NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

富山県民について。

2017-07-26 | コラム
富山県民は
異常なまでに閉鎖的である。

県東部は
とくにそうである。

本会の
ボランティア活動の草創期には

行政窓口に行っても
冷遇されたし
相手にもされなかった時期があった。

はっきり申せば
富山県でNPO的なる活動を
周知させ
普及することは至難の業である。

僕は
大変に忍耐強いので
そういった厳しい環境で
自らを錬磨し
鼓舞してきた。


その根底には
寧ろ
怒りや執念に近い
宿曜占術の胃宿そのものの
情念の発露があったに相違ない。

今回
不二越の会長様が
富山県民は閉鎖的であると述べられたが

正確には
世代間で
著しい相違がある。

最近の
若手の行政の先生方は
物分かりが良いし
接客も素晴らしい。


不二越の会長様は
もう少し
若手の社員と語り合ってみれば
案外富山県民の印象は
がらりと変わるに相違ない。

ただ
富山県から出て
もう一度帰ってくるほうが
やはり
視野と人間が広がってよいと思う。


ぼくも
関西に行って
本当の愛を知ったので
人間が救われたのである。

富山にずっといれば
内向的な人物で一貫し
NPO的なることなど
していないと思うのであります。


おわり

高橋記


日本の岐路。

2017-07-26 | コラム
様々な人々が
理想主義を持ち
頑張っておられる。

私は
真面目な人々が
不遇と不条理な境遇に陥り
理想主義を放擲していく様を散見してきた。


キリストを裏切ったとされる
ユダは
死の直前に
マリア様に会っているようである(神秘家の著書)。

その時
ユダが絶望に陥らず
マリア様に素直に謝っていたら
結果的には
ペテロの否認と同じような感じに収まっていたと思われる。

つまり
希望が
失望や絶望に転じるということは

それ自身が
人間の浅はかな知恵による
誤った推量や誤解に過ぎないということである。

ユダが
裏切った事実は
ペトロがあの方を知らないと言ったり
十字架にキリスト様が付けられたとき逃亡した弟子たちと
あまり変わらない。

むしろ
その後
ユダが失望し
マリア様に素直にならず
絶望して死んでしまったことが問題なのである。



日本は危急存亡である。


しかし
気持ち
メンタル
魂が大切である。

絶望とは
誤った推量である。

希望とは
人間と世界の本質を正確に捉えた認識である。


高橋記(コラムニスト)