縁あってシェアして頂くことになったビーグルのでんちゃんストーリー。
前回までのお話はこちらです。
ビーグルのでんちゃん 出会い1
ビーグルのでんちゃん 出会い2
ビーグルのでんちゃんが走った日1
ビーグルのでんちゃんが走った日2
ビーグルのでんちゃんの新しいお家1
ビーグルのでんちゃんの新しいお家2
保健所に連れて行かれそうだったビーグルのでんちゃんを縁あって迎えられたご夫婦。
関節炎を患ったでんちゃんのためにお家を新築すると決めた矢先に、でんちゃんの腎臓病が発覚。
周囲の人の優しい気持ちに支えられながらの闘病生活だったけど、でんちゃんついに念願の新居に引っ越し!
・・・と、いうのが前回までのお話。
※ご注意 毎度ながら涙もろい方は公共の場で読まない方がいいと思います。
発病から旅立ちまで、毎日が闘病の日々ではあったのですが、
今思い返しても、その内容は徐々に変化していきました。

最初の頃、私達は悔しかった。
よその家の犬は、あんなに元気なのに。
もっと年上の犬だって、もっと元気だったりするのに。
でんちゃんは、推定でも12~15歳、
まだまだいけるはずなのに。
最初の頃、よそのお宅の犬が羨ましくて妬ましくて。
だけど、いつの間にか、そういう羨ましさ、妬ましさが、
消えていたことに気づいたのです。
私達は、元気な犬が欲しいわけではなかった。
欲を言えば「元気なでんちゃん」が欲しいわけだけど、
大切なのは、それがほかならぬ「でんちゃん」という犬だ、ということ。
でんちゃんがすっぽりと私達の腕の中にいるのだから、
それ以上望むことは、実はないのだ、ということに気づいたのかなぁ。
ともかく、気づいたら、よそのわんこが羨ましい、
という気持ちは消え去っていたのでした。

お気に入りのベッドで。
もう、おしっこだって、人手を借りなければできないでんちゃんでした。
裏庭に出してね、胴体を両手で支えてあげるの。
そして「でんちゃん、ちっちしなさーい」と言うと、じょーっとするの。
何から何まで、私達の手助けがなければ暮らせない。
そうなってしまった、ミルクティ色の老ビーグルは、
世界でたった1匹の、大切な大切な私達の犬、でんちゃんなのでした。
老犬って、愛らしいですね。
仔犬だけが可愛いのではない。
老犬がまた、とてつもなく愛らしい・・・。そういうことにも気づいたのでした。
お薬の時間。おしっこの時間。そういうものに追われ、
私はジムにもそうそう行けないし、夜だって続けては眠れなかった。
だけど、そういうことは、ちっとも辛くなかったのです。
タイルの床でも、もう、あんまり上手に歩けないでんちゃんでした。
吹き抜けを作ったので、2階にいても、でんちゃんのベッドがよく見える。
私は常にでんちゃんの気配を感じていました。

「2階からのぞくママと目が合います。」
車に乗せるときにも、もう、横になったまま移動、ということになっていた。
後ろのシートに寝かせてやると、窓から外を眺めている。
シートの上からだから、本当に上空しか見えないはずなの。
それでも満足げに、静かに目を開けて乗っていて。
真夏の暑さをなんとかやり過ごし、季節は秋から冬へ。
当時、愛読していた犬ブログがいくつかありましたが、
そのうちのひとつ、ビーグルのちょびさんのブログを読んでいたある日のこと。
ちょびさんも、腎臓病と闘病中、ということがわかりました。
管理人は、ちょびさんの「執事」を名乗る女性でした。
動物の薬代は、本当に高いですよね。
この執事さんは、違法と承知の上で、
腎臓病用のお薬をオークションで競り落とす、という挙に出たのです。
いずれ、「用意しておいたのにそれを飲む動物が死んでしまった」
という飼い主さんが、処分に困ってオークションに出してきた、というもの。
執事さんは「病院でもらうよりはるかに安く手に入る。
浮いたお金を、ほかのサプリメントなどに回せる。
だから私はオークションで買う」と宣言。
もしよければ、相乗りしたい人募集、というブログ記事を読みました。
私は、コメント欄で名乗りをあげました。
こうして執事さんと私は、オークションでゲットした「クレメジン」
という活性炭のお薬を半分こすることになりました。
活性炭は、言ってみれば炭の粉。
口中で拡散すれば、口の中は真っ黒けになります。
粉末薬をゲットしたけれど、そのままでは飲ませられない。
そこで、私は近所の処方薬局に行って、空カプセルをオーダーしました。
薬局の先生は、何に使うのかと知りたがりました。
正直に、クレメジンを適量に分けてカプセル錠にする、と説明しました。
この先生は、犬猫と暮らした経験のない方でしたが、
犬と人間がいつも寄り添って散歩をしている姿をご覧になって、
「ああ、いいなぁ」と思ってくださったのでしょうか。
でんちゃんのことも、私のことも、とても気にかけてくださって、
会うたびに優しく励ましてくれました。

