俺たちの関ジャム完全燃SHOWで
「東京ソング」特集。
もうおわかりですね。
このての特集があった時はだいたいやってる"自分が選ぶなら"シリーズです。
TVer見逃し配信(一週間程度)
今回のゲストは
・佐藤千亜妃(きのこ帝国)/盛岡市出身
・いしわたり淳治/青森県十和田市出身
・渋谷龍太(SUPER BEAVER)/東京都新宿区出身
ということで、上京組の東京への憧憬や思い、その街をホームタウンとして生きてきた人の思いなどと絡めつつ世に多く存在する「東京ソング」に込められたものを紐解いていく…といった特集でした。
私は京都出身で20代で大阪に出てきたわけですが、「東京」に対してそれほど強い憧憬を感じたことはありません。
京都市といっても滋賀県寄りの郊外ですが田舎というわけでもなく、かといって大都会ではもちろんない。ただ古都である意識はある。東京に遊びに行った時には、自分にとっては大阪も十分すぎる大都会だけど比較にならない大都会だということはすぐにわかったけど。
考えてみれば『この道で成功するにはまず東京に拠点をおかなければ』というようなジャンルの道を歩いていなかった、そもそもそんな『夢』を持っていなかった。後々、東京に拠点を置いて何某か活動しているだけでインプットも大きな苦労なく出来るし人脈も作りやすい、つまりチャンスも多い という『東京』のメリットを実感することは何度もありましたがだからって今からでも東京、とか大阪じゃなく東京に出ておけば良かった、みたいな気持ちになったこともないなーと思います。
だから多分、実際に『夢』を実現するために『東京』を目指したり実際にそこに身を置くようになった人が書く『東京』が私のような夢もない大阪で満足してる人間に響くのかというと多分本当の意味では響かないんでしょうね。
しかし人間には"自分が体験してもいないことに何故か共感する"という面白い能力がありましてね。
自分の体験との共感ではなくても多分心のどこかにある他の似た感情に響くことがあるんじゃないかと思ったりしています。
さてそんな「東京」に対して深い憧憬も持たない私でも「東京ソングといえば」という曲はあります。
※ここで「東京(やしきたかじん)」とか「東京だヨおっ母さん」とか「東京ブギウギ」とか「ラブユー東京」とか「東京砂漠」とか「東京ララバイ」とか「六本木心中」とか「雨の西麻布」とかを上げてくるほど野暮ではありません
この手のエントリではいつも同じ顔触れアーティストの楽曲を引っ張ってくるわけですが今回ももちろんいつもの顔ぶれです。
トウキョータワー/chage(1998)
公式にMVもあったんだけど、せっかく東京タワーを歌ってるのにアメリカでロケした映像みたいでちょっと興が削がれた感じがしたのでライブ映像の方で。
聞き飽きた雑音の中で耳を押さえるより僕らは
痛みさえも抱えながら 日々を送ろう
そうだね明日ふたりで東京タワーに登ろう そして
ちりばめられた夢のかけらをね つなげて
この街で暮らす幸せの高さを確かめよう
チャゲ&飛鳥は今更言うまでもなく、福岡から夢を追って上京した人たちです。
この「トウキョータワー」は、CHAGE and ASKAの二度目の大きな活動休止期間(ソロ活動期間)で、chageがソロとしては初めてリリースしたシングルでした。
(これまでのソロ活動期間、chageは基本的にはMULTI MAXというバンドで活動していたのでソロとしてはこれが初めて)
CHAGE and ASKAとしてはすでに十分な成功を遂げた後のこと。むしろ、一旦爆発的に売れて少し活動が良く言えば落ち着いた、嫌な言い方をすれば"ブーム"が終わりを迎えつつあった頃です。
この時chageの心の中で何かの迷いがあったのかもわかりません。
彼らの耳にはずっと"雑音"が入ってきていて、それはもう"聞き飽きる"ほどのものだったのだろう。
耳を押さえてしまうのではなく、それを受け止めながらこれからも生きて行こうという宣誓はむしろ痛々しいほど。
彼らにとって、いつまでたっても「東京タワー」は夢を追ってやってきた時の「憧れの東京」のシンボルだったのかもしれない。そこへ上って、
「今までのこととこれからのことをね、見渡してみよう」
「積み上げられた夢のかけらをね、繋げて」
「この街で暮らす幸せの高さを確かめよう」
『東京で暮らすことに慣れてしまってはいないか、ここに来た時に抱いていた夢はまだ途中のはずじゃなかったか』と自分に語り掛けているような。そんな歌だと思って聴いています。
