横井庄一さん
小野田寛郎さ
70年代忘れられない二人。
小野田さんが、91年の生涯を閉じた。
Yahoo!ニュース(産経新聞)より。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140118-00000148-san-soci
記事より。
「小野田寛郎さんの戦いは終わった。91歳の生涯を貫いたのは「誇り」と「不撓不屈(ふとうふくつ)」だった。
40年前のあの衝撃は、いまも鮮明に記憶している。戦争が続いていると信じ、30年間任務を続けたフィリピン・ルバング島での初めての会見は、私たち報道陣への敬礼で始まった。質問には一人一人と正対し、よどみなく答えていった。手製の軍服は繕われ、ボタンもしっかりついていた。
(途中略)
あの日と同じように、背筋を伸ばし、謙虚でつつましく歩み続けてきた小野田さん。風化しない生粋の日本人を、また一人、失ってしまった」
風化しない生粋の日本人。
確かにそうだったろう。
ただ、根本は、もっと違うところにあったはずだ。
彼が抱えた問題の根本は、「戦争」だった。
戦争さえなければ、こうはならなかった。
週末、小野田氏死去を報じる短時間のテレビ特集を見たが、その番組には、これが、一切なかった。
コメンテーターも、戦争の話は一切しなかった。
俺は悲しい。
戦争さえなければ、こうはならなかった。
戦争を防止するための戦争。
これがある限り、戦争はなくならないのだろうと、思う。
アメリカは、テロとの戦争を宣言した。
そしてテロリストやテロ国家を徹底的に攻撃している。
でも、戦争はなくならない。
だって、、、 テロは、一国家が世界中を制圧するまで、なくならないんだから。
いやいや、世界を制圧した国家の中でも、テロはなくならないんだから。
ということは、逆ではないか?
戦争は、当事者国すべてが破たんするまで無くならないということじゃないか?
H.G.Wellsの言葉がある。
”If We Don't End War, War Will End Us."
「我々が戦争を終わらせないなら、戦争が我々を終わらせるだろう」
テロは、一滴の血も流さない、心から平和を求める心が終わらせるのだ。
武器に守られた平和など、本物の平和じゃない。
・・・・・・20世紀では当たり前だったこんなことを、わざわざ主張しなければ理解されない時代になったのが、
悲しい。
そして、
I am OK, You are OK
この本質を、何人が理解しているのだろうか?
これを思うと、
さらに悲しい。
また、そのために何かしようという力の出ない自分。
本当に情けない。
いや、OK-OKの哲学は、俺には伝えられる。
せめて、それくらい、する勇気をもとうと思う。
この記事が、なんか空しい。
『古巣に容赦ない小泉節=自民震撼、都知事選に危機感』
Yahoo!ニュース(時事通信)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140114-00000167-jij-pol
記事によると、『小泉純一郎元首相が14日、東京都知事選に出馬する細川護熙元首相(76)への全面支援を表明した』とのこと。
『小泉氏としては、持論の「脱原発」を掲げて首都決戦を制し、安倍政権に政策転換を促す考えとみられる。小泉氏は昨年11月の日本記者クラブでの記者会見で「原発ゼロは首相が決断すればできる」と主張。最近も、自民党幹部との会合で「安倍晋三首相が反原発を言えば、首相として盤石になるのに」とじれったそうに語った』そうだ。
首相時代に「原発反対」を唱えていたなら、この人はものすごい人で、本当に尊敬する。
でも、小泉氏も首相時代には原発推進の流れの真っただ中で「安全神話」の構築と堅守に一役買っていたはず。
