神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.239 平野義太郎

2024-07-23 00:19:22 | 文書・文献
 きょうは暑かったですね。と思っていたところ、20時頃から地響きがするほどの激しく雷雨が続き、さっき外を見たらまあるい月が出ていました。十六夜の月ですかねぇ。
 子供のころ、稲光を眺めてたら、目前の電柱に雷鳴と共に落ちて、電柱の上にあるカマが煙を吐き出し、その途端に停電になったことがありました。
 核分裂でさえ兵器に開発したのですから、雷を捕まえて蓄電することだってきっとできるに違いない、そう思っています。

【コレクション 28】
(1)きょうは、「平野義太郎選集」です。
 平野さんは、No.233で取り上げた「日本資本主義発達史講座」の編集者4人の一人です。法学者であり、国家・民主主義・社会主義・平和などの諸分野からで大きな影響を与えた人です。私も、代表作『日本資本主義社会の機構』(略して『機構』)を読んで、明治維新以降の政治・自由民権運動などについて多くのことを学び刺激を受けました。

   
    平野義太郎編『国家・法律と革命』(大月書店、1968年7月口絵写真)

(2)平野さんの家系については、ちょっと面白いことがあります。
 まず、平野さんの方
  祖父・平野冨二・・・・・・娘  
  (石川造船所創設者)    |・・・・・・義太郎
             父・勇造 (建築家) 
 これは、当時としてはかなりの資産家のようです。

(3)次に、夫人は嘉智子さんですが、次の「安場家 家系図」の「7」にあります。
     

  『安場保和伝1835-99 豪傑・無私の政治家』(藤原書店、2006年4月刊)432㌻。
 まず、祖父・保和は熊本で横井小楠門下にあった人です。のち、県令・元老院議官・北海道長官・貴族院議員などを歴任します。この間、胆沢県(岩手県)に在任中に後藤新平の才能を見出して、娘・和子を嫁がせています。つまり、後藤新平は義理の叔父にあたります。
 先日「No.233 アンナ」で「高野長英記念館」に行ったことを書きましたが、この時、「後藤新平記念館」にも立ち寄ってました。
 つぎに、母・友子の夫の末喜(この読みは、「すえのぶ」としているのを見たことがありますが、不明)は、同じ熊本の人で、当時は知られていた下津休也の子で、神足勝記の友人です。『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)にもよくに出てくる人で、米国留学後、神足にアメリカの民主主義について批判的な意見を話す場面が出てきます。印刷局技手・台湾製糖社長・大日本セメント監査役などを歴任しました。
 きょうだいも、保健は貴族院議員で、田健治郎の娘と結婚しています。また、保雄は海軍中将になりますが、娘の元子は、同じ海軍中将の神足勝孝の息子・勝浩と結婚(のち離婚)します。ほかは略します。

(4)つまり、平野義太郎さんは、夫人の関係から、一時的に、神足勝浩さんの義理の叔父にあったわけです。それだけではありません。次の系譜図をご覧ください。

  同上、『安場保和伝1835-99 豪傑・無私の政治家』437㌻。

 これでわかるように、嘉智子さんは「日本婦人団体連合会」(略して婦団連)の幹部でした。また、平野絢子さんは経済研究者(理論・日本経済)として知られ、私も注目して読みました。もう説明を略しますが、このほかの方々も錚々たる方々です。

(5)さて本論のパンフレットですが、次のものです。
    

 このパンフレットは B5判大で、表紙とも8㌻です。その体裁は、横長の用紙を4等分して、左右から4分の1ずつを谷折りし、さらにもう一度谷折りするとできます。
 しかしまあ、今まででいちばん殺風景なパンフレットですネ。それはともかく、構成は次のようになっています。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 推薦文(2段組)
    上段 守屋則朗 平野義太郎選集について
    下段 渡辺洋三 平野義太郎選集の出版にあたって
 【渡辺さんの推薦文の一部です。】
「日本の社会科学を勉強する場合、その内容に賛成するにせよ、反対するにせよ、平野理論を抜きにして、戦前の近代史や資本主義論を語ることはできない。その意味で、平野理論は、日本のマルクス主義、社会科学、近代法史学の理論史の上で「古典」としての不動な地位を占めている。」

 3~6㌻ 全6巻総目次
 7㌻ 組見本
 8㌻ 刊行案内 1990年7月刊行開始 毎月刊行、 定価 各巻5150円
    体裁 A5判、白石書店
 
(6)立教大学大学院の入学試験合格の報告で恩師の宇佐美誠次郎先生のお宅へ伺ったとき、
 「どちらかというと、歴史を勉強したい」
 とお話しすると、先生が、
  「山田さんの『分析』や平野さんの『機構』は読んだの。」
 と、いわれたので、
 「どちらかといえば、『機構』の方が面白かった」
 と、お答えすると、
 「そうだねえ、ぼくも平野さんからだいぶ刺激を受けた・・・」
 と、感慨深そうに話され、意見が一致して嬉しかったことを覚えています。

 以上です。まだ書きたいこともありますが、いずれまたその機会があるでしょうから、きょうはここまでとします。では。

    

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« No.238 山田盛太郎 | トップ | No.240 多摩川夕遊 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文書・文献」カテゴリの最新記事