たくのわがまま風来記GOO

「松山城跡」 林田町

令和  6.01.28 日曜日 薄

以前、林田町の「佐見山城跡」に登った後、近くにあった「松山城跡」に
トライしたけど登り口が分からず、断念していた。
今回他の登山口から登ってみました。 ある神社を探り、そのルートを
探したところばっちりと登山口に辿りつきました。
ヤッターと思いましたが・・
道が狭いので手前に車を止めました。

まっすぐな道には、果樹や野菜畑がありました。
今日は日曜なのか誰にも出会いません。

そして行き着いた先には、不明な小屋が、その先の右手には鳥居を発見。
これが松山城跡につながる神社だ。

鳥居は林田川につながっていたが、前回調べたように林田川には渡瀬橋は無かった。
そして山手へは石灯篭 があり案内してくれる。

案内板があった。一応山城として意識されているのだ。

地図もしっかりあった。助かります。

とりあえず石段がある神社まで登ります。

すぐ着きました。

ネット地図には北辰神社とあるも、ここには松山妙見宮の表示。
取り合えず入山に拝礼する。

よく読めないが、皇太子の記念樹を植樹されているよう。

右手からスタート。地図の通り進みます。
薮っぽいルートの様で、はっきりとしていません。

赤いテープの目印がありとりあえず従ってみました。

谷コースの表示ですが、踏み跡がありません。

とりあえず地図方向へ進みますが。
ややこしい地図なので、このまま、山裾を通り城跡山頂方向に進みました。

なんとか奥の山裾まで登り尾根につきました。

石が積まれていて、何かがあったのだと思います。尾根を北へ進みます。
ルートは開けていていい感じです。ここに城があったのだと想像がつきます。

雑木林が密集していて眼下の林田町がちらちらと。

そして開けた尾根にたどり着くと、ここが主郭があったようです。

看板があり説明が書かれていました。
置塩赤松家のひざ元であったこの城主は、衣笠長門守村氏。
置塩城とのいざこざで1520年頃落城したらしい。

立派な看板は ある。 ここは細長い城跡の様だ。

休憩もせず、下山にかかる。 下山は尾根ルートを利用した。

削られた地形が露骨に表れている。  良質の土壌を掘った後の様だ。

登りより下りの方がすんなりと降りれた。


そして無事、駐車地に着いた。 今回は不安であったが、車両は奥の鳥居前まで進むことが出来る。

ルートを見ると尾根裾のお勧めであったがヤブ化していて、苦労した。
帰路は、尾根が正解だった。
戦国当時は、街道の見張りには最適の城であったようで、現在の雑木を切り取れば
素晴らしい山の様です。

お城跡もちょこちょこと登っているが専門なことは興味がなく、歴史の山と
利用が少ない山ルートを楽しみとして登っております。

                  ~end~
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