元祖を名乗るお店があります。
◇天もり(食べろぐ より)
室町砂場 (むろまちすなば)
東京都中央区日本橋室町4-1-13 砂場ビル
東京神田の「室町砂場」に「天もり」が登場したのは、昭和25年頃。当時は、今のようなヒートアイランド状態でなくても、クーラの無い夏の暑い時期には、天ぷらそばのような熱い汁の「種もの」が全然売れません。「ざる」や「もり」ばかりでは、売り上げも少なくなります。そこで考えだされたのが、冷たい「もり」を「ぶっかけ汁」の中に天ぷらを入れた熱い汁につけて食べる「天もり」。大発明です「もり汁」よりは、薄く、天つゆよりは濃い「ぶっかけ汁」に、天ぷらは「掻き揚げ」。「芝海老」と「小柱」の掻き揚げです。
by こなもんや三度笠
◇にしんそば(食べろぐ より)
総本家にしんそば松葉
京都府京都市東山区川端町192 南座西隣
「にしんそばと言えば?」京都でこう聞けば、必ずと言っていいほど返ってくる「松葉」の名前。
骨まで柔らかく炊き上げた鰊と香り高いおだし、喉越しの良いおそばとが絶妙に調和した、150年近く変わらない味わいを提供しております。
(総本家にしんそば松葉 HPより)
◇瓦そば(食べろぐ より)
元祖瓦そば たかせ 本館 (がんそかわらそば たかせ)
山口県下関市豊浦町大字川棚町5437
明治十年、西南の役において熊本城を囲む薩軍の兵士たちは、長い野戦の合間に瓦を用いて野草、 肉などを焼いて食べたという古老の話にヒントを得て、 弊店創立者、高瀬慎一が数十年を経過した日本瓦を用い、弊店独自の製法にて開発いたしました雅味豊かな茶そばに、牛肉、錦糸卵、海苔、もみじおろし、レモンなどを配し、これも又、弊店独自のつゆを添えて「瓦そば」と名付け供したるところ、大方の絶賛を得て広く各地よりご来店賜るところとなりました。
(元祖瓦そば たかせ 本館 HPより)
◇へぎそば(小嶋屋総本店 HPより)
小嶋屋総本店 (こじまやそうほんてん)
新潟県十日町市中屋敷758-1
この地方は織物の産地であり、織物の緯糸(よこいと)をピンと張るためにフノリ(=布海苔)という海藻を使っていましたので、このフノリは容易に入手できる環境だったのです。
そこで重太郎は「このフノリを使ってそばはできないだろうか」と研究を重ね、現在のフノリそばを完成させたのでした。
手ぐりにしろフノリつなぎにしろ、「へぎそば」は長きに渡る織物文化とそばの食文化が融合して生まれた賜物なのです。
(小嶋屋総本店 HPより)
◇けんちんそば(昔屋 HPより)
昔屋
茨城県久慈郡大子町袋田178
むか~し、昔!禅僧が中国から伝えた普茶料理(精進料理)中国名の卷煎(ケンチェン)が訛って、けんちんになった説と!
わが国、最初の禅の専門道場として西暦1253(建長5年)に創建された鎌倉の名刹・建長寺の修行僧が料理を作っていて豆腐を間違って落としてしまい(崩れた豆腐を)入れた精進汁を住職に出したところ!これは美味しい(建長汁)と名づけよう!
