私は映画『男はつらいよ』の大ファンである。
DVDはもちろん全て持っているし、スカパーからの全作品録画もある。
理由はたくさんあるがその内の一つが、全48作、1960年台から1997年に渡って日本の風景、風俗、様々な人達、当時の人たちの価値観に直に触れることが出来る、ということがある。
作り物ではない、昭和から平成初期まで、日本そのものが貴重な記録として生々しく残されているのである。
これを金字塔と言わずして何と言おう。
それは、『三丁目の夕日』のように当時を知らない人達が人工的なセットやそれらしいセリフを吐くようなものとは違う。
勿論、現在を生きる人が過去の映画を作ることは立派な行為だと思うし、決してそれを否定するものではない。
が、これは、仕方のないことだと思うが当時を知っている者から見ると矢張り『違うんだよね』と思うことも多いのだ。
逆に言えば私たちが若かった頃に作られていた時代劇などはその時を知っている人たちからみると噴飯ものだったろう。
当然、近現代のことすら、戦後の日本の教育は嘘ばかりついて若い日本人を騙して来たのだから戦前(大東亜戦争)の日本のことなど全くブラックボックスと言っていいほど今の日本人は知らないだろう。
だが、これは彼らのせいではなく全てGHQの思うがまま、奴隷のように進駐軍に仕えてきた戦後の教師、朝日新聞、毎日新聞などの反日メディアが日本人をここまで劣化させてきたのである。
この様に劣化した人間達が戦前を悪しき時代だったかのように言うことは馬鹿が賢者に向かって悪口を言っていることと変わらない。
明治、大正、昭和(戦前まで)の日本人は今の日本人とは比較にならぬほど道徳的であり高潔、勇敢な人達であった。
話が横道に逸れたが寅さんは多くの場合、相手のマドンナに振られる、というイメージがある映画だが実際にはそうではない。
寅さんは実際にはとてもモテるのである。
ただ、寅さんは相手がその気になると自分から身を引いてしまうことが多い。
理由は『俺のようなヤクザな人間に・・・』ということのようだ。
そして『また振られてしまった』と旅に出かけるのである。
今回画像をアップしたのは第12作『私の寅さん』である。
マドンナは岸恵子。
昔はこの女優に、いま一つ親しみを持てなかったが最近漸く岸恵子の魅力が分かって来たように思う。
矢張り振られた(と寅次郎は思う)寅が旅に出る前に一度、夜分にリツ子(岸恵子)の元を訪ねる。
大好きな寅次郎を迎えるリツ子。
縁側でリツ子に会い寅次郎は重い口を開いて話をするのだが、その時近所から美しい音楽が流れて来る。
そこで、寅次郎はリツ子に聞く。
『この音楽は何と言うんでしょうね?』
リツ子
『ショパンの別れの曲よ』
寅次郎
『別れの曲・・・。やはり旅人(たびにん)の音楽でござんしょうねぇ・・・』
リツ子
『あ、、、そうね』
既にリツ子との別れを決意し、旅立とうとしている寅次郎。
如何にも寅次郎らしいセリフで泣かせる。
寅次郎が旅立ってからリツ子は寅次郎の妹、さくらと会い二人で江戸川べりを歩きながら、行ってしまった寅次郎のことを
『バカね、寅さん・・・』
とつぶやくのである。
何と深い愛情の表現ではないか?
こういう深みのあるセリフは稀代の名優、渥美清がいたから初めて重い言葉となって私の心を打つのであろう。
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