あのときにも脱原発を唱える野党がいたはずだが。。。
もし今「脱原発」に進むなら、当時国のエネルギー政策の最大の意思決定をしていた立場の一人として、FUKUSHIMA事故で国民に大きな被害をもたらした事に対し、「当時の私の判断が間違っていた」と、しっかり国民に対し謝罪をして、けじめをつけて欲しいと、個人的に思う。
そうでないと、長い目で見ると、
「政治家なんて、結局その時その時で言うことがコロコロ変わるんだよ」
っていうため息の中に、政治への信頼がまた消えていくだけの様な気がする。
『農薬混入、体調不良2500人も…マラチオン検出ゼロ 「健康被害」別の要因?』
Yahoo!ニュース(産経新聞)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140113-00000083-san-soci
記事によると、
「食品大手マルハニチロホールディングスの子会社「アクリフーズ」群馬工場(群馬県大泉町)で製造した冷凍食品から農薬「マラチオン」が検出された問題で、各地で報告されている「健康被害」とマラチオンとの因果関係に、微妙な齟齬(そご)が生じている。回収対象商品を食べて体調不良を訴えた人は全国で約2500人だが、自治体の検査が約4分の1終わったのに農薬検出の例はない。回収対象(640万個)もすでに半数以上を回収したが、異臭が確認されたのはわずか5個だ。「健康被害」が別の要因で起こった可能性も出ている」とのこと。
簡単に説明すれば、異臭が検出されたものが5個だったのに対し、全国で2500人が健康不良を訴えており、明らかに農薬とは別の原因で起きているだろう、ということ。
記事より。
「異臭商品は、いずれも消費者が臭いに気づいてそもそも食べないか、口に入れた直後にはき出しており、健康被害は出ていない。内藤裕史・筑波大名誉教授(中毒学)は「体調を崩した人が食べた冷凍商品に農薬が含まれていたとすれば、(臭いなどの違和感を覚えていないことから)異臭商品より濃度は低いはず。今回最も低濃度の農薬が検出された商品でも、かなりの量を一度に食べてない限り、身体に影響は出ないレベル。健康被害とマラチオンとの因果関係は薄いのでは」と指摘する。」
じゃ、原因は何なのか?
もし仮に消費者の「心理」にその原因があるとすれば、すぐ浮かんできたのは、下の二つだった。
1.今日の”偽装・誤表示”問題に対する不安と、業界全体への不信
2.今日の日本的”訴訟社会”化と、そこから得られる心理的・社会的利益への、半ば無意識的な期待
もし仮に、化学的要因があるとすれば、浮かんできたのは、これだった。
3.そもそも現代の冷凍食品・加工食品自体、添加物だらけだ
ま、リスクは負わないのが賢明だ。
『Facebook疲れ』という現象がなぜ起きるのか?
これは、カウンセリングの心理技法である”交流分析”を見ると出ている。
今から半世紀前の理論だ。
交流分析には”時間の構造化”という分野がある。人が朝起きてから夜寝るまでの間、特に他者と関わることができる時間をどう過ごすか?についての理論だ。
時間の使い方は、下のように6つにカテゴライズされる。
A.閉鎖・引きこもり
(他者と関わらないで自分の世界にこもる)
B.儀式・儀礼
(マニュアル的な交流に終始するので安全)
C.活動・仕事
(外の活動に没頭していれば人間関係にとらわれずに済むのでネガティブな対話も可能)
D.雑談
(互いに心地良い対話を意識するので楽しい)
E.心理ゲーム
(後味悪い濃密なやりとり)
F.親交・親密
(互いに認め合う、理想的な関係)
さて、Facebookの世界に関わる時間は、この中のどれだろうか?
