見ろ、俺の最高傑作だ。
別に「面白さタランかったら全額返金しバスターズ」を狙ってのことではないが(笑)、公開当日に突撃してきました。
しかしなんだかこの作品、宣伝方向間違ってるんじゃないかなあ。
あのCMの打ち方だと、コメディのバカ映画っぽい。
あれに釣られてコメディを期待して行くと、物足りないかも。
あと、覚悟してたけど、視覚的に痛いです。
死人の頭の皮を剥ぐシーンとか銃弾を指で押し込むような描写を笑って見れる人ならコメディとして面白く感じることが出来るかもしれん。
私はタランティーノの作品って実はちゃんと(1本頭から終わりまで)見たこと無かったのでこれが彼の芸風(芸?)として普通なのか普通より面白いのか普通とちょっと違うのかが判断できないのですが、三池崇史監督と仲いいというのはなんか納得しました。なんか芸風似てるよね(笑)。
ぐだぐだ言って、じゃあ面白くなかったのかというと期待した方向とは少し違ったけど面白かったです。
帰ってからパンフとか読みながら色々思い出してるうちにじわじわ面白みがよみがえってきました。
出来ればもっぺん見たいかも。
「イングロリアス・バスターズ」◆監督・脚本:クエンティン・タランティーノ◆出演:ブラッド・ピット、メラニー・ロラン、クリストフ・ヴァルツ 他
《あらすじ》1941年、ナチス占領下のフランスの田舎町で、家族を虐殺されたユダヤ人のショシャナ(メラニー・ロラン)はランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)の追跡を逃れる。一方、“イングロリアス・バスターズ”と呼ばれるレイン中尉(ブラッド・ピット)率いる連合軍の極秘部隊は、次々とナチス兵を血祭りにあげていた。やがて彼らはパリでの作戦を実行に移す。(シネマトゥディ)
公式サイト
映画オタクの監督が、僕の大好きな映画のエッセンスを色々ぶちこんでいるのだけど残念ながら私はそんなに(特に古い映画は)あんまり映画を見ていないので、そこらで「クスっ」とはいかないのが残念なのだがわからないところはスルーすることにする。
ただ、ゲッペルス宣伝相がすごくイメージ通りだなー、これぞゲッペルスだよなー、と思って、なんでそんなにゲッペルスのイメージが固まってるんだろうと思ったらゲッペルスを演じた役者さんって「わが教え子、ヒトラー」でもゲッペルスを演じた人だったんですね。
ああ、「ハイル・ヒトラーはもういいから」の人だ!道理で!
さて、「ワルキューレ」でもそうだったがヨーロッパが舞台で登場人物がヨーロッパ人でもアメリカが作れば普通に全編英語だったりするのがまあ普通なのだろう。
しかしこの作品は舞台こそヨーロッパだが出てくるのはフランス人にドイツ人にイギリス人にアメリカ人…。
彼らはちゃんと自国の言葉、しかも方言まで駆使して会話する。
当然、英語を理解できないフランス人もドイツ人もいれば、何ヶ国語もぺらぺらの将校もいる。
いちいち通訳を通すコミュニケーションの難しさや、言葉や習慣の違いから生まれるピンチ。
当たり前のことを当たり前に表現しているだけなのにそれがなんともいえないおかしみを生み出す。
こういう細部へのこだわり方がオタクっぽくて面白いな。
まだ公開直後。見てない人は読まないでね!