これが変化してけんちんなった説があるそうです。
根野菜を千切りにし油で炒め味付けし、汁を加えた物がけんちん汁ここ奥久慈地方では、古来より滋養豊富な郷土食として日常家庭で そば・うどんを打ち熱々の汁をぶっかけて食していた。
昔屋は近郷近在で(けんちんそばのメニュー化)最も古くから、けんちんそばを看板に世紀を越えて商い続けています。
(昔屋 HPより)
◇更科
総本家更科堀井 本店 (そうほんけさらしなほりい)
東京都港区元麻布3-11-4
堀井家の伝によると、創業は寛政元年(1789年)。初代は、信州特産の信濃布を商っていたのがそば屋に転じたもので、領主・保科家の江戸屋敷から程近い麻布永坂町に店を構えた。看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」。「更科」とは、信州そばの集散地だった更級の「級」の音に保科家から許された「科」の字を当てたものと伝えられる。
(総本家更科堀井 本店 HPより)
◇つけ天
角平 (かどへい)
神奈川県横浜市西区平沼1-36-2
創業は昭和25年。
おそばを愛する初代が研究を重ね、当店一番人気の「つけ天そば」が生まれました。
アツアツのつけ汁に豪快な海老天。そして特性手もみそば。
(角平 HPより)
-------------------------------------------------------------------
鰊そばについては、
【ニシンそばのルーツ】
京都名物として知られる「ニシンそば」は、かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道のニシンロードで運ばれたニシンによって作られたもの。「それならもともとのルーツは江差ではないでしょうか」と言うのは、江差町で現在もニシンそばの味を守っている横山家ご主人のご意見です。
(横山家は、現在まで200年以上続いている旧家で、歴史的記念物となってしまった民家が多い中で、横山家では現在も8代目が住んでおり、数多くの生活用品が残されています。)
北海道指定有形民俗文化財 【 横山家のご案内 】
北海道檜山郡江差町字姥神町45
(江差町 HPより)
という話もあります。
そのほかについては、鰊そば 2009-12-14 蕎麦屋帳にもう少し広く触れています。
京都「松葉」さんのサイトついて、「2013/06現在Wikipedia に引用されている松葉のサイト」 では、
『文久元年(1861)、初代松野与衛門が、現在の南座向かいにあった北座で芝居茶屋を誕生させ、屋号を「松葉」としました。明治15年2代目松野与三吉により、「にしんそば」を発案するに至りました。
もともと、みがきにしんは京の人々にとっては大切なタンパク源であり保存食でした。2代目松野与三吉はこのにしんとそばを合わせることで、栄養バランスのとれた「にしんそば」を世に送り出したわけです。
以来100有余年、松葉のにしんそばは、京の代表的な味として親しまれてきました。その伝統の味わいは今も変わることなく広くご賞味いただいております。』と説明されています。
◇天もり(食べろぐ より)
室町砂場 (むろまちすなば)
東京都中央区日本橋室町4-1-13 砂場ビル
東京神田の「室町砂場」に「天もり」が登場したのは、昭和25年頃。当時は、今のようなヒートアイランド状態でなくても、クーラの無い夏の暑い時期には、天ぷらそばのような熱い汁の「種もの」が全然売れません。「ざる」や「もり」ばかりでは、売り上げも少なくなります。そこで考えだされたのが、冷たい「もり」を「ぶっかけ汁」の中に天ぷらを入れた熱い汁につけて食べる「天もり」。大発明です「もり汁」よりは、薄く、天つゆよりは濃い「ぶっかけ汁」に、天ぷらは「掻き揚げ」。「芝海老」と「小柱」の掻き揚げです。
by こなもんや三度笠
◇にしんそば(食べろぐ より)
総本家にしんそば松葉
京都府京都市東山区川端町192 南座西隣
「にしんそばと言えば?」京都でこう聞けば、必ずと言っていいほど返ってくる「松葉」の名前。
骨まで柔らかく炊き上げた鰊と香り高いおだし、喉越しの良いおそばとが絶妙に調和した、150年近く変わらない味わいを提供しております。
(総本家にしんそば松葉 HPより)
◇瓦そば(食べろぐ より)
元祖瓦そば たかせ 本館 (がんそかわらそば たかせ)
山口県下関市豊浦町大字川棚町5437
明治十年、西南の役において熊本城を囲む薩軍の兵士たちは、長い野戦の合間に瓦を用いて野草、 肉などを焼いて食べたという古老の話にヒントを得て、 弊店創立者、高瀬慎一が数十年を経過した日本瓦を用い、弊店独自の製法にて開発いたしました雅味豊かな茶そばに、牛肉、錦糸卵、海苔、もみじおろし、レモンなどを配し、これも又、弊店独自のつゆを添えて「瓦そば」と名付け供したるところ、大方の絶賛を得て広く各地よりご来店賜るところとなりました。
(元祖瓦そば たかせ 本館 HPより)
◇へぎそば(小嶋屋総本店 HPより)
小嶋屋総本店 (こじまやそうほんてん)
新潟県十日町市中屋敷758-1
この地方は織物の産地であり、織物の緯糸(よこいと)をピンと張るためにフノリ(=布海苔)という海藻を使っていましたので、このフノリは容易に入手できる環境だったのです。
そこで重太郎は「このフノリを使ってそばはできないだろうか」と研究を重ね、現在のフノリそばを完成させたのでした。
手ぐりにしろフノリつなぎにしろ、「へぎそば」は長きに渡る織物文化とそばの食文化が融合して生まれた賜物なのです。
(小嶋屋総本店 HPより)
◇けんちんそば(昔屋 HPより)
昔屋
茨城県久慈郡大子町袋田178
むか~し、昔!禅僧が中国から伝えた普茶料理(精進料理)中国名の卷煎(ケンチェン)が訛って、けんちんになった説と!