ネガティブなやりとりは全くないから、明らかに『D.雑談』に部類する。
すなわち、みんなが互いに、相手にとって心地良い関わりを意識するから成り立つ心地良い世界だ。
その理想郷は、「よくないね!」ボタンはなく、「いいね!」ボタンしかない、という”与えられた環境”に従っているから実現している。
すなわち、Facebook考案者によって人工的に作り上げられた理想郷に住んでいるわけだ。
よくSFに出てくる、あれだ。
ただ、それを交流分析的に見ると、気になる一面が見えてくる。
交流分析によると、”雑談”とは、受け入れられる話題を受け入れられるようなやり方で行うことで殆ど社交的にプログラムされたやりとりであるが、そこに個人的な”何か”が忍びこんでしまいがちで、それによって社交の次の形”心理ゲーム”に導かれる。
わかるだろうか。
Facebookの大切な”ポイント”は、「いいね!」だけで楽しく交流しましょう!という配慮が、逆に他の時間の使い方、すなわち「いいね!」以外の自己表現を封じてしまい、さらに実名の知的社交の場として、心理ゲームを行うことも禁止している。
人は、雑談していても、何か相手に対して、自分に対してモヤモヤを抱き始めたりする生き物だ。
そして小さな心理ゲームをしてしまって、後でちょっと後悔すると同時に、ま、いいや、的に忘れ去ったりする。
人って、心理ゲームを繰り返すのが当たり前の動物なんだ。
それをしない”美徳”の上に作られた”理想郷”が、Facebookだ。
だから、普通の人なら、息苦しくて仕方ないだろう。
疲れるんだよ、ホントに・・・・・・
そう考えると、とても重要な気付きを得る。
Facebookの中では”雑談”が行われてはいるが、それはFacebookの本質ではない。
息苦しさに耐えながら毎日Facebookに向かっている時間は、実は雑談ではなく、”一生懸命雑談をする”という活動の時間ではないか。
だから、その時間に没頭している間、濃密な充実感を得るとともに、リアルの世界の人間関係に目を向けなくて良い、、、そう考えるとなんだか納得がいく。
Facebookをしながら思う自分の気持ちに、その人自身の生き方が浮かび上がってくるだろう。
こういう捉え方をすると、なんだか面白い(^^)
あ、そして俺は、それに疲れて早々にリタイアしたわけだ(笑)
Facebook疲れ、あるいはFacebook症候群という”症状が、有名だ。
ほんの数年前までは、”インターネットで個人情報を晒すなんて、有り得ない!!」だったのが、このFacebookの登場によって、”インターネットで実名を出さなきゃ意味ない”というイメージに変化しつつあるように思う。
私の感じる、Facebookの”罠”は、たった3つの仕掛けが組み合わさったものだと思う。
1.実名でなければいけない
2.「いいね!」ボタンがある
3.友だちを通じて自分の存在や投稿が広く知れ渡る
まず人は、ネットの世界に「虚構」を構築しようとする。ひと頃流行った”ネット掲示板”では、ハンドルネームを適当に決めて、その”偽名の自分”としてネットの世界に参加していた。極端に言えば、たとえば今江さんが”サブロー”という名前で参加していたりするわけだ。
しかしFBの世界には、自分自身として参加しなければいけないという掟がある。このため、特に真面目な日本人は、本名でアカウント作成を行うわけだ。
すると、なぜか突然”友だち申請”が来る。「あ、あの人だ!」と、嬉しくなって、承認すると、その人の友だちから申請が来たりして、なんか嬉しくなる。
そうすると今度は、自分の方から友だちを探そうという”意欲”が湧いてきて、気がついたら友だちが50人とかになってたりする。
そうすると、だ。
友だちに対する責任として、もう、Facebookをやめるわけにはいかなくなってしまう!!
ばーちゃるなせかいなのに、げんじつがつきつけられ、しばりつけられてしまう。
☆匿名のコミュニティの場合
やめたければいつでもやめられる。そしてまた別人として参加することもできる。
でも、せっかこのコミュニティに馴染んだ名前だ。
だから、やめたくない、という気持ちがどんどん強まり、この世界に強く依存してしまう。
☆実名のコミュニティの場合
やめる=何十人の友だちを切り捨てる、だから、やめるわけないいかない。
でも、「いいね!」ばかり押して、実名の現実世界の面倒さをここでも味わっている。
だから、やめたい、という気持ちが強まるが、社会的責任として、やめられなくなってしまう。
これがFacebookの怖さだ。
え? 俺?