「執事さん、ママのことありがとうね。」
執事さんは、病気の動物の預かりボランティアなどもなさっていて、
だから看護については実に詳しくて。
その後メールで、後には電話で、さまざまなアドバイスを貰いました。
低反発マットを紹介されてでんちゃんに買ってやったり、
気道確保の方法を教わったり。
お互いに同じ老ビーグル、同じ腎臓病の犬を抱える者同士、
常に励ましあいながら、「ともに闘う」「一人じゃない」という思いで、
心強い友、と頼って過ごしました。

でんちゃんの天蓋ベッド。
でんちゃんのママさんが頼りにされていた執事さんのブログはこちら。
俺もやるぜっ!なビーグルちょび
2009年に18歳8ヶ月で旅立ったビーグルのちょびさんの日記ですが
その後も当時のことを振り返っては更新をされています。
介護の当時のご様子は、現在同じ立場にいらっしゃる方には大いに参考になるかと思います。
でんちゃんストーリー、続きはまた来週です。
続き→ビーグルのでんちゃん 旅立ち
人気ブログランキングへ
前回までのお話はこちらです。
ビーグルのでんちゃん 出会い1
ビーグルのでんちゃん 出会い2
ビーグルのでんちゃんが走った日1
ビーグルのでんちゃんが走った日2
ビーグルのでんちゃんの新しいお家1
ビーグルのでんちゃんの新しいお家2
保健所に連れて行かれそうだったビーグルのでんちゃんを縁あって迎えられたご夫婦。
関節炎を患ったでんちゃんのためにお家を新築すると決めた矢先に、でんちゃんの腎臓病が発覚。
周囲の人の優しい気持ちに支えられながらの闘病生活だったけど、でんちゃんついに念願の新居に引っ越し!
・・・と、いうのが前回までのお話。
※ご注意 毎度ながら涙もろい方は公共の場で読まない方がいいと思います。
発病から旅立ちまで、毎日が闘病の日々ではあったのですが、
今思い返しても、その内容は徐々に変化していきました。

最初の頃、私達は悔しかった。
よその家の犬は、あんなに元気なのに。
もっと年上の犬だって、もっと元気だったりするのに。
でんちゃんは、推定でも12~15歳、
まだまだいけるはずなのに。
最初の頃、よそのお宅の犬が羨ましくて妬ましくて。
だけど、いつの間にか、そういう羨ましさ、妬ましさが、
消えていたことに気づいたのです。
私達は、元気な犬が欲しいわけではなかった。
欲を言えば「元気なでんちゃん」が欲しいわけだけど、
大切なのは、それがほかならぬ「でんちゃん」という犬だ、ということ。
でんちゃんがすっぽりと私達の腕の中にいるのだから、
それ以上望むことは、実はないのだ、ということに気づいたのかなぁ。
ともかく、気づいたら、よそのわんこが羨ましい、
という気持ちは消え去っていたのでした。

