【今回の震災でお亡くなりになられた方全員に謹んでお悔やみを…。被害に遭われた方々が1日でも早く、限りなく元の生活に近い形に戻られますようお祈り致します。】
ブログの更新が遅れました。
昨日、友人Mが有休を取ったので一緒に秋葉原に遊びに行きました。
午前10時に待ち合わせして、本屋を見たり、パーツ屋を見たり、見尽くした後で
駅前のカラオケ屋で歌っているときに地震に遭いました。
最初は、「あ、地震だ。」くらいだったのですが、私が大げさに
『念の為、ドアが開かなくなると嫌だから開けるね』
と、ドアを開けて支えていたら、みるみる揺れがひどくなってきました。
たまたま目の前の部屋に店員さんがいて、その店員さんも扉を支えていたのですが
「あっちに非常階段があるから、そこから外出てください!!」
と叫ばれて、この状況がまずいものと理解し、友人と一緒に非常階段に行きました。
重いはずの非常階段の扉は揺れの為に、バタンバタンいっているし、いざ、階段に出てみたところで
揺れがひどくて中々階段を下りられませんでした。
非常階段から外に避難してみると、周りにも自分たちと同じような状況の人が沢山。
少し落ち着いてから、また室内に戻ったのですが、2度目の余震が結構大きかったので
結局、駅前広場に出ることに―
駅前広場でようやく携帯を繋いでみたのですが
宮城で震度7・東京が震度5強…。
そのときは、その情報を知ることくらいがやっとで、事態がこんなにひどい状況になっているとは思ってもみませんでした。
ただ、ひたすら被災者が少ないことだけを祈りつつ、広場にいました。
ずっと立っていても仕方ないので、秋葉の街を歩いてみましたが、どこもかしこも店を閉めているし
私鉄もなかなか回復しません。
JRは新潟の地震のときに復旧に7時間掛かったのを覚えていたので、最初から当てにしてませんでした。
―地震発生から3時間過ぎ。
確実に自宅には帰れないので、渋谷にある友人の家に避難させてもらうことにしました。
秋葉原~東京駅~皇居前~警視庁~国会議事堂…と山手線の真ん中を突っ切るコースを歩きました。
自分たちは歩くことと、家族の安否を確かめるので精一杯で、正確な情報を集めることもままなりません。
六本木にほど近い、某ホテルの付近にある公衆電話で実家に電話して、家族の安否を確認。
全員無事でした(自宅の被害も殆どなし)
というか、自分が一番心配されてました。
取り敢えず、無事と友人の家に泊まる旨を伝え、再び歩き始めました。
11時少し前に友人宅に到着したときには、もう脚がガクガクでした。
そして、ニュースを見て愕然―
自分たちは「帰れない」だけだったけれど、被災地は本当に酷いことになっていることに。
マグニチュードが8.8の時点で、ある程度の被害は想定していました
それだけ強い地震が起こって、全く何もなしで済む訳ないのは分かっていました(というかそう信じたかった)
でも、津波がここまで被害を出すことを忘れてました。
小学校高学年のときに、奥尻島の地震で津波がどれほどの被害を出すかは何となく理解していたのに
現在のこの状況を考えるといかに自分の認識が甘かったのか、って感じです。
結局、昨日は夜中の余震やなんやらでそんなに眠れず(友人も友人の家族もそうでした)
被災地から遠く離れた東京でさえ、あんな不安な夜だったのですから
現地の人たちの不安は計り知れないモノがあります。
津波のこと、原発のこと、今後のこと、かなり色んなことが不安だし山積みです
(余震もそうだし、現時点で一番は原発災害)
願わくば、少しでも早く被災地に平穏が訪れますように。
最後に
電話やメールなどの連絡がつきにくくなっているのも分かってます。
わかっているけれど、被災地(仙台・茨城)の友人2人と未だメールも電話も取れません。
ただ、忙しくて無視しているだけなら構わない。
だから、どうか無事でいて(ご家族込みで)