俺はね、、、 何十人の”友だち”を切り捨てる覚悟で、アカウント消去したよ。
それは自分では適切だったし、また、自分自身、ネットの世界はいつでもやめられないとおかしいと思ってたので、”二重の現実世界”を抱えていなかったから自分に、ある意味ホッとしていたりする。
だけど、リアルで、友だちを失った。
ま、現代の”友だち”っていうものは、たったひとつの行動を見るだけで人格までも嫌うような、薄っぺらいものかと、、、さらに、それに毒されている自分も感じて、それらがすごく寂しい。
自分も、もっとしっかりしなきゃと、強く心に誓った。
いやぁこうなるんですね。
『悪ふざけ画像投稿で閉店、多摩のそば店が破産手続き』
Yahoo!ニュース(朝日新聞デジタル)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131019-00000014-asahi-soci
記事によると、
『帝国データバンクは18日、東京都多摩市馬引沢2丁目のそば店「泰尚(たいしょう)」が、東京地裁から破産手続きの開始決定を受けたと発表した。アルバイトの男子大学生が、店内の大型食器洗浄機の中で横たわった画像を交流サイト・ツイッターに投稿した後、閉店していた。負債総額は約3300万円。
決定は9日付。帝国データバンク東京西支店などによると、8月、男子大学生が画像をツイッターに投稿したところ、インターネット上で批判が殺到。店には衛生面で苦情電話が相次ぎ、閉店に追い込まれた。
同支店は「業績はもともと厳しかったようだが、ツイッター投稿が倒産の引き金になった可能性はある」と分析している』
とのこと。
さて、社会問題化しているこの「悪ふざけ画像投稿」問題。
なぜ起きるのか?
不思議だ・・・!?
いやいや、何も不思議ではないんだ。
意識、無意識に関わらず、「不適切な遊び心」が湧いてきて、ついやってしまう。。。
と考えるとこのブログでも、こんな記事を書いたことあったことを思い出す。。。
『麻生氏のナチス発言だけじゃなく、、、』
http://blog.goo.ne.jp/skyoko05/e/43a974084b349e97e6d5eb09225d919f
『柳沢大臣の「女性は出産する機械」発言について』
http://blog.goo.ne.jp/skyoko05/e/d0459da050c244b46631c993bf86328c
全く同じじゃん!
「子ども心」の衝動が我慢できなくなって、「ま、いいや!」で行動化して、世間からひんしゅくを買って、その後何事もなく偉いまま勲章かなんかをもらって、大きな顔をしている。
こうやって大人がテレビ画面なんかでお手本を示してるんだから、子どもが真似ないはずがないんだ。
そして社会は、良くなっているか?
「快楽原則」を上手に抑えて「現実原則」に従って生きるために必要なのは、「自我の強化」。
フロイトによる、100年前の理論だ。
とにかく大人がしっかりしなきゃ!!
『米、デフォルト回避=政府機関、きょうにも再開―上下院が合意案可決』
Yahoo!ニュース(時事通信)より
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131017-00000042-jij-n_ame)
記事より引用。
『米上下両院は16日夜、連邦債務上限引き上げと政府機関再開に向けた上院与野党合意案をいずれも賛成多数で可決した。オバマ大統領は速やかに署名し、関連法が成立する。深刻な金融危機を招くと懸念された米国債のデフォルト(債務不履行)は17日の「期限」ぎりぎりで回避、2週間以上続いた政府機関の閉鎖は同日にも解除される。
(途中略)
協議を続けた上院の与党民主党のリード院内総務は16日、本会議場で「超党派による歴史的な合意だ」と表明。野党共和党のマコネル院内総務も「最も緊急性の高い問題をきょう解決できるよう望む」と強調した。』
「テロとの戦争」に打ち込んで、国民は勝利に沸く。
だけど、だんだんと、無意識から湧いてくるものが、あるだろう。。。
「戦争なんて、なかったら・・・」
「ネガティブになりたくない」と、これを抑圧し続ける人間の必死な心。。。
莫大な軍事予算。
財政赤字。
アメリカは、テロとの戦争に、勝ったのか??
「長期の自爆テロ」に負けつつあるのではないか?
SF作家H.Gウェルズの、こんな言葉が、ある。
If we don't end war, war will end us.
(我々が戦争を終わらさなければ、戦争が我々を終わらすだろう)
とすると、アメリカは、敵国ではなく、”戦争”に負けそうなのではないか?