お気に入りのベッドで。
もう、おしっこだって、人手を借りなければできないでんちゃんでした。
裏庭に出してね、胴体を両手で支えてあげるの。
そして「でんちゃん、ちっちしなさーい」と言うと、じょーっとするの。
何から何まで、私達の手助けがなければ暮らせない。
そうなってしまった、ミルクティ色の老ビーグルは、
世界でたった1匹の、大切な大切な私達の犬、でんちゃんなのでした。
老犬って、愛らしいですね。
仔犬だけが可愛いのではない。
老犬がまた、とてつもなく愛らしい・・・。そういうことにも気づいたのでした。
お薬の時間。おしっこの時間。そういうものに追われ、
私はジムにもそうそう行けないし、夜だって続けては眠れなかった。
だけど、そういうことは、ちっとも辛くなかったのです。
タイルの床でも、もう、あんまり上手に歩けないでんちゃんでした。
吹き抜けを作ったので、2階にいても、でんちゃんのベッドがよく見える。
私は常にでんちゃんの気配を感じていました。

「2階からのぞくママと目が合います。」
車に乗せるときにも、もう、横になったまま移動、ということになっていた。
後ろのシートに寝かせてやると、窓から外を眺めている。
シートの上からだから、本当に上空しか見えないはずなの。
それでも満足げに、静かに目を開けて乗っていて。
真夏の暑さをなんとかやり過ごし、季節は秋から冬へ。
当時、愛読していた犬ブログがいくつかありましたが、
そのうちのひとつ、ビーグルのちょびさんのブログを読んでいたある日のこと。
ちょびさんも、腎臓病と闘病中、ということがわかりました。
管理人は、ちょびさんの「執事」を名乗る女性でした。
動物の薬代は、本当に高いですよね。
この執事さんは、違法と承知の上で、
腎臓病用のお薬をオークションで競り落とす、という挙に出たのです。
いずれ、「用意しておいたのにそれを飲む動物が死んでしまった」
という飼い主さんが、処分に困ってオークションに出してきた、というもの。
執事さんは「病院でもらうよりはるかに安く手に入る。
浮いたお金を、ほかのサプリメントなどに回せる。
だから私はオークションで買う」と宣言。
もしよければ、相乗りしたい人募集、というブログ記事を読みました。
私は、コメント欄で名乗りをあげました。
こうして執事さんと私は、オークションでゲットした「クレメジン」
という活性炭のお薬を半分こすることになりました。
活性炭は、言ってみれば炭の粉。
口中で拡散すれば、口の中は真っ黒けになります。
粉末薬をゲットしたけれど、そのままでは飲ませられない。
そこで、私は近所の処方薬局に行って、空カプセルをオーダーしました。
薬局の先生は、何に使うのかと知りたがりました。
正直に、クレメジンを適量に分けてカプセル錠にする、と説明しました。
この先生は、犬猫と暮らした経験のない方でしたが、
犬と人間がいつも寄り添って散歩をしている姿をご覧になって、
「ああ、いいなぁ」と思ってくださったのでしょうか。
でんちゃんのことも、私のことも、とても気にかけてくださって、
会うたびに優しく励ましてくれました。

「執事さん、ママのことありがとうね。」
執事さんは、病気の動物の預かりボランティアなどもなさっていて、
だから看護については実に詳しくて。
その後メールで、後には電話で、さまざまなアドバイスを貰いました。
低反発マットを紹介されてでんちゃんに買ってやったり、
気道確保の方法を教わったり。
お互いに同じ老ビーグル、同じ腎臓病の犬を抱える者同士、
常に励ましあいながら、「ともに闘う」「一人じゃない」という思いで、
心強い友、と頼って過ごしました。

でんちゃんの天蓋ベッド。
でんちゃんのママさんが頼りにされていた執事さんのブログはこちら。
俺もやるぜっ!なビーグルちょび
2009年に18歳8ヶ月で旅立ったビーグルのちょびさんの日記ですが
その後も当時のことを振り返っては更新をされています。
介護の当時のご様子は、現在同じ立場にいらっしゃる方には大いに参考になるかと思います。
でんちゃんストーリー、続きはまた来週です。
続き→ビーグルのでんちゃん 旅立ち