映画のタイトルは「イングロリアス・バスターズ」。
主演はブラッド・ピット。
だけど、この物語の主人公はイングロリアス・バスターともブラッド・ピット演じるレイン中尉とも一切接触しない、「ショシャナ」だと思う。
彼女の復讐劇と、連合軍のプレミア大作戦は全くリンクしていない。
お互いはそれぞれの作戦の存在など最後まで知らないのだ。
それでも彼らはそれぞれの目的のために奔走する。
けれど、ひとつだけ私が納得いかない部分がある。
ショシャナの最大の「仇」はランダ大佐だったはず。
ランダ大佐と「再会」したことでショシャナはプレミアで映画館を燃やす決意をしたはず。
だけど、ショシャナの復讐はランダ大佐には及ばなかった。
映画館を燃やし、ナチスの幹部たちを焼き殺したとしても、ショシャナの家族を殺したランダは生き延びた。
うまく亡命して余生を送れたとしても、レインの手によって生涯消えない鉤十字の刻印を刻まれたことによって、多分死ぬより厳しい人生を送ることになるのだろう。殺すよりももしかしたら残酷な罰を与えたのかもしれない。
それでも「ショシャナの復讐物語」として見ていた私は、ショシャナの命をかけたスクリーンいっぱいの嘲笑をランダに見せたかった。
それにしてもランダ大佐って本当に微に入り細に入り見事にいやらしい敵役だったな。
ランダは切れ者であるがゆえに、時局がすでにナチスドイツが敗戦の道を進んでいることを読んでいたのだろう。それでなければショシャナの作戦はともかくバスターズの作戦は失敗していたのだから。
いや、もしランダがずっと映画館にいたならマルセルの妙な動きやフレデリックとショシャナが映写室で撃ち合った音を聞きつけてショシャナの作戦をも覆していたかも…と思わせるくらいだった。
とにかくランダにあの「ジャイアントフェイス」を見せられなかったのが残念だったんだけど…あれも意図的なものだったんだろうか。それはわからない。
ショシャナを演じたメラニー・ロランをはじめ、この映画に出演したユダヤ人俳優の多くは親戚や祖父母などの代にナチスの弾圧を受けたという。
現実の歴史では1945年4月に自らの命を絶ったヒトラー。
けれど、この映画では1944年6月にヒトラーはパリの映画館で側近もろとも死んでしまう。
メインの登場人物たちはフィクションなのだから。「彼らが実在していたら歴史はこうなっていたんだよ」とタランティーノは嘯く。
フィクションの娯楽映画という武器を使って、彼らはナチスとヒトラーを倒したのだ。そこに難しい理屈はいらないのかもしれない。
登場人物たちがそれぞれの国の言葉で話しているという件については前述したが、それが一番面白かったのはやはり酒場のシーンだろう。
オーストリア人とドイツ人のバスターズはともかくもう一人はイギリス人。ドイツ映画の研究をしていてドイツ語が話せるというだけのイギリス人。
「ミュンヘンとフランクフルトはいい、そっちの君はどこの方言かわからない」
ナチスの将校に指摘される。そりゃ確かにそうだ。
たまたま集まっていた下士官たちは酒を飲むのにみんな「シュナップス」を注文する。
でもドイツ兵に変装したバスターズたちが注文するのはウィスキー。
「3つ頼む」という指の形でドイツ人じゃないとバレるとか。
イギリス人に仕切らせるからそうなるんじゃん!と思ったけどドイツ人は短気な殺人狂だし冷静に対応できないだろうし、と思うと結末から逆算したとしても展開としてうまく出来てるなあ。
見終わった時にはなんかどこかで納得いかん気がしていたんだけどこうして色々思い返しているとやっぱ面白かったなと思う。スルメのようだ…。
別に「面白さタランかったら全額返金しバスターズ」を狙ってのことではないが(笑)、公開当日に突撃してきました。
しかしなんだかこの作品、宣伝方向間違ってるんじゃないかなあ。
あのCMの打ち方だと、コメディのバカ映画っぽい。
あれに釣られてコメディを期待して行くと、物足りないかも。
あと、覚悟してたけど、視覚的に痛いです。
死人の頭の皮を剥ぐシーンとか銃弾を指で押し込むような描写を笑って見れる人ならコメディとして面白く感じることが出来るかもしれん。
私はタランティーノの作品って実はちゃんと(1本頭から終わりまで)見たこと無かったのでこれが彼の芸風(芸?)として普通なのか普通より面白いのか普通とちょっと違うのかが判断できないのですが、三池崇史監督と仲いいというのはなんか納得しました。なんか芸風似てるよね(笑)。
ぐだぐだ言って、じゃあ面白くなかったのかというと期待した方向とは少し違ったけど面白かったです。
帰ってからパンフとか読みながら色々思い出してるうちにじわじわ面白みがよみがえってきました。
出来ればもっぺん見たいかも。
「イングロリアス・バスターズ」◆監督・脚本:クエンティン・タランティーノ◆出演:ブラッド・ピット、メラニー・ロラン、クリストフ・ヴァルツ 他
《あらすじ》1941年、ナチス占領下のフランスの田舎町で、家族を虐殺されたユダヤ人のショシャナ(メラニー・ロラン)はランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)の追跡を逃れる。一方、“イングロリアス・バスターズ”と呼ばれるレイン中尉(ブラッド・ピット)率いる連合軍の極秘部隊は、次々とナチス兵を血祭りにあげていた。やがて彼らはパリでの作戦を実行に移す。(シネマトゥディ)
公式サイト
映画オタクの監督が、僕の大好きな映画のエッセンスを色々ぶちこんでいるのだけど残念ながら私はそんなに(特に古い映画は)あんまり映画を見ていないので、そこらで「クスっ」とはいかないのが残念なのだがわからないところはスルーすることにする。
ただ、ゲッペルス宣伝相がすごくイメージ通りだなー、これぞゲッペルスだよなー、と思って、なんでそんなにゲッペルスのイメージが固まってるんだろうと思ったらゲッペルスを演じた役者さんって「わが教え子、ヒトラー」でもゲッペルスを演じた人だったんですね。
ああ、「ハイル・ヒトラーはもういいから」の人だ!道理で!
