を案じ
演じる必要があった。



つまり
三島の革命とは
近代における
近代の方法による
近代の修正主義に止まり
近代の超克には至らなかったのである。



そして
丸山眞男も近代の犠牲者である。


丸山の
西欧近代への思慕は

日本の大東亜戦争が
その前近代性、封建遺制の社会倫理に起因するという認識
からもたらされた。


しかし
それは大いなる誤解である。


武士と武士団のなかで
新参者を執拗に虐める
丸山の体験した軍隊の陰湿が
頻繁にあったとは思えない。


昭和の戦争を指導した
陸軍や海軍の参謀や官僚は
近代の教育からもたらされた
人材の相を持ち

愚鈍で硬直した思想と行動は
近代が生み出したものである。


中世の
藩校、郷校、寺子屋からの人材
明治初めまでの
有為な人材の相とは
全く次元が異なる。



すなわち
丸山が崇拝し
思慕してやまない西欧近代こそが

国家主義、ファシズム、軍隊、世界戦争
原爆投下を招来したのだ。


日本が
明治以降堕落したのは

西欧の近代

覇道と世界分割に明け暮れた
悪しきためしを
真似たからだ。



本来
日本は
中国や朝鮮半島の文明を模範とし
尊崇していた。

しかし
日本は
脱亜入欧を決意した明治以降
東アジア諸国を蔑視し始めた。



丸山眞男は
軍隊経験のなかで被差別の境涯に陥り
日本の全体主義と軍国主義の顕現を観た。

そして広島で被曝し
この国の破綻を観て
絶望した。


その原体験が
丸山の思想の根源にあり

日本の前近代性、封建的社会倫理を批判し
近代の純化を憧憬したのである。



しかし
軍隊における差別と抑圧は
近代の差別構造を象徴し

昭和初期の日本の全体主義は
国家社会主義という
近代の思想と行動の果実である。


すなわち
丸山の哀しい経験の殆どは
近代の思想と行動によってもたらされたものであり

彼は
近代の犠牲者であった。





おわり


高橋記




日本における近代。-日本社会の家族的構成-

2018-10-15 | コラム

OECDの調査報告書に
日本の社会科学者の分析があり

それには
日本には近代主義者とマルクス主義者しかいないと
指摘されていた。


しかし
私のような前近代主義、反動保守主義者
王統と聖座の権力と権威の復活を企図し
世の匡済を図らむとする輩もいる。


何れにせよ
日本の明治以降の学者や経世家は
脱亜入欧に始まり

基本的に西洋かぶれで
西洋一般と西洋近代を誤解している。


何故か西洋に劣等感を抱き
西洋近代かマルクス主義を
ベンチマークし

その価値基準に合わせて
日本を優れた国にせんと意地になり
おかしな論を立てては
悦に入っている。


福沢諭吉、京都学派、丸山眞男、大塚久雄、川島武宜等の
学者の説には

独創がなく
西洋への無理解が通底している。


京都学派には
カトリック神学者がいたようだが
どうせ
弱々しい品の良すぎる
しょぼくれた論を述べていたに相違ない。


とにかくも
川島武宜氏の
日本社会の家族的構成は

日本社会が
家族という前近代、封建社会の倫理を持っていたので
大東亜戦争にも負けたと言いたかったのだろう。


彼が理想とする
民主主義とは何か分からぬが
とにかく
日本は近代化すべきという説である。


家父長制という一般概念で言えば
カトリックは
家父長制であり
家族的な社会組織であって

それは超歴史的な普遍的な社会のモデルである。


アンチとしての
フリーメイソンリーやイルミナティーは
イエズス会をベンチマークし
組織化されたもので

民主主義ないし民主政は
民への顕教であり

現実の社会を動かす
社会構造は
常に家父長制である。


何れにせよ
西洋、西欧というある種の理念型は
正確には西アジアの
ユダヤ文明を軸に考察すべきで

西ヨーロッパが
ユダヤ、キリスト教の真の理解者であったかは
疑わしいのである。


とにかく
最近のテレビがおもしないので
学問研究を再開した次第であります。



おわり


高橋記

草刈りにて野菊を残したる歌一首。

2018-10-15 | 和歌
あらみたま
野菊を残す
にぎみたま



高橋作


意訳:
草刈り作業はしんどいので
時折、激しい情念、怒りとも自己憐憫ともつかぬ思い(荒魂)が
出てくるものだ。

しかし
ノコンギクを発見し
刈り遺す自らのこころは
優しい痩せ仏、和魂であった。



南京事件と源義仲。 -放縱なる軍の末路-

2018-10-13 | コラム
日中戦争の南京事件は
未だに
正確で誠実な総括がなされず

南京事件まぼろし派が
散見され

東アジア友好への
障害となっている。


一般的に
南京事件の評価には

大虐殺派
中間派
まぼろし派(なかった派)

がある。


戦時下における
軍紀の厳格さでは

織田信長様が有名であり
一般人への横暴を
厳に律した。


信長公が
京都に入ったとき
武人が婦人をからかった際に
一刀に斬り捨てた事件からも

織田軍の厳しい倫理規範貫徹が
窺える。


一方で
日中戦争時の
上海戦から南京(首都)になだれ込んだ日本軍の軍紀は乱れ

軍人や一般人を含めた何万人かは
虐殺や暴行を受け

当時
近くにいた欧米の新聞記者や
宣教師らの難民キャンプのような安全地帯の人々は
それらを見聞し
失望していたようだ。


日本の歴史では
源平時代に
京都になだれ込み
一般人に乱暴狼藉をはたらき

頼朝公に滅ぼされた
源義仲の所業に相似している。


まず
信長公や
毛沢東の軍は

一般人への乱暴狼藉を
厳禁しており

そこが
他の武将や国民党軍との
大きな違いであった。


つまり
南京事件における
軍人や一般人の被害者人数は
正確には判然としないが
中間派の分析が常識的であり

なかったとする
まぼろし派の説は
やはり無理がある。


大東亜戦争時の
参謀などは
神童とか言われて勘違いした
世間知らずの頭でっかちに過ぎない。

また中央からの
命令系統の一元化などは貫徹せず
現場の軍人は
蛮勇に陥り
暴走した。


何れにせよ
南京事件は
戦争の全てが悪であることを示す歴史の真実だ。

そして
人類は
似たような罪過を
繰り返してきたことを
深く省察すべきである。


その上で
日本としては
官民協力して
南京で鎮魂と慰霊の祈りを捧げるべきだろう。





高橋記