20年ぶりの来酒とはいえ、全く会っていなかったわけではありません
昨年の5月に、ポール・マッカートニーのコンサートに行ったときに会ったかな?
コンサートが夜からだったので≪暇つぶしに≫従弟の職場訪問をしたのでした。
個人情報の関係上、記事にもしなかったのだわ(笑)
フレンチのシェフのおじさまの仕込みもよろしく
常に敬語で話し、行動もスマートな従弟です。
行きたいところは?食べたいものは?
「Neko★姉が連れていってくれるところならどこでも。」
「好き嫌いはありません。
Neko★姉が作ったものはなんでもいただきます。」
「≪どこまでも?≫お供します。」
レディーファーストは、徹底しているし
ちょっと歯が浮くセリフも、聞き流せるけど≪くすぐったい≫(笑)
好き嫌いはなく、確かになんでも黙々と食べるけど
美味しいからだけではないと、私は知っている。
かつてまだ祖母が生きていた頃、
夏休みになると東京の叔母たちは、子供たちだけで富山に寄越した。
最後となったのは、2月生まれの一番兄ちゃんが中学1年生になった夏
32?33年前?
私が結婚する2~3年前。
年上のT子叔母は、兄弟≪2月生まれの中1と、3月生まれの小6=Y☆≫
年下のJ子叔母は、姉弟≪4月生まれの姉小6、小5の弟は5月生まれ≫
女の子はひとりだけというのが、息子と名古屋の従兄妹とちょっと似ている
違うのは、叔母たち姉妹は歩いて行ける距離、近くに住んでいました。
夏休みは、富山の祖母の家にお泊りするのが常でした。
毎朝、仏壇に手を合わせることから始まる1日。
小坊主修行のようだったと、振り返る。
祖母と、最後には同等にお経をご唱和したのは
このY☆従弟だったと聞いています(笑)
そんなぼくなつ≪ぼくのなつやすみ≫で、今も語り草になっているのが
おにぎり事件!
祖母が、海の近くの大型プールに、4人を連れていった日のこと
クーラーのなかった祖母宅。暑かったのでしょうね~
土日の休日には、私か私の弟が子供たちを海や山、水族館など
車で遊びに連れていったのですが、祖母とは歩ける範囲。
この日は平日、珍しくバスに乗ってのおでかけでした。
今と違って真夏日は、ひと夏に2~3日だったと思います。
お昼にと祖母が握ったおにぎりは、食べるころには糸を引いたらしい。
「納豆おにぎり?」「おにぎりって糸ひくの?」
ひそひそと頭付き合わせて、子らが相談!
中1兄☆代表して「おばあちゃん、このおにぎり糸がひいているけど
食べても大丈夫かな?」
「ああー大丈夫だ!米で腹は壊れん!」と明治の女
中1兄☆腹をくくる☆「よし!1個は食うぞ!」
黙って兄に従う弟Y☆
ふたり揃って、1個は食べた!
どーしても、食べることができず、とうとう泣き出す姉弟ふたり!
その夜、
電話で延々と食べ物粗末にしたと責められたという姉弟の母=J子叔母
「おまえは 子供たちにどんなしつけをしている。
T子の子供らはちゃんと食べたぞ!」
「あれはね~忘れられないです(笑)」
お腹は、どうだったの?
「大丈夫だった気がします。」
戦争を経験してきた明治の女にとっては、お米を粗末にするなんて
そんな罰当たりな行いは、許せないのですね。
シェフのおじさまのお陰で、
生まれた時から美味しいものを食べていた いとこたち。
子供とはいえ、舌が肥えていた。
でも、食事を用意してくれる人に敬意を払って
昔から、必ず完食する。そして
「ご馳走様でした。また作ってください。」
あ、時には多すぎて食べきれず「残してごめんなさい。」もあったかな?(笑)
ほぼ、完食か。
これが、従兄弟宅の子供のころからのマナー
「いや~親父が持ってくるお肉?
あれ食べたら、ちょっと他所では食べれません。」
そうだろうね~
でも、出されたものは、たとえカビが生えていても、
黙って食べる。
そんな従弟です。
本当に美味しいものの時は、目じりにびっくりするくらいの
笑いジワを浮かべて「美味しいですね~」と賛美
正直すぎる 従弟でもあります。≪わっかりやすいわ~≫
コワイコワイ
Thankyou
★
ねこちゃんさんの従弟さんだけあって、スリムでスタイル良いですね。
糸引きおにぎり、
真面目に読んで真面目に考えてしまいましたが、そういう事でしたか。
さくらんぼ、ツヤッツヤで宝石みたい。最高級品ですね!
糸を引いていたかは覚えていませんが
食べにくかったことでした。
息子がおデブに見えました(笑)
まあ~この一か月、地域医療研修先の
3度3度のご飯のお陰で、2Kは太ったと、言っていましたけど
おじさまに勝てるわけがないし
気にしないといえばしないんですけど(笑)
綺麗でしょう
赤い宝石、佐藤錦です。
20年来のお付き合いの農家さんの物です。
ひよりさんにも食べさせたいわ
熱々、炊き立てで握らないとダメだっていうじゃあないですか!
今でこそ、サランラップがあるので
熱いのも、手の雑菌もある程度防ぎませけど
この頃(時?)、祖母は朝ごはんの残りご飯で握ったのではないかと・・・
おひつだろうから、覚めていただろうしなあ~
で、暑さにやられたかな~?
味噌なんかも、何年物?という?
真っ黒な味噌≪東京叔母宅から引き取ってきた?自家製=祖母作≫みたことあります。
捨てられない世代ですよね
食べにくかった・・・
よく食べたと思います
自分だったら?どうしただろう?