これを合理化して人は、
『悪魔の仕業』
と呼ぶわけだ。
なーんだ、簡単な話だ。
自分の中の「悪魔」に気付き、それを認めればいい。
でも、そこに大きな問題がある。
悪魔に魂を売ってしまうと、それに気付けなくなるんだ。
人は、ネガティブになる。
誰もが、ネガティブになる。
必ず、ネガティブに堕ちる。
・・・SNSのポジティブさを眺めながら、いつも思っていた。
ポジティブになれない人のネガティブさを、受け止めたい。
ネガティブになれない人のネガティブさも、受け止めたい。
『麻生氏、ナチス発言を撤回 「改憲の悪しき例上げた」 』
Yahoo!ニュース(朝日新聞)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130801-00000025-asahi-pol
記事によると、『麻生太郎副総理兼財務相は1日午前、憲法改正をめぐってナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言したことについて、「誤解を招く結果となったので撤回したい」と述べた』とのこと。
事の発端について、記事では『麻生氏は7月29日、東京都内のシンポジウムで「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」などと語った。これに対し、米国の代表的なユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が30日に批判声明を発表したほか、韓国、中国両国外務省のスポークスマンも批判するコメントを出した。』とある。
さて、彼の発言、いわゆる(いつもの)失言自体は、もういい。
民主主義=多数決
と、国民はいつから思いこんでしまったのか?
全てを多数決で片づけるのが民主主義だと言うのは、「それじゃ、じゃんけんで決めよう」と言うのと同じレベルではないか?
100人の中で51人が賛成したら自動的に通る、それを「民主的」とは言わないだろう。
49人の反対があったことを重く見るのが、
・・・「人間」じゃないか?
しっかり議論するために国会があり、二院があるはず。
「民主主義だから、議論より多数決で決めてしまえば良い」なんていう考えをする人がいるなら・・・
教養がなさすぎる。
『福島第1原発、汚染水問題「深刻で、切迫している」=田中規制委員長』
Yahoo!ニュース(時事通信)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000107-jij-soci
記事によると、『東京電力福島第1原発で放射能汚染水が増加し続けている問題で、原子力規制委員会の田中俊一委員長は31日、定例会見で「かなり深刻で、切迫している」と述べた』とのこと。
さらに、『田中委員長は「汚染されていない水を捨てる了解をいただかないと、原発の後始末は不可能」とし、放射性物質濃度が基準値以下の水は海洋放出が必要との認識を改めて示した。東電に対しては「必死になって頼む姿勢が足りない」と述べ、引き続き漁業関係者らを説得するよう求めた』
うーん、、、、、 「水を海に捨てないと原発の後始末は不可能」。。。そんな話、なかったんじゃないか。
ずいぶん前に、「もう大丈夫」ではなかったか。
ちょっと待て。
「ただちに影響はない」から2年半経過した。
この間、私は、あなたは、何を食べ、何を飲んだだろう。。。
おそらく理由は、これだろう。
(過去の記事です)
http://blog.goo.ne.jp/skyoko05/e/ffb9b1ba0d217828a63cee841201885b/
人の心は、知らず知らずのうちに、揺れていくものだ。
こういう事件があったのをご存じだろうか?
『大手社員、臨床論文に不適切関与 研究の中立に問題』
Yahoo!ニュース(朝日新聞デジタル)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130523-00000005-asahi-soci&pos=2
大手製薬会社が開発した新薬の効果が高いことをアピールするため、5つの大学が中心になって他の薬と効果を比較した論文が投稿され、その一部が取り下げられた一件。
問題なのは、この研究に製薬会社社員が関わっていながら名前しか書かず、すなわち、自分の会社が研究に関与したことを一切伏せて論文が書かれた。
記事から引用する。
『ディオバンは国内売り上げが年間1千億円を超える看板商品。同社はこうした論文を医師向けの説明文などに引用して宣伝してきた。論文に社員の名前が掲載されていたが社員の身分は明記せず、肩書を示す場合は非常勤講師だった「大阪市立大」と記載。滋賀医大に関しては、別の社員1人も社員と明示せずに加わっていた。』
これが単独で起きたことなのか、それとも「みんなやってるよ!」レベルのことなのか、そこが問題だと思う。