………全然違うかもしれんけどな。
東京・Lovers Map/関口誠人(1988)
公式チャンネルなのにMVを上げてくれてないのはなんすか…本人だけど権利関係とか色々あるんすかね………。
関口誠人は1987年4月にC-C-Bを脱退、翌88年にはソロアルバム「FOLK SONG」をリリースしてるんだけどその先行シングルとしてリリースされたのがこの曲。
関口誠人という人は東京で生まれ育った東京人なので、「東京への憧憬」「東京に対するコンプレックス」「反骨心」みたいなものとは無縁の筈の人です。
関ジャムで言ってた歌舞伎町生まれの渋谷龍太さんのように、東京生まれには東京生まれにしかないコンプレックスがあると思うのですが多分関口もそちら側。
この曲がリリースされたのはちょうど日本がバブル経済に酔っていたさなかです。そしておそらく日本で最もそれに踊っていたのは東京だったんだと思う。京都で大学生をやっていた私にとってもテレビで見る"バブル"は少し別の世界に見えていました。
その頃にリリースされた関口のファーストから数えて3枚のアルバムには、バブルに踊らされているけど本当の価値を探して彷徨っているような、享楽的でいてどこか寂しさや哀しさを漂わせた曲が多く存在している気がします。
その中で最初にお披露目されたのがこの「東京・Lovers Map」。
東京で派手に騒ぐ 人が指さすビジネス
気持ち届くだろうか テレビで歌うLOVE SONG
グラビアみたい 冷たい
東京で探し物を 途切れ途切れのアドレス
人の波を泳ぐ迷路のような街
絵葉書みたい 哀しい
『君』を何度も見失いかけている主人公。物理的地理的な"迷路"ではなく、心理的にどこかに迷い込んで好きなはずの人を見つけられすにいるという寂しさとか哀しさを感じる曲。 ここに出てくる『君』は『バブル』のステレオタイプでワンレン・ボディコンの原色スーツ、真っ赤な口紅、太く書いた眉毛、ハイヒール……なんかを身に着けている女性が容易に思い浮かぶんですが、そのくせ「ムードになると慌てる君が好きだった」って言ってるんだよね。いわゆる『イケイケ』のように見えていてもそんな部分がある君のことを僕は知っているよ、そんな君が好きだったんだよ、という。
でも見失ってしまっているということは、彼女のそんな部分がどんどん失われていったのかもしれない。
MVでも早回しの街の風景などが挿入されていたりしたんだけど、追い立てられるようなスピード感がその孤独感や哀しさをさらに強調しているような気がします。
東京に限らずこの時期の大都会ならどこでも良かった筈なんだけど、東京と言われただけで問答無用感が段違い。
まちあわせ/たま(1990)
※1990と書いていますが最初に音源化された年のこと(「夕暮れ時のさびしさに」C/W)。
メジャーデビュー前、インディーズ時代のアルバムに収録されており、イカ天キングになった5週目に歌ったそうです(イカ天放送されてなかった地域なので伝聞でしか知らない)
"たま"はもともと東京で活動を開始したバンドだし、夢にむかってまっしぐらみたいなタイプのバンドでも音楽でもないし、どちらかというと歌詞も場所がどうとかいう次元のものでもないんで、「東京ソング」からものすごく遠い場所にあるバンドというイメージなんだけど、この曲の
『神保町 顔のYシャツの前で夜2時15分のまちあわせ』
という歌詞が何十年経っても脳の隅に残っていて、神保町という地名を耳にするごとに「不便だ不便だ不便だ不便だ」って4人の声が脳内を駆け巡るので私の中で東京ソングに認定です。
「でーも不便の方が便利よりだいぶいい」っていい言葉だな~。
ちなみに「顔のYシャツ」は正確には神保町ではなく神田小川町だそうですね。
吉川さん、SAMURAI ROCK以前(つまりワーナー以前)ってほんと動画上がんないよね……(無断転載動画ばっか…)
吉川晃司も夢追い上京組なんだけど、よく思い浮かべてみたら東京に拘った感じの歌が全然ない。
『街』といっても東京とび越えてNYとか行ってしまうわけですよ。吉川さんは。
タイトルで思い浮かんだのが『TOKYO CIRCUS』なんだけど、ぶっちゃけ「これのどこが東京???」なので(この機会にもう一度ちゃんと歌詞読んでみたけど本当に何故この曲のタイトルにTOKYOって入れたのかわからないwタイトルに困ったのかな…?
