神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.156 棚の本 3

2024-05-01 04:52:18 | 追憶
(1)化石発見以降、私の一日の生活の順序は一変しました。一言でいえば、夜型から朝型になりました。
 2017年11月、山梨の金峰山に上がろうとして道に迷い、夜通し歩いて、朝5時に山小屋にたどり着いたということがありました。
 この時は、月が出て晴れているのに、頭上だけ傘のように円形に雲が出て雨が降り、それが次第に雪に変わって一面うっすらと白くなり、月の光を反射して、木下は真っ暗なのに、遠くの木のないところは明るいという、狐の嫁入りのような天気を経験しました。変な天候でしたが、いつもより2~3時間頑張れば夜が明けるから地形が把握できる、それまでの辛抱だ、体を冷やさないように、尾根を外さないようにと歩き続け、夜型でよかったと思ったものです。
 しかし、そういうこともありましたが、資料集めに出るにも、山へ行くにも、やはり朝方に変える必要がありました。今回は、努力せずに切り替わりました。

   
     かたばみ

(2)今日は『増補 皇室事典』を紹介します。
 天皇・皇室問題の研究に関わっている人でこの本を知らない人はないでしょう。
 皇室モノは売れるせいか、このごろはハウツーものも含めていろいろな事典・辞典類がほかにもはありますが、その中でも、この本は先駆けになるものです。


 白っぱい紙カバーが付いていました、すでに破損してしまい取り除きました。
 著者は井原頼明、冨山房、昭和13〔1928〕年8月刊、昭和17年4月増訂版発行です。
 本書には、冒頭に、宮内次官男爵白根松介の「序」、蘇峰・徳富猪一郎「「皇室事典」について」、著者井原頼明〔いはらよりあき〕の「緒言」が置かれている。
 井原についての詳しい紹介はないようだが、蘇峰の言によれば、井原は
 「君は曾て宮内省出入りの記者として老功の一人である。従って皇室に関する掌故、典礼には、頗る通塾している。」
 とある。
 つまり、「記者」が「在職中に知ったことをもとに」のちに「物知り顔で何かを言う」、ハウツーの先駆けであったといえるでしょう。
 しかし、それだけではないようです。井原は次のように書いています。
 「皇室典範を始め皇室諸法規は頗る広範であり、殊に宮中の儀式典礼に至っては、・・・我が国体の本義を顕現せられたもの・・・、この御精神の真意義を認識し、国体を明徴ならしめて、・・・国民精神を確固たらしむる・・・」
 要するに、「元記者」が国策に沿って国民の意識を動員する方向に関わったということ、さらに、それは、宮内次官公認、結局、宮内省公認のものだったということです。
 とはいえ、この本は、ハウツウーものでありながら、研究にはありがたいところのある本です。その点については、ここでは略します。

     夕暮れの八高線

(3)1980年8月、ドイツ留学していた私は、9月の帰国を待っていました。その時、
 「ワイマール友の会の会長さんが来られるから、時間があれば参加しませんか。」
 と、中央大学の高村宏先生からお誘いをいただきました。
 高村先生についてはいずれ書きたいと思っていますので、ここでは略します。
 それで、遠慮なく参加したところ、会長は早稲田大学の井原恵治先生とわかりました。
 井原先生と高村先生のお話を伺っていると、お二人とも実に庶民的で、「べらんめえ」的な話し方で接せられて、これでどういういうドイツ語を話されるのかと思われるほどでした。
 そういう方でしたから、帰国後もお会いする機会ができて、ある時、終電に間に合わなくなってしまいました。すると、散会後に高村先生とともにタクシーに乗せられ、着いたところが井原先生のお宅でした。
 翌朝、自分の研究分野のことなどをお話ししたところ、『皇室事典』を知っているかと言われ、「あれは親父だ」、「親父の名前になっているけど、オレもずいぶん手伝った」、「辞典でなく、事典となっているだろう、あれはめずらしかったんだ」、「欲しければあげるよ」とぼそっと言われたので、驚いて言葉が出ませんでした。

(4)私は、これまでずいぶん不思議な縁に恵まれてきました。
 両先生にも『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIG)をお見せしたかったですが、その機会がありませんでした。
 もう、ずっと彼方のことになってしまいました。

   
   夕照の大岳山;昭島市宮沢町2丁目より
 
 
コメント
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