わが国、最初の禅の専門道場として西暦1253(建長5年)に創建された鎌倉の名刹・建長寺の修行僧が料理を作っていて豆腐を間違って落としてしまい(崩れた豆腐を)入れた精進汁を住職に出したところ!これは美味しい(建長汁)と名づけよう!
これが変化してけんちんなった説があるそうです。
根野菜を千切りにし油で炒め味付けし、汁を加えた物がけんちん汁ここ奥久慈地方では、古来より滋養豊富な郷土食として日常家庭で そば・うどんを打ち熱々の汁をぶっかけて食していた。
昔屋は近郷近在で(けんちんそばのメニュー化)最も古くから、けんちんそばを看板に世紀を越えて商い続けています。
(昔屋 HPより)
◇更科
総本家更科堀井 本店 (そうほんけさらしなほりい)
東京都港区元麻布3-11-4
堀井家の伝によると、創業は寛政元年(1789年)。初代は、信州特産の信濃布を商っていたのがそば屋に転じたもので、領主・保科家の江戸屋敷から程近い麻布永坂町に店を構えた。看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」。「更科」とは、信州そばの集散地だった更級の「級」の音に保科家から許された「科」の字を当てたものと伝えられる。
(総本家更科堀井 本店 HPより)
◇つけ天
角平 (かどへい)
神奈川県横浜市西区平沼1-36-2
創業は昭和25年。
おそばを愛する初代が研究を重ね、当店一番人気の「つけ天そば」が生まれました。
アツアツのつけ汁に豪快な海老天。そして特性手もみそば。
(角平 HPより)
-------------------------------------------------------------------
鰊そばについては、
【ニシンそばのルーツ】
京都名物として知られる「ニシンそば」は、かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道のニシンロードで運ばれたニシンによって作られたもの。「それならもともとのルーツは江差ではないでしょうか」と言うのは、江差町で現在もニシンそばの味を守っている横山家ご主人のご意見です。
(横山家は、現在まで200年以上続いている旧家で、歴史的記念物となってしまった民家が多い中で、横山家では現在も8代目が住んでおり、数多くの生活用品が残されています。)
北海道指定有形民俗文化財 【 横山家のご案内 】
北海道檜山郡江差町字姥神町45
(江差町 HPより)
という話もあります。
そのほかについては、鰊そば 2009-12-14 蕎麦屋帳にもう少し広く触れています。
京都「松葉」さんのサイトついて、「2013/06現在Wikipedia に引用されている松葉のサイト」 では、
『文久元年(1861)、初代松野与衛門が、現在の南座向かいにあった北座で芝居茶屋を誕生させ、屋号を「松葉」としました。明治15年2代目松野与三吉により、「にしんそば」を発案するに至りました。
もともと、みがきにしんは京の人々にとっては大切なタンパク源であり保存食でした。2代目松野与三吉はこのにしんとそばを合わせることで、栄養バランスのとれた「にしんそば」を世に送り出したわけです。
以来100有余年、松葉のにしんそばは、京の代表的な味として親しまれてきました。その伝統の味わいは今も変わることなく広くご賞味いただいております。』と説明されています。