NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

主権概念の放擲について。

2017-07-28 | コラム
現在の
実定法は

主権在民であり
国民主権であるとされる。

しかし
主権とは

世俗的な権力と
宗教的な権威の

全てを有する
絶対権力を意味するものである。


つまり
教皇至上権論者が
主権は教皇が有するとしたことの
アンチテーゼとして
国王側が国王主権を唱えたものである。

結論を言えば
ボニファティウス8世も
フィリップ4世も
誤っている。

聖権も俗権も
両方の剣は

国民、国王、教皇のいずれかが
独占してはならぬ。

何となれば
キリスト様の国は
この世ではなく
「チェーザルのものはチェーザルに、神のものは神に」返すことを唱えられたからだ。


教皇は
聖なる事物にのみ関与すべきである。

聖座が
世俗的な事物に関わったことが
逆に
三部会を招集させ
アングリカンとガニカリズムを出来(しゅったい)させ
東ローマ帝国を崩壊へ導いたのである。


つまり
主権という概念は
あってはならぬ尊大な概念であり
放擲すべきなのである。


高橋記(研究テーマ:近代政治システムの超克)