さて、「ワルキューレ」でもそうだったがヨーロッパが舞台で登場人物がヨーロッパ人でもアメリカが作れば普通に全編英語だったりするのがまあ普通なのだろう。
しかしこの作品は舞台こそヨーロッパだが出てくるのはフランス人にドイツ人にイギリス人にアメリカ人…。
彼らはちゃんと自国の言葉、しかも方言まで駆使して会話する。
当然、英語を理解できないフランス人もドイツ人もいれば、何ヶ国語もぺらぺらの将校もいる。
いちいち通訳を通すコミュニケーションの難しさや、言葉や習慣の違いから生まれるピンチ。
当たり前のことを当たり前に表現しているだけなのにそれがなんともいえないおかしみを生み出す。
こういう細部へのこだわり方がオタクっぽくて面白いな。
まだ公開直後。見てない人は読まないでね!
映画のタイトルは「イングロリアス・バスターズ」。
主演はブラッド・ピット。
だけど、この物語の主人公はイングロリアス・バスターともブラッド・ピット演じるレイン中尉とも一切接触しない、「ショシャナ」だと思う。
彼女の復讐劇と、連合軍のプレミア大作戦は全くリンクしていない。
お互いはそれぞれの作戦の存在など最後まで知らないのだ。
それでも彼らはそれぞれの目的のために奔走する。
けれど、ひとつだけ私が納得いかない部分がある。
ショシャナの最大の「仇」はランダ大佐だったはず。
ランダ大佐と「再会」したことでショシャナはプレミアで映画館を燃やす決意をしたはず。
だけど、ショシャナの復讐はランダ大佐には及ばなかった。
映画館を燃やし、ナチスの幹部たちを焼き殺したとしても、ショシャナの家族を殺したランダは生き延びた。
うまく亡命して余生を送れたとしても、レインの手によって生涯消えない鉤十字の刻印を刻まれたことによって、多分死ぬより厳しい人生を送ることになるのだろう。殺すよりももしかしたら残酷な罰を与えたのかもしれない。
それでも「ショシャナの復讐物語」として見ていた私は、ショシャナの命をかけたスクリーンいっぱいの嘲笑をランダに見せたかった。
それにしてもランダ大佐って本当に微に入り細に入り見事にいやらしい敵役だったな。
ランダは切れ者であるがゆえに、時局がすでにナチスドイツが敗戦の道を進んでいることを読んでいたのだろう。それでなければショシャナの作戦はともかくバスターズの作戦は失敗していたのだから。
いや、もしランダがずっと映画館にいたならマルセルの妙な動きやフレデリックとショシャナが映写室で撃ち合った音を聞きつけてショシャナの作戦をも覆していたかも…と思わせるくらいだった。
とにかくランダにあの「ジャイアントフェイス」を見せられなかったのが残念だったんだけど…あれも意図的なものだったんだろうか。それはわからない。
ショシャナを演じたメラニー・ロランをはじめ、この映画に出演したユダヤ人俳優の多くは親戚や祖父母などの代にナチスの弾圧を受けたという。
現実の歴史では1945年4月に自らの命を絶ったヒトラー。
けれど、この映画では1944年6月にヒトラーはパリの映画館で側近もろとも死んでしまう。
メインの登場人物たちはフィクションなのだから。「彼らが実在していたら歴史はこうなっていたんだよ」とタランティーノは嘯く。
フィクションの娯楽映画という武器を使って、彼らはナチスとヒトラーを倒したのだ。そこに難しい理屈はいらないのかもしれない。
登場人物たちがそれぞれの国の言葉で話しているという件については前述したが、それが一番面白かったのはやはり酒場のシーンだろう。
オーストリア人とドイツ人のバスターズはともかくもう一人はイギリス人。ドイツ映画の研究をしていてドイツ語が話せるというだけのイギリス人。
「ミュンヘンとフランクフルトはいい、そっちの君はどこの方言かわからない」
ナチスの将校に指摘される。そりゃ確かにそうだ。
たまたま集まっていた下士官たちは酒を飲むのにみんな「シュナップス」を注文する。
でもドイツ兵に変装したバスターズたちが注文するのはウィスキー。
「3つ頼む」という指の形でドイツ人じゃないとバレるとか。
イギリス人に仕切らせるからそうなるんじゃん!と思ったけどドイツ人は短気な殺人狂だし冷静に対応できないだろうし、と思うと結末から逆算したとしても展開としてうまく出来てるなあ。
見終わった時にはなんかどこかで納得いかん気がしていたんだけどこうして色々思い返しているとやっぱ面白かったなと思う。スルメのようだ…。
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