NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

日本における近代。-日本社会の家族的構成-

2018-10-15 | コラム

OECDの調査報告書に
日本の社会科学者の分析があり

それには
日本には近代主義者とマルクス主義者しかいないと
指摘されていた。


しかし
私のような前近代主義、反動保守主義者
王統と聖座の権力と権威の復活を企図し
世の匡済を図らむとする輩もいる。


何れにせよ
日本の明治以降の学者や経世家は
脱亜入欧に始まり

基本的に西洋かぶれで
西洋一般と西洋近代を誤解している。


何故か西洋に劣等感を抱き
西洋近代かマルクス主義を
ベンチマークし

その価値基準に合わせて
日本を優れた国にせんと意地になり
おかしな論を立てては
悦に入っている。


福沢諭吉、京都学派、丸山眞男、大塚久雄、川島武宜等の
学者の説には

独創がなく
西洋への無理解が通底している。


京都学派には
カトリック神学者がいたようだが
どうせ
弱々しい品の良すぎる
しょぼくれた論を述べていたに相違ない。


とにかくも
川島武宜氏の
日本社会の家族的構成は

日本社会が
家族という前近代、封建社会の倫理を持っていたので
大東亜戦争にも負けたと言いたかったのだろう。


彼が理想とする
民主主義とは何か分からぬが
とにかく
日本は近代化すべきという説である。


家父長制という一般概念で言えば
カトリックは
家父長制であり
家族的な社会組織であって

それは超歴史的な普遍的な社会のモデルである。


アンチとしての
フリーメイソンリーやイルミナティーは
イエズス会をベンチマークし
組織化されたもので

民主主義ないし民主政は
民への顕教であり

現実の社会を動かす
社会構造は
常に家父長制である。


何れにせよ
西洋、西欧というある種の理念型は
正確には西アジアの
ユダヤ文明を軸に考察すべきで

西ヨーロッパが
ユダヤ、キリスト教の真の理解者であったかは
疑わしいのである。


とにかく
最近のテレビがおもしないので
学問研究を再開した次第であります。



おわり


高橋記

草刈りにて野菊を残したる歌一首。

2018-10-15 | 和歌
あらみたま
野菊を残す
にぎみたま



高橋作


意訳:
草刈り作業はしんどいので
時折、激しい情念、怒りとも自己憐憫ともつかぬ思い(荒魂)が
出てくるものだ。

しかし
ノコンギクを発見し
刈り遺す自らのこころは
優しい痩せ仏、和魂であった。