で消し線入れて次に上げたのがみんな大好き『Black Corvette』。これはタイトルはもちろん歌詞のどこにも東京とは言ってないし匂わせてもいないんだけど、吉川晃司が曲作りに行き詰って愛車のコルベット(当時)で夜の高速をぶっ飛ばしている歌なんで必然的にここでCorvetteが走っているのは東京中心部を走ってる高速なんだろうな!と思って勝手に東京SONGだと思ってます。
Tokyoholic/関ジャニ∞(2017)
※関ジャニ∞時代の動画は無いので、亮ちゃんソロでの動画を。
「関ジャムで東京ソング特集」って出た時に、見てたeighterの大半がきっと思い浮かべただろう曲。
※そもそもこういう特集の時にエイトの曲が紹介されることはほとんど無いので今回いくらeighterの頭に浮かんでても紹介されないの「よくあること」でしかないと思いますよ
それはさておき錦戸亮作詞作曲なので、多分5人になったエイトが今後演るには諸々手続きがあったりするんだと思う。逆に作詞作曲者である亮ちゃんは退所の折に自分が作った楽曲は退所しても自由にやれるように取り決めをかっちりして行ったんだろうと思います。(その点、すばるはグループ時代に作った曲は手をつけようとはしませんね。そこはそれぞれ考え方があると思うのでどっちが良い悪いって話ではありません)
関西から東京って、他の地方都市とか田舎から出てくるのとは多分全然感覚が違うんですよね。憧れの街東京、じゃなくて負けへんぞ根性で出てきて、まあ言っちゃなんだけど取り込まれて行くんだよなっていう。
この曲でも、散々東京のことをdisりまくって「オマエ好きちゃうわー」と言いまくった最後の最後に、「でも嫌いになれへんわ、オマエのこと」って言って終わるんよね。そうやってholic(中毒者)の出来上がり。
BJ/関ジャニ∞(2008)
も一曲エイトから。
これはまだRe:8ESTもされてないので5人の音源も映像もありません。先日の「18祭」で5人で初めて歌いましたね。
どこにも「東京」というキーワードは無いんだけど、今回の企画関係なく、なんとなく東京ソングっぽいと思っていました。
私はこの曲が初めて登場した時(ワッハッハーのC/W)のリアルタイムも知らないし、その時のエイトがどの位置のどういう状況だったかの肌感というのが無いのでどうも勘違いしていたみたいなんだけど。
「思い描いてた場所」というのが私は最初東京ドームのことかと思ってたんですよね。
もっと早くあそこへ行きついてたはずじゃなかったのか、みたいな。
でも時期をよく見ると、これがリリースされた時にはもう初の東京ドームにはたどり着いてたみたいで。
じゃあこの時点での「思い描いてた場所」はどこなんだろう?
あ、紅白歌合戦とかですかね?でもNHKホールって電車の窓からは見えんよな…。
手を振りいつもの人と別れ 静かな電車に揺られ
思い描いてた場所を遠く眺め走る
まあ、作られた時に何を想定して書かれたのかは(仮に作詞者やメンバーが語っていたとしても私が当時はeighterじゃなかったんで知る由もありません)知らないけど、そういう「思い描いてた場所」にまだ到達できていない焦燥感とか半分諦めみたいなムードが漂う導入から、自分たちのペースで自分達の手で扉を開き自分たちの足で前へ前へ進んでいこうという自分への言い聞かせや決意表明みたいな歌だと思う。
地元で一旗上げてやるぜと気勢を上げているのでもなく、
地元で気勢を上げる事もままならずうだうだしているのでもなく、
東京に出てきてただやったるぞと気合を入れているんでもなく。
うまくいくこともいかないことも経験して、きっと喜びもきっと苛立ちもあって。それでもここでやっていく。みたいな。
東京ソング。 もうちょっとあるかと思ったけど、自分的にはそれほど出てこなかったです。
やっぱ私が上京者じゃないから、自分の状況と重ねて刺さったわー、救われたわー、みたいな位置づけの曲が無いからなのかもなぁ。
そういえば大阪に出て来たばかりで仕事もつらくて帰宅しては泣いてばかりいた頃、部屋ではひたすら吉川のライブビデオばっか見てたけど、歌詞とか全く関係なく、あれはあれで救われてたのかな。
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