というのも、もし仮にCCHRの主張が正しいなら、これは大変なことだから。
http://jp.cchr.org/
事実を、知りたい。
そのために、記憶に留めておくべき事件だと思い、ここに書き留めておく。
橋下氏が、『従軍慰安婦』発言が波紋を呼んでいる。
たとえば、これだ。
http://mainichi.jp/select/news/20130514k0000m040097000c.html
正直、彼は弁護士。弁が立つ。だから、「言った、言わない」や、「そういう意味で言ってはいない」などの”問答”は、最初から頭の中で組立済みじゃないかと思う。
そんな表面的なことはゴシップ屋さんに任せて、もう少し心の深いところを感じてみたい。
男女同権、男女共同参画の時代。
男性と女性の違いに目を向けることは悪くはない。しかし、発言の奥に、男尊女卑的な空気があるようにも感じる自分がいる。
「言った、言わない」の土俵に上がる気はない。
しかし、もし世の中の男性の中に、「男尊女卑」的な過去の残像を抑圧して日々生活を送っている人がいれば、心の奥のどこかで、ちょっと嬉しい気持ちに浸る瞬間も、あるかと思う。
問題は、国民の中に、”男尊女卑的な古来の歪んだ観念を、実は未完のまま残していながら、それを抑圧して意識から排除している”、そういう人がどの程度いるか?だと思う。
もし、そういう人が少数であって、大多数の人はしっかり男女平等を消化しているのなら、橋下氏は、もう政治の土俵には上がれないだろう。
もし、潜在的にかなりの人たちが心の奥に抱えているなら、橋下氏のこの発言は、「彼の強さ・大胆さ」という見方がなされ、長い目で見れば、彼への支持につながっていくだろう。
実は彼の発言を、ただの「うっかり発言」とは、感じていない自分がいる。
ついでに書いておきたい。
6年前、『女性は子供を産む機械』発言があったことを、思い出した。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20100112/105511/
時代は、少しずつ、変わっていく。
さてと。
本格的にブログ再開したいと思います。Googlebotのみなさん、よろしく。
アノニマスがイスラエル攻撃=ガザ空爆に抗議、銀行など被害
【テルアビブAFP=時事】国際ハッカー集団「アノニマス」は17日、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆に抗議し、イスラエルの政府機関や主要銀行のものを含む650以上のインターネットサイトを消去するかダメージを与えたと主張した。
アノニマスは今回の攻撃を「オプイスラエル」と名付けており、簡易ブログ「ツイッター」上で「(イスラエルの主要銀行の一つ)バンク・オブ・エルサレムのデータベースは消去された」と述べた。
また、イスラエルがガザのインターネットを切断すると脅したことへの抗議として、外務省のサイトを一時的にダウンさせたと指摘。ネット切断を強行するなら「アノニマスの抑えようのない怒り」を買うことになると警告した。
Yahoo!ニュース(時事通信)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121118-00000006-jij-int
人間には、やっていいこととやっちゃいけないことがある。
「暴力」に「暴力」で対抗することは、暴力の上塗りに過ぎない。
このサイバーテロは、命をかけた国民の怒りではない。
国際連合の下した制裁措置でもない。
ガザ空爆に対する怒りの鉄槌・・とみがちだが、実はこれは、
火に油を注ぐ行為
に過ぎない。
国際的な秩序崩壊が、こんなに進んでしまったこと。。。
それは、この世に生を受けた人間たちが、「相手をnot OKに落とすことで自分のOKを保つ」足の引っ張り合いばかり考えてること。。。
それを自制することが、自己破壊を繰り返す人生脚本から人類が得た大切な大切な教訓ではないのか?
そう。バーンの訴えた、人間の目指すべき『自律性』の言葉が、ものすごく重い。
OK-OKを目指す勇気こそが、強さなんだ!!
「氷」と「水」は同程度に単純。「湯」になると複雑になり「熱湯」は手に負えなくなる。
「心」は単純だ。
「体」も単純。
「魂」ちょっと複雑なものだ。
「自分」も単純、「他人」も単純。
「集団」少し複雑、そしてもっと複雑になるのが「組織」。
「責任」は平均的で、「義務」はけっこう複雑。
「喧嘩」も複雑だね。
「悪戯」も結構ややこしい。
「誤解」はややこしい。「曲解」の方がたやすいようだ。
「空間」は単純だが、「間隙」は少し複雑。
「列」は簡単。でも「整列」は少し難しい。
「山」や「川」はきわめてわかりやすい。
「村」や「町」も単純だが、「街」になると少し複雑。
そこに「人」がいても対してふくざつにはならないが、人が増え過ぎて「雑踏」になるともううんざりだ。